お知らせ
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今日は教材の展示会。
長坂先生からBBSに書き込みがあり、3年ぶりに出席した。
この2年間は展示会が終わってから、三重教材や育伸社の営業マンの突っ込みでそれと知った。
かといって、何が見たいでもない。
育伸社の山中さん、すっと近付く・・・さすがやわ。
そうそうそう・・・何がみたいどころか、準備せなアカンもんあったわ。
「山中さん、育伸社の私立中学教材送ってや・・・算数・国語・社会・理科を2部ずつ」
「誰か受けるの」
「ああ、私立中学受験はかまへんけど・・・獲物がやっかい」
「どこ」
「灘中」
「そりゃ大変やな」
袴田さんがやって来て、会場を出てお茶を飲みながら世間話。
岐阜県の塾業界の動きだ。
佐鳴が可児に進出したが、飯田先生とこ(東進ゼミナール)が撃退したやら、その後にITTO個別が入って健闘してるとか。
あげく、飯田先生が岐阜に拠点を持ったやら。
「ええっ、飯田先生って温厚な先生やん。そりゃ攻められたらディフェンスするやろけど、可児地区から他へ撃って出るってタイプやないやん」
「確かにそうだけど」
「争いを好まへん人やん」
「中西先生との話し合いのようだから」
「中西先生って時学館の中西先生?」
「そうそう・・・」
「そういや久しぶりに、中西先生元気かなって、時学館のHPを検索したけど該当なしやったな」
「飯田先生と中西先生との間でどんな話し合いがあったかは分からないけどね・・・、二人の話し合いでこうなっちゃった」
中西先生と初めて会ったのは何年前になるのか。
会ったその夜に「俺の家に泊まれよ」と拉致ぎみに岐阜まで連れていかれた。
強引だが、人なつっこい・・・こりゃ、カリスマ性のある人やなと舌を巻いた。
奥さんに言わせると、「初対面の人を家に泊める人も珍しいけど、勧められたからといってのこのこ泊まりに行くアナタもどうかしてるわ!」となるらしい。
家に行く前に、岐阜の市役所近くにあった時学館に連れて行かれた。
鍛えられたスタッフたち・・・その印象は新鮮だった。
ウチの塾なんぞ、学生の講師が教える「偉大なるアマチュアリズム」の権化。
そんな塾の主催者たる俺にすれば、中西先生のスタッフへの徹底ぶりは羨ましくもあったのだ。
中西先生の家でお風呂に入り、二人で酒を飲んでいると職員たちがやって来た。
そこで始まる教育論・・・活気があった、熱かった。
若いスタッフが俺に質問を浴びせる・・・たじたじする俺。
助け舟を出す中西先生、「中山先生は皮膚感覚で塾をやってる。マニュアルはないんだ」
そしていつしかスタッフたちが帰り、再び二人で飲み始めた。
「中山先生、ひとつだけ僕からの注文!・・・いい?」
「いいっすよ」
「絶対に二代目を作りなさい」
「中西先生は塾を息子さんに継がせる気なんすか」
先ほど、礼儀正しい挨拶をしてくれた小学生の男の子を思い出した。
「いや、世襲じゃなく、講師から選びなさい」
「俺は継がせるなんて考えたこともなかったな。一人でやって、一人で去っていく」
「今の画一化された公教育だけでは子供たちは育たない。我々のような私教育だけでも育たない。公教育から漏れるような子供たちを多種多様な塾がサポートしていく。お互いが補完しあってこそ、次世代の日本を託す子供たちを育てることができるんです。それには塾が一代で終わったら駄目なんです。いい塾は残さなくっちゃ・・・残っていくことが地元に対する貢献なんです」
かつて公立高校で教職に就いていたプロフィルを持つ中西先生の言葉は説得力があった。
岐阜には凄い先生がいる・・・心底思った。
ゆとり教育をめぐって皆が熱かった時代だ。
時学館の中西先生、モノリスの岩井先生、開明学院の永橋先生、そして東進の飯田先生・・・多士済々の塾の先生方とお会いし、俺もまた多少なりとも大人になった。
あんな時代があった・・・懐かしいねえ。