東京オペラシティアートギャラリー 「ヴォルフガング・ティルマンス展」

東京オペラシティアートギャラリー(新宿区)
「ヴォルフガング・ティルマンス展」
2004/10/16~12/26

先日、初台のオペラシティで開催されていたヴォルフガング・ティルマンスの個展を見てきました。

会場には、様々なサイズに切り取られた写真が、一見無造作に、たくさん並びます。対象のジャンルは、モデル、静物、風景、金塊、天体、光から、コンポジション的な要素と、非常に多岐にわたっています。どれも、ティルマンス自身の関心の対象が、そのままストレートに写真になって表現されたとでも言えるのでしょうか。また、それぞれの写真は、テープやクリップで簡単に壁に留められていて、わざとチープな感覚が演出されています。よく趣味で、自分の部屋をお気に入りのポスターや写真で埋め尽くす方がいますが、まさに会場はそんな雰囲気です。何やらティルマンス個人の部屋を覗いているような気分にもさせられます。「美術館で作品を鑑賞する。」ということは、ともすればやや堅苦しさを感ずる行為ですが、そういった要素をなるべく打ち消すような空間が出来上がっていたように思います。

彼が撮る写真はどれも鮮やかです。どこから光が当たっているかわからないぐらいたくさんの光を取り入れて、実に細部まで鮮明に被写体を捉えます。あまりにも鮮やかすぎるので、どの写真も現実の一コマとしてではなく、ティルマンスの仮想がそのまま表明されているのではないかと思うほどでした。言い換えれば、とても非自然的で恣意的なのです。虚構とでも言えるでしょうか。また、パッと風景を撮っただけのような作品からも、撮った側の存在(つまりティルマンス。)を強く感じさせるものが多いようにも思います。もし彼が、自身の世界の中にだけ見えているものを、そのまま見る側にこびることなく写真にしているとすれば、こちらとしては、彼との視点の共有が必要になってきそうです。

ティルマンスにとっては、普段見逃してしまうような何気ないシーンがとても美しく見えるのでしょう。コンポジション的な作品はおいておくとしても、彼の写真は「何がその人にとって美しいものか。」ということを、強く考えさせられるものが多いと思いました。モデルがじーっとこちらを見つめる瞬間や、あまり高級そうでない服が皺を寄せているだけの空間。こうした写真のもつ美しさを提示させられると、彼の感性の鋭さと、ある意味の危うさがひしひしと伝わるような気がしました。

ティルマンスは、ゲイカップルや、日本では露骨すぎるとして捉えられそうな性的表現にも果敢に挑戦しているようです。会場に並んだ作品には一部修正が入ったり、展示そのものがなされていないようでしたが、ギャラリーのショップにあった彼の作品集(洋書)には、もっと鋭い表現のものがありました。彼の世界観をもっと感じるには、こちらも会場と合わせて見るべきだと思います。(出来れば展示してほしいですが。)

展示会場の独特の雰囲気、そして写真の中に見える繊細な彼の感性。それに美を感じ、世界観を共にするかは、上にも書きましたが、見る人との感性の相性が問題になりそうです。私は、ティルマンスの作品そのものより、彼の考えていることやその行動、つまり本人自身に興味がわきました。今後、彼は何に興味を覚え、何を写真にしていくのでしょうか。ティルマンスの作品には、被写体を強く強くえぐり出してくるような激しさや、見る者を圧倒するようなメッセージはあまりありません。見ていくうちに寂しくなっていくような作品もあります。しかし写真からにじみ出るようなティルマンスの美学。正直言いまして、私自身がそれを掴み損ねてしまった気もしましたが、色々と考えさせられる展覧会でした。また別の個展があれば是非見たいと思います。
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今更ながら・・・、ジュンク堂書店新宿店へ行く。

もうかなり前にオープンして、色々と話題になっていたジュンク堂の新宿店ですが、先日ようやく行ってきました。

場所は新宿のメインストリート新宿通り沿いで、三越新宿店の7、8階フロアを占めています。ところで新宿の三越ですが、しばらく行かないうちに随分変わってしまいました…。いわゆるデパ地下の地階食料品売り場や1階のブランドショップは、いかにもデパートらしいつくりなのですが、上はGAPやアローズ、それにロフトやジュンク堂と、もはやどこかの駅ビルのような有様です。まだ改装中で、全面オープンは来春とのことですが、百貨店としての三越のイメージで出かけるとかなり面喰らいます。数年前に高島屋が新宿に出店した時に、「新宿百貨店戦争勃発」などと騒がれましたが、三越は業態変更で生き残りをかけていくのでしょうか。少しタイトルから話がそれました…。

さて、そのジュンク堂ですが、これが意外と広く、また在庫も多かったと思います。外から三越のビルを見ると建物があまり大きく見えないので、てっきりワンフロアも小さいのかと思いきや、全然そんなことありません。7階は文芸書や文庫、新書で、その品揃えもなかなか。ジュンク堂おなじみの、まるで図書館のような本の陳列はここでも健在です。棚という棚の全てに本がぎっしりと詰まっていて、スペースのとる全集も並んでいました。8階は法律経済、コンピューター関係です。こちらには池袋店にあるような喫茶店もありました。勿論、品揃えも7階と同様に充実しています。(雑誌のバックナンバーもあり。)

さすがに池袋店と比べると厳しいですが、新宿の紀伊国屋とはまたひと味違う総合書店ということで、しばらくは住み分けが出来るかと思います。新宿の書店というと老舗の紀伊国屋がありますが、東口の店は人が多すぎて疲れ、南口の店は駅から遠すぎるので、これからはしばらくここで本を探したいと思いました。(棚の背が高すぎるのと通路が狭いのは我慢…。)

東京の大型書店は幾分オーバーストア気味ではないでしょうか。amazonなどでも手軽に本が買える時代です。これからは各店の個性がもっと競われると良いと思います。
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東京国立近代美術館 「木村伊兵衛展」

東京国立近代美術館(千代田区)
「木村伊兵衛展」
2004/10/9~12/19

こんにちは。

先日、草間彌生展を見た時にあわせて、写真家の木村伊兵衛の展覧会も見ました。前回感想を書き損ねてしまったので少し記録に残しておこうと思います。

木村伊兵衛は、近代日本写真史にとって絶対外すことの出来ない大きな存在だそうです。写真に疎い私にとっては、失礼ながらあまり馴染みのない方だったのですが、味わいのあるモノクロームの画面からは、どこか人懐っこい雰囲気が感じられました。自己主張は決して強くないのに、いつの間にか見る者を写真の中の世界へ誘っている。肩の力を抜いて見ることの出来る写真展だったと思います。

上の写真は「板塀、秋田」(1953)という作品です。過ぎ去ろうとしている馬の尻と尾が少しかわいいのですが、その後ろにある板塀と木の質感が素晴らしい・・・。ここにアップした写真では、どうしても作品の質感が損なわれて分かりにくいのですが、荒々しい木と地面と格闘しているようなその根、背後の風景の一切を遮断して凛然と立つ塀、そして不思議とそれらに溶け込んで、人間の生活感を絶妙に醸し出しているポスト。(控えめに置かれているのがまた良い。)ここにある全てのものが美しく、そして調和的にこの写真を構成していると思いました。一つでも欠けるとバランスが崩れそうです。

会場は常設展の中にあります。全部で二部構成ですが、常設の時代区分と合わせるかのようになっていたのが面白いと思いました。私はどちらかというと、人が写っている作品に惹かれるものが多くて、少し無造作でやや隙があるようなアングルから撮られたいくつかの写真が印象に残りました。私は「上手い写真」の定義を厳密に出来ないので、その漠然としたイメージしか考えることができませんが、木村氏の写真の多くは、いわゆる「上手い写真」ではないように思いました。しかし、被写体の中のドラマや動きを穏やかに自己主張させて調和させていく手腕が素晴らしいと思いました。構図やら何やら色々考えて撮られた完璧な写真では得にくい魅力。そういった魅力があったように思います。

*草間展と同じチケットで観覧できます。頭の切り替えが大変ですが・・・。
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東京国立近代美術館 「草間彌生展:永遠の現在」

東京国立近代美術館(千代田区)
「草間彌生展」-永遠の現在
2004/10/26~/12/19

こんにちは。

竹橋の近代美術館でやっていた草間彌生展を見てきました。確か以前、森美術館で「クサマトリックス」という個展を開催していたと思うのですが、それは見そびれてしまったので、今回、初めて草間さんの作品を本格的に体験しました。

まず、黒いドットに浸食された大きな黄色いかぼちゃが迎えてくれますが、それを抜けると、全面ガラス張りの輝かしい空間が待ち構えています。これは「信濃の灯」という作品だそうです。タイトルの意味はちょっとわかりませんが、たくさんの鏡を張り巡らした無限の鏡の部屋から、派手な電飾をほどこした、これまた無限の鏡の小部屋を覗く作りとなっています。要は、無限の中にさらにきらびやかな無限の空間があることになるわけですね。私は小部屋を覗きながら、電飾のまばゆい機械的な点滅にしばし見とれてしまいましたが、ともかくも、でかいかぼちゃに無限の無限ということで、いきなり草間ワールドにノックアウトされること必至です・・・。

草間さんが小学生の時に描かれた自画像(?)がありました。「5年 草間彌生」と署名してありましたので、おそらくその頃描かれたものだと思います。もちろん、この時点で、すでに小さくともたくさんのドットが描かれています。また、その後の70年代のコラージュの作品にはたくさんの虫や植物が登場してきます。ドットで描かれた自画像の上に、さらにドット状になった網目のネットを被せてしまうあたりは、草間さん独自の視覚性がよく現れていると思いました。

上の写真にあるのは「水玉強迫」です。やはり、黒い大きなドットが目をひきます。ただ、タイトルに「強迫」とありましたが、私はあまりそういった印象は受けませんでした。ソフトな感触のバルーンと、ブラックホールのようなたくさんのドット。その異空間には、不思議にも心地よいものさえ感じました。黄色の力でしょうか。あまりよくわかりません・・・。

「水上の蛍」は、この展覧会で一番印象に残る作品です。これまた鏡の無限の空間を、数えきれないぐらいたくさんの小さな光がずっと点滅しています。入るのに列が出来ていましたので、長い間そこにいることは出来ませんでしたが、もし可能ならば入り口も閉めて、30分でもそれ以上でも体験してみたい世界です。銀河の中心、脳の中を視覚化したもの、小さな魂がふわふわと浮いたこの世ではない世界・・・、色々なイメージが浮かびます。「自己消滅」がテーマのようですが、あの空間に入ると、確かに自己を忘れそうになります。神秘体験って、これに近いようなことを指すのでしょうか。

「男根の命を凍結してしまったかのよう。」(パンフレットから。)とされる突起物に覆われたいくつかのオブジェ。これらは他の美術館でもたまに見ますが、これだけまとまった形になって展示されているのはとても珍しいと思います。私にはあの突起物が、この世界を浸食してくる何かの触手のように見えるのですが、どうなんでしょうか。美しい食卓もテーブルもボートも、どんどん触手に侵されていきます。不気味・・・。少し背筋が寒くなりそうでした。

一番最後にあった3枚の絵画はとても美しかったです。ドットが実に精密に、もはや絶対に画面から離れることがないくらい、しっかりと描かれています。そしてその色彩感も見事です。どのようにこの絵を捉えていいのかはわかりませんでしたが、30年代の作品と比べたとき、初めは対象を少しずつしか覆っていなかったドットが、いつの間にやらこうして全面的に主役に躍り出たような気がしました。「水上の蛍」や「天国への梯子」では、ひたすら無限の世界へ進んでいくのに、ドットや触手の方はどんどん対象を覆って侵攻してくる。この辺りはどのように考えればいいのでしょうか。

日曜日の午後に行ったのですが、会場は驚くほど空いていてゆっくりと見ることができました。現金な話で恐縮ですが、800円かそこらでこんなクサマワールドを体験できます。なかなかおすすめです。

公式サイトに50円引きの割引引換券がありました。プリントアウトして持参すれば良いようです。
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新日本フィル 第377回定期演奏会 「マーラー:交響曲第5番他」

新日本フィルハーモニー交響楽団 第377回定期演奏会/トリフォニーシリーズ第2夜

リーム 「出発」(1985)
マーラー 交響曲第5番

指揮 クリスティアン・アルミンク
演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団

2004/11/20 15:00 すみだトリフォニーホール3階10列

こんにちは。

昨日は久々に新日本フィルの定期演奏会を聴いてきました。私はまだ、音楽監督にアルミンクが就任してから、一度も新日フィルを聴いていなかったのですが、ようやくアルミンクの公演に行くことができました。

プログラムは、メインにマーラーの第5番を置いて、その前に、いわゆる現代音楽のリーム「出発」を入れる構成です。現代音楽を積極的に取り上げるオーケストラと言えば、まずアルブレヒト&読売日響が思いつきますが、新日フィルもアルミンクが登場してから、なかなか意欲的に取り上げているようです。こうした試みは、もっと他の所でも広がると良いですね。私は支持します。

で、まずはリームの「出発」です。マーラーを演奏する時と同じような編成が組まれていました。弦による極限のピアニッシモと、背筋が凍るような戦慄のフォルテッシモが交錯する、とても緊張感のある作品です。アルミンクと新日フィルは、うまくそれぞれの音を複層的に聴こえるように丁寧に演奏していました。あちこちで、マーラーの他の交響曲にあるようなフレーズが聴こえたように思いましたが、作曲者によると「マーラーを補完し、そこから彼方へ出発する音楽。」だそうで、さもありなん、といった感じでしたね。(実際に、第6番や第9番を一部引用しているそうです。)

休憩をはさんで、メインのマーラーです。演奏は、全体的に癖のない、平板すぎると思わせるぐらいクールな印象を与えるものだったと思います。アルミンクは各パートの音量調節に気をつかいながら、過度に曲へ思い入れすることなく、ゆっくりと丁寧に音楽を進めていました。別の言い方をすれば、楽譜にかかれている音符が一つ一つ浮かび上がってくるような演奏、ともなるでしょうか。マーラーの交響曲特有の「うねり」は殆どなく、それを求めることすら許されないような徹底した解釈が、そこにはあったと思います。第4楽章のアダージェットの階層的な響きと、第3楽章のワルツ風のトリオでの均整のとれたリズム感は、とても個性的でした。

ただ、このようなアルミンクの解釈は、結果としてオーケストラの技量を余すことなくさらけ出すことにつながったと思います。その点で、この日の新日フィルの演奏は、大変失礼ですが、私には力不足だったように思いました。勿論、弦の柔らかい響きと、ホルンや木管群のあたたかい表情は、いつもの新日フィルでした。ただ、それとアルミンクの解釈の間には、大きな壁があったように思います。アルミンクの要求に応えるには、強く合奏しても決して濁らないような透明な響き、微妙な表情付けの出来る機動的な演奏、そうしたものがもっと必要だったのではないでしょうか。(一素人がかなり偉そうなことを言っておりますが・・・。)元々新日フィルが持っていた響きとアルミンクの方向性、この2点は、あくまでもこの日聴いた限りでは大きく異なっていると思います。アルミンクが今後、どのようにこのオーケストラを率いていくのかはわかりませんが、まだまだその解釈の徹底には時間がかかりそうです。

終了後は盛大な拍手と大きな「ブラヴォ!」がかかっていましたので、もしかしたらいつものように私の耳が変だったのかもしれません。ただ、やはりどうもぎくしゃくとした、後味の悪い演奏に聴こえてなりませんでした・・・。このコンビは、来年の3月に「レオノーレ」、6月には「春の祭典」を演奏するようですが、その時はどうなっているのでしょうか。是非聴いてみたいと思います。
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ハイティンク75歳記念演奏会。ベートーヴェンの交響曲第7番を聴く。

ハイティンク75歳記念演奏会 NHK-FM(11/18 19:20~)

曲 ウェーバー/歌劇「オベロン」序曲
  R.シュトラウス/「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
  ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調作品92

指揮 ベルナルト・ハイティンク
演奏 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

先ほどFMにて、ハイティンクとシュターツカペレ・ドレスデン(SD)の演奏を聴いてみました。ただし、初めのシュトラウスは聴きそびれてしまったので、後半のベートヴェンだけです。

第1楽章冒頭から、とても重心の低い落ち着いた響きが聴こえてきます。この辺りの特徴は、やはりSDの持つ伝統的な音色なのでしょうか。よく、このオーケストラの響きのことを、「いぶし銀」などと形容するのを聞きますが、まさにそんな印象を受けさせるものです。(ただし、故シノーポリが首席になった以降は、その音もかなり変わってきたという話もあるようですが…。)弦はやや固めの響きで、それが少し強調されているような感じもしますが、管がじつにしなやかで柔らかい!そしてこの2つの響きのバランスも見事です。腰の据わったハイティンクの指揮と重厚なSDの響き。これはなかなか相性が良さそうです。

1、2、3楽章とも、同じような端正なリズムで音楽が進みますが、それはこの曲に何を求めるかで評価が分かれてきそうです。私は、演技の少ない正統的なベートヴェンの演奏として、なかなか良いのではないかと思いました。もちろん最近はもっと攻撃的な印象を与える演奏も多いので、こればかりは好き嫌いの話かもしれません。

第4楽章は、響きに一層の厚みが出てきて、それとともにこの曲元来の力強さが全面に押し出されていました。そして、ここでもデフォルメなどを加えずに、殆ど奇をてらうことがありません。ただ、だからと言って、それが決して淡白で一本調子な感じとならないのはさすがなのでしょう。最後は少し熱くなっていましたが、基本的には、重厚さと冷静さを持ち合わせた、とても良い演奏だったと思います。

SDはたいへんに伝統のあるオーケストラで、その独特の響きに魅了される方も多いようです。確かに今、私の貧弱なステレオで聴いてみても、ただ上手いオーケストラとはひと味違うような響きが感じられました。R.ワーグナーはこのオーケストラのことを「奇跡の竪琴」と言ったそうですが、今もその伝統を受け継いでいるのでしょうか。オーケストラも国際化の流れが何かと激しいようですが、SDの伝統的な響きは、是非継承していってほしいと思います。
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ネットラジオで聴くクラシック音楽

先日PCを買い替えてから、よくインターネットラジオでクラシック音楽を聴くようになりました。さすがに音質面は期待できませんが、その手軽さを鑑みればなかなか上等です。PCからネットを通じてクラシックが流れるなどというのは、一昔前のことを考えれば隔世の感がありますが、ともかく、ただで世界のラジオが聴けるのなら試さない手はありません。私がよく利用するのは利便性から言ってiTunesですが、Windows Media Playerでもたくさんの局が選択できるようです。(勿論、iTunesもMedia Playerも、無料配布のソフトです。)

iTunesのラジオをひらくと、現時点で7つのストリームが自動的に検索されますが、その中で私が一番よく聴くのはradioio Classicalです。この局は24時間連続でクラシックを流しているのですが、その選曲がなかなか個性的…。20世紀以降の音楽がほとんどで、中には一度も耳にしたことのないようなマイナーな作曲家の音楽も流れます。と言っても、いわゆる難解な現代音楽風のものは少なく、どちらかというとロマン派の流れを受け継いだような作風の曲が多いので、BGMとしても構えることなく安心して聴いていられます。またサイトも分かりやすい作りです。

まだ、radioio Classicalのような2、4時間連続でクラシックを流し続ける局は少ないようですが、アメリカやヨーロッパには、クラシックを専門に流すインターネットラジオ局が多くあり、中にはオペラを一曲全部流すというような、積極的なところもあるようです。ただ、日本と欧米の時差で、どうしても音楽が流れる時間が、深夜や早朝が中心になってしまうのは辛いところです。ちなみにこれらのラジオ局に関しては基本的にiTunesでは無理で、各自のそのサイトへ行き、時間と曲を確認して、Real Playerなどで聴くしかありません。

iTunes (apple):勿論、Windows対応。フリー。

24時間クラシックネットラジオ局
radioio Classical
WCPE
Radio France Hector

24時間放送でなければ、他にもたくさんあるようです。
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横浜美術館 「失楽園:風景表現の近代1870-1945」

横浜美術館(横浜市西区)
「失楽園」-風景表現の近代1870-1945
2004/10/9~12/12

こんにちは。

横浜美術館で開催中の「失楽園:風景表現の近代」という展覧会を見てきました。

「失楽園」と言うと、旧約聖書でとても有名な原罪のエピソードか、それをテーマにしたミルトンの「失楽園」などを思い起こしますが、この展覧会は、「失楽園のエピソードが人間に与えた意味を、近代の風景表現の変遷と重ね合わせるとどうなるのか。」というようなことを見ていく内容だったと思います。ハッキリ申しまして、私は未だに、近代を「失楽園の時代」と定義する美術館の考えが分からないのですが、まあ、ともかく美術館によれば、「近代の風景表現を通観するとき、楽園を追放された人間が途方に暮れて立ちすくむ、いわば「失楽園」の眺めをその基本的な条件としていることが判ります。」(横浜美術館のサイトから。)だそうです。

会場にはさまざまなジャンルの作品が並べられていました。ルノワールやモネなどの印象派の美しい作品から、岸田劉生が大正期の東京ののどかな田園を描いた油絵、それにスティーグリッツによる1930年代のニューヨークの様子を写した写真(その無機質さが素晴らしい!)や、エルンストなどのシュルレアリスム期の表現、さらに、インドシナ半島や朝鮮半島などフランスや日本の植民地下にあった場所を描いた作品から、長崎の原爆投下後の廃墟や満州国とされた地域を撮影した写真・・・。こう書いていくと、本当に脈略なく色々なものがあったように受け止められてしまいそうですが、会場ではそれらを6つのテーマにわけて、時間軸の最後に「失楽園」の意味が感じられる-立ちすくむ人間に何が出来るのか、そしてするのか-ような構成になっていたと思います。

印象派の作品群はもちろんのこと、今も挙げたスティーグリッツの作品や、支配下の朝鮮や台湾で描かれた風景画などはどれも面白く、かなり時間をかけてゆっくりと味わえ得るものばかりでした。また、悲惨な戦争の現実を無慈悲にも示す写真は、それを見る者を単なる傍観者とすることを許しません。あれほどまでに穏やかな情景があるのかと思わせるようなシスレーの「船遊び」から、原爆の熱線で黒こげになって死んでいる子供の写真を見て行くとき、「私は一体、これらをどう捉えればいいのだろか!」と、自棄気味な思いさえ起こさせる、そんな刺激のある展覧会であります。

見終わると余計に、この展覧会を「失楽園」の意味で括ることの意味が分からなくなりましたが、ともかく、色々なジャンルを一同に会した展覧会ですので、とても見応えがあります。個人的には、パリコミューンから2次大戦期のフランス史やシュルレアリスム、それに近代日本の西洋画、または2次大戦前のアメリカの都市文化などに関心のある方には、特におすすめできる内容だったと思いますね。

*失楽園の意味をどうしても展覧会に見いだせなかった私ですが、少々タイトルに拘泥しすぎたかもしれませんね・・・。会場で販売されていた図録を購入した方が良かったかなあ・・・。
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東京都交響楽団 第598回定期演奏会 「マーラー:交響曲第1番他」

東京都交響楽団 第598回定期演奏会Aシリーズ

ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出のために」
マーラー 交響曲第1番「巨人」

指揮 ジェイムズ・デプリースト
ヴァイオリン 四方恭子
演奏 東京都交響楽団

2004/11/8 19:00 東京文化会館大ホール4階R1列

こんにちは。

昨日は文化会館で都響の定期を聴いてきました。1800円の当日券を開演前に購入し、すぐに4階席まで駆け上がり着席。上から見渡したところ、会場は6~7割の入りといった感じでした。

ところで今回の公演は、デプリースト氏が来年から常任指揮者に就任するというアナウンスがあった後に、初めて本人が登場する演奏会だったと思います。都響とマーラーと言えば、現音楽監督ベルティーニとのチクルスが終わったばかりでして、今、それを踏まえた上で、あえてデプリーストが「巨人」を振る・・・。これは彼にとってかなりの冒険だったのではないかと思います。

1曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲でした。ヴァイオリンの四方さんは、実になめらかな手さばきで、艶やかな音を奏でながら演奏されていたと思います。それに、この曲そのものがとても情緒的だったこともありますが、曲想に穏やかに沿って弾いていく感じなので、全般的に角が丸く、温かみが感じられる表現になっていたと思います。決して技巧派でバリバリと弾いていくタイプではないのでしょうが、逆にそれがこの曲の穏やかな部分(アダージョ部分は特に。)を強調させた演奏となっていました。一方、都響のサポートはデプリーストが一生懸命に各パートのバランスを調整しながら、どちらかというと動よりも静の部分を印象づける演奏だったと思います。普段、どちらかというと響きの硬い都響から、あまり聴いたことのない柔らかな音色が引き出されていたのには驚かされました。

メインはマーラーの「巨人」です。この曲は、マーラーの「若き日の所産」(公演冊子から。)ということで、マーラーの交響曲の様々なエッセンスがたっぷりと詰まった、とても光のある音楽だと思いますが、デプリーストはそれを驚くほど情感豊かに、そして陰鬱的に演奏していました。1つ1つのフレーズを決して疎かにせず、ゆっくりと丁寧に歌い上げるように表現をつけていく。あちこちでかなりのテンポをぐっと押さえたり、また間を延ばしたりしたりして、少々もたれる感じはありましたが、それらは決してはったり的な表現にならず、不思議な説得力があります。ハッキリ言いまして、このような彼のアプローチは、ベルティーニのものとは勿論異なりますし、人によってはその特徴に嫌悪感を示す方もいらっしゃると思いますが、私はおおいに感銘させられました。都響の状態はあまり良くなく、あちこちで乱れた上に響きも割れたりしていて、時にはデプリーストの指揮にしっかり食いつけてないのではないかというもどかしさを感じさせる箇所もありましたが、それを補った上に余るほどの素晴らしい指揮だったと思います。デプリーストの長い手がオーケストラ全体を包み込むと、何故か柔らかくそして悲しげな音がホール全体をも覆います。オーケストラがあわなくても、時には音が濁っても(これはもしかしたらデプリーストの問題かもしれませんが。)、あれだけの感動的な演奏が出来る。まだ一回しか聴いていないので判断しかねますが、もしかしたら都響はこの上ない指揮者を手に入れたのかもしれません。そう思わせるだけのものがありました。

まだまだデプリーストのスタイルが定着したわけでもないですが、これからのこのコンビに期待を持たせる演奏会でした。大変に失礼ながら、私はこの日の演奏会を聴く前、今後の都響がどうなるのかが少し不安だったのですが、この演奏を聴いてそれはとりあえず吹き飛ばされました。次も楽しみですね。
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SCAI THE BATHHOUSE 「横尾忠則-in the bath」

SCAI THE BATHHOUSE(台東区)
「横尾忠則-in the bath」
2004/10/19~11/27

こんにちは。

昨日のことですが、谷中にあるギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE」で、横尾忠則氏の新作の個展を見てきました。日暮里駅から谷中霊園を抜けて静々と歩くこと6~7分。この界隈は散歩するのもなかなか楽しいですね。

ところで私は、何年か前に、木場の現代美術館で横尾さんの大規模な個展を見たのですが、その時に、何と言うか、結構な衝撃を受けまして、それ以来、少し気になる作家の一人になっていました。(「またどこかで見られたら良いなあ。」と言った感じです。)今回の個展は、会場のギャラリーが銭湯跡を利用しているということで、タイトルもズバリ「in the bath」!です。横尾氏が、今、浴場に関連させた作品をどうしても制作したいのかどうかは定かではありませんが、ともかくも、会場には女性の入浴シーン(どうもこう書くと卑猥な感じになってしまいますが・・・。)がたくさん描かれていまして、実に壮観な空間がつくられていました。

写真にもありますが、ギャラリーの入り口に「女」と書かれた暖簾がかけてあり、それをくぐるところから一気に「お風呂屋さん」のムードになります。入り口すぐには、脱衣場ということなのか、何人もの女性たちが奇妙な面持ちで衣服を脱いでいる作品がありました。そして、その先の大きな空間(すなわち大浴場。)には大きなカンバスに描かれた何枚もの入浴風景が・・・。それらは、どれも一見同じような感じを受けるのですが、よく見ていくと色彩感、視点、タッチなどが絶妙に異なり、同じ入浴の中にも様々なドラマ(?!)があることを思い知らされます。どの女性も何やら魅惑的なポーズで、まるで見ている私たちを意識しながら、それをあざ笑うかのように一生懸命体を洗ったり浴槽に浸かったり・・・。何故か浴槽には帆船が浮かんでいたりしてリアリティーが微妙にない所も面白いのですが、作品の中にある場所や時間の設定もごちゃごちゃでわからないようになっているので、本当に摩訶不思議な雰囲気が体験できます。

SCAIの運営が、通常の画廊の形式なのかは知りませんが、まあ、いわゆる「ギャラリー」であるようなので、当然ながら入場料は無料、そして興味がある作品は購入可となっています。作品は全部で8枚ありまして、お値段は1枚50000米ドルとなっていました。私が行った時点で既に3枚売れているようでしたが、興味のある方、ここは思い切ってどうでしょうか!?(私は絵はがきのほうで・・・。)

*この後、芸大美術館でやっていたという「ひびき・かたち・そざい-東西の改良楽器をめぐって-」を見ようと思ったのですが、既に会期が終了していました。残念・・・。
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11月の気になる展覧会/コンサート

こんにちは。

昨日はアメリカ大統領選のニュースに釘付けでした。また前回のようにゴタゴタが始まるのかと思いきや、今日になって突如ケリー上院議員が敗北宣言をしたようで、結局、ブッシュ大領領再選に決まったようです。
いやいや、結果は結果ですが、本当に私も大統領選に投票したいぐらいです・・・。

さて、今月は以下の展覧会とコンサートを予定してみました。(もちろん、予定はあくまでも未定です・・・。)

展覧会

「横尾忠則-in the bath」SCAI THE BATHHOUSE(11/27まで)
「失楽園-風景表現の近代 1870~1945」 横浜美術館(12/12まで)
「草間彌生-永遠の現在」 東京国立近代美術館(12/19まで)
「ヴォルフガング・ティルマンス展」 東京オペラシティアートギャラリー(12/26まで)

コンサート

「東京都交響楽団第598回定期Aシリーズ」 マーラー:交響曲第1番他/デプリースト/東京文化会館 11/8 19:00~
「NHK交響楽団第1527回定期Cプロ」 ドビュッシー:交響詩「海」他/ルイージ/NHKホール 11/19 19:00~
「新日本フィル第377回定期トリフォニーシリーズ」 マーラー:交響曲第5番他/アルミンク/すみだトリフォニーホール 11/20 15:00~
*「新国立劇場2004/2005シーズン」 R.シュトラウス:「エレクトラ」/シルマー/新国立劇場オペラ劇場 11/11~11/23

展覧会は、上に挙げたものから2~3行ければ良いなあと思っています。ちなみに横尾忠則さんの展覧会ですが、谷中の銭湯跡を改造して作ったというギャラリー、その名も「SCAI THE BATHHOUSE」で行われています。実は私、このギャラリーの存在を「Museum a_go_go」様のブログを拝見させていただくまで知らなかったのですが、これを機会に是非行ってみようかと思っています。楽しみです・・・。

コンサートは、今月に、BPO/ラトル(ザルツブルク音楽祭「フィデリオ」も!)やVPO/ゲルギエフなどという、超弩級のものが東京で開催されますが、まあ、残念ながら資金不足のために断念・・・。ただ、2005年から都響の主席指揮者に就任するデプリーストと、新日本フィルの若き音楽監督アルミンクのマーラー、それに最近人気急上昇中?!のルイージの公演はかなり楽しみです。また、新国立劇場の「エレクトラ」はプレミエ公演ですが、これは行けたら行きたいと思っています。

今月も良き出会いがありますように・・・。

*10月の記録*

 展覧会
  3日 「RIMPA展」 東京国立近代美術館
  11日 「マティス展」 国立西洋美術館
  17日 「エミール・ノルデ展」 東京都庭園美術館
  30日 「ピカソ展」 東京都現代美術館
 
 コンサート
  3日 新国立劇場「ラ・ボエーム」/井上道義/東フィル
  24日 N響第1524回定期/チャイコフスキー交響曲第4番他/アシュケナージ
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NHK交響楽団 第1524回定期公演 「チャイコフスキー:交響曲第3番/第4番」

NHK交響楽団 第1524回定期公演Aプログラム

チャイコフスキー 交響曲第3番/第4番

指揮 ウラディーミル・アシュケナージ
演奏 NHK交響楽団

2004/10/24 15:00 NHKホール3階自由席

こんにちは。

感想をアップするのが大変に遅くなってしまいましたが、先週の日曜に行われたN響の定期公演を聴いてきました。指揮はご存知アシュケナージ氏で、プログラムは上にも書きました通り、チャイコフスキーの交響曲第3番と第4番です。4番の方は比較的メジャーで、よく演奏されると思いますが、それを3番と組み合わせたプログラムは結構珍しい部類に入るのではないでしょうか。私もこの曲(第3番)をライブで聴くのは初めてです。

ところでアシュケナージ氏ですが、報道でも少し伝えられていたように、Aプロ1日目の1曲目(第3番)を演奏中に、指揮棒を手に刺して途中降板するという、とても珍しく痛ましいアクシデントがありました。ちなみに、その際、後半の4番の方は、コンサートマスターの堀さんが指揮されたそうです・・・。(それはそれで聴いてみたいと思いますが・・・。)アシュケナージ氏は、結局その後すぐに病院で手術なさり、私が聴きに行った2日目の公演は予定通り振られたのですが、ピアニストとしても著名な方でありますので、指や手の状態が大変に気になるところです。

で、演奏ですが、私が一番に思ったのは、N響のアンサンブルのうまさについてです。第3番でもそれを感じたのですが、第4番の方はさらに素晴らしかったと思いました。特に第4楽章ですが、カラフルでたくましい響きが、くっきりと一つずつ丁寧に浮き出てきて、なおかつとても響きが美しく感じられました。アンサンブルもきれいに整っているので、聴いていて痺れるというか、非常に快感でしたね。また、金管(特にホルン。)も安定していて、 N響がこの曲を本当に手中におさめているのだな、ということがひしひしと感じられる演奏でした。

一方、アシュケナージの指揮ですが、彼は、第3番、4番とも、曲をさらにロマン的に色付けたような解釈をとっていたと思います。ただ、これは前にN響アワーで見たときも思ったのですが、全般的に、やや先を急ぎすぎるのか、指揮の振り方が独特なのか、ともかく、音楽があちらこちらでせせこましく聴こえてしまうのが気になりました。それに妙にリズムが重たいのもちょっと良くわからない感じでして、う~ん、少なくとも私が好きな感じの音楽ではありません・・・。もちろん、私の好き嫌いなどは当てになりませんし、終演後の会場の大きな拍手をみても、この日のアシュケナージの解釈が支持されているのだと思いますので、ここは一素人の戯言ということでご理解いただければ幸いです・・・。

N響の定期は、今後しばらく大物&注目指揮者(サヴァリッシュ、ルイージ、デュトワ)が登場するようですね。できる限り行きたいと思います。
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