「End of the tunnel」 「(marunouchi) HOUSE」(新丸ビル7階)

「End of the tunnel」(ニュートーキョーコンテンポラリーズ)
「(marunouchi) HOUSE」千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング7階)
3/28-4/7



現代アート専門とする在京の7軒の画廊が、ここ新丸ビル7階レストランフロア「(marunouchi) HOUSE」に集います。「End of the tunnel」へ行ってきました。

参加画廊は以下の通りです。(各画廊とも30代のギャラリストによって運営されているそうです。)
青山/目黒、ARATANIURANO、ZENSHI、Take Ninagawa、MISAKO&ROSEN、無人島プロダクション、ユカササハラギャラリー

会場の雰囲気は以下にアップした写真を参照していただきたいのですが、出品作品は「(marunouchi) HOUSE」内の特定の一室にあるわけではなく、フロア全体に半ば散らばるようにして展示されています。ようはエスカレーター、もしくはエレベーターを降りた瞬間から、オープンカフェスタイルのレストランフロアのあちこちに作品が点在しているわけです。通路から壁面などはもちろん、トイレから女性用のサロンルーム(会期中に限って男性も入場が可能です。)など、うっかりすると見落としてしまうような場所にまで作品が置かれています。フロアマップはエレベーターを降りて向かって左側の案内所に用意されていますが、あえてそれを持たないで、まずは宝探しの感覚でうろうろと歩き廻ってみるのも悪くないかもしれません。思わぬ場所で見る、意外な作品との出会いが、またこのイベントの醍醐味ではないでしょうか。

   

   

上記の画廊を全て廻りきれていない私にとっては、未知の作家の作品をいくつか楽しめただけでも満足でしたが、既知の方でも、例えば女性用トイレの入口を見張る渡辺豪や、サロンルームにて静謐な映像作品を展開する小瀬村真美、また同じくその場にてひっそりと隠れるように佇む加藤泉の木彫人形、さらにはエスカレーターで顔を覗かせる小西紀行などが印象に残りました。最近、定点観測中の新富町のARATANIURANOの作家がおすすめです。

  

  

なおこの「End of the tunnel」は、先週の金曜日より丸の内界隈で始まった「丸の内アートウィークス」の関連のイベントです。隣接の丸ビル1階にある「竹の森」と題した白い竹林のインスタレーション(下の写真です。現在展示中。)の他、4日からは行幸通りの地下ギャラリーにて、国内各美大の卒業制作展より選ばれた45点を展示する「アートアワードトーキョー」(4/4-5/6)、さらには今週末限定の日本最大のアートの見本市「アートフェア東京2008」(4/4-6)などが開催されます。キーとなるアートフェアを挟み、この界隈のアートシーンはなかなか熱く盛り上がっているようです。

 

アートウィークスのイベントを廻るには、TAB発行の以下の小冊子が役に立ちます。新丸ビルの他、近隣の商業施設等でも配布されているので、まずはお手に取られて見ては如何でしょうか。



「End of the tunnel」は4月6日まで開催されています。もちろん入場は無料です。
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「横尾忠則 『ふたつめの壺/温泉主義』」 SCAI/西村画廊

SCAI THE BATHHOUSE台東区谷中6-1-23
「横尾忠則 ふたつめの壺」(第二期)
3/7-4/5

西村画廊中央区日本橋2-10-8 日本橋日光ビル3階)
「横尾忠則 温泉主義」
3/11/4/12

共催というわけではありませんが、現在、都内二カ所の画廊で開催中の横尾忠則の新作個展です。先日、谷中(SCAI)から日本橋(西村)とハシゴする形で見てきました。



「ふたつめの壺」と題したSCAIの展示では、旧作の並んだ「横尾忠則の壺」(3/1終了)に続き、ただ一点を除いて、全て新作の絵画が紹介されています。導入に旧作の「真実が現実になる時」(1994)を掲げ、それ以降は派生する、かのシュールでコテコテの横尾ワールドがこれ見よがしに展開されていました。ちなみに今挙げたものは、オーロラのように靡く紫の空の下、一隻のボートに乗る黒い帽子をかぶった怪し気な男たちが、とある裸婦を、サメの泳ぐ海へと落とそうとせんばかりに勇ましく立つ様の描かれた作品です。そしてそれらを洞窟の中のような場から見つめているのは、どこか場違いな感もある二人の男女でした。またこの裸婦のモチーフは後、新作の「酔いどれ舟」(2008)や「気まぐれ」(2008)などにも、ほぼコピーするかのように頻出します。さながらデルヴォーに記号の如く現れるセクシャルな裸の女性のようです。



そのような女性像がまたぴったりと場にハマるのが、日本橋の西村画廊で開催されている「温泉主義」の展示でした。こちらでは実際に横尾が国内の各温泉地を歩き、それぞれに得たインスピレーションをもとに描いた絵画が紹介されていますが、彼の見た温泉地が、自身の記憶や時間体験などとごちゃ混ぜになって提示され、シュールさを通り越したカオスな温泉場が鮮やかなモチーフに変身して表現されています。お馴染みのY字路の構図をとる「下田幻想」(2007)は、何と温泉地自体が海底へ沈み、魚や沈没船とともに酸素ボンベをつけた人々がそぞろ歩きをするという破天荒な作品です。また軍用機の行き交う「白浜」(2006)では、昭和を風靡したかの温泉地の記憶が、古びた集合写真とともに残像のようにして伝えられています。そしてかの裸婦は「城崎幻想」(2006)に登場しました。もはやモニュメントです。(上DM画像作品。)

「温泉主義/横尾忠則/新潮社」

旧作も新作も全く枯れることのない力強さ、または変わらない、良い意味での既視感が横尾の魅力かもしれません。なお4月19日からは、世田谷美術館にて「冒険王・横尾忠則 初公開!60年代未公開作品から最新絵画まで」が開催されます。そちらも合わせて楽しみたいです。

SCAIは4月5日、西村画廊は同月12日まで開催されています。
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博物館でお花見を@東京国立博物館 (2008年3月)




先日、薬師寺展がはじまったばかりの東京国立博物館ですが、現在「博物館でお花見を」と題し、夜間開館(夜8時まで。)の他、夜桜ライトアップや、常設での桜に因んだ作品の展示などが行われています。昨日、夜間開館時に出向くことが出来たので、本館常設より関連の作品の写真をいくつか撮ってきました。


「月に桜花図つば」(19世紀)
目立たない刀の鍔に桜を忍ばせています。向き合う月との対話が微笑ましくも見えました。



 
「花下遊楽図屏風」 狩野長信 (17世紀)
国宝室から。右隻が桜です。牡丹雪のような白い桜が木々を彩ります。なお、右隻中央の余白は、震災にて失われてしまった部分だそうです。


「吉野山蒔絵小箪笥」(19世紀)
流水に桜の文様の組み合わせ。取っ手の部分までが桜の花びらであしらわれていました。


「桜蒔絵十種香道具」(19世紀)より
霞の漂う大和絵に咲く桜です。


「松桜南天苫屋柄鏡」(17-18世紀)
桜の老木が鏡を彩ります。

 
「観桜図屏風」 住吉具慶 (17世紀)
公卿の優雅なお花見です。屠蘇で一杯というのがたまりません。このシチュエーションには素直に憧れます。

 
「桜花図」 円山応挙 (18世紀)
非常に精緻な筆で描かれた、応挙ならではの写実的な桜です。小鳥は別の枝へと移ろうとしているのでしょうか。今にも飛び出しそうな様子を見せています。


「小袖」(18世紀)
枝が途中で途切れているように見えますが、これは雲から覗き込む桜を表現しているのだそうです。金糸が目に焼き付きます。


「打掛」(部分)(18世紀)
まさにモダンな意匠です。リズミカルに花びらが舞っています。


「北郭月の夜桜」 歌川国貞(19世紀)
吉原の花街の夜桜。大変な人だかり。賑わいは夜になってからが本番です。

 
「簪」(19世紀)
鳳凰より金銀の桜の花びらの垂れるかんざしです。似合う女性もまたきっと素敵でしょう。


「三囲花見」 喜多川歌麿 (1799)
歌麿に花見を描かせると場に躍動感が加わります。粋な花見です。

 
「名所江戸百景・日暮里諏訪の台」(部分) 歌川広重 (1856)
150年前も今も花見の光景は殆ど変わりません。まさに花より団子状態です。

開放中の庭園で、夜桜のライトアップを楽しんできました。上野公園は既に大変な人だかりでしたが、こちらはそれほどでもありません。夜桜くらいは静かに味わいたいものです。

 

薬師寺展も夜間は大変に空いているそうです。既に昼間は平日でもかなりの入場者があると聞きますので、もしかしたら夜間開館中の今が狙い目なのかもしれません。

東京国立博物館の夜間開館は4月6日までです。(月曜休館)

*関連エントリ
東京国立博物館で「国宝 薬師寺展」がはじまる
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「福居伸宏展 - ジャクスタポジション - 」 小山登美夫ギャラリー

小山登美夫ギャラリー江東区清澄1-3-2 6階)
「福居伸宏展 - ジャクスタポジション - 」
3/8-29



「午前0時から3時の間に撮影された都市の光景」(公式HPより。)を元に、均一で細密な、また連続して増殖し続ける都会の夜を表します。1972年生まれのアーティスト、福居伸宏の個展へ行ってきました。

展示されているのは、本来なら続かない光景を鳥瞰的に繋げ、一枚の長いパノラマに捉えた都会の風景写真です。一見、都会独得の、ネオンサインなどの残る明るいグレイに包まれた夜が示されていますが、良く見ると、その細部の細部までに焦点が合わされ、例えば遠方のマンションの窓の中までが驚くほど精緻に浮き上がってきていることが分かります。ようは、手前の階段にある植え込みや通路の石の質感から、遠景に見るバルコニー越しの植木、またはカーテンの模様などが全て判別出来るほど、言わばフラットになってリアルに迫ってくるのです。通常は見逃してしまう、被写体を構成する万物の一つ一つが、あたかもその存在を主張するかのように目に飛び込んできました。

繋がらない景色をあえて連続させた空間に見るどことない違和感も、また福居の写真の魅力の一つかもしれません。不健康な都会の夜が、奇妙な清潔感をもって写真に表されています。

明日、29日までの開催です。
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「大西伸明 - 無明の輪郭 - 」 INAXギャラリー2

INAXギャラリー2中央区京橋3-6-18 INAX:GINZA2階)
「大西伸明 - 無明の輪郭 - 」
3/3-29



現実と非現実の合間を彷徨います。主に関西を中心に制作・発表(画廊HPより。)を続けている造形作家、大西伸明(1972~)の東京初個展です。

まず目に飛び込んできたのは、まさに見たまま以外の何物とは思えないドラム缶のオブジェです。表面は錆び付き、また各所はへしゃげ、いかにも古びた缶が、何の演出もされることなく置かれていますが、種を明かしてしまえばこれは全て樹脂で出来たフェイクでした。実際のところ、作品を手で触れることは許されませんが、思わず指で表面をなぞりたくなってしまうほど精巧に出来ています。リアルなのかフェイクなのかを目だけ確認するのはもはや困難です。



ドラム缶の次に目立つのは、スペースの奥に置かれた脚立です。これまた使い古したような、それこそこの脚立で作業した際にこぼれた絵具までが再現されているかのようなリアルさを見せていますが、床に面すその4つの足が半透明になっていました。このリアル一辺倒ではない、フェイクであるという部分を微かに残すのが、また大西の制作の大きな特徴かもしれません。リアルなモノが、その端の部分にてさながら残像のように消えていくかのような味わいさえ感じられます。

白く、また乾いた展示室の空間に、トマソンのようにして置かれた作品群のどことない寂寥感もまた印象に残りました。軸を失って無惨にも転がる傘、枝葉を落として虚しく立つ枯木、そして隅っこに立てかけられた、もう何年も使っていないようなスコップなど、モノでありながら、それを見て、また使っていたであろう人間の記憶を微かに伝えているような気もします。革手袋の持ち主は一体誰なのでしょうか。

今月29日まで開催されています。これはおすすめです。
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「石川結介 A Few Shields」 ラディウム

ラディウム中央区日本橋馬喰町2-5-17
「石川結介 A Few Shields」
3/7-29



ヴァイスフェルトからラディウムと名を変え、六本木より馬喰町へと移転した同ギャラリーのオープニングを飾る展覧会です。「ウォールぺィントアーティストとして豊富なキャリアをもつ」(TABより。)という石川結介が、ラディウムに一種の『宝石』をはめ込んでいます。

ともかく圧巻なのは、二階メインスペース壁面を覆い尽くす、縦2.3メートル、横3.6メートルはあるかという巨大壁画「DROP」です。壁に直接描かれた、まさに七色に煌めくダイヤが、メタリックな質感を漂わせながら、眩いばかりの光を発してキラキラと輝いています。表現方法は平面でありながらも、その各面の組み合わされた空間は立体的で、一種の騙し絵的な鏡面世界が無限に広がっているようにも見えました。また宝石のようでもありながら、どこかSF的な宇宙に浮かぶ銀河の輝きとも言えるような、モチーフより由来する様々なイメージを喚起させるのも大きな魅力です。そして、あたかも桜の花びらが舞うかのような粒が、この結晶の硬度、もしくは光度をより強くしています。その他、ボードに描かれた同様のドローイング等、せめぎあう輝きに空間全体の重力が歪むかのような錯覚さえ与えられました。

壁画「DROP」は、壁に直接描くという作品の性質上、展覧会終了後には消されてしまいます。その意味でのこの輝きは、まさに有為転変のものと言えるのかもしれません。ちなみにこの作品を『買う』と、作家本人が指定された壁面へ描きに来るのだそうです。(今回の「DROP」は、石川が画廊へ泊まり込み、約5日間で完成させています。)

ラディウムの外壁に、石川が新たな壁画を描くという構想があるということを聞きました。是非、実現していただきたいものです。

今月29日までの開催です。おすすめします。
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東京国立博物館で「国宝 薬師寺展」がはじまる

奈良・薬師寺の貴重な文化財を紹介する「薬師寺展」が、本日より上野の東京国立博物館で始まりました。昨日、それに先立っての内覧会に参加させていただいたので、展示の様子を簡単にお伝えしたいと思います。



「国宝薬師寺展」で開会式(読売新聞)
「薬師寺展」公式サイト

今回の展示で最も注目すべきなのは、7世紀に天武天皇が発願して以来、おそらくは寺外で初めて二体揃って公開されるという、金堂の「日光・月光菩薩立像」(国宝)です。そして会場においても、この仏像の魅力を効果的に紹介するため、例えば前面にスロープによる壇を設置し、来場者が順路に沿って壇上、および床面の二つの高さで見られるようにするなどのいくつかの工夫が凝らされています。また修復のために光背が除かれているため、通常の正面からだけではなく背後、そして側面と、360度の方向から見ることも可能です。これはもちろん当地薬師寺に出向いても叶いません。公式HPにある「空前絶後」というキャッチフレーズも、あながち誇張されているわけではないようです。

 

会場において、「日光・月光菩薩立像」に関する学芸員の方の簡単なレクチャーがありました。以下、箇条書きにして内容を掲載します。

・通常は光背(江戸時代制作)があるため正面からしか見られないが、今回は360度眺めることが可能である。お寺ではまず出来ない展示。
・床面から120センチメートルの場所に壇を設置し、少し高い場所から仏像を見られるようにした。下から拝むのとはまた異なった像の風格、そしてその大きさを体感できるだろう。
・元々は鍍金であるが、金堂自体が度々災害にあっているため、それはほぼ失われている。また両腕から垂れる天衣の先など、欠けている部分もある。(その他は創建時のまま。)
・両像の高さ、重さ。日光菩薩2.3t(3.17m)、月光菩薩2t(3.15m)。側面より観ると日光菩薩の方が厚みがあり、月光菩薩はやや薄い。
・日光菩薩は腰まわりがやや太く、スカートの部分がその下へ落ちるなど力強さをを感じさせるが、月光菩薩は上体からウエスト部にかけて細く、スカートも靡くかのような表現がとられ、繊細かつ優美である。
・内部は空洞であるが、台座部を外すと創建時の土が残っている。
・ともに優れた造形技術が用いられており、例えば髪の毛の一つの束のうちには細かな髪筋までがしっかりと描かれている。
・背面は光背により通常、見ることが出来ないはずだが、例えばその中央部をくぼませるなど、極めて写実的に作られている。これは、超越者としての姿を限りなく完璧に表したいがためだったからではないか。
・腰を少しひねるような姿をしているのも特徴の一つ。4世紀から6世紀頃のインド・グプタ朝の影響が見られる。(グプタの仏像よりも表現自体は抑制的。日本へは初唐を経由してもたらされた。)
・制作年代は諸説あり、天武朝の創建時なのか、藤原京移転後の持統朝の時代なのかは良く分かっていない。(図録に論文が掲載。)


  

*展示の構成
1.「薬師寺伽藍を行く」:八幡三神立像、日光・月光菩薩立像など。
2.「草創時の薬師寺」:飛鳥、奈良時代の塑像、瓦、金具、壺、青磁。
3.「玄奘三蔵と慈恩大師」:薬師寺にゆかりの深い玄奘と慈恩大師について。玄奘三蔵像、大般若経など。
4.「国宝 吉祥天像」:「吉祥天像」一点。




さてこの展覧会では、上記「日光・月光菩薩立像」の他、8点の国宝、6点の重要文化財など、薬師寺に残る計50点弱の文化財が公開されています。平成館全体を会場に用いているということで、どちらかというと一点一点をじっくりと提示した余裕のある展示、とも言えるかもしれません。(所狭しと文物の並ぶ展示ではありません。)また「八幡三神立像」の展示に組み込まれた社のセットなど、当地の場で見ているかのような、例えて言えばインスタレーション的な趣きも感じられる展覧会です。「日光・月光菩薩立像」をハイライトに、「八幡三神立像」、または日光・月光以外では唯一の仏像となる「聖観音菩薩立像」、さらには奈良時代の貴重な絵画「吉祥天像」が、それぞれ展示の重要なポイントになるのではないでしょうか。特に最後に紹介されている「吉祥天像」の透き通るような彩色は実に見事でした。これは必見です。



*展覧会基本情報
「平城遷都1300年記念 国宝 薬師寺展」
会期:2008年3月25日(火)~6月8日(日)
会場:東京国立博物館・平成館(台東区上野公園13-9
休館日:月曜日(但し4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開館、5月7日(水)は休館)
開館時間:9:30~17:00(但し土・日曜日、祝・休日は18時、3月25日(火)~4月6日(日)の開館日と金曜日は20時まで開館。入館は閉館の30分前まで。)
観覧料金:一般1500円、大学生1200円、高校生900円、中学生以下無料




現在、東博では「博物館でお花見を」と題し、桜に因む作品の展示や庭園解放、さらには夜桜ライトアップなどの各種イベントが開催されています。このお花見企画の期間中(4/6まで)の開館時間は、薬師寺展を含め、夜8時までです。



また国宝薬師寺展に合わせ、東五反田の同寺院東京別院では、「もうひとつの薬師寺展」と題した展覧会が開催されています。こちらは重文、「大津皇子像」(鎌倉時代)をはじめ、奈良より鎌倉時代に至るまでの仏像、または国宝の「東塔天井画」(奈良時代)などが公開されているそうです。そちらと合わせての観覧もまた良いのではないでしょうか。

(図録がまた立派でした。)

個々の感想については、また別エントリで書きたいと思います。(写真については許可をいただきました。)

*関連エントリ(後日、改めて観賞してきました。)
「国宝 薬師寺展」 東京国立博物館
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「ウルビーノのヴィーナス」 国立西洋美術館

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「ウルビーノのヴィーナス 古代ルネサンス、美の女神の系譜」
3/4-5/18



テッツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を中核に、古代ギリシアの彫像よりルネサンス、バロック絵画に至るまでのヴィーナス像の変遷を辿ります。国立西洋美術館で開催中の「ウルビーノのヴィーナス」展へ行ってきました。



構成は以下の通りです。アフロディケ(ヴィーナス)を象るエトルリア製の鏡、または16-17世紀バロックにおけるヴィーナスの飾り物など、工芸品を含む多様な文物にてヴィーナス像を追っています。

1.ヴィーナス像の誕生 - 古代ギリシアとローマ
2.ヴィーナス像の再興 - 15世紀イタリア
3.「ウルビーノのヴィーナス」と横たわる裸婦の図像
4.『ヴィーナスとアドニス』と『パリスの審判』
5.ヴィーナス像の展開 - マニエリスムから初期バロックまで

「ウルビーノのヴィーナス」を挟んだ第1、2章を前半部分とすると、ここではまずポンペイ出土の「角柱にもたれるヴィーナス」(前1世紀)、または「メディチ家のアフロディケ」(前1世紀の大理石像からの石膏複製)など、ギリシャ、ローマの彫像に相当の見応えがあります。前者では、男性美を見るような堂々たる造形と、その着衣姿が特徴的ですが、後者のアフロディケは全裸で、どこか恥じらいの感覚を思わせるような女性的なポーズをとっていました。そしてヴィーナスはこの古代以降、キリスト教の異端(ヴィーナスは元はローマの女神であり、ギリシャ神話のアフロディケが前身であった。)とされ、一端は排除されますが、古代復興をとるルネサンス期に再び日の目を見ることになります。第2章では同時代、最初期のヴィーナスとされるパオロ・スキアーヴォの「ヴィーナスとキューピット」などが紹介されていました。また復興後の図像は、新婦の懐妊を願って官能的な肉体として表されたものも少なくありません。そしてこの半ば世俗的なヴィーナス像の系譜が、かの「ウルビーノのヴィーナス」にも繋がっていくわけです。あの魅惑的な視線は、アフロディケの司る愛と美と性のうち、最後の要素を強く見る作品なのではないでしょうか。

展覧会のハイライトはもちろん、地下展示室一室にて燦然と輝くティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538)、ポントルモの「ヴィーナスのキューピッド」(1533)、テッツィアーノと工房による「キューピッド、犬、ウズラを伴うヴィーナス」の3点のヴィーナス絵画の響宴です。奇怪な仮面と、もがくような様をとる彫像(悪徳や肉欲の苦しみの結末を示唆しているそうです。)を従え、ミケランジェロの下絵に基づいているというのにも納得出来るような、隆々たる体格のヴィーナスが横たわるポントルモ、また犬が山うずらに吼えかかり、(多産を意味します。)まるで自身の子をいたわるかのようにしてキューピッドを抱く母性的な工房作、そしてあまりにも艶やかで、あたかも観る者をそのベットへと誘うようなティツィアーノと、それぞれを見比べていくと少しの時間では足りません。もちろん断然、素晴らしいのは「ウルビーノのヴィーナス」です。

 



「ウルビーノのヴィーナス」でまず惹かれたのは、それこそきめ細かなとも言えるような、その肌の透き通るような描写です。うっすらとぼかされるかのような輪郭が肉体の柔らかな感触を、またほのかに赤らんだ指先や膝が生気を、さらには同じように点る頬や胸元の紅が彼女の性的な熱情を巧みに伝えています。そして体が沈み込むベットの深い紅色の細かな紋様と、それとは対照的な白く、やや乱れたシーツの質感も実に見事に描かれていました。また、永久の愛を意味するという常緑樹から衣装箱を覗き込む女性、そして手前に迫出すようにして置かれたベットへ進む巧みな遠近感も、このヴィーナスをまさに舞台上の一役者として華々しく演出することに成功しています。横たわるというよりも、むしろ足を前で出して、今にもこちらへ出てきそうな気配がするのは、そのような構図の為す結果なのかもしれません。もちろん彼女はそのまま横たわって眠るのではなく、むしろギラギラとした目を見開いて待ち続けているわけです。

後半部、第4、5章は、二つの有名な主題を絵画で辿る、第4章「『ヴィーナスとアドニス』と『パリスの審判』」が充実しています。ここで圧巻なのは、まるで象徴派絵画を思わせるヤコボ・ズッキの「アドニスの死」です。アドニスの死を嘆くヴィーナスの様子はどこか劇画的で、全体のタッチこそやや荒めではあるものの、体のあちこちに散りばめられた装飾は、まるでモローを思わせるような精緻な線で描かれていました。そしてユピテルを意味するという、背景の眩しいばかりに光輝く太陽の表現がまた見事です。木立に覆われ、薄暗がりの悲嘆の場面を、神々しく照らし出しています。ちなみにアドニスを殺害した猪に化けたアレスは、後方の道を駆ける小さな珍獣で示されていました。少し分かりにくいかもしれません。

ミケランジェロより続くローマ・フィレンツェ派、及びテッツィアーノより続くヴェネツィア派絵画を概観する第5章「ヴィーナス像の展開」は、カラッチに惹かれる部分を感じたものの、総じてそれ以前に比べると見劣りする印象が否めませんでした。心なしか、他の来場者の方々もやや足早に過ぎているような気もします。

4月6日には新日曜美術館にて特集番組が放送されるそうです。花見とも重なって、会場も大賑わいとなるのではないでしょうか。(但し私が出向いた16日は空いていました。)

5月18日までの開催です。
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「ART ADVANCE ADACHI 2008」 シアター1010ギャラリー

シアター1010ギャラリー(足立区千住3-92 千住ミルディス1番館 北千住マルイ11階)
「ART ADVANCE ADACHI 2008」
3/20-30



ご当地キャラによるチラシのぶっ飛んだ印象は強烈ですが、神戸ビエンナーレ2007のグランプリを飾ったインスタレーションなど、見て感じて楽しめる現代アートの今が揃っています。北千住駅西口直結、丸井11階、千住ミルディス内の足立区関連ギャラリーで開催中の「ART ADVANCE ADACHI 2008」へ行ってきました。



ともかく圧巻なのは、今触れた神戸ビエンナーレ2007のグランプリ受賞作品、臼井英之(1980-)による、約25000個のスーパーボールを使ったインスタレーションです。その激しさには若干の恐怖感すら覚えてしまいますが、ひっきりなしにフラッシュの瞬く暗闇のボックスに打ち放たれ、上下左右、さらには強化プラスティック越しの鑑賞者を襲わんとばかりにぶち合ってくる、まるで宝石のような25000個のスーパーボールの乱舞の迫力と言ったら並大抵のものではありません。DMでは「打ち上げ花火に飛び込んだような感覚」とありましたが、例えばミクロの原子のぶつかり合う様を拡大したとも、また深淵な宇宙に漂う塵などが相互に運動を起こし、これから一つの物体を作ろうとしているような様子とも言える、活発でありながらも極めて神秘的な気配も見る世界が展開されています。そしてそのボール同士のぶつかる音がまた耳をつんざくほどの迫力ですが、その激しさによる作品のメンテナンスが必要なのか、実演時間が一日数回と限定されていました。(10:30~19:30の間で毎時30分開始。約20分程度。)是非、その開始時間に合わせて見たい作品です。

 

このような闇と光を操るインスタレーションとしては、臼井の他、透明アクリル管に妖精の舞う小松宏誠(1981-)の「浮く冬」や、吹く風を青白い光の動きに見立て、その光がまるで水面のようにたゆたう鈴木太朗(1973-)の「青の軌跡」などがまた優れた美感を見せていました。下界の喧噪をよそに、その静謐でミニマル的に繰り返されるピュアな色、または光の美しさに酔いたいところです。

 

岩本愛子(1984-)の生々しい人体を象るオブジェも見応え十分です。「High Heels」では、巨大なその名の通りの赤いヒールの中をねぐらにするかのような女性が眠り、また「QUEEN」では、巨大なトランプにおける文字通りクイーンの部分において、そのまま図柄を立体化させて飛び出したかのような女性が、上下逆さになって繋がっています。今にも目を見開いて睨みつけてくるかのような面持ちです。

奥の視聴覚コーナーでは、計3名の作家による短編の映像作品が紹介されていました。その中では人の一生を徒競走に見立て、僅か30秒でゴール、つまりは死に至る光景を描いた青木純(1981-)のアニメーション「走れ」と、メトロ構内駅で、おそらくは千代田線と丸ノ内線と思わせるスーツ姿の乗客が、同じホームにて発車ベルが鳴るまで格闘し続けるという、実写とアニメを混ぜたシュールな作品、小柳祐介(1982-)の「ホーム」が印象に残りました。

ちなみにこの「ART ADVANCE ADACHI 2008」は、足立区主催としては初めての現代アートを扱ったという、まさに同区の歴史に一ページを加えるような記念すべき展覧会です。事実上、空くじなしのスタンプラリーや、出品作家の青木純デザインによる同区のマスコット、その名も「アダチン」グッズの展示即売会など、来場者こそ少ないものの、このイベントにかける区の意気込みを見るような内容になっています。



入場料は無料です。連日無休、夜8時まで、30日の日曜日まで開催されています。おすすめします。
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「戸栗美術館名品展 鍋島」 戸栗美術館

戸栗美術館渋谷区松濤1-11-3
「戸栗美術館名品展 鍋島 - 至宝の磁器・創出された美 - 」
1/5-3/23



戸栗美術館へ行ったのは今回が初めてです。館蔵の鍋島が約100点近く出品されています。

鍋島の最大の魅力は、その統一された規格の中で多様な姿をとる精緻な紋様にありそうですが、この展示では逆に鍋島らしからぬ意匠の器もいくつか楽しむことが出来ます。「七宝菊文 稜花皿」は菊文が型押し、ようはエンボスによって印され、どこか中国趣味のような味わいに仕上がっている作品です。またかの様式化された端正な円形皿以外にも、変形皿といった、形に遊びを凝らした作品も出品されていました。「牡丹文 変形皿」は、ちょうど牡丹の花びらを一枚一枚重ねて合わせたような、まさに花びらの形をした面白い器です。その上にのる葉がまた生き生きとしています。

もちろん、定番の『絵』に美意識を見る鍋島も展示されています。秋草がリズミカルに駆け、波文と見事に合わさっている「草紙文 皿」、または白抜きの竹を配し、闇夜に沈む竹林を表したような「竹文 皿」、さらには上部を銹釉に浸し、そこに夜をイメージさせた上で、幔幕越しに見る夜桜を示した「桜幔幕文 皿」などが印象に残りました。特に鍋島盛期における四季の草花を配した作品は、まさに日本画を見るかのような美しさを感じさせます。

 

鍋島と言えば、時に抽象絵画のような極めて斬新な意匠を見ることがありますが、この「雪輪文 皿」もモダンの極致と言えるような見事な作品です。薄いエメラルドグリーンの空から、瑞々しい牡丹雪が舞っているかのような光景が広がっていきます。また雪輪文の独特のぼかしも、その軽やかでしっとりとした雪の質感を表すかのようです。定番の夏の花火、「染付花文皿」と合わせてじっくりと楽しむことが出来ました。



館内は意外と混雑していました。次の日曜日、23日までの開催です。
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「加藤泉 The Riverhead」 上野の森美術館ギャラリー

上野の森美術館ギャラリー台東区上野公園1-2
「加藤泉 The Riverhead」
3/14-30



VOCA展の会場隣、同美術館内ギャラリーにて開催中の加藤泉の個展です。「初期の立体より未発表の油彩大作まで10数点の絵画と彫刻」(DMより。)が展示されています。

加藤の展示はグループ展を含め、これまでに何度か拝見していますが、その中での今個展の特徴をあえて一つ挙げるとしたら、それはこれまでより一層、作品、及び展示全体に『可愛らしさ』が見られるということではないでしょうか。あの異星人のようなモチーフをとる油彩にこそ、近作の大作も紹介されていますが、立体はおおよそ一点を除いて『小人』で、その壁に何とかもたれ掛かって立つ様がいつも以上に健気に思えます。頭に蕾みをつけ、耳から花を咲かせ、どこか無邪気な面持ちでいる様子は、さながらいたずらっ子がこの会場を遊び場にして、思い思いに来場者へちょっかいを出しているかのようです。思わず彼らと同じ場所へ目線落として、一緒に何かをして遊びたくなってしまいました。

入口方向、壁面下部に並ぶ三点の小品の油彩をお見逃しないようご注意下さい。三人仲良くそーっと、おっかなびっくりに来場者の様子を覗き込んでいます。

今月末までの開催です。なお、美術館HPには「VOCA展の入場券と共通」と記載されていますが、無料で入場することが出来ます。
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「VOCA展 2008」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「VOCA展 2008 現代美術の展望 - 新しい平面の作家たち」
3/14-30



2年前より見続けています。桜より一足先に、春の上野を現代アートで彩る「VOCA展」です。本年は36名の作家が紹介されていました。

出品者、及び各受賞作品については以下、リンク先HPをご参照下さい。

出品者
受賞作品
 VOCA賞 横内賢太郎
 奨励賞 川上幸之介、笹岡啓子
 佳作賞 伊藤雅恵、藤原裕策
 大原美術館賞 岩熊力也 
 府中美術館賞 関根直子



まず印象深いのは、入口横通路の正面にある伊藤雅恵の「忘れないアクシデント」(油彩、キャンバス)です。タイトルの意味するところは不明ですが、透明感溢れる色とりどりの絵具が舞う様子は、ちょうど晴天の元に広がる草原上に群れた花畑をイメージさせます。白のタッチが点々と、たとえば蝶が飛び交うかのように空間を駆けていました。この開放感はたまりません。

まるで石壁画のような重厚なマチエールにて、図書館か学校などを思わせる堅牢な建物の階段を一人の女性が降りる姿を捉えた、三宮一将の「彼女の名は知らない」(油彩、キャンバス)も、そのどことない絵の風格に魅せられる作品です。窓から差し込む光が床を仄かに照らし出し、場を包み込むヒンヤリとした空気の気配を巧みに伝えています。また、ちょうど画面中央に浮かぶシャボン玉のような円は一体何を表すのでしょうか。白昼夢を見ているような気分にもさせられました。

最近、各グループ展などで見る機会も多い元田久治からは、かの廃墟画、「Indication-Tokyo Station」(インク、紙)が出品されています。今回の舞台は、ちょうど今、復原中の東京駅丸の内口赤レンガ駅舎です。建物は大地震に襲われた後のように歪み、正面広場の地下空間もひしゃげてその姿を無惨にさらしていますが、アスファルト舗装から生える草などには、廃墟より新たな方向へと進む再生のイメージも微かに漂わせています。またタイムスリップしてこの場に現れたかのような一台の路面電車の姿も心にとまりました。絵の中の時間の所在を迷わせるような不思議なモチーフです。(「増殖するイメージ 『山田純嗣、元田久治、廣澤仁』」@新宿高島屋 3/19-4/1)

一風変わった森本絵利の三点の点描画、「御影石」、「森」、「カリフラワー」(アクリル、半透明紙)の趣向も面白く感じました。薄い紙の上に置かれた極小の絵具の粒が、網状のグラデーションを描きながら、各モチーフを抽象的に表しています。また森本の細かな点描同様、そのシンプルな技法で、今度は対照的なダイナミックな景色を表した中西信洋の「stripe drawing」(鉛筆、紙)も印象的です。岩のひしめき合う洞窟の内部とも、またダイヤなどの鉱石の輝きとも、さらには一つ一つのエネルギーの渦が画面上にて大きくうねる様子とも言えるような不思議な光景が、白の象徴的な画面に力強く広がっています。全てが線に還元される興味深い作品です。

最近、惹かれている阪本トクロウの「山水」(雲肌麻紙、アクリル、木製パネル)に見る静けさも心に染み入ります。二枚続きの大きなパネルに示された、水色と白のみのマットなアクリル絵具だけで描かれた影絵のような湖上には、一隻の白鳥の遊覧船が気持ち良さそうに悠々を浮かんでいました。殆どストイックなまでに切り詰められた画面構成より伝わる、それとは全く逆のゆとりある気配がいつもながらに魅力的です。(「岩田壮平・阪本トクロウ二人展@いつき美術画廊 3/24-4/5)



その他では、サテンを用いた画面に複層的な図像がのり、その光沢感のある質感にセンスを感じる横内賢太郎の「Book-CHRI IMOCE」(染料、メディウム、サテン布)、または南画、もしくは山水画を現代アート風に仕立てた岩熊力也の「reverb」(アクリル、ポリエステル)、さらにはそのテイストはやや苦手であるものの、爛れた色遣いや彼岸の世界を思わせるモチーフが鮮烈な安田悠の「Link」(油彩、キャンバス)などが印象に残りました。(TWS-Emerging 095/096 安田悠、シムラユウスケ@トーキョーワンダーサイト本郷 6/7-29)



この展示を見るといよいよ春が来たという気持ちになります。今月30日までの開催です。
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岡本太郎の「明日の神話」の設置先が渋谷に決定

かねてよりその行く末が注目されていた岡本太郎の幻の超大作、「明日の神話」が、このほど東京・渋谷区の渋谷駅内連絡通路に恒久的に展示されることが決まりました。早ければこの秋にも設置されるそうです。



岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が渋谷に-招致合戦に決着(シブヤ経済新聞)
岡本太郎:「明日の神話」東京・渋谷に設置決定(毎日新聞)
岡本太郎の壁画「明日の神話」、東京・渋谷区に恒久設置(読売新聞)

「明日の神話 再生プロジェクト」

「明日の神話」は岡本太郎が1968年、「原水爆の炸裂する瞬間」をモチーフにして描いた、縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画です。完成後、設置予定のメキシコのホテルが倒産したため、作品自体の行方も分からなくなっていましたが、どういった経緯なのか2003年、当地の資材置き場にて突如発見されました。その後、この作品を恒久展示するための施設を岡本太郎記念現代芸術振興財団が探し、広島市、吹田市、渋谷区がそれぞれ誘致に名乗りを挙げていましたが、今日、財団の選定により渋谷区に決定しました。

「明日の神話 広島誘致会」
「ハチ公から太郎へ 『明日の神話』招致プロジェクト実行委員会」(渋谷区)

 
(右は展示イメージ。シブヤ経済新聞より。)

渋谷駅の設置場所は、JR線と井の頭線の改札の間を結ぶ、「渋谷マークシティ」内2階連絡通路です。一日約30万人もの行き来のある場所とのことで、せっかく展示されたのにも関わらずあまり見る人がいなかった、というようなことはまずあり得ないでしょう。また選考の一項目として、「多くの人の目に触れること。」という条件もあったそうですが、三候補のうちでは確かに最も人目に触れる場所であるのは間違いありません。

とは言え、渋谷近辺で誘致運動をなさっていた方には申し訳ありませんが、私としては作品のメッセージ性を鑑みると広島が良かったのではないかと思いました。渋谷の誘致プロジェクトのキャッチフレーズに「ハチ公から太郎へ」とありますが、それが別の機会に「太郎から○×へ」などとならないことを願いたいです。ともかく作品が大切にされるのを望みます。



ちなみに同作品は現在、東京都現代美術館の常設展示室内に仮展示されています。(6/29まで。)静かな環境で見る最後のチャンスかもしれません。写真撮影も可能なので、まだご覧になられていない方は一度木場まで足を伸ばされるのも如何でしょうか。

*関連エントリ
「MOTコレクション ポップ道」 東京都現代美術館(開催中の常設展示)
岡本太郎の「明日の神話」と「汐留アート塾」 inシオサイト(2006年に公開された汐留でのイベント)
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「7人の新人展」 ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アート

ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アート中央区日本橋3-2-9 三晶ビルB1階)
「GALERIE SHO PROJECTS VOL.2 7人の新人展」
2/28-3/22



1974年より1989年生まれの、総じて若い「新人」(画廊DMより。)アーティスト7名によるグループ展です。同ギャラリー担当スタッフによる選りすぐりの作家が紹介されています。



少なからず画廊を巡っていると、時折、全く未知の作家に至極感心させられることがありますが、この展示でもMASAKOの絵画が非常に鮮烈な印象を残してくれました。まるで太い刷毛でキャンバスをなぞったかのような大胆なタッチにて描かれているのは、あかたも家族のスナップ写真を捉えたようないくつものポートレート風の絵画です。彼ら彼女らはどこか幸せそうな表情をしてポーズを構えていますが、背景に見る黒を多用した、輪郭の危うい、全てが色彩に溶けて混ざるかのような暗がりの画面によるのか、何やら打って変わっての不安感を強く醸し出しています。調度品の整った重厚な室内にて、いかにも幸せそうに佇む親子が、不思議と影を落としながら、その絆の脆さを見せているのがとても象徴的でした。笑顔で群れる人々の背景に映る、安定しない、薄気味悪いタッチの生む儚さは、あまり他に見たことがありません。



その他、作品のテイストがあまり馴染まないものもありましたが、今春、大学一年生になるという鈴木愛美による、ポップで、その感情を直裁的に発露した鮮やかなポートレート、または、ヨーロッパの空気と匂いをセピア色に包み込んで刹那的に捉えた風景写真の鴨川寛子などが印象に残りました。空を怪しく覆う、水蒸気をたっぷりと含んだ雲が、今にも写真より滲み出してくるかのような質感で写し出されています。

次の土曜日、22日までの開催です。これはおすすめです。
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「川瀬巴水 - 東京風景版画 - 」 江戸東京博物館(常設展内企画展示室)

江戸東京博物館 常設展示室5階第2企画展示室(墨田区横網1-4-1
「没後50年記念 川瀬巴水 - 東京風景版画 - 」
2/19-4/6



日本画の大作まで出品された馬込の巴水展には及ばないかもしれませんが、それでも東京をテーマとした巴水作品を、原画、試摺と網羅する形で楽しむことが出来ました。江戸博の常設展内(第2企画展示室)で開催中の川瀬巴水展です。

構成は以下の通りです。前半の1、2章に主要作品が並び、後半部は資料展示がメインとなっています。(4、5章の展示作品は数点です。)

1.川瀬巴水と東京風景:「東京十二題」、「東京十二ヶ月」。
2.川瀬巴水の版画と原画 - 東京二十景を中心に:「二十景」の原画、試摺、完成作の全てを展示。
3.川瀬巴水の活躍 - 資料展示:観光ポスター「JAPAN」や、版画制作過程を捉えた記録映像など。
4.広重の江戸、巴水の東京:「日本橋」(巴水)と「東都名所 日本橋魚市」(広重)。「昭和の広重」と呼ばれた巴水版画を広重と並べて紹介。
5.清親の東京、巴水の東京:影響を受けた清親と巴水。
6.巴水の戦後の東京:僅かに残る巴水の描いた戦後の東京。「歌舞伎座」など。
7.映画「版画に生きる」:巴水の記録映画「版画に生きる」(1953)の上映。約40分。



まず見入るのは前半部分、戦前の東京を描いた「東京十二題」、または「東京二十景」の揃う第1、2章です。「十二題」では、巴水版画と現在の風景写真が合わせて紹介(一部)され、また「二十景」では原画、試摺、完成品の全てが一点ずつ丁寧に展示されています。「十二題 駒形河岸」は、首都高の高架が横たわり、コンクリートで塗り固められた現在の光景からは想像もつかない、とある夏の日の叙情を巧みに捉えた名品です。実際、巴水は大戦後、その変わりゆく姿を受け付けなかったのか、手がけた約120点のうち僅か10点ほどしか東京を描いていませんが、叶わぬことであれ、今の姿を巴水が見たら何と言うのでしょうか。また、その賛否はともかく、日本橋から高架を撤去する運動の一種のシンボルに巴水の「日本橋」(ちらし左上の作品です。)が使われることがありますが、現在の一連の巴水再興の流れは、社会の一部におけるそうした復古的な方向とどこか重なり合っているのかもしれません。まさに古き良き東京を見ることが巴水の醍醐味です。

 
「明石町の雨後」(左上、完成作、右、原画、下、校合摺。)

この展覧会でとりわけ充実しているのは、やはり原画、試し、完成、そして時に校合摺までを見比べられる「東京十二題」の全点展示です。水彩の原画だけでも、巴水の類い稀な画力を感じるものですが、完成作と色味の異なった試摺にもまた別種の魅力がありました。そしてここで特に挙げたいのは、原画、校合摺、また完成作の三点の構図に大きな変化のある「明石町の雨後」です。完成作では、場から取り残されたような子犬が一匹、とても寂しく描かれていますが、原画では完成作で除かれた一人の和装の女性が船を見やりながら歩く姿が示されています。また「桜田門」も三点に変化の見られる作品です。原画では、あの底抜けに深い巴水ブルーに沈む桜田門がまさに闇に包まれていますが、試摺では差し込む光を水面に照らし出した城がその威容を明るく誇っています。それに変摺における、画面左上から垂れた枝葉も特徴的です。原画の深み、試しに見る透明感のある水の美しさ、また柳の垂れる幽玄な風情の変摺りと、三点にそれぞれに趣きが感じられました。

 
「桜田門」(左上、変りずり、右、原画、下、試摺。)

質量ともに充実したこれらの前半部分に比べると、巴水と広重や清親を見比べたを後半部はやや物足りなかったかもしれません。とはいえ、巴水コレクションでは定評のあるという江戸博ならではの巴水展だったと思います。東京に生まれ、そしてその地を描き続けた巴水による故郷東京への愛情を見る展覧会です。

4月6日までの開催です。もちろんおすすめします。
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