A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記180 「建築MAP京都」

2008-03-28 23:01:28 | 書物
タイトル:建築MAP京都
著者:ギャラリー・間=編
装丁・造本:川畑博哉
発行:TOTO出版
発行日:1998年1月10日
内容:
国宝・重文をはじめとする歴史的建造物から現代建築まで、378件を写真・データ・解説で紹介。全作品をMAP上にプロット。
・京都市中心部を8エリアで構成
・その他周辺地域を22のエリアで構成
・京都建築を読みとくための充実したコラム
・レファレンスに対応する充実した索引
(本書カバー裏解説より)

到着日:2008年3月28日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
TOTO出版より刊行されている『建築MAP』シリーズの京都篇。ここ数年は毎年春に京都に行くことが恒例となっている。毎回京都に行く前には、予習・調査を兼ねて京都本を一冊は読むこととしているのだが、今回は「建築」をテーマにこの本を選んでみた。書店で見たときから惚れていたのだが、あらためて見るとやはりすばらしい。普通に京都散歩の地図としても活用できるが、マップ上にプロットされた建築物に設計者の名前が記載され、思わぬところに有名建築家の作品があったりして、ただただ眺めているだけでも旅気分になってきてうれしくなる。さらに解説も豊富につけられているので、読み物としても充実している。なお、この本は文庫タイプも発売されているのだが、そちらは持ち歩くには便利だが、文字が小さいため今回は情報量と見やすさの点から単行本を購入した。やはり地図は大きい方が好ましい。そんな大きい地図を眺めながら、京都への旅計画を練ろうと今から楽しみにしている。




TOUCHING WORD 035

2008-03-25 22:42:48 | ことば
しかも習慣はすべてを弱めるものだから、私たちにある人のことを最もよく思い出させるのは、まさしく私たちが忘れてしまったところのものということになる(中略)。だからこそ記憶の最良の部分は私たちの外部にあり、雨もよいの風や、ある部屋のかびくさい臭いや、ぱっと燃え上がったときの焔のにおいのなかなど、私たち自身のなかで知性が使い道も分からずに無視してしまった部分、過去のなかで最後までとっておかれた最良のもの、すべての涙が涸れ尽きたと思われるときもなお私たちに涙を流させるもの、そうしたものを見出すことのできる至るところに存在しているのだ。
(p.457 『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ』マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社/集英社文庫ヘリテージシリーズ2006.5)

TOUCHING WORD 034

2008-03-21 21:27:24 | ことば
なるほどこの楽節はいま述べた観点からすれば人間的でありながら、それでもいまだかつて私たちが目にしたこともない超自然的な存在の世界に属していたのだが、にもかかわらず、だれか目に見えないものを訪ねる探索者が、神聖な世界に近づいて、こういった超自然のものの一つをとらえ、それを持ち帰ってしばし地上に輝かせるのに成功すると、私たちはたちまちそれを認めて心を奪われる。
(p.354-355 『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へⅡ』マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社/集英社文庫ヘリテージシリーズ2006.3)

TOUCHING WORD 033

2008-03-19 21:52:10 | ことば
求めている真実が、紅茶のなかではなくて、私のうちにあることは明らかだ。(中略)私はカップをおき、自分の精神の方に向きなおる。真実を見つけるのは精神の役目だ。しかしどうやって見つけるのか?深刻な不安だ、精神が精神自身も手のとどかないところに行ってしまったと感じるたびにかならず生じる不安だ。精神というこの探求者がそっくりそのまま真っ暗な世界になってしまい、その世界のなかでなお探求をつづけねばならず、しかもそこではいっさいの蓄積がなんの役にも立たなくなってしまうようなときの不安だ。探求? それだけではない、創りだすことが必要だ。精神はまだ存在していない何ものかに直面している。精神のみが、それを現実のものにし、自分の光を浴させることができるのだ。
(p.109-110 『失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へⅠ』マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社/集英社文庫ヘリテージシリーズ2006.3)

未読日記179 「ラ・ロシュフコー箴言集」

2008-03-18 22:03:43 | 書物
タイトル:ラ・ロシュフコー箴言集
著者:ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世 二宮フサ訳
表紙カット:『箴言集』初版本の口絵
発行:岩波書店/岩波文庫 赤510-1
発行日:1993年10月5日第11刷(1989年12月18日初版)
内容:
「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」-よく知られたこの一句が示すように、ラ・ロシュフコー(1613-80)の箴言は、愛・友情・勇気など美名の下にひそむ打算・自己愛という業を重い律動感のある1、2行の断言であばき、読者を挑発する。人間の真実を追究するフランス・モラリスト文学の最高峰。(本書カバー解説より)

購入日:2008年3月16日
購入店:e-Books
購入理由:
先日、駅中にある本屋でこの本を見かけ、立ち読みしていたのだ。するとたった1、2行の言葉の集まりでしかないのにもかかわらず、その密度の濃さに飲み込まれてしまった。著者のラ・ロシュフコーの名前はプルーストの『失われた時を求めて』を読んだ時に、たびたび出ていた記憶があり、同一人物かは別にしてその名前に魅かれるものがあった。『失われた時を求めて』からのスピン・オフとして、この本を読んでみるのもいいかもしれないと思った。また、私は就寝前にこのような箴言集、名言集、アフォリズムを読むのが好きなのだ。これら磨きあげられた言葉を一日の終りに読むことで、精神が浄化されるような気がして日々の習慣になっている。この本もそんな就寝前の一冊にいいかもしれない。そんなことを考えながらも、そのまま数日たった後に、この本をとある偶然から古本屋で見つけ入手することができた。後日、本書の略年譜を読みわかったのだが、本書を購入した日は著者のラ・ロシュフコーの命日であった。なにか見えない力が働き、この本が私を選んだのかもしれない。いまはその偶然によって出会うことのできた言葉たちを読み進めてみたいと思う。

未読日記178 「嵐が丘」

2008-03-17 22:49:08 | 書物
タイトル:嵐が丘
著者:エミリー・ブロンテ 鴻巣友季子訳
デザイン:新潮社装幀室
発行:新潮社/新潮文庫
発行日:2003年7月1日
内容:
永遠の恋愛小説。待望の新訳成る!

わたしは『嵐が丘』は人間のエゴと心理をありのままに描いた、心のリアリズム小説だと思っている。神話的プロトタイプであるキャサリンとヒースクリフの原罪をわたしたちは生き継いでいくのだ。-鴻巣友季子[訳者]
(本書帯より)

寒風吹きすさぶヨークシャーにそびえる<嵐が丘>の屋敷。その主人に拾われたヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンに焦がれながら、若主人の虐待に耐え忍んできた。そんな彼にもたらされたキャサリンの結婚話。絶望に打ちひしがれて屋敷を去ったヒースクリフは、やがて莫大な富を得、復讐に燃えて戻ってきた‥‥‥。一世紀半にわたって世界の女性を虜にした恋愛小説の“新世紀決定版”。
(本書カバー裏解説より)

購入日:2008年3月16日
購入店:e-Books
購入理由:
なぜいま「嵐が丘」なのか。その答えを簡潔に述べるならフランスの映画監督ジャック・リヴェットが映画化をしているから、と答えよう。現在開催中の<フランス映画祭2008>の特集上映<ジャック・リヴェット 秘密と法則の間で>において、この『嵐が丘』(1985)が上映されるのだ。正直に告白するなら、いままでこれといって興味があった本ではない。当然、この本の存在は知っていたし、映画化も何回もされているからよく知られた本ではある。だが、本の帯に「永遠の恋愛小説」などと書かれる本を買うほど恋愛小説好きでもなく、いままで手に取ることも興味を持つこともなかった。もちろん今も興味はないのかもしれない。今回はジャック・リヴェットという映画監督に興味があり、『嵐が丘』に興味があるわけではなかったからだ。だが、このような機会こそ『嵐が丘』を読むいい機会なのでないかと頭の中で声がした。今後、この本のことを考える機会もそうそう来そうもないではないか。ならばと意を決して新刊書店に行き、現在文庫本で刊行されている岩波文庫版と新潮文庫版を比較してみた。どちらも新訳だが、岩波は上下刊、新潮は1巻本であった。値段を考慮するなら1巻で済む新潮に分がありそうだが、翻訳の好みから岩波にしようと思った。結局その日は買わずに帰った。だが、その後たまたま立ち寄った古本屋で新潮文庫版を見かけ、迷った。当然新刊本を買うより安い。さらに給料日前で金がないところに10%OFFセール中だという。迷った末結局買ったわけだが、微妙な後悔を感じた。しかし、同じ本でありながら、翻訳の違いによって別の本のように考えている自分が不思議に感じ始めた。たしかに文体は違うが、結局同じ本ではないか。ほんとうによい本というのは翻訳など関係ないと思い込むことにしてその日は納得した。

未読日記177 「ヘッセ Ⅱ」

2008-03-14 23:10:22 | 書物
タイトル:新潮世界文学37 ヘッセ Ⅱ
著者:ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳
発行:新潮社
発行日:1968年11月10日
内容:
エロスとロゴスの融和・対立を描いた傑作『知と愛』、理想郷カスターリエンを舞台に完璧な人間像を描いてノーベル文学賞に輝いた『ガラス玉演戯』、他に名編『シッダールタ』とヘッセの豊かな人間愛をうかがわせる小品を収録。
(本書帯より)

「シッダールタ」
「知と愛」
「ガラス玉演戯」
「小品」
「ヘッセ文学の世界」高橋健二
本書目次より

入手日:2008年3月13日
知人の方より頂いた一冊。プルーストの『失われた時を求めて』の次にとヘッセの『ガラス玉演戯』を薦められた。ヘッセは高校~浪人時代に数冊読んだことがあり、思いれがあったのでぜひ読んでみたいものだと思っていたが、絶版だということでどうしたものかと思っていた。だが、思わぬことから読むことがかない、興奮している。そんな興奮の原因は先日、約1年3ヶ月かけて『失われた時を求めて』を読み終わり、次に何を読もうかと思っていた矢先だったからかもしれない。あまりのタイミングのよさに時が「いまはこれを読みなさい」と言っている気がしている(もっとも現在5冊の本を並行して読んでいる身なので、1冊だけを集中して読むわけではないのだけれど・・)。

TOUCHING WORD 032

2008-03-13 21:51:30 | ことば
すべての出来事は、君が生まれつきこれに耐えられるように起るか、もしくは生まれつき耐えられぬように起るか、そのいずれかである。ゆえに、もし君が生まれつき耐えられるようなことが起ったら、ぶつぶついうな。君の生まれついているとおりこれに耐えよ。しかしもし君が生まれつき耐えられぬようなことが起ったら、やはりぶつぶついうな。その事柄は君を消耗しつくした上で自分も消滅するであろうから。もっとも自分の身のためであるとか、そうするのが義務であるとか、そういう考えかた次第で、つまり自分の意見一つで、耐え易く、我慢しやすくできるようなものもあるが、このようなものはすべて君がうまれつき耐えられるはずのものであることを忘れてはならない。
(p.188-189 『自省録』マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波書店/岩波文庫1956.10)

TOUCHING WORD 031

2008-03-12 22:50:41 | ことば
働け、みじめな者としてではなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく働け。ただ一事を志せ、社会的理性の命ずるがままにあるいは行動し、あるいは行動せぬことを。

(p.173 『自省録』マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波書店/岩波文庫1956.10)

未読日記176 「VALLEYS」

2008-03-10 23:58:56 | 書物
タイトル:若林奮-VALLEYS
編集:横須賀美術館
   日野原清水、原田光
発行:横須賀美術館
金額:2000円
内容:
2008年2月16日(土)-3月16日(日)まで神奈川県横須賀市の横須賀美術館において開催された<若林奮-VALLEYS展>の展覧会図録。

Ⅰ 若林奮-VALLEYS展
「一本の彫刻」市川政憲(茨城県近代美術館長)
「若林奮-≪Valleys≫についての感想」酒井忠康(世田谷美術館館長)
図版
立体
ドローイング、版画
「VALLEYS・谷へ」淀井彩子(画家、若林夫人)
若林奮 略歴
若林奮 文献目録(抄)
出品作品リスト

Ⅱ ドキュメント"Valleys"再生
「VALLEYS」若林奮
「"VALLEYS"について」若林奮
「"VALLEYS"再生」原田光(横須賀美術館副館長)
「Valleys設置 クロニクル」日野原清水(編)
(本書目次より)

購入日:2008年3月9日
購入店:横須賀美術館 ミュージアムショップ
購入理由:
開館当初から行く機会をうかがっていた山本理顕設計による横須賀美術館。年間スケジュールで見た<若林奮展>の4文字が春になったらこの美術館に行こうと決心させた。そして先日<若林奮-VALLEYS展>に行ってきた。1年前に感じた思いそのままに、春を感じさせる快晴の一日だったが、展覧会と美術館も天気同様すがすがしい内容のものだった。借景としてガラス越しに見える海を取り込んだり、建物内部のあちらこちらに開けられた円形の窓から差し込む光はけっして大きくはない展示室に奥行きをもたらしている。その開放感のある空間で若林奮の彫刻と向き合っていると、じわじわと確実になにか充たされていくものを感じた。もう何度も若林奮展はさまざまな場所で見ているのだが、いつもわからなさを感じていた。だが、今回初めて何か触れたというか、魂と魂で会話できたような気がした。まだまだ見たりない思いも残るし、言葉にできる段階ではない、だが、一陣の風が吹き抜けたように身体の内部が清浄になった思いがある。それは、作品のせいかもしれないし、風変わりな建築のせいかもしれないし、あるいは目の前にひろがる空と海のせいかもしれない。あるいは、そんな「変容」こそ若林奮が考えていたことなのもしれない。

最後にカタログについて。この横須賀美術館には若林奮の≪Valleys≫が広場に設置されている。この彫刻作品が設置されているために、今回の展覧会は開催されたといっていい。だが、残念ながら若林奮はこの作品の設置計画が動き出した矢先、その完成を見ることなく亡くなってしまった。つまり、若林にとってこの≪Valleys≫設置は最晩年の仕事だった。そのため、このカタログは展覧会と≪Valleys≫設置のドキュメントによる2部構成となっている。不思議なのは、カタログのどこにも展覧会会期が明記されていない。展覧会終了後も所蔵品カタログとして販売するのだろうか。
こんな遠くの辺鄙な場所に行ってみたいという酔狂な人には京浜急行線の馬堀海岸駅で下車してみてはいかがだろうか。駅前の西友隣にある郵便局からは観音崎京急ホテルへの無料送迎バスがでている。これに乗車すれば終点の京急ホテルから横須賀美術館へはほんのわずかなのだ。路線バスを使うと400円かかるところ無料である。天気のいい日、花粉症でない方にはおすすめしたい美術館です。