事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

追悼~双葉十三郎さん

2010-01-18 | ニュース

Photo  映画評論家の双葉十三郎(ふたば・じゅうざぶろう、本名小川一彦〈おがわ・かずひこ〉)さんが昨年12月12日午前8時58分、心不全のため死去した。99歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は長男の小川光彦(てるひこ)さん。
 東京生まれ。住友本社在職中から映画評論を発表。1945年に退社。52年から約半世紀にわたって映画雑誌「スクリーン」で「ぼくの採点表」を連載した。日本公開された洋画の大半を星取りで採点。芸術作品からB級娯楽作までブレのない基準が評価され、91年に日本映画ペンクラブ賞を受けた。97年、山路ふみ子映画功労賞、01年、菊池寛賞。主著に「アメリカ映画史」「映画の学校」「西洋シネマ大系・ぼくの採点表」シリーズがある。チャンドラーの「大いなる眠り」などミステリーの翻訳も手がけた。
(朝日)

……三大紙のなかでは朝日の“予定稿”がきわだっていた。高齢な双葉さんのことだから、どこでもお悔やみ記事は用意していただろう(死去の発表は1月15日)。わたしが考える双葉さんの最大の功績は、スタンスがまったく変わらなかったこと。朝日がいうように、ブレない人だったのだ。

おそらくこれから彼の追悼の嵐が始まるはず。そのなかで、B級作品を賞揚したことだけが取り立てて讃えられるかもしれない。確かに、映画評論の場では“芸術作品”だけが論じられ、娯楽作は歯牙にもかけられなかった経緯はある。だからこそ、B級作品を評価の俎上にのせた双葉さんの公平さはすばらしい。でもそれ以上に、“公平に”出来が悪いものを指弾し、ウェルメイドな作品を評価してきたことこそが彼の偉大さではないだろうか。

スクリーン誌上で永遠に続くかと思われた「ぼくの採点表」に影響されなかった映画ファンはいない。心のどこかでどんな映画も☆=20点、★=5点で評価する悪癖(!)が伝染した人も多いはずだ。最初はお遊びだったかもしれないあの星取り表が一種の権威になったとき、連載が苦行に思えたのではないかとの思いは双葉さんをおとしめることになるのだろうか。

わたしは先月、たまたま双葉さんの著作を読んでいたのでこのブログでもとりあげるつもりだった。

「外国映画ぼくのベストテン50年」(近代映画社)

「ぼくの採点表」(全部買ってるぞ!)とはスタンスを変えた双葉さんがここにいる。B級アクションやSF、そして何よりもミステリを(およそ誰も相手にしてこなかった時代から)、単に好きだから、という理由で積極的に評価してくれた、だからこそ超A級の映画評論家だが、ベストテンの選定は“こんな作品がこの時代にあったことを歴史に残したい”という判断基準。だからインド(サタジット・レイ)やギリシャ(テオ・アンゲロプロス)、そしてスウェーデン(イングマル・ベルイマン)の映画は何度も何度もリストアップされている。もうすぐ100才。自らが映画の歴史だといえる双葉さん、どうかあと30年ぐらい生きてください。

……結果的にわたしの予定稿になってしまったことが哀しい。双葉さんの人生を不遜ながら評価するとすれば☆☆☆☆★★★だ。唯一の減点は、なぜもっと長生きしてくれなかったのかということ。映画はまだまだ若い芸術。そのほとんどを見通してきた双葉さんが“生き続けている”ことに、心のどこかで映画人は安堵していたはずではなかったか。

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