<映画の『ミス・ポター』でも映し出されていた、素敵な湖水地方。そこは、ピーターラビットのものだけではない。湖水地方で居を構え精力的に創作活動をしていた詩人、ワーズワースの詩について、少し記しておきたいと思う。>
A Rainbow
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The child is father of the Man:
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.
空の虹を見ると
心が弾む
僕の人生が始まったときもそうだった
僕が大人になった今もそうだ
僕が年老いたときもきっと心弾むだろう
さもなければ僕に死をあたえよ
子供は大人の父なのだ
僕がこれから迎える日々が
けいけん自然への敬慶な気持ちで満たされますよう
(和訳:安井京子)
>The child is father of the Man:
この言葉には、共鳴する方も多いのでは・・・
またはこちらかしら。
>So be it when I shall grow old,
・・・・
ささやかなものにも、心動く生き方をしていきたいものですよね。意外と難しいことなんだと思いますよ。
私は若い頃、ゼリーを食べる時、その最初の形からも、食べている時の断面からも、例えようもない美しさを感じて、常に感動しながら食べていました。感動は人に伝染します。その時私と一緒にゼリーを食べていた人は幸運だと思います。 ・・・?
「見て、完璧だと思わない。」
「ホントだ、素敵!!」
ある意味催眠誘導かも知れないです。
でも、私の中で、ゼリーに感動していた私は死んでしまいました。何も感じません。ゼリーはゼリーであって、美味しいかそうでないかでしか判断されないものになってしまいました。
かくのごとく、感性の泡ははじけて消えていってしまうものかも知れません。
「近頃、何に対しても心動かないのよ。」などと言う友人に対して哀れんでいないで、自分の感性の泡を増殖させなければとか、思う日々だったりもします。
自然への敬慶な気持ちとゼリーの譬えは、少し遠い譬えかもしれませんが・・・・
ワタシも物事にあまり関心を抱かずに今の歳になってしまい,何を見ても淡泊な感覚しか持てない自分に,多少なりとも感性を持たせようとして始めたのがブログでした。
しかし,なかなか感性を伸ばすというのは難しいデス…
Kiriyさんのブログを拝見するたび,ご家族との何気ない日常からの意表を突いた発見等が見受けられたりして,なるほどな~と思ったりしています。
あと,遅れましたが誕生日のお祝いのお言葉ありがとうございました!
確かにブログをやっていると、一輪の花を見ても、いろいろ感想を持つくせみたいなのがつきますよね。だけど、問題はそれを書ききれないことかなあ。
そういえば昨日は中秋の名月、だけど十三夜。中秋のというのにも、十三夜と言う響きにもなにげに美しさがありますよね。日本人はもともと感性が豊かな民俗なんですね、きっと。その月,見ましたか?綺麗でしたよね。明日も見ることが出来るといいですよね。
又、この先もよろしくお願い致します。