東京都現代美術館 「ピカソ展」

東京都現代美術館(江東区)
「ピカソ展」-躰とエロス
2004/9/18~12/12

こんにちは。

昨日は、木場の現代美術館で開催されているピカソ展を見てきました。あちこちで宣伝していたので、かなりの混雑を予想していったのですが、冷たい雨がひっきりなしに降る天候だったせいか、会場にはかなり余裕がありました。やはり美術館は空いていることに限りますね・・・。

さて、このピカソ展は、当然ながら、私が先日西新宿の東郷青児美術館で見てきたピカソ展と展示内容が大きく異なり、1925~37年の、美術館によれば「ピカソ変貌の時代」の作品群を中心に、マリーテレーズへの愛と情熱、その反面の心の不安定さなどを垣間見ることができるものとなっていました。時期的には、「ピカソ絶頂期」なのだそうですが、それはともかくも、確かにどれもとても熱情的で、そしてどことなく暴力的な、そういった二面性を感じさせる作品が多かったように思います。

サブタイトルに「躰とエロス」とあるように、前半は、ピカソがこの時期(いわゆる超現実主義の潮流。)にどのようにして人間を捉えたのかということを見て、後半には、躰から発散してくるような肉感的で激しい愛と、ある意味それと紙一重の場所にある暴力、そしてその両方を支配下にしてしまうようなエロスを見ていくような展開になっていました。その中には、日本初公開となる作品もいくつかあったようですが、私が特に面白いと思ったのは、デッサン連作の「カップル」です。この作品は、解説によると、男女の交接を児童画のような素朴さで描いた作品だそうですが、要はsexの姿をどんどんデフォルメしていき、最終的には、ほのぼのとした雰囲気が漂ってくるような簡略化した姿に到達させた作品です。男女の愛の営みの美しい姿がピカソの手にかかると、それが可愛らしくて、とても微笑ましく感じられるのです。この手の主題の作品は、一番最後の所にもたくさん並び、そちらはそちらで春画を見るような楽しさもありましたが、私はこの「カップル」の表現の方が好きですね。

オルガとの関係、マリー=テレーズとの恋。作品にその時のピカソの愛が反映されていく様を見ると、ちょうど、おどろおどろしい私小説を読んでいる時にするような、ちょっとしたおせっかい(話に首を突っ込んで、ああだこうだと口を挟む。)をしたくなります。ピカソの作品を見ている自分が、いつの間にか男女の交わりを覗き込む「教皇」の立場に立っている・・・、そんな気もしました。

「ピカソを見た~!」という満足感は、東郷青児でやっていたピカソ展に軍配が上がると思いますが、テーマも良く絞れていましたし、ピカソ好きにはとても親切な展覧会だったと思います。
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最近気になったクラシック音楽関係の話題・・・

まず私事で恐縮ですが、数年ぶりにPCを買い替えました。そのためしばらくネット環境から離れていまして、このブログの更新も遅れていました。今日からはまた、前と同じようなペースで更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

さて、最近気になったクラシックの話題を三つほど挙げてみます。

「著名指揮者を終演直後逮捕 別居中の妻への生活費滞納」(sankei web)10/30

著名指揮者とは誰だろうか、と思いましたが、記事を読んでみると、なんとあのダニエル・オーレンではありませんか…。逮捕理由はとてもプライベートな理由によるものですが、既に釈放されたとのこと。日本では新国立劇場などで、ヴェルディなどのオペラをとてもエネルギッシュに指揮なさっていてファンも多いのかと思いますが、今後の活動が少し心配なところです。

「逆輸入CD、輸入禁止期間は4年に決定」(yahooニュース)10/29

いわゆる「海外盤CD規制問題」ですが、ここにきて1つの大きな動きがありました。それは、記事にもある通り、海外盤の規制を4年間にするということです。これは文化庁の要望通りだったとのことですが、これでいよいよ来年の1月から規制が始まります。前にも書きましたが、既に一部では海外盤の入手が難しくなっているという話も聞きます。本当に今後も全く目が離せません。

「モーツァルトの頭蓋骨の真贋、DNA鑑定で決着へ」(yomiuri on-line)10/28

これには驚かされました…。モーツァルトの葬儀、埋葬については、映画「アマデウス」でも有名なところで、いわゆる共同墓地に埋められたわけですが、そこからどの遺骨が真のモーツァルトのものなのかを確認するために、モーツァルトと父レオポルトの墓を掘り、相互の遺骨のDNA鑑定をするというのです。私としては、モーツァルトは18世紀の人だったとは言え、どうも彼の墓を掘るというのには抵抗があります。どうなのでしょうか。(もちろん古い墓を発掘調査するということは、考古学などでは一般的なのでしょうが…。)
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東京都庭園美術館 「エミール・ノルデ展」

東京都庭園美術館(港区)
「エミール・ノルデ展」-色彩と幻想の画家-
2004/9/18~11/7

こんにちは。

爽やかな秋晴れだった今週の日曜日、白金の庭園美術館で開催中のエミール・ノルデの展覧会を見てきました。ノルデは1867年に北ドイツで生まれ、ドイツ表現主義と言われるグループを代表した画家の一人です。晩年はナチス政権との対立(相互の誤解?)により制作活動を禁じられ、いわゆる「頽廃芸術」のレッテルを貼られたこともあったそうですが、今回の展覧会ではその時期の作品も含めて、水彩画と木版・銅板画、それにリトグラフなどを約120点程公開していました。ちなみにノルデの日本での個展は23年ぶりだそうです。

サブタイトルに「色彩と幻想の画家」とありますが、確かにどの作品も色彩感が見事でして、水彩画の持つ独特の味わいが、ノルデの器用な筆でさらに増幅されているような感じでした。また、作品の構成はあまりリアリティーを感じさせないものが多いのですが、その分、不思議な「翳」と「動き」があり、しばらく見ているとすーっと絵の中にひきこまれて、そのまま夢の中の世界のように、摩訶不思議な正に幻想的と言えるような雰囲気に支配されていきます。ところで、会場でこれらの絵を見ていた方が、ふと「暗い絵だねえ・・・。」と仰っていましたが、それはきっと絵の中から滲み出してくる寂しさのことではないか、と思いました。決して破壊的で陰鬱な表現ばかりではなく、一見、明るく愉快な表現もあるのに、何故かそこから感じられるものは哀愁とか、先ほども書きましたが翳とか、そのような言葉で言い表されるものです。ドイツ表現主義は「内面的な感情に重きを置く。」とのことですが、もしかしたらノルデの感情の何かがそのまま絵に表現されているのかもしれませんね。

色では「赤」がとても特徴的です。特に「赤いケシ」という、画面いっぱいにケシの花が描かれている作品があるのですが、このケシの赤は、例えが悪いですが「鮮血」のような赤でして、心に強烈な印象を与えます。また、「北フリースラントの夕景」は、低く垂れ込める雲に夕焼けが赤く映っているのですが、この赤は「赤いケシ」より薄いものの、雲そのものに重量感を与えて、空のくすんだ青と、地上の暗い紺との対比がとても美しい作品になっていました。(この2点は庭園美術館公式サイトからも見ることが出来ます。例によって質感はゼロですが。)

会場はテーマ別に作品が並んでいましたが、今挙げたような作品が並ぶ、「花」や「風景」の他にも、「ダンス」、「幻想」、「描かれざる絵」(制作活動が禁じられた期間に極秘に描いた絵。)などに、多くの素晴らしい作品があるように思いました。特に「ダンス」は、その構成が見事で、まるで飛びながら大空でダンスをしているようなスリリングで大きな動きが見られました。その他には、版画やリトグラフの作品もたくさんありますが、それらにも水彩画で見られるような立体感と翳があります。

「頽廃芸術」や「ドイツ表現主義」とかのような説明抜きでも、素直に感銘できるものがある、とても味わい深い展覧会だったと思います。これはかなりお薦めですね。

*会場がかなり暗く感じられて、とても作品が見にくかったのですが、作品保護のため致し方ないとのこと。でも、本当に照明が暗かった・・・。
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N響アワー(NHK教育) 「新・音楽監督 アシュケナージの「運命」 2004/10/17

今日のN響アワーは、先日、N響音楽監督に就任したばかりのアシュケナージの特集でした。

曲  ベートーヴェン/交響曲第5番 序曲レオノーレ第3番
演奏 NHK交響楽団

私はアシュケナージの演奏を、おそらくピアニスト時代も含めて一回も聴いたことがないと思います。(CDも含む。)ですから、この日のテレビ視聴が初めてのアシュケナージ体験でした。余計な先入観もありませんので、どんなベートーヴェンになるのか、本当に興味津々と言ったところでした。

「運命」は言うまでもなく名曲中の名曲である上に、N響もこの曲に対しては、その長い演奏史から独自のスタイルを持っていると思います。とすると、そのような曲を就任披露演奏会で演奏するということは、アシュケナージにとっての大きな挑戦であって、彼がこれからのN響との関係を大変に重視していることの現われなのかも知れません。(しかも、彼がウィーン古典派を得意にしているという話も聞いたことがない。)

番組では池辺晋一郎さんが、演奏に対して色々なコメントをなさっていましたが、私が一番思ったのは、「音楽の進行はとても早いのに、リズム感が随分と重い。」ということです。これは、彼の演奏スタイルなのかどうか分かりませんが、ともかく特に1楽章や終楽章で、音楽が唸りを上げながら粘っこく進むのには驚かされました。また、随所でデフォルメ的な表現もあるのですが、それも何だかよくわからない感じでして、どうも演奏全体を掴むことが出来ません。

勿論、テレビで一回聴いただけで、彼の演奏について云々するのもどうかと思うので、今週末の定期演奏会は久々にNHKホールまで出向いて聴いてくるつもりです。曲はチャイコフスキーの交響曲だったと思いますが、それは一体どんな演奏になるのでしょうか。
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国立西洋美術館 「マティス展」

国立西洋美術館(台東区)
「マティス展」
2004/9/10~12/12

こんにちは。はっきりしない天気が続きます・・・。

昨日は上野の西洋美術館でやっていたマティスの展覧会を観てきました。マティスは有名な芸術家ですので、あちこちで展覧会をやっているような感じがしますが、今回のような大規模な展覧会が東京で行われたのは数十年ぶりだそうです。(これは意外。)展示の方向性にはなかなかの工夫が凝らされていて、ただ単にマティスの主要な作品を時系列に並べるのではなく、マティスが作品にすべく対象と見た主題をどのように変化させていったのか(変奏)ということと、彼が作品の生成をどのように見つめてそれを表現していたか(過程)ということの2つに主眼を当てて、マティスの作品の解明を試みるような内容となっていました。ですから、内容理解をとても丁寧に探れるような感じでしたね。

変奏(ヴァリエーション)のセクションでは、当然ながら今書いた通り、いくつかの主題を彼がどのように変化させていくのかが興味深いわけですが、私が一番面白いと思ったのは、ブロンズの立体作品である「ジャネット」と「背中」です。マティスの絵画は、私の見当違いかもしれませんが、全体的にややのっぺりした非立体的な感覚の印象を受けるのですが、これらのブロンズは正にそれを補うような表現でして、彼が対象を空間としてどう捉え、どう表現したのかが一瞥で感じ取ることが出来るような気がしました。作品そのものも力強く肉感的で、何かひかれるものがありましたね。

過程(プロセス)では、著名な作品がゴロゴロしているような感じでして、「大きな赤い室内」や「金魚鉢のある室内」、それに「黄色と青の室内」などの作品は、構図感とも色彩感とも美しく、奇抜なようで実に上品な落ちつきが感じられて、どれも素敵でした・・・。贅沢な話ですが、部屋に飾ったら部屋の雰囲気を一変してくれそうですね。また、ポスターにもある「夢」ですが、確かにこれは作品がどのような形で制作されたのかがよくわかるようになっており、不思議な感じさえする構図の生い立ちが理解できます。

最後のセクションでは有名な「ジャズ」や、いくつかの抽象的な作品が並んでいました。「ジャズ」はあちこちでよく見るような気がしますが、これまでの展示を踏まえた上でまた改めて見ると、その印象も変わってきますね。

ところで、今回のマティス展は、その展示内容がしっかりしていましたし、私自身もマティスが以前から結構好きでしたので、かなり楽しめたことは事実なのですが、しばらく人ごみ(結構混雑していました。)に紛れながら作品を見ていくうちに、「あれ、マティスってこんなのだったかな。」というような漠然とした問いが、何故か頭から離れませんでした。上手く説明できないのですが、どの作品からもあまり存在感が感じられず、やや印象が薄いような感じがしたのです・・・。大概の作品は、ポスターや絵葉書などよりも現物のものが圧倒的だと思うのですが、どうもマティスに関してはその辺があまり変わらないような気がしてなりませんでした。私の注意力が散漫だっただけかもしれませんが、う~ん、どうも「何か」が足りなかったような気がしましたね・・・。(「何かってなんだよ!」というツッコミはご容赦下さい・・・。)とはいえ、展覧会そのものは何度も書く通りしっかりしたものですので、十分にお薦めできる美術展だと思います。

*同時開催の「オランダ・マニエリスム版画展」はかなり面白かったです。特にヤン・サーンレダムの「一日の四つの時」(四点連作)は素晴らしいですね!その中でも「夕暮れ」はしばらく頭を離れそうもないぐらい感銘を受けました。こちらの展覧会は私としては大推薦です。(マティス展チケットで入場できます。)
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東京国立近代美術館 「RIMPA展」

東京国立近代美術館(千代田区)
「RIMPA」展
2004/8/21~10/3(会期終了。)

竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「RIMPA」展を見てきました。会期最終日ということでかなりの混雑を予想しましたが、あいにくの雨だったからか思っていたほど混雑していません。比較的ゆっくりと楽しむことが出来ました。

私は日本画の素養があるわけでもなく、また「琳派」について詳しいわけでもありませんが、今回の展覧会はいわゆる「琳派」の作品を集めただけではないそうです。パンフレットにも「今度の『琳派』はちがう。」と銘打たれています。琳派と合わせて展示されたクリムトやウォーホル。琳派の世界的な展開を探っていく観点とは言いながらも、美術館としてかなり冒険をしたのではないかと思わせる展示内容でした。ちなみに、会場入口にて一番に展示されていたのもクリムトの「裸の真実」です。これにはまず驚かされました。

肝心の琳派では、国宝である俵屋宗達の「蓮池水禽図」や京都・頂妙寺所蔵の「牛図」を初めとして、尾形光琳の著名な「風神雷神図屏風」や酒井抱一の「夏秋草図屏風」などの貴重な作品がズラリと並んでいます。これは見応え満点です。中でも私が特に感銘したのは、楓の赤が光る光琳の「槇楓図屏風」と、色紙のバランス感覚と遊び心が素晴らしい伝俵屋宗達の「色紙貼付桜山吹図屏風」、それに葉の流れ様と繊細な色彩感が美しい酒井抱一の「夏秋草図屏風」でした。特に最後の抱一の屏風はピカイチです。初めて知った方でしたが本当に素晴らしい作品だと思いました。

最後のセクションである「RIMPAの世界」には、クリムトやボナールなどの作品が並んでいます。初めて見るようなボナールのジャポニズム的な屏風画や、私の好きな李禹煥の作品(燕花に似ているそうですが…。)が見られたのは良かったと思いますが、マティスの「ジャズ」などに琳派の関係性を見るというのは少し謎めいています。議論は分かれるのでしょうが、はじめにも触れた通り、冒険をし過ぎた感もありました。

琳派の展覧会は、日本橋の三越(ギャラリー)でも始まったそうです。機会があればそちらも拝見してみたいと思います。
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新国立劇場2004/2005シーズン 「ラ・ボエーム」

新国立劇場 2004/2005シーズン
プッチーニ「ラ・ボエーム」

指揮 井上道義
演出 粟国淳
ミミ アディーネ・ニテスク
ロドルフォ ジェイムズ・ヴァレンティ
マルチェッロ カール=マグヌス・フレドリクソン
ムゼッタ 水嶋育
ショナール 河野克典
コッリーネ シャオリャン・リー
ベノア 大久保眞
アルチンドロ 晴雅彦
パルピニョール 樋口達哉
合唱 新国立劇場合唱団(児童合唱 NHK東京児童合唱団)
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

2004/10/3 15:00 新国立劇場オペラ劇場 4階L6列

昨日は新国立劇場の「ボエーム」を聴いてきました。昨年4月に行われたプロダクションの再演です。(前回の公演は、ダブルキャストの、通称Bキャストの方を聴いたのですが、あまり記憶に残っておりません。)

この公演をまとめた指揮の井上道義はなかなか良かったのではないでしょうか。前半こそ、指揮がやや前のめりになりすぎていたのか、歌手と上手く合わない部分がありましたが、後半はどんどん持ち直していきます。特に第4幕などは井上の真骨頂とも言えるような見せ場をつくっていました。おそめのテンポでピアニッシモまで繊細に響かせるその様子。第四幕全体を覆う絶望的な哀しみを上手に表現していたとも言えるでしょう。また、あちこちで聴かれた絶妙な「間」も見事です。悲劇性をさらに強調させます。(ただし、前半、特に第一幕はやや平板でした。)

歌手陣は全体的に低調だったかもしれません。ムゼッタの水嶋もあまり存在感を示しきれていない上に、何と言ってもロドルフォ役のヴァレンティの線が細すぎます。もちろん、あのような優男型のロドルフォもまた一興なのかもしれませんが、歌も少し不安定で、聴いていて時にハラハラさせられます。またミミのニテスクは、第四幕こそ井上の指揮に上手くのせられたのか良い雰囲気を出していましたが、全体としては何かもう一つ足りないような出来でした。ただ、脇役になりますがアルチンドロ役の晴はかなり存在感があったと思います。声量があって声も美しく演技も上手い。もっと出番が欲しいと思うほどでした。

演出は再演ですので当然ながら前回と同じです。オーソドックスで歌の邪魔をしない良いものだったと思います。雪の降る夜明け前の第3幕は大変に雰囲気が出ていて、また第二幕では奥行き感を上手くつくって街の賑いを演出しつつ、劇進行をとてもスムーズに進めていました。

井上の再登板はあるのでしょうか。もう何回かはやはりプッチーニで聴いてみたいと思いました。
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ソニー、コピーコントロールCDの発売を停止

「ソニー、コピーコントロールやめ通常CDに切り替えへ」
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040930i413.htm(yomiuri on-line)

エイベックスに続いて、ようやくソニーもCCCDの販売を止めるようです。正しい方法ではPCにとりこめず、最近流行りのHD型携帯音楽プレイヤー(ipodなど。)では聴けないということが、メーカー側にとってかなりの痛手になったのではないでしょうか。私はそもそも、CCCDなどという商品はユーザーをかなり馬鹿にしたものだと思っていますが、ともかく、エイベックス、ソニーなどの国内大手レーベルがこのような判断を下したことで、残りの大手レーベルも(特にEMI!)考え直して欲しいと思います。

ただ最近はEMIも迷っているのか、路線の変更を考えているようで、商品によってはCCCDでないものもあります。例えばしばらく前に出たラトルの「フィデリオ」ですが、先行して発売された日本向け輸入盤はCCCDであるのに、その後発売された国内盤は通常のCDでした。またメシアンの「彼方の閃光」(国内盤)も通常のCDです。

記事によると「著作権保護に対する認識が高まり、成果を得たため。」とのメーカーのコメントがありますが、実際のところ、CDをCCCD化したことが、違法コピーをどれだけ防ぐことにつながったのでしょう。データがあるわけではありませんが、逆にメーカーへの風当たり(特にコアな音楽ファン。)を強め、結果的に音楽市場を縮小させているような気がしてなりません。言い換えれば、自分で自分の首を締めている状態ではないかと思います。

私が勝手に思うには、違法コピー問題の最大の要因は、現状に法律が追いついていないことだと思います。「いくらでもコピーできるデジタルなものから、どのようにして著作権を守るのか。」その辺からもう1度考え直さなくてはいけない段階に来ているのかもしれません。
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