A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

美学

2006-02-15 23:39:10 | 美術
最近、読書中の一冊から気になった言葉を抜き出してみました。

『三島由紀夫の美学講座』三島由紀夫著、谷川渥編、ちくま文庫、2000年より。

p.44 「「芸術」とは人類がその具象化された精神活動に、それに用いられた「手」を記念するために与えた最も素朴な観念である。しかしこの言葉がタブウになると、それは「生」とか「生活」とか「社会」とか「思想」とかいうさまざまな言替の言葉で代置された。」

p.60 「芸術家の抱くイメージは、いつも創造にかかわると同時に、破滅にかかわっているのである。芸術家は創造にだけ携わるのではない。破壊にも携わるのだ。その創造は、しばしば破滅の予感の中に生れ、何か究極の形のなかの美を思いえがくときに、えがかれた美の完全性は、破滅に対処した完全さ、破壊に対抗するために破壊の完全さを模したような完全さである場合がある。そこでは創造はほとんど形を失う。なぜかというと、不死の神は死すべき生物を創るときに、その鳥の美しい歌声が、鳥の肉体の死と共に終ることを似て足れりとしたが、芸術家がもし同じ歌声を創るときは、その歌声が鳥の死のあとにまで残るために、鳥の死すべき肉体を創らずに、見えざる不死の鳥を創ろうと考えたにちがいない。それが音楽であり、音楽の美は形象の死にはじまっている。」

p.118 「彫像が作られたとき、何ものかが終る。そうだ、たしかに何ものかが終るのだ。一刻一刻がわれらの人生の終末の時刻(とき)であり、死もその単なる一点にすぎぬとすれば、われわれはいつか終るべきものを現前に終らせ、一旦終ったものをまた別の一点からはじめることができる。」

終ればいいのだ。はじめればいいのだ。最も素朴な観念である「芸術」という言葉を携えながら。

すべての純粋で透明な心の内に

2006-02-05 21:33:01 | 美術
 吉本隆明、糸井重里著による『悪人正機』(新潮文庫)を以前、読む機会があった。その中で、吉本氏がとても深い本だとして取り上げていた『エックハルト説教集(田島照久編訳)』(岩波文庫)を最近読んだ。

 エックハルトという人を私はよく知らない。この本もキリスト教神学を勉強し、その説教が納められた本だという知識ぐらいしかなかった。田島照久の解説によると「「心の貧しさ」つまり「自由」の問題が「離脱」を介して徹底した姿でとらえられている」らしい。宗教のことを書けるほど理解も知識も持ち合わせていないのだが、いくつか引っ掛かった言葉を取り上げ、記憶にとどめたい。

P.130「わたしたちの主は次のように語る。「わたしがあなたがたを選んだのである。わたしがあなたがたを全世界から選び出したのである。わたしがあなたがたを全世界と全被造物との中から選りすぐったのである。あなたがたが出かけていって、多くの実を結び、あなたがたにその実がとどまるようにと。」

P.130-1「天の光とは、神である光のことであるが、その光は人間のどんな感覚でもとらえることができない光なのである。それゆえに聖パウロは、「神はだれも近寄ることのできない光の中に住いする」と語っているのである。」

P.201「聖アウグスティヌスは次のように言う。「人が神について語ることのできる最もすばらしいことは、内なる豊かさの知恵に従って、沈黙することができるということである」と。」