たまにはドラマの感想をと言うわけではありませんが、「ゲゲゲの女房」から習慣が付き、「てっぱん」に続いて「おひさま」も毎朝楽しみに見ています。ドラマの全体の感想は、ドラマネタを纏めて書いたときにか、最終週にでも書けばいいかなと思っていたのですが、ちょっと今日は書いてみたくなりました。
朝ドラは毎朝の事なので、ツイッターで気まぐれに感想などを呟いていますが、そういう方も多くてそして全体的には温かい目で見守っています。私も、まあその仲間です。
このドラマはユルユルホンワカ進むのに、実は結構メッセージ性が高いのです。作者は震災後の元気のなくなってしまった私たちに、一所懸命にエールを送っている、そんなドラマだと思います。
基本的には陽子おばあちゃんの昔語りなので、見た世界が語られて、派手な空襲シーンも自分と遠い所で起きた身内の悲劇のシーンも描かれる事はありません。戦争に出ている夫の姿も描かれる事もありません。陽子おばあちゃんが、余りに綺麗で上品なので、、このドラマの感覚に慣れるのに時間がちょっと掛かりました。
なんか妙に浮世離れしていると言うか・・・
それである事が閃いたのですが、どうもその閃きは外れそうな予感・・・。
一応最終回を楽しみにはしているのですが。
そう、それはともかくとして、今日、ちょっと書きたくなってしまったのは、その浮世離れした陽子おばあちゃんのネタバレーションでの言葉についてなんです。
ちなみにこの人のナレーションは、別名ネタバレーションと呼ばれています。
恋の話をしていても、誰かとの別れの話をしていても、視聴者がどうなってしまうのかなと思うと同時に、「悲しい恋だったわ。」「満州で亡くなってしまった。」「一番悲しい手紙を自分で配達する事に」と、先に映像として繋げず、あっという間に話してしまうので、そう呼ばれているのです。だから主人公陽子の親友の真知子さんの恋が報われる事もないし、そのお相手の春樹お兄さんの未来は、なんとなく予想が付いちゃうし、満州に渡った初恋の人の未来に起きる悲しい事も、視聴者は前もって知ってしまっていると言うわけです。ゆえに大吃驚と言う事がないのですね。
だけどだからこそ実は作者は、最後に私たちを腰が抜けるほど吃驚させてやろうと目論んでいるんじゃないかなと、私はここでは書けない妄想を捨て去る事が出来ません。まっ、当たったらいつものように「えへん」と言うし、外したら「たいした事ないな。」って言います。。。なんちゃって。
ところがですね、このネタバレーション、ちょっとばっかし侮れません。時々騙しが入ります。
陽子おばあちゃんのネタバレーションでは、戦争は茂樹兄さんから笑顔を奪ってしまったと言っていたのです。それはちょっとの間と言う雰囲気ではなく、さながら川原さんのようなイメージでした。
余りに早い茂樹兄さんの立ち直りに、ちょっと「おやっ」と思ったものでした。
もしかしたら作者は、彼のキャラクターを惜しんで、内容を変更したのかも知れないとも思ったものです。
そこのところ、作者様に聞いてみたい裏の部分です。
ドラマのシナリオは、一体いつまでに書き終わって撮影をしているのか良く分かりませんが、原作と違って、書き終わってスタートではないんだなと感じます。特にこの「おひさま」は震災後に始まり、出来ていたベースにどれだけの手直しを入れていったのか、感じるものがありました。それゆえに励まされてきた方も多いかと思います。
松本にあったはずの丸庵。だけど何故現代の陽子は安曇野にいるのだろう。
ここに来て、その謎が解ける展開になってきました。
そのシーンも、遠い所で火事が起き、それを見に行った和さんが
「火事は遠い。でも風が強くなってきた。嫌な予感がする。みんな大事なものだけ持ってここを離れるよ。」と穏やかな声で、だけど力強く誘導します。
大事なものを袋に入れる陽子。この部分に説明的な台詞は一切なしでしたが、陽子は黙って飾ってある写真たちを袋にどんどん入れていきます。
思わず涙が溢れました。
みんなが丸庵を離れる時、まだ火事の火は迫ってきていません。みんなで見上げる丸庵。想い出のいっぱい詰まった自分たちの家。
そしてそれが家族で丸庵を見た最後になってしまったのでした。
このシーンは実は時間にすれば数分だったと思います。
そして今日の土曜日、大きな挫折感を味わった家族でしたが、立ち直って行く回でした。立ち直りが早すぎる、凄いと思いました。
ちょっと面倒なので、今朝ツイッターで呟いた事をコピーさせていただきます。
―元々お母さんは丸庵の娘だった。そこに夫がやって来て子供が出来て、そして嫁がやって来て素敵な空間が生まれていた。お母さん=丸庵だったわけで、その喪失感は半端がないよね。
ぺちゃんこになっている義母を励ます陽子。良い嫁だよね。そして立ち直りも速い強い義母。
今日の「おひさま」、勿体無いなあと思った。今週、それなりに面白かったけれど、「あの人は今」シリーズっぽくて、来週最終週かと思えるような平坦さを感 じていた。それが週末になってやってきた暗転。が、喪失と復活で二日。1週間掛けてやってくれても良い様な内容だったと思う。―
遠い所の火事。押し寄せてくるもの。家を離れている間に失ってしまった場所。
このシーンで思わず、あの日の事を連想した人も少なくないなと思いました。だからこそ、もっとゆっくり描いて欲しかったと思いました。でもこれを書いている途中で気が付きました。だからこそ数分で喪失を描き、一日で気持ちが復活する姿を見せる。そうでなければ辛すぎるのかも知れません。
また、その軽さでなければ、最後の陽子おばあちゃんのあの言葉は言えないじゃないかなと思いました。
今日、そのドラマを見ていた人がたぶん、ほとんど感動したであろう纏めのようなナレーション。
「その時思ったの。ピンチはチャンスなんだと。」
何で、今日は感想をブログに書いたかと言うと、この台詞・・・
「嘘こけ!!」と反応してしまったからかも知れません。
たぶん世間様の反応から浮きまくりですね。ライター様、きっと得意気。
だけど私にはちょっと・・。
若尾さんはとってもお綺麗で、おばあちゃんなどと言い辛いものがあります。でも敢えてそう書き続けました。
だって「その時思ったの。」と言いましたよね。ちょっと違和感がありました。言っている内容にではないですよ。
「ピンチはチャンス」って、その時は幾らなんでも思わないでしょう。
「後で思ったのだけれど」とか言うのなら分かるのだけれど。だって、現代パートの陽子さんは、うちの姑よりも年上なんですよ。その方の20代に「ピンチはチャンス」なんて言うわけないじゃないのよ・・・って。
えっ、細かい事言うなって?
そうよね。おばあちゃんの昔語りなんだからね。
でも、それでも私にはちょっと・・。
なぜなら、丸庵一軒の失火なら、この言葉は凄く良いですよ。
でも遠い所から押し寄せてきた火で焼けてしまったのですよ。つまりそこからずっとたくさんの家々が燃えてしまったわけですよね。
みんながピーンチ!
それに先にも書きましたが、私のように思わず震災の日と重ねてしまった人もいるかも知れません。
実はこの「ピンチはチャンス」って言葉、好きな言葉なんですよ。喪失に3分気持ちの建て直しに14分で軽く描いても、それでも、此処までの一大事にはちょっと使えないよ~、軽いよ~と私には感じてしまったのですね。
でもまあ、「おひさま」は好きですし、安曇野にも行きたいなとリサーチ中です。実現できたら嬉しいです。
☆ ☆ ☆
ちなみにですね、「ピンチはチャンス」って語呂が良くて、言いやすい名言だと思うけれど、ピンチ=チャンスではないよね。ほとんどの場合、ピンチはピンチです。そのピンチを乗り越えるだけで精一杯です。だけど、ピンチ→ヤバイ!→負けるもんか→何とかしなくちゃ→何とかする!と思えた人にだけ開く扉の向こうにチャンスが見えるって事だと思う。
なんか朝からちょっとずつ書いていたので、既に昨日ですが、「今日」と書いてあります。
もう完全に亀山じゃありませんね。
亀山のイメージが払拭されてしまいました。
やっぱり寺脇さんは亀山を卒業して良かったですね。
その事は、
http://blog.goo.ne.jp/kiriyseikan/e/bd20a76c9df95a4c407de3d408550de6
の記事の中にも書いてあるのですが、思ったとおりになって良かったと思います。
寺脇さんの亀山卒業は、ある意味「ピンチ」でもあったわけですが、見事にそれを「チャンス」に変えましたね、彼。
で、カーネーション!
目が醒めました。
ほんまもんは、流し見は、できないんだって、気付いた次第。
私も「カーネーション」、見ていますよ。凄く好き!
でも「おひさま」も好きでした。いろいろヌルイなとは思っていたけれど、昨年のような年には、時代に凄く合っていたと思います。
予知されていたかのようなセリフにみんな励まされたと思います。
、桜は桜、桃は桃。
みんな違ってみんな良い。
まあ、そんな感じだと思います。
しかし、タイトルの「目醒ませば」はどういう意味なのかの方は気になりましたよ。
私に、目を醒ませばいかがと言っていらっしゃるかのような印象。
まさか、違いますよね^^
もしそうなら、糸子のように
「はあ!? なに~!?」なあんてね(笑)