こんな読み方は邪道なんだと思う。でもファウアーがこの小説を書き始めた動機がまず泣かせる。友人の女性が末期ガンをわずらい、本を上梓するという彼女の夢を達成させるために会社をやめ、ふたりで机をならべて原稿の執筆にかかる……お互いの夢がかない、出版を祝うパーティの二週間後に彼女は息をひきとる。こんな背景が作品に影響を与えていないわけがなくて、「もうひとつの人生」「もっと別の運命」があるのではないかというストーリーの核につながっている。
量子物理学と統計学を駆使した未来予知というネタも説得力あり。ある資質をもった主人公が、無限に枝分かれする未来から、ひとつの未来を(それは絶対ではないのだが)選択するというイメージは、病のために幼少期に視力がなかったファウラーの世界観でもあったろうと思う。
こんな展開と、量子物理学や確率論の解説が有機的につながっているのだ。
「シュレディンガーの哲学的問題とはこうだ。一匹の猫と、青酸ガスの入った瓶と、エネルギーを感知すると振りおろされるようにプログラムした自動式ハンマーと、一個の放射性原子を用意し、それをひとつの同じ箱に入れたらはたしてどうなるだろうか?箱をあけて観察するまで、放射性原子は励起状態でも基底状態でもない。どちらの状態かは確率的に考えて五分五分だ。そこで、こういう疑問が湧いてくる。箱のふたが閉まっているあいだ、猫はどうなっているか?」
「理論上、箱のふたが閉じているあいだ、放射性原子は同時にふたつの状態にある。これは猫も同様です。要するに、猫は生きていると同時に死んでいるってわけでしょう?猫が最終的にどちらの状態になるかは、箱をあけてなかの放射性原子を観察するまで決まらない。」
……かの有名な「シュレディンガーの猫」をめぐる矛盾が、主人公の人生の危機と二重写しになる周到さ。
自分が生き残ることに必死な女性工作員と、子どもの命を救うために自らの規範とは違う汚れ仕事を引き受ける男の激突。その結末もいい。第二の「ダ・ヴィンチ・コード」というレッテルはむしろ失礼だ。すごい新人。これがデビュー作かよ!