まりっぺのお気楽読書

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トスカーナ大公コジモ1世妃 エレオノーラ

2010-06-22 02:22:26 | イタリア王・公妃
この君主にこの妃あり
コジモ1世妃 エレオノーラ・ディ・トレド


1522~1562/在位 (フィレンツェ公妃)1539~1562 (トスカーナ大公妃)せず

暗殺されたフィレンツェ公アレッサンドロの後を継いだのは
英雄 “ 黒隊長 ” として人気が高かったジョヴァンニの息子コジモでした。

コジモは傾きかけたメディチ家を再興させた名君ですが、長くなるのでおいといて…

妻となったエレオノーラはカスティーリャ王家を先祖に持ち
ハプスブルク家とも繋がりを持つ政治的にも血統的にも申し分ない女性でした。
父親はスペインの大貴族、ナポリ副王ペドロ・デ・トレドで
スペインとも強力な関係を築くことができ、スペイン軍の撤退につながりました。

エレオノーラは、神聖ローマ皇帝カール5世の勧めで、17歳の時コジモと結婚しました。
コジモは20歳、理想的なカップルです。

        

当時メディチ家は後継ぎの問題で存亡の危機にあったのですが
エレオノーラは男の子5人を含む11人の子どもを生み、メディチ家に安泰をもたらしました。

最初は “ スペイン人 ” として人気が薄かったエレオノーラも、次第に影響力を持ちます。
コジモの彼女に寄せる信頼は大変なもので、摂政として完全に国を委任されました。
とうとう彼女を通してでないとコジモに申し立てができなくなったほどです。
コジモにも相当の影響力を持っていたと言われています。

普通こういう妃って、でしゃばりとか言われて反感を招くものですけど、そうでなかったのは
コジモの存在感と、エレオノーラの政治能力が有無を言わさぬものだったのでしょう。

エレオノーラは(スペイン出身ですから)敬虔で、いくつもの教会を設立しました。
農業と商業に興味があり、メディチ家の広大な領土を有効活用して収入を増やしました。

メディチ家に相応しく芸術にも理解があり、著名な画家たちのパトロンにもなっていました。

なんか、言うことない嫁ですな…

ただギャンブルが大好きだったらしい。
それから一つの所にじっとしておられず別荘から別荘へと渡り歩いていたらしい。
病気がちで虫歯も多かったそうです。

コジモはエレオノーラのからだを気遣って、パラッツォ・ピッティを購入し
宮殿を大拡張した上で拠点を移しています。
内装はエレオノーラの好みに合わせたんだって…贈り物のスケールが違うね、と思ったら
宮殿を買ったお金はエレオノーラの持参金なんですと!

小作人たちには寛大でしたが、家来にはけっこう尊大な人だったとも言われています。
スペイン好みで贅沢好きという説もあります。

なんでも常に10人ほどの縫子を引きつれて自分のドレスを縫わせていたそうです。
ドレスって1着に何日ぐらいかかるものなのかしらね?
ミシンもないし、刺繍したり宝石を縫い付けたりしたらすごくかかりそうですね。

1562年、19歳のジョヴァンニと16歳のガルツィアが相次いで亡くなりました。
言い伝えによれば、喧嘩の末ジョヴァンニがガルツィアを殺してしまい
コジモが「誤って自分で剣を刺してしまった」と公表したことになっております。

後々メディチ家は、ふたりはマラリアで亡くなったと主張しました。

エレオノーラは息子たちの死のあと取り乱し、結核を悪化させて
数週間後に亡くなりました。

コジモはかなり性格にムラがある人で、急に癇癪をおこしたり
いきなり気分が変わったりと扱いにくい君主だったようですが
エレオノーラだけには終生愛情を示していたそうで、彼女の死に大打撃を受けました。

いずれにしても、エレオノーラあってこそ、コジモはフィレンツェの再興を
なし得たのかもしれないと思われますよね。
女性の美しさばかりがエピソードになりがちな中世において
名君を支えるどころか左右した頼もしい女性がいたというのは喜ばしいことです。

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この絵は有名ですよね (マリアンヌ)
2010-06-22 16:25:32
まりっぺ様、こんばんわ。

この絵、本当に有名ですね。
私自身、複数の本で見かけており、確か、なんかの本か文庫の表紙になっていたのでは、と記憶しています。
このエレオノーラとコジモ一世の子孫って、いろいろな王室に分かれて沢山いますよね。つい先日結婚したスウェーデンのビクトリア皇太子も、考えて見ればこのエレオノーラの子孫です。元はというと、あのカテリーナ・スフォルツァとジョヴァンニ・デ・メディチのたった一人の子、’黒隊の’ジョヴァンニの子、コジモ1世から沢山の欧州王室の子孫が誕生した事実は、とても想像たくましくさせられますね。

このイタリアの1500年前後100年間くらいは、本当に複雑な歴史です。
返信する
肖像画 (まりっぺ)
2010-06-23 02:10:32
マリアンヌ様、こんばんわ

このエレオノーラの肖像画は、自分の肖像大好き!なコジモ1世がブロンズィーノに描かせたものだそうです。
他にも何枚かあるみたいですね。

スウェーデンのヴィクトリア王女のお相手は一般ピープルなんですよね?
これから何十年かすると誰と誰が繋がって…ということも少なくなっていくんでしょうね。
家系図的には寂しい気がしますが…
返信する

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