昨日、7月28日は隅田川の花火大会。押上駅はめちゃくちゃ混んでいました。
こういう人ごみは本当に苦手です。だけどその日、押上経由青砥にある「かつしかシンフォニーヒルズ」で、きたやまおさむ氏が言った、
「人は人との横のつながりを求めて、人ごみに出かけていくのだ。」というような言葉が頭をよぎりました。その言葉に関して言えば別に新鮮な言葉ではありません。この程度生きてくると、このぐらいの言葉に「ハア、ナルホド。」などと思いませんし、他の人もそうだと思いますが、自力で悟っているとも言えると思うのです。
だけど、私は思いました。
潜在的に既に言葉として持っている知識や経験も、また人の言葉を通して聞くと、新鮮であり再認識の手段なんですよね。その為か、その帰り道、ぎゅうぎゅうの押上駅の人の波が愛しくさえ感じたのでした。
歳を重ねていく上で、若さを保ちたいというのは誰もが思う願望だと思うのですが、その大事な要素の一つとして「新鮮」であることを感じる感性だと思うのです。知ってることや悟ったことがどんどん増えてくると、人は傲慢になり、また人の話も聞かなくなってくると言うことが多いのではと思います。
常に謙虚に学び続ける姿勢を持っている人は、やはりその人からは「若さ」のようなものを感じる私です。
という訳で、(この「という訳で」というのは私の口癖みたいなもので、どうという訳もない訳で)
昨日、「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」に行って来ました。
ある日、姉から誘われた時、最初の1時間はサムの講義らしいと聞いていました。なんだろう講義ってと思いましたが、行ってみて、ああ、ナルホドなあと思いました。
1部は講義、2部はコンサートというわけではなく、2部もトークが中心でした。歌はなんとなくオマケ的でゲストの山本コウタローさんと小室等さんが2曲ずつ歌ってくれましたが、、その歌とギターが非常心地よくて。たった4曲でもかなりの満足度高かったです。
私が凄いなと思ったのは、この「アカデミックシアター」にはリピターの人が結構いたことなんです。でもネットでリサーチすると、ゲストは違うものの、メインの講義のテーマは「浮世絵から見える母子像」という同じものなんですよ。私はこれを姉に誘われるまで知りませんでしたが、リサーチすると2008年に行った人の感想まで出てくるので、歴史は長かったのですね。
その内容にはナルホドと思う新鮮な感覚が多々ありました。興味のある方は次回などに是非ご参加ください。
行ってられないよという方は、「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」で検索すると、意外と内容込みの感想が出てきますよ。
じゃあ、なぜ私は書かないのかというと、ネタばらしになってしまうからという北山修氏に配慮してという部分も数%はありますが、内容まで書き込むと他にもいろいろ配慮して、ちょっと時間がかかってしまうからです。そしてそれに対しての感想が実は結構あるからなんです。
ブログを書くことは私にとっては大好きな趣味の一つなのですが、今、自分の趣味に大きな時間を割くことは出来ない状況になって来ました。
この先他の記事に織り交ぜて書くこともあるかも知れませんが、今回は「行ったよ」という記録です。
「アカデミックシアター」のHP→☆
あっ、そうそう。コンサートじゃないからって、後ろで喋ってるおばさん、嫌だったなあ。
いたよね、授業中いつも喋ってる人。
あの素晴らしい愛をもう一度 フォーククルセイダーズ
(私用メモ‥・世界一つまらないものを見ている母子・・・美しいもの以外を共有することについて・・・加藤和彦さんについて)