森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

野田地図第14回公演「パイパー」

2009-02-24 00:53:53 | 観劇・コンサート日記

NODA MAP 初体験。シアターコクーンにて観てきました。(敬称略で書かせていただいてます。)

 

人類の希望だった火星に初めて移民した人々にとって、そこは夢の新天地だった。その夢がどうして豹変を遂げていってしまったのか。人類と共に移住してきたパイパーたちは、人類が幸せになることだけを考えているもの(生物?OR 機械?)。その彼らも人類の夢と共に豹変していってしまう。それはなぜか。
1000年後の火星で、ストアを舞台に姉フェボスをを宮沢りえ、妹ダイモスを松たか子、ワタナベを橋爪功、キムに大倉孝二で、その謎に迫る。懸命に生きる二人の姉妹を中心に、「自滅する幸せ」を描いている。

もうひとつの「火星年代記」

見応え充分。物語にも、その舞台そのものにも。

                      

 

 私は松たか子の舞台をはじめて観ることが出来て幸せです。なぜなら、彼女の事が好きだからです。HNK「花の乱」で初めて彼女を見たときに、「いったいこの少女は誰なんだ!」と一目惚れ状態で、申し訳ありませんが、その後本当のヒロイン三田佳子に代わったとき、心の底からがっかりしてしまったのです。

そんな彼女の舞台は、私の期待に充分応えてくれるものでした。

以下はネタバレしています。

彼女が母親役なら母に見え、何も知らない世間知らずの妹なら、その知らないことに悩む妹に見え、地球から移民してきた一般市民の食堂のおばちゃんならおばちゃんに見え、説得力ある彼女のセリフと声に引き込まれていってしまいます。

 「身毒丸 復活」の記事の中で蜷川さんの言葉を引用して書いた事ですが、幕開き三分の勝負をここでも感じてしまいました。

勢いよく走ってくるフェボス。扉が開くと風の音。

荒廃した火星のシーンが脳の中に広がっていくのです。

 

その宮沢りえが演じるフェボスは、少し声が枯れているように感じはしましたが、お茶のCMで見せる彼女の上品さと可愛らしさに見慣れているものには、かなりのインパクト大で、七面鳥くさい女を好演していました。(ちなみに妹はインコくさい)

橋爪功は芸達者。今更何も書くこともありませんが、ズルさと人の良さが同時に混在している、ワタナベを嫌悪なく身近な人に感じることが出来たのは、彼の飄々とした雰囲気のお陰かも知れません。

 

いつもの事ですが、主演が松たか子と宮沢りえであることと、火星が舞台と言うことだけで、他の情報なく、従って他の出演者情報も知らずに観に行ったので、橋爪功がワタナベで得をした気分でした。それはキム役の大倉孝二でも同じ感想を持ちました。

彼ってとっても良いですね。なんとなく観ていて安心してしまうのです。広い広い舞台の上に、素の自分の世界を何気なく持ち込んでしまって、それが良い味を出しているようなそんな感じがしたのです。

 

話が一気に飛びますが、劇団四季や宝塚は別にして、カーテンコールの一回目の時、主演俳優は笑っていない事が多いなと、時々思うことがあります。そうは言っても、たくさんお芝居を観ているわけではないので、本当はなんとも言えないことなのですが、私はそんな彼らを見るとき、マラソンランナーがゴールに走りこんだ時と一緒なような気がしてしまいます。または夢(芝居の中の世界)から現の世界に戻ってくる途中とか。笑えるわけはありません。

それでも、それはちょっと寂しかったりもするのです。それで繰り返されるカーテンコールのその途中で、夢から醒めて本人に戻り、微笑んでくれたりすると、それもちょっと嬉しかったりするのです。

この日の宮沢りえもそんな感じでした。でもフェボスから一気に本人に戻したのは、大倉孝二が何かを話しかけたから・・?

ニコニコして、隣に立っている彼とちょっとはしゃぎながら出てきていました。が、なんだかそれが良い感じがしました。

観客と言うのは、我侭な者なんだなと思います。芝居が終わったら素の彼らに会いたいと思ってしまうのですから。

 

物語の感想ですが、考えさせられることがたくさんありました。

人の幸せを考えることしか出来ないパイパーが、なぜ恐ろしい存在になってしまったのか。やっぱり彼らは変わらずに人の幸せだけを考える存在だったのかと思いました。

本来なら決して私達を裏切らず、幸せに導いてくれるはずの豊かなものに溢れた生活・・・  なんだか存在が似ているような。

なんでも数字で計ろうとする今を痛烈に批判しているのが、小気味がいいのですが、自分自身が結構数字マジックに囚われていたりするので、結構胸が痛かったです。

ダイモスが母のお腹に居るときに、世界が崩壊していく場面は凄かったですね。

この物語は、最後に唐突に希望の片鱗が見えて、なにやらそこにホッとさせるものがありました。そういうラストは好きなので、感動しました。

でも、その唐突に見えた希望の片鱗も、実は前からそこに存在していたのかも知れません。キムが問いかけた時、ワタナベは驚いてもいませんでしたから。

希望と言うのは、いつも本当はそこにある。だけどそれは真実や現実と向き合った時に、初めて見えてくるものだったのかと思いました。

 

舞台と言うのは、映画と同じく目と耳を使って観賞するものですが、セリフで場面を作り上げて行く舞台は、映画とはまたぜんぜん違う魅力がありたまりません。「ストア」の本当の意味を知った時、すべてが絡み合い物語が完成する。凄く面白かったです。 

タブーを制するもの・・
「伸びた右手を左手が止める。」  逆かな?
冷蔵庫の前で実践したいと思います。

 

 2月28日まで 当日券アリです。

 

 

 


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