![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/5c/68bd8539935c3b3f1a830f2a7fbddbb5.jpg)
またまた若くして亡くなる
カール4世妃 アンナ・フォン・シュヴァイトニッツ
1339年~1362年/在位 (神聖ローマ皇后)1355~1362 (ボヘミア王妃)1353~1362
カールの3人目の妃は、ピアスト家のシフィドニツァ公ヘンリク2世の公女アンナです。
ヘンリク2世はアンナが4歳の時に亡くなってしまいました。
アンナの母カタリンはハンガリー王カーロイ1世とマリア・ピアストか
エルジェーベト・ピアスト、どっちかの王女でした。
王女なのに誰の子かはっきりしないってどうよ?
そんなわけで、アンナも母の故郷ハンガリーで育ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/f1/c0bf414a92789e6339165e3886924845.jpg)
アンナは最初、カール4世と二人目の妃アンナ・ダー・フォン・プファルツの
王子ヴェンツェルと婚約していました。
ヴェンツェルは生まれたばかりの0歳で、アンナは11歳でした。
しかし、ヴェンツェルは1歳で亡くなってしまいました。
その2年後にアンナ(プファルツ)が亡くなると、カールはアンナ(シュヴァイトニッツ)を
自分のお妃にしようと考えます。
若い子好きってわけじゃないの。
ボヘミア近隣で郡を成す、ピアスト家の公国、シュレージェン(シロンスク)地方を
コントロールするための政略結婚なんですよ!
で、この結婚にはローマ教皇インノケンティウス6世の特免状が出されたっていうんだけれども
なんで? そんなに濃ゆ~く血がつながっているようには見えないんだが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/12/84aab267230cc696a33f90e106f5aadd.jpg)
どうこれ? 繋がってないよね?
それとも他で濃い~い繋がりがあるんでしょうか? たどりきれませんでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
たぶん、アンナが14歳になるのを待って1353年に結婚、カールは37歳でした。
王女エリーザベトに続き、待望の皇子ヴェンツェルが生まれました。
(前妃アンナとの間に生まれて1歳で亡くなった皇子もヴェンツェルでしたけど…
よっぽどこの名前がつけたかったと思える)
アンナは、結婚から10年目、第三子出産の際に亡くなりました。
またまた23歳という若さでした。
カール4世、お祓いかなにかすればよかったんじゃないのぉ?
あ、神聖ローマ皇帝だから教会で何かやっていたかもしれませんね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
アンナはヴィート大聖堂に葬られました。
ここにはカール4世の前妃二人ブランカとアンナがすでに眠っていました。
後にカール4世も、四人目の妃エリーザベトも葬られています。
どういう順番で並んでいるのでしょうね?
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
カール4世妃 アンナ・フォン・シュヴァイトニッツ
1339年~1362年/在位 (神聖ローマ皇后)1355~1362 (ボヘミア王妃)1353~1362
カールの3人目の妃は、ピアスト家のシフィドニツァ公ヘンリク2世の公女アンナです。
ヘンリク2世はアンナが4歳の時に亡くなってしまいました。
アンナの母カタリンはハンガリー王カーロイ1世とマリア・ピアストか
エルジェーベト・ピアスト、どっちかの王女でした。
王女なのに誰の子かはっきりしないってどうよ?
そんなわけで、アンナも母の故郷ハンガリーで育ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/f1/c0bf414a92789e6339165e3886924845.jpg)
アンナは最初、カール4世と二人目の妃アンナ・ダー・フォン・プファルツの
王子ヴェンツェルと婚約していました。
ヴェンツェルは生まれたばかりの0歳で、アンナは11歳でした。
しかし、ヴェンツェルは1歳で亡くなってしまいました。
その2年後にアンナ(プファルツ)が亡くなると、カールはアンナ(シュヴァイトニッツ)を
自分のお妃にしようと考えます。
若い子好きってわけじゃないの。
ボヘミア近隣で郡を成す、ピアスト家の公国、シュレージェン(シロンスク)地方を
コントロールするための政略結婚なんですよ!
で、この結婚にはローマ教皇インノケンティウス6世の特免状が出されたっていうんだけれども
なんで? そんなに濃ゆ~く血がつながっているようには見えないんだが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/12/84aab267230cc696a33f90e106f5aadd.jpg)
どうこれ? 繋がってないよね?
それとも他で濃い~い繋がりがあるんでしょうか? たどりきれませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
たぶん、アンナが14歳になるのを待って1353年に結婚、カールは37歳でした。
王女エリーザベトに続き、待望の皇子ヴェンツェルが生まれました。
(前妃アンナとの間に生まれて1歳で亡くなった皇子もヴェンツェルでしたけど…
よっぽどこの名前がつけたかったと思える)
アンナは、結婚から10年目、第三子出産の際に亡くなりました。
またまた23歳という若さでした。
カール4世、お祓いかなにかすればよかったんじゃないのぉ?
あ、神聖ローマ皇帝だから教会で何かやっていたかもしれませんね
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アンナはヴィート大聖堂に葬られました。
ここにはカール4世の前妃二人ブランカとアンナがすでに眠っていました。
後にカール4世も、四人目の妃エリーザベトも葬られています。
どういう順番で並んでいるのでしょうね?
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)