まりっぺのお気楽読書

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フランス王フィリプ2世妃 インゲボルグ

2009-02-11 15:58:33 | フランス王妃・王女
よくぞ生き延びた!!
フィリプ2世妃 インゲボルグ・ド・ダーネマルク


1175~1236/在位 1193、1200~1223

イングランド王ヘンリー8世の王妃たちに対する極悪非道はよく耳にしますが
フィリプ2世もけっこう酷いぜっ!

イザベルの死から3年後、フィリプ2世はデンマーク王女インゲボルグと再婚します。
ところが翌日になると結婚を無効にすると言いだし、彼女を故国に帰そうとします。

国で盛大に見送られて来たのにすぐ帰るなんて恥ずかしいですよねぇ?
インゲボルグもおめおめ国に帰ってなるものかと、ソワソンへ向い教皇に直訴します。
ただ18歳ですから、本人の意志だったのか…?
お付きの女官や家臣の入れ知恵かもしれません。

インゲボルグはなおも自分は正当な王妃であると訴え続けますが
シャンパーニュに集められた議会は王の意向に同意し
王は独身ということになってしまいました。

フィリプ2世はアニェス・ド・メラニアとの結婚、そして破門の末の離婚があって
1200年にインゲボルグを呼び寄せ復縁します。
これにはインゲボルグの兄であるデンマーク王ヴェルデマー2世の圧力もありました。

      
例によってイングランドと戦争状態にあったフランスは
絶対に北欧から攻め込まれたりしてはならなかったのです。
逆サイドからイングランドを責める手伝いをしてほしいぐらいです。

そういったわけでインゲボルグを呼び寄せたフィリプ2世ですが
復縁と名ばかり、そのまま彼女をエタンプ城の塔に閉じ込めてしまいました。

食事は不規則で不十分、訪問者は誰もいないという環境の中
彼女は13年間生き延びます。 よくぞ頑張った!!
2回だけデンマークの懺悔僧が塔を訪れたということですから
もしかして死にそうな状態になったことがあったのではないでしょうか?

フィリプ2世はとうとう1213年に王妃を塔から放ち和解しますが
これはデンマーク王家との繋がりを利用してイングランド王位を主張するためです。

フィリプ2世は、イングランド、神聖ローマ帝国などとの戦いを勝ち抜き
フランドル伯まで加わった大連合軍まで破って ” 尊厳王 ” なんて呼ばれてますが
男としてはサイテーでしょ
騎士道精神のかけらもなし!って感じよ。
インゲボルグに奪われた青春時代を返してあげてほしいわ!

解放された後のインゲボルグは王の近くにいるのがいやだったのか
ほとんどの時間を自分が設立したサン・ジャン=ルイの修道院で過ごし
王より14年長生きして1223年に亡くなりました。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

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4 コメント

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Unknown (Y子)
2018-04-12 22:28:09
先日は、コメントを頂きありがとうございました。
確かに、男としてはサイテーだと思いますが、男として生き抜くためにはサイテーになるしかなかったのでしょう。
多分、フィリップ2世は中世ヨーロッパ版の「上杉謙信(東村アキコ先生の漫画版の設定の意味で)」だった可能性が高いです。
そして、インゲボルグは中世ヨーロッパ版の「チャングム」です。
状況証拠を積み上げると、こういう表現が正しいと思います。
ただ、ヨーロッパに住む歴史研究家が、全く気づいていないのは、不思議だと思いました。
返信する
こんばんは (まりっぺ)
2018-04-15 19:05:56
Y子さま、こんばんは
いつも興味深いコメントありがとうございます

上杉謙信の漫画を読んだ事もチャングムを見た事もないのでちょっとわからなくて申し訳ないのですが、歴史上の誰かと誰かを比較したり重ね合わせたりするのも楽しいですよね

ただ王妃とか王女のエピソードって、よっぽど有名じゃないと、そして古くなれば古くなるほど同じようなエピソードしか残っていないのが残念です

言語で読めればもう少し詳しいこともわかるのかもしれませんが…
返信する
女の敵ですね。 (梨雪)
2018-04-16 10:56:09
まりっぺさん
いつも楽しく拝見してます。
私も歴史家系図大好きで、今のボヘミア王妃編も
楽しく見させて頂いてます。
フィリップ2世なにげに王様としては偉大な方。
ですが、妻には冷たく、サイテーな王様ですよね。
ヘンリー8世とどっちと思いますが、一応、
8世よりひどい気がする。
彼もフィリップ同様、
クレーフェ公女にはひどかったけど、
8世の場合は男の子欲しいって言うのもありましたし。少しは同情できるかも。
その点家格もずっと上だったインゲボルグは悔しかったと思います。
これからも楽しみにしていますのでよろしくお願いします。
返信する
こんばんは (まりっぺ)
2018-04-30 18:57:40
梨雪さま、こんばんは
コメントありがとうございます

家系図、楽しいですよね!
もうすぐボヘミア王妃編が終わるので、次はどうしましょう?と焦りながら家系図を作っているところですが、「まだ繋がる! まだまだ繋がる!!」とひとりでほくそ笑んでいます。

昔の偉人には賛否両論あるので一概にどうこう言えませんが、インゲボルグに感情移入すると酷い人にしか思えないですね、やはり。

ヘンリー8世は恋に落ちやすい人だったみたいですね。
嫁も愛人も手近なところですませているあたり、好きになったらドーーーーっといっちゃうタイプだったのかもしれません。

ただ一人政治的な理由で選んだアン・オブ・クレーヴズは「やっぱ違うな…」なんて思っちゃったのかもしれません。
それもヒドい話しなんですけど…
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