2005年11月11日付事務職員部報はまたしても中央動員関係を。
題して「1車線の橋」
11月1日に行われた「義務教育費国庫負担制度の堅持を求める教育関係22団体全国集会」(inホテルニューオータニ)については、参加者の携帯をつかってライブでその模様を知ることができました。
「司会は秋野暢子ですっ!」
「おっと今アグネス・チャンが」
……という具合。就任したばかりの小坂憲次文部科学相が「義務教育の成否は財源保障にかかっている。中教審答申を真摯(しんし)に受け止め、国民の声、地方の皆さんの声に耳を傾け、国の責任を果たすべく全力で取り組みたい」とあいさつしています。
……そもそも、この問題がなぜここまでこじれてしまったかを一度整理して考えてみましょう。現在すすめられている三位一体改革とは
1.国庫補助負担金の改革(要するにカットするということ)
2.国から地方への税源移譲
3.地方交付税の改革
この三つをひとまとめにしてやってしまおうというわけです。しかしこの改革は遅々として進みませんでした。それが一転して具体化したのは、どの補助金を改革するのかを、官僚ではなく地方側に考えさせろ、とした知恵者がいたからではないかと個人的には考えています(当時の麻生総務大臣らしい)。しかし結果として出てきたのが義務教育費。当の地方側の間でも「それはトップバッターではない」と異論が噴出しているのはご存じのとおりです。
それではなぜ国庫負担金ではよくないのか、の議論になります。いちばんわかりやすいのは道路や橋関係。国の基準でつくるとどんなに交通量の少ない場所でも二車線の橋をつくることになる。でも地方独自に、省庁の縦割りの弊害もなく、身の丈にあった一車線の橋をつくった方がいいのではないか……その方が“むだ遣い”をせずにすむわけですから。このあたりは、よくわかります。
しかしここで強調したいのは、義務教育費国庫負担制度を一般財源化したからといって、いったいどんな“無駄遣い”を無くすことができるのか、ということです。教育費がGDP比先進国中最低であるこの日本で「一車線の橋」とはどんなものでしょう。
義務教育費に手をつけたところでたいした意味がないことは、実は強く要望している地方側にしてもよくわかっているのだと思います。それでもこの部分を彼らが要求しているのは……
1.毎年毎年国に“陳情”しなければ何もできない現状に改革派の首長たちがうんざりしているから。
2.義務教育費の部分がなにしろ“額が大きい”から。
3.道路財源などは省庁や業界のしがらみがからみあっているが、義務教育費にはそんなものがないから。
……こんなところでしょうか。もっとぶっちゃけた話、先日の交渉で出てきた発言がいちばんわかりやすいかもしれません。
「結局ね、地方が国庫負担いらないってのはこういう理屈ですよ。負担金が20億くれば、地方はおんなじ20億を用意しなきゃならない。だから総予算から国庫負担の分をまず脇にのけといて予算編成しなきゃいけないわけでしょ?それがどうも我慢できないらしいんだなー」
要するに、改革を推進するため、一種の象徴のように義務教育費があつかわれているのです。一般財源化を主張する勢力すべてが「これは数字あわせではない」とわざわざ主張しているあたりにこの問題の中心がありそうです。ったくもう。
※この時点で堅持を求める署名は627万筆に及んでいる。アグネス・チャンが出席したのはユニセフ関係であって歌うためではない。秋野暢子の司会のヘタクソさにはみんな呆れていたとか。
※この問題は、予想もつかなかった結末を迎えることになる。政治の世界はわかんないですわホントに。現在、麻生太郎は福田後の唯一と言っていい首相候補となっている。でもねえ、わかんないと思うな。負け癖がついてしまった人であり、小派閥からは近年誰も総理総裁となっていないことを考えると……清和会は黙ってそれを認めるのか?あ、麻生を“つなぎ”だとみんな(公明党も含めて)考えているのかな?