A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記1220 『芸術原論』

2016-08-31 21:36:44 | 書物
タイトル:芸術原論 (岩波現代文庫)
シリーズ名:岩波現代文庫, 文芸 ; 103
著者:赤瀬川原平
発行:東京 : 岩波書店
発行日:2014.11第2刷(2006.5第1刷)
形態:v, 347p ; 15cm
内容:
芸術とは論じるものでなく、行なうものだ。この持論に基づき、六〇年代のネオダダ、千円札事件から八〇年代の超芸術トマソン、路上観察へ。絶えず人々を挑発し続けてきた著者が、ついに到達した侘び寂の境地にて最も根源的に「芸術」を再定義する試み。既成概念に風穴を開ける、赤瀬川流脱芸術の原点を示す名エッセー。

目次

1 芸術の素
 考えことはじめ
 波打つ偶然
 本物そっくりのエネルギー
 美の謎は乱数の謎
 接触考
2 在来の美
 在来の美
 セザンヌ筆触考
3 脱芸術的考察
 価値をつくる
 自壊した絵画の内側
 脱芸術の科学—視線をとらえる視線
4 路の感覚
 アークヒルズのエントツ
 『吾輩は猫である』の猫の子孫
 植物的無意識の採集
 「ご当地」路上観察
 「正解波」とのすれ違い
 威風堂々の銭湯文化
5 芸術原論
 デュシャンからトマソンへ
 芸術原論
あとがき
同時代ライブラリー版に寄せて
岩波現代文庫版あとがき
解説—赤瀬川さんの「原」 椹木野衣
初出一覧

購入日:2016年8月31日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 明楽和記展アーティストトークのための参考文献として購入。
 展示も始まり、今回の展示について考えていたところ、赤瀬川原平の千円札作品を思い出した。作品の後味としては赤瀬川作品の方が明快で小気味いいのだが、「作品」をめぐる違和感という点では共通性があるように感じた。そこで、つい最近行われた赤瀬川原平展の図録と本書を読んで復習・予習することにした。




【ご案内】京都文化芸術コア・ネットワーク総会「京都の現代カルチャーと芸術の未来」レポート

2016-08-30 23:59:10 | お知らせ
6月19日に京都芸術センターで行われた京都文化芸術コア・ネットワーク総会「京都の現代カルチャーと芸術の未来」のレポートを京都文化芸術オフィシャルサイト「Kyoto Art Box」に書かせていただきました。
https://kyoto-artbox.jp/dialogue/29218/

小崎哲哉氏(『REALKYOTO』『REALTOKYO』発行人兼編集長)を司会として、登壇者に遠藤水城氏(HAPSエグゼクティブ・ディレクター)、蔭山陽太氏(ロームシアター京都支配人兼エグゼクティブディレクター)、仲西祐介氏(KYOTOGRAPHIE共同創設者/共同代表)、潮江宏三氏(京都市美術館館長)、建畠晢氏(京都芸術センター館長)、山極壽一氏(京都大学総長)、鷲田清一氏(京都市立芸術大学学長)ら錚々たる方々がディスカッションするという顔見世興行のようなシンポジウムでした。
シンポジウム同様、とても長いレポートになってしまいましたが、「京都の現代カルチャーと芸術の未来」にご興味ご関心ありましたらぜひお目通しください。

「京都文化芸術コア・ネットワーク」については、下記をご覧ください。
http://kyoto-artbox.jp/kacn/concept/

【ご案内】In Studies vol.2「スクリーン・メモリーズ 〜記憶の映画」& In Studies vol.1レポート

2016-08-29 23:58:40 | お知らせ
来週のIn Studies vol.2は、「スクリーン・メモリーズ 〜記憶の映画」と題して、画家・山邊桜子さんをファシリテーターに、「これまでに影響を受けた映画」についてお話したいと思います。
「いやー、映画って本当にいいもんですね~」(by 水野春郎)

In Studies vol.2「スクリーン・メモリーズ 〜記憶の映画」
ファシリテーター:山邊桜子
■日時:2016年9月5日(月)19:00〜
■場所:共同スタジオ ink 2F
京都市中京区猪熊通り三条上ル姉猪熊町325番地2
http://studio-ink.tumblr.com/
■参加費:無料・要予約(約8名程度)
■予約・お問合せ s.yamabe0415@gmail.com(山邊)

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 最近、映画を見たでしょうか。映画館に行ったでしょうか。
 私たちは生まれてからこのかた、たくさんの映画や映像、画像を見てきました。そして、さまざまな映画(映像)に影響を受けてきました。映画は、古くからの芸術である絵画、彫刻、音楽、文学、舞踊、建築、演劇に次ぐ新しい芸術として「第八芸術」と呼ばれただけでなく、社会や文化、自然、政治などさまざまな視点を含む総合芸術でもあります。
だからでしょうか、映画を見たあと、些細なことでも影響を受けることがあります。ラストシーンの衝撃からセリフの一言、発音、あるいは風景の美しさ、食事のシーンで映った料理、ファッションやインテリアなど、映画の構成要素として重要なものから些細なものまで、意識的か無意識的かを問わず影響を受けたことはないでしょうか。あるいは、見た映画を思い出すと、映画館の雰囲気や場所、その日の風景や出来事、家族や友人、恋人など一緒に見た人との経験を思い出すこともあるかもしれません。映画を見るとは、映画の内容を記憶するだけでなく、映画体験の記憶でもあるのかもしれません。
 そこで、今月のIn Studiesでは、画家・山邊桜子さんを中心に、皆さんが影響を受けた(好きな)映画を挙げていただき、映画にまつわる「記憶」について、お話ししたいと思います。時間の都合上、本編すべてをお見せすることは叶いませんが、本編の一部または予告編などを「上映」し、ご一緒に見たいと思います。
そもそも映画(映像)は大衆文化の象徴であり、他者と共有(シェア)することが出発でした。映画館にわざわざ出かけ、見知らぬ他者と一緒に暗闇の時間を過ごすこと。近年は、YouTubeやニコニコ動画などの動画投稿サイトが普及し、映画より「画像」を見る機会が多くなりました。その時、多くは一人で見てはいないでしょうか。映画が共同制作であるように、映画を見ることも共同鑑賞です。その共同の映像経験を共有することで、「映画」は私たちの記憶に強く刻まれるのかもしれません。
(文責:平田剛志)
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■参加要項
Q. 影響を受けた映画(映像)を3〜5本程度選び、以下の理由を教えてください。
・映画の時代背景(いつの時代の内容か)
・鑑賞したのは、いつ頃か(年齢などわかれば)
・どういったところに影響を受けたか
・ご用意があれば、DVD、フライヤーなどの資料をお持ちください。

*「スクリーン・メモリーズ」とは、「銀幕の記憶」のほかにフロイトによる精神医学用語で「隠蔽記憶」の意。

先月の内容は以下をご覧ください。

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In Studies vol.1「人生処方画集」
平田剛志

 孤独にたえられなくなったら、ふところがさびしかったら、結婚が破綻したら、生きるのがいやになったら、どうすればいいのでしょう。身体の病や不調には、頭痛には頭痛薬、胃のもたれには胃腸薬があるように、さまざまな医薬品があります。あるいは、日頃の健康管理として、漢方やビタミン剤を服用さている方もいるでしょう。では、心の病に効く家庭常備薬、処方薬はあるのでしょうか。

 そんな「心」の家庭常備薬、家庭薬局を想定して書かれたのが『ふたりのロッテ』や『飛ぶ教室』で知られるドイツの作家エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)の『人生処方詩集』です。冒頭に、「年齢が悲しくなったら」、「孤独にたえられなくなったら」、「同時代の人間に腹がたったら」など、36の症状が索引につけられ、症状に応じて読むことができる構成となっています。どれも他人事とは思えない、現代社会の苦さ、憂うつを軽妙に表現した「読むクスリ」とも言える詩集です。後には、寺山修司、まどみちおが同名のアンソロジー、詩集を刊行しており、その「処方薬」の違いも魅力となっています。

 そこで、今月の「In Studies」では、ケストナーの『人生処方詩集』にならい、『人生処方画集』と題して、人生のさまざまな状況・症状に効き目のある美術作品を参加者とともに選んでみました。参加者の方々が選んだ作品は、下記のリストとなります(原書にはないオリジナルの症状もあったため、選者別としました)。
 作品の選択にあたっては、これまで見た作品や自身の経験で「効果」があった作品が多く挙がりました。薬にさまざまな種類があるように、「人生処方薬」も種類は豊富です。そして、「処方薬」探しを通じてわかったのは、私たちはこれまでさまざまな美術作品に治癒されていたということでした。美術作品を見るとは、処方薬のように人知れず服用しているからこそ、その効能に気づかなかったり、その効果があまり知られていないのかもしれません。

 なお、本来ならば、作品図版や「処方薬」の詳しい説明や効用、服用の注意点などをお伝えすべきなのですが、当日に来院(参加)した患者様のみへのご説明とさせていただきます。ご了承ください。
 当日ご参加できなかった方で症状をお持ちの方は、ぜひ下記のリストをご覧頂き、お近くの美術館、ギャラリーなどで実作をご鑑賞いただくか、または書店、図書館などでカタログ、画集をご覧ください。「処方薬」の「効果」には個人差もありますが、症状の改善に少しでもお役に立てれば幸いです。

『人生処方画集』
■山本雄教さん
・食欲がなかったら——高橋由一《豆腐》1876-77
・生きるのがいやになったら——アンゼルム・キーファー《星空》1995
・芸術に理解が足りなかったら——赤瀬川原平《宇宙の缶詰》1964
・ホームシックにかかったら——会田誠《新潟⊃世界》(「みんなといっしょ」シリーズより)2003
・冬が近づいたら——小松均《雪の最上川》1979
・天気が悪かったら——福田平八郎《雨》1953

■山邊桜子さん
・芸術に理解が足りなかったら——Francesco Cardelli《やさしい鉄砲》(イタリアの9歳の子どもの絵)
・感情が貧血したら——パウル・クレー《グロテスク芝居のための人形像》1929
・結婚が破綻したら——深沢軍治《傷》シリーズ

■寺脇扶美さん
・人生をながめたら——長谷川等伯《松林図屏風》16世紀
・自信がぐらついたら——上村松園《序の舞》1936
・恋愛が決裂したら——伊藤若冲《群鶏図》1795年頃
・生きるのがいやになったら——塩田千春《私たちの行方》2012
・問題がおこったら——クレス・オルデンバーグ《Floor Cake》1962
・なまけたくなったら——ゲルハルト・リヒター《8枚のグレイ》2001
・大都会がたまらなくいやになったら——今村遼佑《バケツと水》2016
・同時代の人間に腹がたったら——曽根裕《アミューズメント・ロマーナ》2001
・感情が貧血したら——ミヤギフトシ《The Ocean View Resort》2013
・芸術に理解がたりなかったら——ソフィ・カル《盲目の人々》1986

■林葵衣さん
・自信がぐらついたら——藤本由紀夫《HORIZONTAL MUSIC》1986、オルゴールユニット、木
・作品を作れなくなったとき——高木正勝《Tidal》2007
・日常生活の繰り返しに疲れたとき——林葵衣《くずれる—黒—》2011

■松元明子さん
・感情が貧血したら・芸術に理解が足りなかったから——「アール・ブリュット—パリ、abcdコレクションより— 生命のアートだ」滋賀県立近代美術館(2008年10月25日〜11月30日)
・心がにごってきたら——寺田就子作品
・生きるのがつらくなったら——上野王香作品
・かっこよくなりたいとき——「phono/graph –音・文字・グラフィック-」神戸アートビレッジセンター(2015年3月21日〜4月12日)
・生きるてるのがしんどくなったら——長新太『マンガ童話』トムズボックス、2008

■平田剛志
・年齢が悲しくなったら——やなぎみわ《My Grandmothers/YUKA》2000
・貧乏に出あったら——井上有一《貧》1972
・知ったかぶりをするやつがいたら——トリスタン・ツァラ《ダダ宣言》1916
・人生をながめたら——河原温《One Million Years》1970-71
・結婚が破綻したら——パブロ・ピカソ《赤い背景の接吻》1929
・孤独にたえられなくなったら——髙島野十郎《蝋燭》1912-26
・教育が必要になったら——会田家《檄》2015
・なまけたくなったら——福岡道雄《何もすることがない》1999
・進歩が話題になったら——ラスコー洞窟、約17,000年前
・他郷にこしかけていたら——フィンセント・ヴァン・ゴッホ《ゴーギャンの肘掛け椅子》1888
・春が近づいたら——小林研三《春の丘》1975
・感情が貧血したら——マーク・ロスコ《SEAGRAM MURALS》1959
・ふところがさびしかったら——山本雄教「one」シリーズ
・幸福があまりにおそくきたら——諏訪敦《大野一雄》
・大都会がたまらなくいやになったら——山本芳翠《浦島図》1893-95
・ホームシックにかかったら——ルネ・マグリット《Homescikness》1940
・秋になったら——小野竹喬《奥細道句抄絵 あかあかと日は難面もあき風》1976
・青春時代を考えたら——フィオナ・タン《tommorow》2009
・子供を見たら——谷口六郎《こがらし坊やが呼んでる暁》1963
・病気で苦しんだら——フリーダ・カーロ《The Dream (The Bed)》1940
・芸術に理解がたりなかったら——マルセル・デュシャン《泉》1917
・生きるのがいやになったら——バーネット・ニューマン《アンナの光》1968
・恋愛が決裂したら——ソフィ・カル《限局性激痛》1999
・もし若いむすめだったら——岸田劉生《麗子》1921
・母親を思いだしたら——石内都《Mother’s》2001
・自然をわすれたら——大竹伸朗《直島銭湯I♥湯》2009
・問題がおこったら——エドヴァルド・ムンク《叫び》1893
・旅に出たら——池田遙邨《うしろ姿のしぐれてゆくか山頭火》1984
・自信がぐらついたら——アニッシュ・カプーア《世界起源》2004
・睡眠によって慰められたかったら——小林孝亘《Pillow》2007
・夢を見たら——横尾忠則《夢千代日記》2007
・不正をおこなうか、こうむるかしたら——オーギュスト・ロダン《考える人》1881-82
・天気がわるかったら——熊谷守一《雨滴》1961
・冬が近づいたら——村上華岳《冬ばれの山》1934
・慈善が利子をもたらすと思ったら——フェリックス・ゴンザレス=トレス《無題(気休めの薬)》1991
・同時代の人間に腹がたったら——《青不動明王》11世紀末、青蓮院




memorandum 351 東北沢

2016-08-28 23:26:36 | ことば
その駅に止まると
「急行待ちのため、少々停車します」
とアナウンスが流れた

扉があき
外の叢から
たくさんの虫の声が響いてきた

ずっと前から鳴いていたのだろう
車内は虫の声いっぱいに満ちて
そのところどころに人の声がまざった

秋が近い
次の駅をおもうように次の季節をおもうと
やがていっせいに扉が閉まり
電車はゆっくりとうごきだす
小田急線・東北沢という小さな駅を

ひとも荷物も気配も会話も
なにもかもが止まっていたあのひととき
ただ、虫の声だけが
先の方へいった
次の駅、次々の駅まで、ずっと先まで

いつか
速さに振り落とされてしまうまえに
詩を書きたい、とわたしはおもった

時に停泊したことばをためて
虫の声の行く方へ
行く方へ導かれ


小池昌代『小池昌代詩集 (現代詩文庫)』思潮社、2003年、94-95頁。


「次の駅をおもうように次の季節をおもう」とは、すばらしい言葉だ。
では、私はいまいくつ目の駅だろうか。
動いているというよりは、急行待ちのため、停車してるのかもしれない。


memorandum 350 永遠に来ないバス

2016-08-27 23:33:52 | ことば
朝、バスを待っていた
つつじが咲いている
都営バスはなかなか来ないのだ
三人、四人と待つひとが増えていく
五月のバスはなかなか来ないのだ
首をかなたへ一様に折り曲げて
四人、五人、八時二〇分
するとようやくやってくるだろう
橋の向こうからみどりのきれはしが
どんどんふくらんでバスになって走ってくる
待ち続けたきつい目をほっとほどいて
五人、六人が停留所へ寄る
六人、七人、首をたれて乗車する
待ち続けたものが来ることは不思議だ
来ないものを待つことがわたしの仕事だから
乗車したあとにふと気がつくのだ
歩み寄らずに乗り遅れた女が
停留所で、まだ一人、待っているだろう
橋の向こうからせり上がってくる
それは、いつか、希望のようなものだった
泥のついたスカートが風にまくれあがり
見送るうちに日は曇ったり晴れたり
そして今日の朝も空へ向かって
埃っぽい町の煙突はのび
そこからひきさかれて
ただ、明るい次の駅へ
わたしたちが
おとなしく
はこばれていく


小池昌代『小池昌代詩集 (現代詩文庫)』思潮社、2003年、42-43頁。

私もまた一人で待ち続けている。



memorandum 349 愛

2016-08-26 23:05:14 | ことば
 わたしたちが、自らの文明的進展の中で忘れ去ったもの、あるいは、貨幣経済の陰に隠されて見えなくなっているもの、それをわたしは「倫理」と言いましたが、むしろ、そこに与えられる言葉は「愛」というほうが適切かもしれません。
 言葉が介在しなくとも、通じ合えるものがあるとすれば、それは「愛」しかあり得ないからです。そして、言葉は究極のところ、自ら消え去ることを望んでいると言えるのかもしれないと思うのです。
 ある意味で、ことばが隠蔽し続けているのは、「愛」だからです。

平川克美『言葉が鍛えられる場所』大和書房、2016年、227頁。

動物は、言葉がなくても意思疎通している。
人間もまた言葉がなくても通じ合える時があるが、それを平川氏は「倫理」=「愛」という。
私たちは言葉に「愛」を潜ませて、日々誰かと通じ合おうとしているのだろう。
人間の関係が進展することとは、言葉がいらなくなる関係性になることなのかもしれない。

memorandum 348 寡黙

2016-08-25 23:51:16 | ことば
 言葉の普及は、文明を推し進め、文化を生み、経済を発展させましたが、いくつかの大切なものを置き去りにしてきました。その最も大きなものは、寡黙さの価値でした。ひとは、言葉によって信頼を作り出し、言葉によって紛争も作り出したのです。言葉はいつも、真実と共にあるわけではありません。ときに、嘘をまき散らし、相手を傷つけ、問題の種を育ててしまいます。
平川克美『言葉が鍛えられる場所』大和書房、2016年、224頁。

私は言葉でよろこび、言葉で傷つき、言葉に迷い、それでも言葉が欲しくなる。最近は、寡黙でいることを心がけている。


未読日記1219 『色彩―色材の文化史』

2016-08-24 23:34:21 | 書物
タイトル:色彩―色材の文化史 (「知の再発見」双書)
タイトル別名:Les matériaux de la couleur
シリーズ名:「知の再発見」双書, 132
著者:フランソワ・ドラマール, ベルナール・ギノー
監修者:柏木博
訳者:ヘレンハルメ美穂
造本装幀:戸田ツトム
発行:大阪 : 創元社
発行日:2014.3第3刷(2007.2第1刷)
形態:174p ; 18cm
注記:参考文献: p174
内容:
幸い、色材に関してはさまざまな技術的、法的文書が現存しており、当時使われていた顔料や染料の産地、特性、品質別の価格、交易路を知ることができる…
ローマ時代の医学者ガレノスによれば茜は黄疸に効くという。

目次
「日本語監修者序文」柏木博

第1章 絵の具と染料
第2章 中世の色彩
第3章 需要と供給の爆発的増加
第4章 化学産業の勝利

資料篇—色材を探し求めて—
1 古来より伝わる色材調整法
2 色名の変遷
3 染物と染料
4 オーカーの採石場
5 ものに色があるのはなぜ?
6 理想の黒
本文図版中の訳
用語集
INDEX
出典(図版)

購入日:2016年8月24日
購入店:丸善 京都本店
購入理由:
 明楽和記展の参考文献として購入。明楽和記の作品は「色彩」ではなくて、「色材」ではないかと考えて、色彩関係の本を調べたら見つけた。これは関心に一致すると思い、京都の書店在庫を調べたら、丸善にあったので職場の帰りに立ち寄る。


memorandum 347 無一文

2016-08-23 21:52:15 | ことば
 わたしたちの世界を形成している、基本的な資源はすべて自然であり、自然からの贈与であるわけで、本来それらには価格が付いていないのです。
 野生の動物たちは、貨幣経済による交換を知らず、無一文のままでも、自分たちの生をまっとうしています。本来、生きていくために必要なものには、お金は不要だったのです。

平川克美『言葉が鍛えられる場所』大和書房、2016年、205頁。

無一文って何だろう。人間はお金を持っていても、自分たちの生をまっとうしているだろうか。


【ご案内】明楽和記展

2016-08-22 17:25:32 | お知らせ
残暑お見舞い申し上げます。今週末より大阪でキュレーションをさせていただく展覧会が始まります。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。


明楽 和記展
キュレーション:平田 剛志[美術批評]
http://cas.or.jp/2016/AKIRA/index.html
協力:今井 祝雄、越野 潤、椎原 保、冨井 大裕、福田真知(敬称略)

■会期 2016年8月27日[土]~9月10日[土] 14:00-19:00 火・水休み
オープニングレセプション:8月27日[土]17:00~¥500(1ドリンク付き)
アーティストトーク:9月10日[土]16:00~(参加費¥500) 聞き手:平田剛志

特定非営利活動法人キャズ(CAS)
〒556-0016
大阪市浪速区元町1丁目2番25号 A.I.R.1963 3階
TEL/FAX 06-6647-5088
Web http://cas.or.jp/


明楽和記は色を置くこと、与えることで作品を成立させてきた。本展では、ギャラリーを支持体に、パーマネントレッド、パーマネントスカーレット、パーマネントイエローディープ、パーマネントレモン、パーマネントグリーンライト、パーマネントグリーンミドル、スカイブルー、コバルトブルーヒュー、バイオレット 、バーントシェナー、ジェットブラック、ホワイトを用いた「ペインティング」が展示される。これら色の集合は、「作品」の定義を塗り変えるだろう。(平田 剛志)