まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝オットー4世妃 マリア

2011-01-10 02:01:57 | ドイツ系王妃
ホーエンシュタウフェン家を怒らせた再婚
オットー4世妃 マリア・フォン・ブラバント


1190~1260/在位 1214~1215

オットー4世、ダメじゃ~ん

なにか得になることでもあったんでしょうけど、前妃ベアトリクスが亡くなって2年、
1214年にオットーはブラバント公ハインリヒ1世の公女マリアと婚約しました。

       
この婚約に前妃ベアトリクスの実家であるホーエンシュタウフェン家大激怒!

実はこの時期オットーは、ドイツ王(ひいては神聖ローマ皇帝)の座をかけて
フリードリヒ(フェデリーコ)2世と争っていました。

いくらイタリアに行ったきりだからってフリードリヒはホーエンシュタウフェン家だし
ベアトリクスの従兄弟にもあたります。

そんなわけでホーエンシュタウフェン家はフリードリヒ支援にまわりました。
けれどもオットーは婚約を撤回せずその年のうちにマリアと再婚します。

結婚からわずか1ヶ月後、同じくフリードリヒを支援するフランスのフィリプ2世と
争っていたオットーは大敗し、翌年には廃位されてしまいました。

マリアはたった1年の神聖ローマ皇后でした。
その3年後にはオットーも亡くなります。

未亡人と言ってもまだ28歳です。
2年後には20歳年上のホラント伯ヴィルヘルム1世と再婚しました。
しかし彼も2年後に亡くなってしまいました。

その後は再婚しなかったマリアですが、オットー4世ともヴィルヘルム1世とも
お子さんが生まれていないので実家に帰ったのかしら?
それとも修道院に入ったのかしら?

Wikipediaのオランダ語版を(オランダ語解らないけど)ちょいと見てみたら
どうやらルーヴァンに葬られたくさい…
ということは、実家で亡くなった可能性が大きいです。

この後しばらく、ドイツ王はいても神聖ローマ皇帝には誰も即位しないという
“ 大空位時代 ” に入ります。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『神の小さな土地』摩訶不思... | トップ | 『春にして君を離れ』孤独が... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ドイツ系王妃」カテゴリの最新記事