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2008年6月30日に甲府夏祭り、第59回始まりますを書いた時に、「そして7月6日、甲府空襲の日がまたやってきます。」と関連イベントを追記していました。その中で7月1日(火)~6日(日) に山梨県民情報プラザで開催された「第27回 甲府空襲 戦争と平和・環境展」を拝見しました。

私は昨年2007年に初めてこの展示会を拝見しています。風林火山博が開催中でしたから甲府空襲展は県民会館の地下展示場で開催されました。 甲府空襲展2007

甲府空襲の実相 この展示会に出かけたきっかけは山梨平和ミュージアムの開館です。 甲府連隊、甲府空襲の資料も多数展示されていて、諸星さんが制作された甲府空襲に関する研究資料も拝読しました。

2008年の甲府空襲展では思いがけない収穫がありました。それは2006年8月17日に書いた東京目黒区の八雲小学校から甲府への学童疎開について、記録写真の調査を続けられた方から直接お話を伺えたことです。ブログに引用した読売新聞の記事では、『八雲の6年生には、昭和20(1945)年3月に卒業式のため帰京して東京空襲に遭い亡くなった者もいる。』とのことでしたが、甲府に残っていた5年生以下の子供たちは甲府空襲の前に現在の北杜市の方面に更に疎開していたそうで空襲には遭わなかったとのお話でした。「学童疎開ホームページ」にも掲載されている写真や新聞記事なども会場で拝見しました。

それより何より驚いたのは、空襲の1か月前、昭和20年6月9日に米軍機が甲府に飛来し宣伝ビラ(伝単)を播いていった、それには甲府も空襲すると書かれていたという話です。「米軍の宣伝ビラ」で検索してみるといくつかの記事が読めます。米軍の投降勧告ビラでは空襲予告については書かれてませんが「伝単」の扱われ方が分かります。埼玉県平和資料館の伝単(でんたん)ページには、『なかでも、B29の本土空襲が始まると、「この都市が米空軍の次の攻撃目標です」といったような空襲予告のためのビラをまき、予告どおり実行することが多かったため、日本の国民は、米軍の宣伝ビラを信じるようになっていった。 』と書かれていますから、甲府に播かれた「伝単」もこれに該当すると思います。わが歴史グッズの話(5)  2002年3月18日には伝単の文言も書かれています、「菊と刀」で研究した成果が生かされていない文章だったのかも知れません。佐世保市で播かれた伝単のことがメロウ伝承館の投稿記事に画像とともに書かれています。佐世保では空襲の時に播かれたが甲府では1か月前だった。

焼け野原の甲府市街模型 もしも甲府空襲を予告した伝単情報により、日時は不明であるにせよ市民の避難、疎開が行なえたなら、焼け野原になったことはともかく、人的な被害は最小限に防げたかも知れません。しかし検索して読めるネット記事からも分かるように、避難を禁ずる防空法があったり伝単を拾う行為そのものが非国民、スパイ行為とみなされるような状況下では一般市民がそういう情報に接することは難しかったでしょう、仮に知ったとしてもどうにもならない。

情報統制が行われる状況は太平洋戦争中の日本に限りません。別な見方では権力の源泉は情報であるとも言われます。私は甲府空襲展を見ながら、これらの写真、遺品などを眺めているだけの見物人ではありたくないと思いました。歴史から学ぶという意味の一つには、その時、その場所で情報はいかに統制され管理されていたか、その結果がどうであったかも学びとり、それを今に活かすことです。

私がインターネット・オタクであり続けるのは、情報オタクでもあり続けるという事です。もしかすると甲府空襲の死者は人災だったのかも知れません。上に立つ者達の手に操られ何も知らされる事なく死んでいった人々だったのかも知れません、その事を今後も忘れずにいたいと思った甲府空襲展でした。私のふるさとである東京の大空襲、そのとき米軍の伝単はどうであったか、後日のテーマにします。



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2008年7月5日、甲府市では33度6分を記録したとニュースがありましたが、その猛暑の中を甲府夏祭り・七夕見物に出かけました。甲府駅南口からスタートして中心街に向かって行きます。

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駅前から県民情報プラザまで、七夕飾りらしきものは山交百貨店の前に限られていましたが、流石に夏祭りということで人通りは多かったです。

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オリオン通りに入るとびっくり、珈琲みちくさの並び、紅梅地区再開発ビルの工事現場隔壁におやっという絵が描かれていました、この写真だけみると別世界のような感じがします。ここから本格的に七夕ムードになってきました。本日の目的の一つ、「多文化共生まちかど広場」ではすでにイベントが始まっていましたが、とりあえず横目に見て進行--

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銀座通りでは「よつびし総研」さんがイベント開催中、ちょっと立ち話をしてきました。「こっちに出かけた時は覗いてみているけど、いつも閉まっていますね」、「学生ですから昼間は大学でして・・・」、まさにごもっともです(^o^) 「YYプロジェクト」にも一枚噛んでおられるようですし、とにかく二足のワラジどころではない訳ですから、世間の荒波を乗り越えて目的に邁進されることを祈るばかりです。 桜町でレトボンに出会い、銀座まちの駅では本物の七夕飾りを拝見しながらぐるっと一回りして、山梨中央銀行本店東側広場に戻りました。

Tanabata080799「多文化共生まちかど広場」の情報を知ることができたウクレレ・グループのみなさんが最後の出演者でした。

もちろん正面からばっちりデジカメもさせていただきましたが、公開は差し控えます。

ラストナンバーは「上を向いて歩こう」でしたが、ウクレレ演奏で聞いたのは初めてでした。

追記です-「その他いろいろ」ブログの7月6日記事、「まちかど広場に行ってきた」には写真もありイベント環境についてのコメントも入っていますのでご覧ください。「ウクレレ日和 山梨でウクレレ」には山梨のウクレレ事情やイベント予告もありますから改めてトップページにリンクしておきます。私の巡回先に追加です。
更に追加-「ウクレレタイムス」に当日の記録写真、演奏内容などが「多文化共生まちかど広場」として掲載されています。

県民情報プラザ地下展示室で開催されていた「第27回 甲府空襲 戦争と平和・環境展」も拝見しましたが、これは別な記事で書きます。

本日見物した「甲府夏祭り」に続いて、甲府市行政と市民の総力を挙げて8月23日(土)に開催される「甲府大好きまつり」のご成功を祈ります。

2007年の甲府夏祭りの記録は手元にありませんが、2006年は甲府夏祭り2006 予告編をホームページに残しています。その1、その2と2頁ですが「予告編」とタイトルした意味を思い出しています。中心市街地活性化には箱物造りばかりではなく、ソフトの活用も大切なことは皆さまご存じ、何故ご活用にならないのでしょう、「第6回湖衣姫コンテスト」の記録掲載より先になさるべき事はありませんでしたか?



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