A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 208 思いやる

2015-11-30 23:56:50 | ことば
他者の現在を思いやること、それはわからないから思いやるんであって、理解できるから思いやるのではない。料理を供する母は、じぶんではなく「あなた」の口に合うか、それがとても気になるから「おいしい?」と訊くのであり、「おいしい」という返事をもらうことで、じぶん自身の行為にはじめてポジティブな意味をあたえることができるのである。
鷲田清一『「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)』筑摩書房、2015年、243-244頁。

他者の返事があることで、人は自分の行為や思考にポジティブになれる。
返事が返ってこなかったり、つれない返事だとわからないままである。
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未読日記1114 『MAX PAPESCHI SHOW』

2015-11-29 23:53:24 | 書物
タイトル:Max Papeschi Show
別タイトル:マックス・パペスキ個展
発行:[京都] : GALLERY TOMO, [Como] : MAG ギャラリー
発行日:c2015
形態:1冊 ; 21cm
注記:会期・会場: GALLERY TOMO CONTEMPORARY, 2015年11月20日~12月3日
内容:
ディズニーランド・アタック
ヒロシマから愛を込めて
スペクタクルの社会
作家略歴

頂いた日:2015年11月28日
 ギャラリー知にて開催された「マックス・パペスキ “ヒロシマから愛を込めて”」を拝見した際、ギャラリーよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
 マックス・パペスキの日本での個展は昨年に続いて2回目。パペスキの作品は社会的事件と大衆的なキャラクターやエンタテインメント素材をコラージュした作品が特徴であるが、今回も表紙のような作品が並ぶ。日本では刺激的、挑発的な作品は取っつきにくい点があると思われるが、コラージュがわかりやすい気がする・・。もう少し素材に新鮮さがあると違うのだが。
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未読日記1113 『奈良・町家の芸術祭はならぁと 2014』

2015-11-28 23:05:48 | 書物
タイトル:奈良・町家の芸術祭はならぁと 2014
監修:山中俊広
編集:飯村有加
アートディレクション:古島佑起(ことばとデザイン
デザイン:古島佑起、浅野隆昌
写真:長谷川朋也
発行:大和郡山 : 奈良・町家の芸術祭HANARART実行委員会
発行日:2015.6
形態:72p ; 26cm
注記:展覧会図録
    会期・会場: 郡山城下町、奈良きたまち、生駒宝山寺参道:11/7(金)- 16(日)
           田原本寺内町:11/8(土)- 9(日)
           御所まち:11/9(日)
           五條新町:11/15(土)- 16(日)
           今井町:11/15(土)- 23(日)
           八木札の辻:11/20(木)- 24(月・祝)
    主催: 奈良・町家の芸術祭HANARART実行委員会
    共催: 奈良県
内容:
はじめに
奈良きたまち
 「工場跡 在り処をみる」衣川泰典
生駒宝山寺参道
 「旧たき万旅館」村田典子
郡山城下町
 「旧川本邸 メモリフラグメント―追憶の追走―」K+(河内晋平、窪山洋子)
 「南大工町の家 すます/見えてくるもの 聞こえてくるもの」舟橋(森山)牧子
田原本寺内町
御所まち
五條新町
今井町
八木札の辻
「「地域」と「アート」が対等になるために “はならぁと”の理想的なバランスと距離感を求めて」山中俊広(奈良・町家の芸術祭はならぁとアートディレクター)
出展作家一覧

購入日:2015年11月27日
購入理由:
 はならぁとアラウンドの研究発表のための参考文献として購入。
はならぁとの展示も終わり、はならぁとアラウンドも終わって、遅ればせながらカタログを見た。テキストでは、村田典子氏のテキストが開催目的、成果、反省点、課題がコンパクトにまとめられていて興味深かった。

 もっとも理解に苦しんだのがアートディレクター・山中俊広氏のテキストであった。山中氏のテキストを実行委員会が掲載を承諾したことに困惑すら感じるほど、結論や論旨がネガティブな内容であった。執筆者とテキストはまったく別物なのだとつくづく痛感する。

 まず、2014年のはならぁとでの目的、キュレーターの選出理由、具体的な成果、事例が記されていない。各キュレーターのテキストが具体的な会場、作品、成果、反省点を記述しているのに対して、山中氏は他人事のように批評的な文章なのである。もしかすると、私が読みたかった内容は別の媒体で書かれているのかもしれない。だが、それらをカタログに書かずになんの意味があろう。

 続いて、藤田直哉氏の論文『前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題』を取り上げ、「地域型アートプロジェクトへの疑問や批判の論点を、明快かつ総体的に語られたことに大きな意味があった」としながらも論文の要約・レビューがないので、藤田氏の論拠や論点がわからない。

 文中に「地域型アートプロジェクトのシステム」とされるものの定義や説明もなく、「地域側」「アート側」の区分、用語に、排他性、差別性を感じる。なかでも山中氏が辿り着いた以下の論点には驚いてしまう。

「「現代アートは難しい/わからない」という意見が大勢を占めている現場で、実力あるアーティストやキュレーターを招聘できるわけもなく、そもそも地域で違和感と摩擦を作り出している人々が、同じものを作り出すアートに対して理解を放棄するのは本末転倒ではないだろうかという論点に行き着いた。」

 アートディレクターは、「実力あるアーティストやキュレーターを招聘」するのが仕事ではないのか。これが「アートディレクター」の言葉かと思うと「本末転倒」で、「地域」や「現場」の人々はさぞや失望しただろう。苦言めいたことを書くのであれば、地域の人々がアートを理解することを放棄した具体例を書いた方がより建設的である。

 きりがないのでやめるが、「「地域」と「アート」が対等になるために」というタイトルを冠しながら、カタログに地域団体の方が一人も執筆者に加わっていない。なにが「対等」かと思う。「アートディレクター」という役職にある者が、一方的に地域に対して異論を述べるのはあまりに暴力的であり、不等(非・対等)である。「地域」と「アート」とやらを対等にしたければ、両論並立が望ましいはずではないか。現実に「対等」な関係性などないのだから。
 
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未読日記1112 『奈良・町家の芸術祭HANARART 2013』

2015-11-27 23:10:53 | 書物
タイトル:奈良・町家の芸術祭HANARART 2013
アートディレクター:野村ヨシノリ
編集・デザイン:HANARART2013実行委員会事務局(山下遊未、たけうちしんいち、飯村有加)
写真:おおくぼおさむ、HANARART2013実行委員会
発行:奈良・町家の芸術祭HANARART2013実行委員会
発行日:2014.2
形態:113p ; 26cm
注記:展覧会図録
    会期・会場: 五條新町エリア(五條市) : 9/7-9/16
          御所市名柄エリア(御所市) : 9/14-9/16
          八木札の辻エリア(橿原市) : 9/20-9/29
          今井町エリア(橿原市) : 9/27-10/6
          郡山城下町エリア(大和郡山市) : 10/12-10/20
          宇陀松山エリア(宇陀市) : 10/20-10/27
          奈良きたまちエリア(奈良市) : 11/1-11/10
          桜井本町エリア(桜井市) : 11/16-11/26
    主催: 奈良・町家の芸術祭HANARART2013実行委員会
    共催: 奈良県
内容:
はじめに
HANARARTこあ
 堺町の家ゾーン
 旧川本邸ゾーン
 柳町商店街ゾーン
HANARARTえあ/もあ/玉手箱プロジェクト
 五條新町エリア
 御所市名柄エリア
 八木札の辻エリア
 今井町エリア
 郡山城下町エリア
 宇陀松山エリア
 奈良きたまちエリア
 桜井本町エリア
HANARARTが開催されるまで
はならぁとセンターの設立
こあキュレーター/こあ・えあ出展作家index

購入日:2015年11月27日
購入理由:
 翌月にとある研究会ではならぁとアラウンドの試みについて発表することになり、はならぁとの参考文献として購入。


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【ご案内】enoco[study?]#3 中間報告会&レビュー

2015-11-26 23:06:22 | お知らせ
審査員をさせて頂きました大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]のアーティスト・サポート・プログラムenoco[study?] #3の中間報告会&レビューに参加させて頂きます。
お時間ございましたら、ぜひお出かけください。

アーティスト・サポート・プログラム
enoco[study?]#3 中間報告会&レビュー

日時:2015年11月29日(日)17:00~19:00
会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] 2Fルーム11(湯川洋康・中安恵一アトリエ)
参加費無料・申込不要
ゲスト:平田剛志(京都国立近代美術館研究補佐員、つくるビルアドバイザー)、
     宮本典子(Office N代表、Art Osaka事務局)
http://www.enokojima-art.jp/e/event/2015/11/04/2293

若手アーティストの制作活動と展覧会のサポートを行うプログラム[study?] 。
今年の入選アーティスト湯川洋康・中安恵一が、
過去の作品やenocoでの制作活動についてを振り返るとともに、
1月に開催予定の展覧会のプランについてゲストの方々とともに語ります。
どなたでもお気軽にご参加ください。
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memorandum 207 記号

2015-11-25 23:50:50 | ことば
 フロイトが婚約者にこう書いている、「わたしを苦しめる唯一のことは、わたしの愛をあなたに証明するのがどうしても不可能だということです」。そしてジードも、「彼女の振舞いは、すべて、こう言っているように思えた、この人はもうわたしを愛していない、わたしにはもうなにもかも、どうでもよくなった。しかし、わたしはまだ彼女を愛していたのだ。かつてないほどに愛していたのだ。ところが、それを彼女に証明することが、わたしにはもう不可能であった。それが一番苦しいことだった」。
 記号は証拠にはならない。誰にだって、偽りの記号、両義の記号を作り出すことができるからだ。だからこそ、逆説的なことではあるが、言語の全能性へと向わざるをえないのである。なにひとつ言語を保証するものがないのだから、わたしは、言語そのものを唯一で最終的な保証とみなすだろう。わたしはもはや解釈を信じないだろう。あの人のことばは、すべて真実の記号として受けとるだろう。自分が語るときにも、わたしの言うことを相手が真実として受けとるかどうか、疑ったりしないだろう。だからこそ「告白」が重視されるのである。わたしはたえずあの人から、その感情についての言語表現を奪い取りたいと思う。だからこそわたしの方からも、たえずあの人に対し、わたしがあの人を愛していることを言うのだ。なにひとつ、暗示や推定にまかされることはない。あることが知られるためには、それが言われなければならぬのだ。そして、ひとたびそれが言われたならば、たとえ一時的にしろ、それが真実なのである。

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳、みすず書房、1980年、320-321頁。
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memorandum 206 記号の不確かさ

2015-11-24 23:49:29 | ことば
 わたしは記号をさがし求めている。しかし、何についての記号なのか。わたしが読みとろうとする対象は何なのか。「わたしは愛されているのだろうか」(「もう愛されてはいないのだろうか」、「まだ愛されているのだろうか」)であろうか。古文書学と卜筮のいずれにも通じる方法で、あらかじめ記載されてあるものの内にこの身に起ることの予示を解読しつつ、わたしは、自分の未来を読みとろうとしているのだろうか。それはむしろ、このわたしが、あの人の顔色に答えを求めてやまぬ問い、「わたしにどれほどの価値があるのか」というあの問いに、宙吊りになったままでいるということではないのか。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳、みすず書房、1980年、318頁。
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未読日記1111 『Re: play 1972/2015|「映像表現'72」展、再演 Vol.01』

2015-11-23 23:23:04 | 書物

タイトル:Re: play 1972/2015|「映像表現'72」展、再演 Vol.01
並列書名:Re: play 1972/2015|restaging "expression in film '72"
編集:三輪健仁
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
デザイン:森大志郎
発行:東京 : 東京国立近代美術館
発行日:2015.10
形態:32枚 ; 13×19cm, 4枚 ; 26×19cm, 2枚 ; 14×20cm, 1枚 ; 13×37cm
注記:展覧会カタログ
    会期・会場: 2015年10月6日-12月13日: 東京国立近代美術館企画展ギャラリー
    主催: 東京国立近代美術館
    出品作家: 石原薫, 今井祝雄, 植松奎二 [ほか]
    企画・構成・運営: 三輪健仁
    出品作家略歴あり
    一部和英併記
    タイトルはVol.01の奥付による
    Vol.01封筒に記載された1972年の展覧会名: 「映像表現"72」 : ・もの--・場--・時間--・空間--
    Vol.01封筒に記載された1972年の展覧会名: Equivalent cinema : the 5th exn[i.e. h]ibition of contemporary plastic art : "expression in film '72" : --thing.place.time.space--
    Vol.01は封筒入り, 大きさ詳細: 32枚 ; 13×19cm, 4枚 ; 26×19cm, 2枚 ; 14×20cm, 1枚 ; 13×37cm
    「封筒に収められた32枚のカードと二つ折りの用紙2枚は、1972年に制作されたカタログの「再演」である。」--Re: play、すなわち、playについて(Vol.01)
内容:
開催にあたって
松本正司
宮川憲明
河口龍夫
今井祝雄
植松奎二
米津茂英
野村仁
山本圭吾
山中信夫
彦坂尚嘉
村岡三郎
長沢英俊
石原薫
植村義夫
柏原えつとむ
「Re: play、すなわち、playについて」三輪健仁

購入日:2015年11月22日
購入店:東京都国立近代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
 本展は、1972年に京都市美術館で開催された「映像表現'72」展を再演した展覧会。場所も時間も異なるが、それがかえって回顧的ではなく、展覧会開催時の趣旨やコンセプトを再び再考する機会となった。大胆な会場構成、意表をつく38枚のカードによるカタログ復刻版など、緻密に「再演」された内容に感嘆した。出品作品よりも、キュレーションがおもしろい2015年屈指の展覧会。
 なお、カタログはこの後にVol.02が刊行されるとのこと。

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未読日記1110 『「聴く」ことの力』

2015-11-22 23:57:12 | 書物
タイトル:「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)
シリーズ名:ちくま学芸文庫, [ワ5-5]
著者:鷲田清一
カバー写真:植田正治
カバーデザイン:守先正
発行:東京 : 筑摩書房
発行日:2015.4
形態:277p ; 15cm
注記:1999年7月TBSブリタニカより刊行されたもの
    シリーズ番号はブックジャケットによる
内容:
「聴く――目の前にいる相手をそのまま受け止めるいとなみが、他者と自分理解の場を劈く。本書は、不条理に苦しむこころからことばがこぼれ落ちるのを待ち、黙って迎え入れる受け身の行為がもたらす哲学的可能性を模索する。さらにメルロ=ポンティ、ディディエ・アンジュー、レヴィナスなどを援用しつつ、ケアの現場や苦しみの現場において思考を重ねることで、「臨床哲学」という新しい地平を生み出した。刊行以来、多くの人に影響を与えた名著が文庫で登場。第3回桑原武夫学芸賞を受賞。植田正治の写真とともに贈る。

目次
第1章 〈試み〉としての哲学
第2章 だれの前で、という問題
第3章 遇うということ
第4章 迎え入れるということ
第5章 苦痛の苦痛
第6章 〈ふれる〉と〈さわる〉
第7章 享けるということ
第8章 ホモ・パティエンス
あとがき
文庫版あとがき
解説 「「臨床」へ」高橋源一郎

購入日:2015年11月22日
購入店:三省堂書店 そごう千葉店
購入理由:
 最近、『「待つ」ということ』を再読したところ、すばらしい本だった。あとがきを読んだとき、「待つ」(松)の前作が本書(聴く=菊)だと知り、続けて読んでみようと購入。実はこちらも以前に読んだかもしれないのだが、記憶が曖昧。本書は、臨床哲学の始まりだけにまだ文体が硬い部分もあるが、しなやかな文体、豊かな引用やエピソードがすばらしい。


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memorandum 205 なぜ

2015-11-21 23:14:17 | ことば
とてつもない逆説ではあるが、このわたしは、自分が愛されていることを信じてやまない。それが真実なのである。わたしは自分の望むところを幻覚化しているのだ。したがって、この心の痛手は、疑惑よりもむしろ裏切りから来ている。愛している者だけが裏切りをなしえるのだし、愛されているつもりの者だけが嫉妬を感じうるのではないか。あの人にとっては、わたしを愛することがその存在の本質をなしている。ところが、あの人はときとしてこの本質に背くことになる。それがわたしの不幸の起源なのだ。しかしながら、錯乱とは、そこから目覚めたときにはじめて実在するものである(錯乱とは回顧的なものでしかありえないのだ)。ある日わたしは、わが身に何が起っていたかを理解する。愛されていないから苦しんでいるつもりでいたけれど、実は、自分が愛されていると思いこんでいたればこその苦しみだったのだ。愛されていると思い、しかも見捨てられたと思う錯綜の中で、わたしは生きていたのだった。わたしの内なることばを耳にした人があれば、きっとこう叫んだことだろう、手に負えぬ子供のことで叫ぶように。しかし、この子はいったい何を望んでいるのか。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳、みすず書房、1980年、279-280頁。

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