まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝カール4世妃 アンナ

2011-01-20 01:33:44 | ドイツ系王妃
またまた若くして亡くなる
カール4世妃 アンナ・フォン・シュヴァイトニッツ


1339年~1362年/在位 (神聖ローマ皇后)1355~1362 (ボヘミア王妃)1353~1362

カールの3人目の妃は、ピアスト家のシフィドニツァ公ヘンリク2世の公女アンナです。
ヘンリク2世はアンナが4歳の時に亡くなってしまいました。

アンナの母カタリンはハンガリー王カーロイ1世とマリア・ピアスト
エルジェーベト・ピアスト、どっちかの王女でした。
王女なのに誰の子かはっきりしないってどうよ?
そんなわけで、アンナも母の故郷ハンガリーで育ちました。
     

アンナは最初、カール4世と二人目の妃アンナ・ダー・フォン・プファルツ
王子ヴェンツェルと婚約していました。
ヴェンツェルは生まれたばかりの0歳で、アンナは11歳でした。
しかし、ヴェンツェルは1歳で亡くなってしまいました。

その2年後にアンナ(プファルツ)が亡くなると、カールはアンナ(シュヴァイトニッツ)を
自分のお妃にしようと考えます。

若い子好きってわけじゃないの。
ボヘミア近隣で郡を成す、ピアスト家の公国、シュレージェン(シロンスク)地方を
コントロールするための政略結婚なんですよ!

で、この結婚にはローマ教皇インノケンティウス6世の特免状が出されたっていうんだけれども
なんで? そんなに濃ゆ~く血がつながっているようには見えないんだが…
          
         
どうこれ? 繋がってないよね?
それとも他で濃い~い繋がりがあるんでしょうか? たどりきれませんでした

たぶん、アンナが14歳になるのを待って1353年に結婚、カールは37歳でした。

王女エリーザベトに続き、待望の皇子ヴェンツェルが生まれました。
(前妃アンナとの間に生まれて1歳で亡くなった皇子もヴェンツェルでしたけど…
 よっぽどこの名前がつけたかったと思える)
アンナは、結婚から10年目、第三子出産の際に亡くなりました。
またまた23歳という若さでした。
          
カール4世、お祓いかなにかすればよかったんじゃないのぉ?
あ、神聖ローマ皇帝だから教会で何かやっていたかもしれませんね

アンナはヴィート大聖堂に葬られました。
ここにはカール4世の前妃二人ブランカとアンナがすでに眠っていました。
後にカール4世も、四人目の妃エリーザベトも葬られています。
どういう順番で並んでいるのでしょうね?

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神聖ローマ皇帝カール4世妃 ... | トップ | 神聖ローマ皇帝カール4世妃 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ドイツ系王妃」カテゴリの最新記事