長野・小布施への旅~北斎の足跡を訪ねて 後編:高井鴻山記念館・北斎館

1806年、小布施村の豪商高井熊太郎の四男として生まれた高井鴻山は、15歳から16年間にわたって京都や江戸へ遊学すると、学問や芸術を修め、文化人らとの幅広い人脈を築きました。



長野・小布施への旅~北斎の足跡を訪ねて 中編:浄光寺・岩松院・おぶせミュージアム

そして江戸への遊学の際に交流のあった浮世絵師、葛飾北斎を招くと、鴻山は「碧漪軒」(へきいけん)と呼ばれるアトリエを提供し、北斎も小布施の地を訪ねては肉筆画や鴻山との合作を残しました。



その鴻山を顕彰する施設として開設されたのが「高井鴻山記念館」で、鴻山が北斎を含む文人を招いた屋敷や書庫として使っていた蔵、ないし米蔵や彼の描いた書画を紹介する展示室などが公開されていました。

まず展示室では鴻山による書画が並んでいて、とりわけ晩年に多く手がけた妖怪画に目を奪われました。それらは妖怪と山水の景色が一体となった独特の世界を築いていて、不思議な霊感も漂っているように思えました。



木造2階建ての建物が「翛然楼」(ゆうぜんろう)で、鴻山の祖父が隠宅として建てた築200年余りの京風建築でした。



ここでは北斎の下絵を元にして鴻山が描いた『象と唐人図』や精緻な『菊図』なども展示されていて、鴻山の幅広い作風に触れることができました。



また2階へ上がると両側の開口部より僅かに涼しい風も入り込んできて、しばらくお庭の景色を見ながら身体を休めることもできました。



天保の改革が行われた当時、北斎は過激な取り締まりを避けるため、自らの芸術の理解者であった鴻山の元へ身を寄せたとも言われています。多くの文人たちをもてなしたであろう「翛然楼」にて、30代の鴻山と80歳を過ぎていた北斎の世代を超えた交流を感じ取ることができました。



この「高井鴻山記念館」より栗の小径を進むとすぐに位置するのが、北斎の祭り屋台や肉筆画を収蔵、また公開する「北斎館」でした。


『北斎水族館へようこそ』展示風景

この日は北斎の手がけた魚介類をモチーフとした絵手本などを紹介する『北斎水族館へようこそ』が開かれていて、『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』にはじまり、魚介類を施したデザインの『万職図考』やさまざまな甲殻類を描いた『北斎画苑』などが鑑賞できました。*『北斎水族館へようこそ』は8月27日に終了しました。


署名 画狂老人卍筆齢八十一『椿と鮭の切り身』 1840年

これに続くのが北斎の肉筆を展示する常設展で、いずれも極めて精緻に対象を写し取った晩年の『えび、さば、あわび』や『椿と鮭の切り身』などに見入りました。


署名 北斎画『漁師』

ちょうど長野県立美術館の『葛飾北斎と3つの信濃―小布施・諏訪・松本―』でも北斎館のコレクションを多く見ることができましたが、晩年の肉筆画に関してはかなり充実しているといえるかもしれません。


『東町祭屋台』

上町祭屋台も同展に出展中だったため、祭屋台は東町祭屋台のみの公開でしたが、企画展を含めて想像以上に見応えがありました。



このあとは小布施からの電車に少し時間があったこともあり、カフェで栗の生モンブランをいただきました。小布施は古くから栗の産地として有名で、栗を用いたお菓子を味わえる店が少なくありません。



カフェを出ると雷鳴も近づき、北斎館を中心に見られた人出もまばらになっていました。そして小布施堂や桝一市村酒造場などでお土産を購入し、小布施駅から特急に乗って長野へと戻りました。

「高井鴻山記念館」
休館:12月29日から1月3日、展示替等による休館。
時間:9:00~17:00
料金:一般300円、高校生150円、小中学生無料。
 *三館共通入場券(おぶせミュージアム・中島千波館、高井鴻山記念館、北斎館):一般1300円、高校生800円。
住所:長野県上高井郡小布施町小布施805番地1
交通:長野電鉄小布施駅より徒歩10分。

「北斎館」@hokusai_kan
休館:12月31日
時間:9:00~17:00
 *入館受付は閉館の30分前まで
料金:一般1000円、高校生500円、小中学生300円、未就学児無料。
 *三館共通入場券(おぶせミュージアム・中島千波館、高井鴻山記念館、北斎館):一般1300円、高校生800円。
住所:長野県上高井郡小布施町小布施485
交通:長野電鉄小布施駅より徒歩12分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

長野・小布施への旅~北斎の足跡を訪ねて 中編:浄光寺・岩松院・おぶせミュージアム

長野県で最も小さい町である小布施は、栗と北斎と花のまちとして知られ、一年を通して多くの観光客を集めてきました。



長野・小布施への旅~北斎の足跡を訪ねて 前編:長野県立美術館・善光寺

長野市から小布施への鉄道での移動は長野電鉄を利用するのが一般的で、長野駅を10時前に発車する特急スノーモンキーに乗車すると、約25分ほどで小布施駅に到着しました。



半径2キロ程度のエリアに観光拠点が点在する小布施では、レンタサイクルを借りてまわるのも便利ですが、この日は35度を超える酷暑と雷雨の予報が出ていたため、町内を周遊するシャトルバス「おぶせロマン号」を使うことにしました。



「おぶせロマン号」は冬期間を除く週末と祝日、および行楽期の平日に運行されていて、本数こそ1時間から2時間に1本ほどと限定的なものの、小布施駅から北斎館やおぶせミュージアム、また岩松院や浄光院、それにおぶせ温泉など主要な観光スポットを結んでいました。

小布施駅前よりロマン号に乗車し、最初にめざしたのは、駅から最も遠い浄光寺でした。



寺伝によれば草創が8世紀とされる浄光寺は、809年に薬師堂が建てられたと伝わっていて、現在の薬師堂は昭和期の大修理の際に発見された墨書などから室町初期の建立が明らかとなり、国の重要文化財に指定されています。



仁王門をくぐると大きな杉が両側に並ぶ山道が続いていて、自然石で作られた石段が薬師堂へとつながっていました。



母屋造りによる薬師堂は建立から約600年過ぎているものの、最も特徴的な茅葺屋根は2007年に葺き替えが行われたためか、思いの外に新しく見えました。



山を背にして鬱蒼とした森に囲まれた薬師堂は、たとえば山の怪の存在を感じさせるような独特の雰囲気が漂っていたかもしれません。虫の音ほどしか聞こえない静寂に包まれた佇まいにも心を引かれました。



この浄光寺から山の際の道を北へしばらく歩くと位置しているのが、北斎にゆかりの深い岩松院でした。



1472年に開山した曹洞宗梅洞山岩松院は、戦国大名の福島正則や俳人小林一茶、それに浮世絵師葛飾北斎にゆかりのある寺院で、本堂の天井には北斎が89歳の時に手がけた「八方睨み鳳凰図」が描かれています。



21畳分の巨大な「八方睨み鳳凰図」は、当時の中国より輸入した鉱石による質の高い岩絵具を使って描かれていて、一度も塗り直されたことがないにもかかわらず、実に170年以上経ったいまも鮮やかな色彩を放っていました。なお鉱石の価格は150両、使用された金箔は4400枚ともいわれています。



隠し絵とされる富士山をはじめ、角度を変えると色合いや表情が変化して見えたりするなど、お寺の方による丁寧な説明によって鳳凰図の魅力をじっくりと味わうこともできました。(写真は長野県立美術館にて撮影した鳳凰図の原寸大復元図です。岩松院では堂内、および天井画の撮影できません。)



岩松院を拝観したのちはお昼時となったので、お寺のすぐ前にある「KUTEN。fruit&cake」でランチをとることにしました。



地元のフルーツを使ったタルトが人気とのことでしたが、4〜5種類からメインを選べるランチコースもお手軽で、パスタもサラダも美味しくいただけました。



岩松院入口から再びロマン号に乗り、次に目指したのはおぶせミュージアム・中島千波館でした。同ミュージアムは小布施出身の日本画家、中島千波の作品と、同町の伝統文化財である祭り屋台などを公開するために作られた町立の施設で、1992年にオープンしました。



日本画家だった中島清之の三男として、1945年に当時の疎開先であった小布施に生まれた中島千波は、ライフワークとする人物画のほか、牡丹や桜や鳥などの花鳥画を描いてきました。

ここでは第1回山種美術館賞に出品したものの、いつしか行方不明となり今回発見された『幻』をはじめ、2020年の東京五輪の選手に渡すブーケをテーマにした展示のために出品した『Flowers’20』、さらに其一の朝顔図に刺激されて描いたという『絢爛扇形朝顔図』などが公開されていて、いずれも瑞々しい色彩美に魅了されました。


野地美樹子 展示風景 *『5つの道』展のみ撮影できました。

またあわせて中島が教鞭をとった東京藝術大学大学院のデザイン専攻描画研究室で学んだ5人の作家による『5つの道-わたしたちのまなざし-展』も開かれていて、美しい色彩と神秘的ともいえる巨木など描いた野地美樹子の作品が特に印象に残りました。



館外へ出ると山には入道雲が湧き、遠くから雷の音も聞こえてきましたが、最後の目的地である高井鴻山記念館と北斎館へと歩いて向かいました。

後編:高井鴻山記念館・北斎館へ続きます。

「真言宗豊山派 浄光寺」
拝観自由
拝観無料
住所:長野県上高井郡小布施町雁田676
交通:長野電鉄小布施駅より小布施町内周遊シャトルバス「おぶせロマン号に乗車、浄光寺前下車すぐ。*金・土・日曜・祝日および行楽期の平日のみ運行(冬期間は運休)

「曹洞宗梅洞山 岩松院」
拝観時間:9:00~16:30(4月〜10月)、9:00〜16:00(11月)、9:30〜15:30(12月〜3月)
拝観料:一般500円、小中学生200円、未就学児無料。
住所:長野県上高井郡小布施町雁田
交通:長野電鉄小布施駅より小布施町内周遊シャトルバス「おぶせロマン号に乗車、岩松院入口下車徒歩4分。*金・土・日曜・祝日および行楽期の平日のみ運行(冬期間は運休)

「おぶせミュージアム・中島千波館」@obusemuseum
休館:12月29日から1月3日、展示替等による休館。
時間:9:00~17:00
料金:一般500円、高校生250円、小中学生無料。
 *三館共通入場券(おぶせミュージアム・中島千波館、高井鴻山記念館、北斎館):一般1300円、高校生800円。
住所:長野県上高井郡小布施町小布施595
交通:長野電鉄小布施駅より徒歩12分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

長野・小布施への旅~北斎の足跡を訪ねて 前編:長野県立美術館・善光寺

江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は晩年に3度に渡って現在の長野県の小布施を訪ねると、祭屋台や寺院の天井絵などを描くなどして活動しました。



今回、私が長野と小布施に行こうと思ったきっかけは、同県立美術館にて『葛飾北斎と3つの信濃―小布施・諏訪・松本―』が開かれていたからで、あわせて北斎ゆかりの寺院として知られる岩松院なども拝観するため、小布施にも足を伸ばすことにしました。

東京駅から北陸新幹線のあさまに乗り、11時頃に長野駅に着くと、まずはバスにて長野県立美術館を目指しました。



長野県立美術館は、善光寺本堂に隣接する城山公園内に位置していて、前身の長野県信濃美術館(1966年開館)の老朽化による建て替えにより、2021年にオープンしました。



新たな美術館を設計したのは宮崎浩/株式会社プランツアソシエイツで、善光寺を望むロケーションの中、城山公園へと埋め込まれるように建てられました。また隣接する谷口吉生による東山魁夷館は、建築後30年経った2019年に全面的に改修されました。



『葛飾北斎と3つの信濃―小布施・諏訪・松本―』(8月27日会期終了)は、「冨嶽三十六景」といった代表的な摺物をはじめ、美人画や花鳥画といった肉筆を踏まえつつ、信州の3地域での北斎の活動を紹介するもので、北斎に加えて松本の商人と関わりのあった高弟の抱亭五清の作品などが公開されていました。


『上町祭屋台』 1845年 小布施町上町自治会

とりわけ圧巻だったのは北斎が天井画を描いた小布施の上町祭屋台で、同町の岩松院本堂の天井絵の原寸大高精細複製画とあわせて見ることができました。



一通り『葛飾北斎と3つの信濃』を鑑賞したのちは、館内の「ミュゼ レストラン 善」にてランチをいただくことにしました。レストランは善光寺を目の前に望む2階に位置していて、ガラス張りの開放的なつくりとなっていました。



展覧会とのコラボメニュー「小布施」は、アミューズ、前菜のお重、そしてメインの鯛のヴァプール(生姜と柚子風味のソース)に付け合わせの季節野菜の洋風揚げ浸し、それにデザートのゆずのモンブランとゆずを基調としたコースとなっていて、夏らしくさっぱりとした味に仕上がっていました。



このあとは長野県にゆかりの作家の作品を紹介するコレクション展示室、そして日本画家、東山魁夷の作品を展示する東山魁夷館を鑑賞しました。



東山魁夷館とは横浜に生まれ、神戸に移ったのち、長く千葉県の市川に住んだ東山魁夷が、晩年になって自作を一括して長野県に寄贈したのち、1990年に開館したもので、現在は約970点の魁夷作品を所蔵しています。



水盤から建物を望むと、谷口建築ならではの美しい景観を見せていて、魁夷の作品はもとより、建築物としても大きな魅力を感じました。



この東山魁夷館と本館をつなぐ連絡ブリッジに面した水辺テラスでは、美術家の中谷芙二子による「霧の彫刻」が展示されていて、時間を区切って行われる水の噴出により霧が造形物として立ち上がる光景を楽しむことができました。



長野県立美術館を後にし、善光寺へ向かうと、この日は平日にもかかわらず、大勢の参詣客で賑わっていました。



本堂から内陣、お戒壇めぐり、経蔵、善光寺資料館など巡ったのち、山門へと上がると、長野市街を一望することができました。



中編:浄光寺・岩松院・おぶせミュージアムへと続きます。

「長野県立美術館」@naganoartmuseum
休館:水曜日(水曜が祝日の場合は翌平日)
時間:9:00~17:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般700円、大学生及び75歳以上500円、高校生以下無料。
 *コレクション展。本館・東山魁夷館共通。
住所:長野市箱清水1-4-4
交通:JR線長野駅善光寺口バス乗り場1から、アルピコ交通バス11系統善光寺経由宇木行、もしくは16系統善光寺・若槻団地経由若槻東条行、17系統善光寺・西条経由若槻東条行で「善光寺北」下車、徒歩約3分。長野電鉄善光寺下駅下車、城山公園へ徒歩約15分。

「善光寺」
窓口時間:9:00~16:30
本堂内陣券:一般600円、高校生200円、小中学生50円、未就学児無料。
 *共通券(三堂・史料館参拝券):一般1200円、高校生400円、小中学生100円、未就学児無料。
住所:長野市大字長野元善町491-イ
交通:JR線長野駅善光寺口バス乗り場より「1番のり場(善光寺方面行き)」に乗車し、善光寺大門下車、徒歩5分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

南山城の古刹をめぐる~岩船寺と浄瑠璃寺

お茶の産地として知られる京都府南部の南山城地域には、古くより数々のお寺が営まれる仏教の聖地でもありました。



奈良国立博物館にて開かれている『聖地 南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝』を鑑賞したのち、近鉄奈良駅へと向かったのはお昼過ぎの12時半頃のことでした。

現在、奈良交通では『聖地 南山城』の開催に合わせて、10月1日までの土日祝日に限り、奈良市中心部と南山城の古寺を結ぶ観光ループバス「お茶の京都 木津川古寺巡礼バス」を運行しています。

近鉄奈良駅を13時過ぎに出発したバスは、途中の停留所をすべて通過し、浄瑠璃寺を目指して走りました。奈良の市街地を抜け、山に囲まれた道を進むと、まず浄瑠璃寺バス停、続いて終点の岩船寺バス停に辿り着きました。奈良からの所要時間はおおむね30分ほどでした。



729年に創立された岩船寺は、隆盛と衰退を繰り返しながら、鎌倉時代から江戸末期まで南都興福寺一条院の末寺として活動したのち、明治に入ると真言律宗西大寺の末寺に入りました。今では梅雨に咲く紫陽花をはじめとした、四季折々の花を楽しめるお寺として知られています。



山門を抜けると、右に本堂、正面に阿字池が広がり、左手に十三重石塔、さらに奥に三重塔が建っていました。このうち9世紀頃の宝塔に由来する三重塔は、1442年の刻銘が残されていることから室町時代の建立と推定され、重要文化財に指定されています。



境内を一通り見学したのちは、本堂に安置された仏像を拝観することにしました。まず中央には平安時代の阿弥陀如来坐像があり、四隅には鎌倉時代の四天王像が立っていました。とりわけ像高3メートルの阿弥陀如来坐像は慈悲深い表情を見せていて、その佇まいに心惹かれるものを感じました。また普賢菩薩騎象像は『聖地 南山城』展に出展中でしたが、それゆえに普段拝観できない厨子の内側を見ることもできました。



この岩船寺から浄瑠璃寺へは「石仏の道」として徒歩50分ほどで行くことができますが、この日は雷鳴も轟く不安定な天気だっため、ちょうどやってきた木津川市のコミュニティバスに乗り、浄瑠璃寺へと向いました。



1047年に創建されたと伝わる真言律宗の浄瑠璃寺は、12世紀に九体阿弥陀堂が造られると庭園が整備され、12世紀の末には三重塔が京都より移設されると、現在に至るまでの伽藍が築かれました。



浄瑠璃寺の伽藍は池を中央にして、東に薬師如来を祀る三重塔があり、西に九体阿弥陀像を安置する本堂が位置していて、それぞれ此岸と彼岸の世界を表していました。



5年に及ぶ保存修理を終えた九体阿弥陀像のうち2躯は、『聖地 南山城』にて公開中のため、本堂では7駆が並んでいましたが、他で見ることの叶わない光景は極めて独特ではないでしょうか。浄瑠璃寺へは過去、修理に入る前の2015年に一度出向いたことがありましたが、改めて圧倒されました。



しばらく本堂にて阿弥陀如来の前に座っていましたが、博物館の明るい照明とは異なり、ほぼ自然光のみの薄暗がりの中に浮かび上がる金色の光も趣深いものが感じられました。また西陽が堂内へわずかに差し込むと、金色の輝きが俄かに増す様子にも心を奪われました。




今回は海住山寺など他のお寺までを拝観できませんでしたが、『聖地 南山城』展をきっかけに、南山城のお寺まで足を伸ばすのも良いかもしれません。

「真言律宗 高雄山 岩船寺」
開門時間:8:30~17:00
拝観料:大人500円。
住所:京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
交通:JR線加茂駅から「木津川市コミュニティバス」にて約16分。JR線、近鉄奈良駅より奈良交通「お茶の京都 木津川古寺巡礼バス」バスにて約35分。*季節限定運行

「真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺」
開門時間:9:00~17:00
 *本堂受付は16:30まで。
拝観料:大人400円。
住所:京都府木津川市加茂町西小札場40
交通:JR線加茂駅から「木津川市コミュニティバス」にて約22分。JR線、近鉄奈良駅より奈良交通「お茶の京都 木津川古寺巡礼バス」バスにて約30分。*季節限定運行
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.3弘前レンガ倉庫美術館・弘南鉄道アート列車



青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.2青森県立美術館・国際芸術センター青森

青森駅を9時過ぎに発車する特急つがるに乗って弘前駅へと着くと、まずは弘前れんが倉庫美術館へと向かいました。


弘前駅

弘前では『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展を鑑賞するのと、11月13日まで弘南鉄道弘南線にて運行されているアート列車に乗ることを目的としていました。


弘前れんが倉庫美術館

弘前れんが倉庫美術館は、戦前の酒造工場や戦後の倉庫跡に由来するれんが造りの建物で知られ、田根剛の設計のもとに2020年に美術館としてオープンしました。


弘前れんが倉庫美術館

シードル・ゴードルの屋根が特徴的な建物の内部には、5つの展示室をはじめ、貸出用の3つのスタジオ、市民ギャラリーなどが整備されていて、同じくれんが造りの別棟にはカフェとミュージアムショップが入居していました。


『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展 展示風景

現在開催中の『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展とは、美術館の前身の煉瓦倉庫時代に開かれた奈良美智の3度の展示を振り返るもので、一連の展示に関する資料や写真、また出展作品などが公開されていました。


『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展 展示風景

一連の膨大な資料とともに強く感じたのは、3度の展示をきっかけに多くの人々のつながりが生まれたことで、ボランティアスタッフの記録写真などからは、当時の弘前に渦巻いた熱気すら伝わってきました。


『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展 展示風景

また「弘前エクスチェンジ」と題し、ボランティアに参加してアーティストの道へと進んだ佐々木怜央のガラスの作品や、若い世代が「奈良美智展弘前」をリサーチし、短い演劇を創作する「もしもし演劇部」といった市民参加型の活動も行われていて、単に過去を振り返るだけでなく、未来へとつながるような取り組みも目を引きました。*『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』についてはPenオンラインに寄稿しました。


『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展 展示風景(佐々木怜央作品)

きっかけは一本の電話から?奈良美智の弘前での3度の展覧会を振り返る|Pen Online

『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展を鑑賞したのちは、隣のカフェ『CAFE & RESTAURANT BRICK』にて少し早いランチタイムとすることにしました。


『CAFE & RESTAURANT BRICK』にて

開館時の2年前にも一度、美術館を訪ねたことがありましたが、その際は偶然にもカフェが貸切営業として利用できませんでした。人気の同カフェはパーティ等にて貸切になることも少なく、事前に公式サイトにて営業状況を確認するのをおすすめします。


『CAFE & RESTAURANT BRICK』にて

ワンプレートをいただきながらのんびりと過ごしたのちは、弘南鉄道アート列車に乗るために起点の弘前駅へと向かいました。


『青森をアートでたどるプロジェクト』よりアート列車(弘前駅にて)

弘南鉄道アート列車とは、沿線をアートの視点で見直し、住民や観光客へ新たな体験を提供しようとする『青森をアートでたどるプロジェクト』の企画で、現代アーティストの原高史がタイムトラベルをテーマにしたピンク色のアート列車を制作しました。


『青森をアートでたどるプロジェクト』よりアート列車

アート列車は弘前と黒石の間を1日約9往復していて、車内の窓はおろか、天井の扇風機や吊り革の広告部分などもピンク色のカッティングシートにて覆われ、想像以上にピンク色に染まっていました。


『青森をアートでたどるプロジェクト』よりアート列車

そして床や窓には西暦の数字や「どの時代に行きたいですか?」といった言葉が記され、それぞれの乗客が記憶などの中で時間を行き来するような空間が作られていました。


『青森をアートでたどるプロジェクト』よりアート列車

それとともにピンクに染まった窓から景色も美しく、雄大な岩木山のすがたも目にすることができました。*弘南鉄道アート列車についてはイロハニアートに寄稿しました。

弘南鉄道がピンクに染まる?!青森でアート列車に乗ってみよう | イロハニアート


『青森をアートでたどるプロジェクト』よりアート列車(黒石駅にて)

弘前と黒石の間をアート列車で1往復すると、初日の十和田市現代美術館にはじまる青森の美術館をめぐる旅も終わりに近づいてきました。


スターバックスコーヒー弘前公園前店(登録有形文化財)

2年前に弘前に来た時はちょうどお城でお祭りが行われ、どこも大変な人出だったため、あまりゆっくり観光することができませんでした。


土手の珈琲屋 万茶ン

よって今回は東北では最古の珈琲屋で知られる万茶ンにてコーヒーをいただきながら、帰りの電車の時間まで弘前の街を散歩しました。


弘前れんが倉庫美術館

次に青森に出向く際は、スケジュールの関係で立ち寄れなかった八戸市美術館もあわせて巡りたいと思います。


『「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」奈良美智展弘前 2002-2006 ドキュメント展』 弘前れんが倉庫美術館@hirosaki_moca
会期:2022年9月17日(土)~2023年3月21日(火・祝)
休館:火曜日。12月26日(月)~1月1日(日) ※3月21日(火・祝)は開館
時間:9:00~17:00
 *入館は閉館の30分前まで
料金:一般1300(1200)円、大学・専門学校生1000(900)円。
 *( )内は20名以上の団体料金
住所:青森県弘前市吉野町2-1
交通:JR弘前駅より徒歩20分。弘南バス(土手町循環100円バス)「中土手町」下車徒歩4分。

『青森をアートでたどるプロジェクト 原 高史 〈AOMORI MAPPINK MEMORY 「記憶の未来」〉』  弘南鉄道弘南線車両及び主要駅(弘前駅・平賀駅・ 黒石駅)ほか
会期:2022年9月14日(水)~11月13日(日)
時間:1日9往復を予定。
 *車両点検で運休となる日あり
 *電車の最新の運行状況は弘南鉄道 Twitter(@konantetsudo)にて要確認
料金:周遊チケット:「わのパス MAPPINK TICKET」1100円
 *弘南鉄道弘南線1日乗車券 + プロジェクトの特別冊子付き
 *「わのパス」持参で弘前れんが倉庫美術館が100円引など特典あり
交通:弘南鉄道弘南線―JR奥羽本線「弘前駅」より乗り換え。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.2青森県立美術館・国際芸術センター青森



青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.1十和田市現代美術館



青森駅近くのホテルを出て、三内丸山遺跡前行のバス乗り、青森県立美術館へと着いたのは9時15分頃でした。


青森県立美術館

この日は全国を巡回していた『ミナ ペルホネン/皆川明』の青森での最後の開催日で、各地で話題を集めていた展示ということもあり、9時半の開館前には若干の列もできていました。


青森県立美術館

私はすでに『ミナ ペルホネン/皆川明』展を東京都現代美術館で鑑賞していたため、まずはアレコ・ホールにはじまるコレクション展を見ることにしました。


マルク・シャガール、バレエ「アレコ」の舞台背景画 展示風景

アレコ・ホールとはマルク・シャガールのバレエ「アレコ」の背景画を展示するスペースで、巨大な吹き抜けの中に、縦が約9メートル、横は約15メートルもの背景画が4点吊られるようにして公開されていました。


マルク・シャガール、バレエ「アレコ」の舞台背景画 展示風景

このうちの3点が同館の所蔵品であるものの、残りの1点をアメリカのフィラデルフィア美術館より借用しているため、すべて鑑賞することができました。*借用期間は2023年3月末までを予定。


マルク・シャガール、バレエ「アレコ」の舞台背景画 「アレコ特別鑑賞プログラム」時の展示風景

また「アレコ」の背景画を、舞台用の照明と音楽、ナレーションとともに紹介する特別プログラムも実施されていて、バレエのストーリーを分かりやすくたどることができました。


棟方志功『華厳譜』

青森県立美術館の魅力は、版画家の棟方志功をはじめ、現代アーティスト奈良美智、それに怪獣デザインで知られる彫刻家で特撮美術監督の成田亨といった、青森にゆかりの深い郷土作家のコレクションが充実していることでした。


奈良美智作品 展示風景

まず奈良美智では、絵画からオブジェ、インスタレーションなどが展示されていて、屋内からは青森の現代アートのシンボルとも化したあおもり犬も望めました。


奈良美智作品 展示風景

さらに棟方志功や草間彌生、また成田亨の作品などを見終えたのちは、屋外へと出て奈良美智のあおもり犬と『Miss Forest/森の子』を見学しました。なお青森県立美術館では一部の展示を除いて撮影が可能です。


あおもり犬

翌日より空調工事などにて休館する同館でしたが、休館中にあおもり犬の塗り替えも行われるため、ちょうど塗り替え前の最後の一般公開日での観覧となりました。*休館は11月22日までを予定。


奈良美智『Miss Forest/森の子』

八角堂での『Miss Forest/森の子』も一部改修が行われるとのことで、長く風雪に耐えてきた森の子のすがたを目に焼き付けました。


カフェ『4匹の猫』にて。あべ鶏と青森産りんごのカレーライス

一通り鑑賞するとランチタイムになっていたので、カフェ『4匹の猫』にてあべ鶏と青森産りんごのカレーライスと果汁100%リンゴジュースをいただきました。ジュースは弘前タムラファームによるもので、カレーもりんごで煮込んでいるからか甘味のある優しい味でした。カフェ『4匹の猫』は店内も広く、個々のテーブルの間もゆとりがあり、のんびりと食事を楽しむこともできます。


国際芸術センター青森

青森県立美術館を堪能したのちは、一度バスで青森駅へと戻り、同じ青森市内にあるもう1つのアートスポットを目指すことにしました。


国際芸術センター青森

それが2001年に開館し、現在は青森公立大学が運営する国際芸術センター青森でした。建物の設計を手がけたのは安藤忠雄で、市南部の八甲田山麓の森の中に位置していました。


国際芸術センター青森

青森駅よりバスに揺られること約40分、市街地を抜けて山道に差し掛かると、入口が見えるのが国際芸術センター青森でした。


国際芸術センター青森 展示棟

鬱蒼とした森の中にある国際芸術センター青森は、馬蹄型の展示棟をはじめ、創作棟と宿泊棟の3棟からなっていて、これまでにアーティスト・イン・レジデンス(AIR)を中心に、教育普及や展覧会の開催といった活動が行われてきました。


国際芸術センター青森 展示棟

この日は展示が行われていなかったため、建築物と屋外に点在する彫刻を鑑賞することにしました。


国際芸術センター青森 創作棟

屋外ステージを備えた展示棟をはじめ、創作棟と宿泊棟も、森の中に沈み込むように配されていて、彫刻も自然に溶け込むようにして置かれていました。


国際芸術センター青森 屋外彫刻作品

バスの本数が限定的なため、あまり長く滞在できませんでしたが、建物からしても一見の価値のある施設るかもしれません。


青森港から青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

この後は市内のホテルへと戻り、青森港を散策しつつ、近くの和食店で手の込んだ料理やお酒をいただいて夜を過ごしました。


青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.3弘前レンガ倉庫美術館・弘南鉄道アート列車へと続きます。

『シャガール「アレコ」全4作品完全展示』 青森県立美術館@aomorikenbi
会期:2017年4月25日~2023年3月末(予定)
休館:毎月第2、第4月曜日 (祝日の場合は、翌日休館)。年末年始(12月26日~1月1日)。この他、展示替え休館、館内改修工事のための臨時休館日あり。
 *11月22日まで館内工事のため休館
時間:9:30~17:00 
 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人510(410)円、大・高校生300(240)円、中学生・小学生100(80)円。
 *常設展観覧料。
 *企画展は別料金。
住所:青森市安田字近野185
交通:JR新青森駅東口よりルートバスねぶたん号「県立美術館前」下車。青森駅前6番バス停より「三内丸山遺跡行」より「県立美術館前」下車。駐車場あり。

国際芸術センター青森@acac_aomori
休館:年末年始(12月29日~1月3日)及び大学入学試験に関わる日程。
時間:9:00~19:00
 *展覧会:10:00~18:00
料金:無料
住所:青森市大字合子沢字山崎152-6
交通:JR青森駅からJRバスまたは青森市営バス「モヤヒルズ、青森公立大学行」に乗車、「青森公立大学」下車。(バス乗車時間は約40分)
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.1十和田市現代美術館

青森県立美術館をはじめ、十和田市現代美術館や2021年に開館した八戸市美術館など、青森県には現代アートなどのコレクションを有する5つの美術館とアートセンターが存在します。



私が約2年ぶりに青森の美術館を訪ね歩いたのは10月の初旬のことでした。現在、十和田市現代美術館では『名和晃平 生成する表皮』展、また弘前れんが倉庫美術館では『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』展などが開かれていて、まずは最初の目的地である十和田市現代美術館を目指すことにしました。

十和田市現代美術館の東北新幹線での玄関口は八戸駅、もしくは七戸十和田駅で、十和田へは両駅よりバスを利用する必要がありました。


十和田市民交流プラザ

はやぶさに乗って八戸駅に13時に着いたものの、良いタイミングにて十和田へ向かうバスがなかったため、青い森鉄道にて三沢駅へと移動し、そこから十和田へ行くバスに乗ることにしました。三沢から十和田への所要時間は約30分で、朝夕を除けば1時間に1本程度運行されていました。


十和田市現代美術館

2008年、東北初の現代美術館として開館した十和田市現代美術館は、十和田市の中心部の官庁街通りに位置しています。


十和田市現代美術館

西沢立衛の設計による建物は、白い箱のような展示室が独立して続く構成となっていて、外へと向けて開けた大きなガラス窓を特徴としていました。


ジム・ランビー『ゾボップ』 2008年

ジム・ランビーによってカラフルに彩られたスペースにて受付をすませ、ガラスの廊下を用いて次の展示室へと向かうと、ロン・ミュエクの『スタンディング・ウーマン』がすがたを現しました。


ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』 2008年

同館では1展示室1作家1作品の展示を基本としていて、いずれも現代アーティストによる大掛かりなインスタレーションを中心としていました。


塩田千春『水の記憶』 2021年

塩田千春の『水の記憶』やトマス・サラセーノの『オン・クラウズ (エア-ポート-シティ)』といったホワイトキューブに映える作品とともに、ハンス・オプ・デ・ビークらによる暗室を用いたインスタレーションも面白いかもしれません。


マリール・ノイデッカー『闇というもの』 2008年

このうちマリール・ノイデッカーは『闇というもの』において、樹木を象ったジオラマを公開していて、深い夜の森の奥へと彷徨っているような気持ちにさせられました。


アナ・ラウラ・アラエズ『光の橋』 2008年

幾何学的の彫刻でありながら、SFに登場するような宇宙船を思わせるのがアナ・ラウラ・アラエズの『光の橋』で、橋とあるように内部を渡り歩くこともできました。


レアンドロ・エルリッヒ『建物―ブエノスアイレス』 2012/2021年

このほか、森美術館での個展が大変な人気を集めた、レアンドロ・エルリッヒの『建物―ブエノスアイレス』も楽しい作品といえるかもしれません。


オノ・ヨーコ『念願の木』 1996/2008年
 
ガラスの通路を行き来しつつ、階段から屋上、また外壁にまで点在するコレクションは想像以上に充実していて、企画展示室での『名和晃平 生成する表皮』とあわせて楽しむことができました。*名和展の内容についてはイロハニアートに寄稿しました。


名和晃平『PixCell-Deer#52』 2018年

名和晃平の個展が開催中@十和田市現代美術館 十和田限定オリジナル展示も! | イロハニアート

さて十和田市現代美術館にて特筆すべきなのは、まちなかへの展開、つまり美術館外でも作品の展示が行われていることでした。


草間彌生『愛はとこしえ十和田でうたう』 2010年 *アート広場より

道路を挟んだアート広場では草間彌生やインゲス・イデーらの作品が展示されていて、一部に関しては遊具のように触れたり、中へ入ったりすることも可能でした。


エルヴィン・ヴルム『ファット・ハウス』 2010年

この日も実際に子どもたちが楽しそうに草間の作品に入ったりしていて、アートが人々の身近な場所に根ざしていくさまを見ることができました。



アート広場から南へ徒歩7分の場所にある「space」もサテライトスペースとして用いられていて、ちょうどアーティストの青柳菜摘の個展『亡船記』の会場として公開されていました。


青柳菜摘『亡船記』 展示風景

「space」とはアーティスト目[mé]が空き家をホワイトキューブに改装したもので、建物を切り抜いたような大きな窓が目立っていました。



さらに街中に目を転じると、お茶や器を扱いながら、現代アートを展示したり美術館と連動した企画を行う松本茶舗といった存在もユニークといえるかもしれません。


松本茶舗内より毛利悠子のインスタレーション

ここでは店内に毛利悠子や栗林隆といった作品が展示されていて、見学を申し出るとオーナーの松本さんが丁寧に案内してくださいました。


十和田市地域交流センター

このほか、9月にオープンしたばかりの十和田市地域交流センターを見学していると、いつの間にか17時頃となっていました。この日は青森市にホテルをとっていたため、夜までに青森へ移動しなくてはなりません。



青森へ向かうバスの時間まで少しあったため、市内の馬肉料理店で馬肉鍋を美味しくいただき、その後バスにて青森へと向かいました。


青森の美術館をめぐる旅:十和田・青森・弘前 Vol.2青森県立美術館・国際芸術センター青森へと続きます。

『名和晃平 生成する表皮』  十和田市現代美術館@ArtsTowada)、十和田市地域交流センター
会期:2022年6月18日(土)~11月20日(日)
 *十和田市地域交流センター:2022年10月1日(土) 〜11月20日(日)
時間:9:00~17:00
 *入場は閉館の30分前まで
料金:一般1800円、高校生以下無料
 *十和田市地域交流センターは無料
住所:青森県十和田市西二番町10-9(十和田市現代美術館)
交通:八戸駅より十和田観光電鉄バス「八戸駅」東口5から乗車、「官庁街通」バス停下車、美術館まで徒歩5分。(所要時間 約1時間)七戸十和田駅より十和田観光電鉄バス「七戸十和田駅」南口2番から乗車(所要時間 約35分)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界遺産の町、岩手・平泉を半日でめぐる旅~毛越寺と中尊寺~

奥州藤原氏が3代にわたって拠点を構えた平泉には、中尊寺や毛越寺などの古刹が点在し、2011年には「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産にも登録されました。



仙台のホテルをチェックアウトすると、朝9時に仙台駅を出発する東日本急行の高速バスに乗って、平泉へ行くことにしました。同社の高速バスは、朝と昼過ぎから夕方にかけて計4便、仙台と平泉間を運行していて、所要時間は片道1時間50分ほどでした。



一ノ関を経由し、定刻通りの11時前に平泉へ着くと、少し早めの昼食を取ることにしました。ちょうど駅前にあるそば屋の芭蕉館へ入ると、ランチタイム前だったからか人はまばらで、名物の盛り出し式わんこそばを注文しました。



薬味とわんこそば2段のセットで、さらにサービスの1段の36杯をいただくと、さすがにお腹もいっぱいになりました。



まず平泉で目指したのは、平安時代の浄土世界を今に伝える毛越寺でした。同寺は奥州藤原氏2代基衡と3代秀衡の時代に多くの伽藍が造営され、往時は中尊寺さえしのぐほどの規模を誇ったものの、奥州藤原氏滅亡後は荒廃し、すべての建物が失われました。



しかしながら現在、大泉が池を中心とする浄土庭園と伽藍遺構が残されていて、国の特別史跡と特別名勝の指定を受けています。



その広大な池泉には島が2島、さらに南側に出島などが築かれ、大きい中島の正面には金堂の跡が残されていました。



また随所に山水の景観も築かれていて、平安時代の曲水の宴の舞台ともなり、同時代では唯一の遺構とされる遣水も見ることができました。ともかく想像以上に広大で、この地にていかに奥州藤原氏が力を持っていたのかを肌で感じることができました。



一通り、毛越寺を見学したのちは、平泉でも特に有名な中尊寺へと向いました。毛越寺から中尊寺へは道なりで約1.5キロほどあり、歩くこともできますが、たまたまやってきた巡回バス「るんるん」に乗車することにしました。

平泉駅や毛越寺、中尊寺や道の駅などを巡るバス「るんるん」は、冬季を除く土日のみに運行されていて、中尊寺へは平泉文化遺産センターを経由して僅か5分ほどでした。



バスで中尊寺へ着くと、土産物店が連なる駐車場にはたくさんの車が停まっていて、大勢の人々がやって来ていました。



850年に比叡山延暦寺の僧、円仁によって開かれた中尊寺は、12世紀に奥州藤原氏の初代清衡が前九年・後三年の合戦によって亡くなった人を供養するため、大規模な伽藍を造営しました。その後、14世紀に多くの堂塔が焼失するも、金色堂をはじめとする実に3000点余りもの国宝や重要文化財といった寺宝が残されました。



弁慶堂や物見台などのある月見坂を進み、地蔵堂をすぎると右手に見えてくるのが本堂でした。中尊寺は標高130メートルほどの丘陵に堂塔が点在するため、表参道でもある長い坂道をあがる必要があります。中尊寺は本寺と17ヶ院の子院からなる一山寺院で、中心となるのが明治42年に再建された本堂でした。



そして本堂から不動堂、大日堂などの並ぶ参道を進むと左手に見えてくるのが、いわゆる宝物館である讃衡蔵と創建当初のすがたを唯一今に伝える金色堂でした。



讃衡蔵には平安時代の諸仏、国宝の中尊寺経、そして奥州藤原氏の副葬品などが納められていて、その一部を仏像を中心に見学することができました。



阿弥陀堂である金色堂は、極楽浄土を表すべく内外に金箔が押されていて、一面に極めて精緻な蒔絵や螺鈿が施されていました。まさに眩いばかりの輝きに目を奪われましたが、奥州藤原氏の遺体や首級の安置された霊廟であることを鑑みると、どこか寂しい気持ちにもさせられました。



この金色堂を見学したのちは、かつて同堂を守っていた旧覆堂や能楽堂などを歩き、再び参道へと戻って丘を降りることにしました。

平泉レストハウスのお土産店へ立ち寄り、少し休憩していると、帰りのバスまでにまだ時間があることに気づきました。



そこで中尊寺通りから駅の方向へ歩くことにすると、しばらくして右手に水をたたえた広い池のある場所へとたどり着きました。それが三代秀衡が平等院を模して建立したという寺院の跡地、無量光院跡でした。



この無量光院跡から左手に折れ、北上川の方へと歩くと開けてくるのが、清衡、基衡の屋敷跡とも伝わる柳之御所遺跡で、その向かいに平泉世界遺産ガイダンスセンターが建っていました。



昨年11月に開館したばかり平泉世界遺産ガイダンスセンターとは、世界遺産平泉の文化をパネルや資料などを交えて紹介する施設で、平泉の歴史と奥州藤原氏の関係や足跡などを学ぶことができました。



こうした平泉に関する常設展示とは別に、企画展示室では遠野と平泉のつながりを紹介する「遠野と平泉 ―新発見!平泉時代の遺跡を探る―」も行われていました。(9月11日終了)いずれも観覧無料ながらもかなり充実していたのではないでしょうか。



ガイダンスセンターのすぐ横の道の駅に立ち寄ったあとは、中尊寺駅へ向かい、偶然見つけた駅前のカフェSATOで美味しいコーヒーとロールケーキをいただき、高速バスにて仙台へと戻りました。



平泉へ行ったのはおそらく中学生以来のことだったかもしれません。この日は毛越寺や中尊寺を中心としたルートだったため、少し離れた達谷窟や名勝の厳美渓や猊鼻渓までは行くことができませんでした。また次に旅する際は、足を伸ばして巡りたいと思いました。

毛越寺
拝観時間:8:30~17:00 *11月5日~3月4日は16:30まで
拝観料:大人700円、高校生400円、小・中学生200円。
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
交通:JR線平泉駅より徒歩10分。平泉町巡回バス『るんるん』(土日のみ運行。冬季運休)毛越寺バス停。

中尊寺
拝観時間:8:30~17:00 *11月4日~2月末日は16:30まで
拝観料:大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円。
 *讃衡蔵・金色堂・経蔵・旧覆堂の拝観
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
交通:JR線平泉駅より徒歩20分。平泉町巡回バス『るんるん』(土日のみ運行。冬季運休)中尊寺バス停。

平泉世界遺産ガイダンスセンター
開館時間:9:00~17:30(4月~10月)、9:00~16:30(11月~3月)
 *最終入館は閉館の30分前まで
休館日:毎月末日、年末年始、資料整理日
料金:無料
住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字伽羅楽108-1
交通:JR線平泉駅から徒歩12分。平泉町巡回バス『るんるん』(土日のみ運行。冬季運休)道の駅平泉バス停。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

鎌倉のあじさい寺「明月院」へ。3年ぶりに6月中の土日も開門します

鎌倉の古刹であじさいの名所として知られる明月院。境内に咲くあじさいは数千本にも及ぶとされ、特に見頃の6月には毎年多くの人々で賑わってきました。



しかしコロナ禍において密集や混雑を避ける観点から、一昨年と昨年の6月の土日は閉門となったため、拝観は平日に限定されていました。

それが今年は3年ぶりに6月の土日も開門し、平日ともに8:30より17:00まで拝観することができます。(最終受付は16:30まで)



先日、神奈川県立近代美術館鎌倉館の『松本竣介展』へ出向いた際、北鎌倉へと足を伸ばして、明月院にも少し立ち寄ってみました。



総門左手の拝観口より境内に入り、桂橋を渡ると、山門前の参道の両脇に植えられたたくさんのあじさいが目に飛び込んできました。しかしまだ5月末だったゆえか色づいている花はさほど多くなく、やはり見頃は6月に入ってからのようでした。



明月院の創建は今から約860年前の1160年、この地の武将で平治の乱で戦死した山内首藤俊通の菩提供養にため、俊通の子が明月庵を建立したことにさかのぼります。そして約100年後の1256年には、鎌倉幕府の執権だった北条時頼によって、同じ地に最明寺が建立されました。しかし時頼の死後は廃絶しました。



すると時頼の子、時宗は、蘭渓道隆を開山とし、最明寺を前身とした禅興寺として再興させます。そして1380年には関東管領の上杉憲方が伽藍を整備し、寺域を拡大させると、足利義満の時代には関東十刹の一位となりました。この時に明月庵は支院の首位として明月院と改められます。



さらに時代が進むこと明治時代、禅興寺は明治初年に廃寺となります。そして現在に至るまで明月院だけが残されました。



明月院はあじさいだけでなく、枯山水公園や開山堂、また明月院やぐら、さらにはハナショウブ開花期と紅葉の時期のみ公開される本堂奥の庭園など見どころが少なくありません。



今年の6月は久しぶりに土日も多くの人々が明月院のあじさいを愛でることになりそうです。



最新の拝観、および開花情報について鎌倉観光公式ガイド、または鎌倉市観光協会のTwitter(@kamakura_kyokai)をご覧ください。

「明月院」
拝観料:高校生以上500円、小中学生300円。
 *本堂奥庭園公開:拝観料と改めて500円。
拝観時間:9:00〜16:00
 *閉門は16:30
 *6月は8:30〜17:00
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内189
電話:0467-24-3437
交通:JR線北鎌倉駅より徒歩10分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「温泉・食・本」がコンセプト。「湯河原惣湯 Books and Retreat」で楽しむ日帰り温泉

2021年8月、湯河原の万葉公園内にグランドオープンした「湯河原惣湯 Books and Retreat」。温泉、食、本などをコンセプトにした施設は、日帰り温泉の「惣湯テラス」と、カフェなどの「玄関テラス」からなり、新たな温泉の楽しみ方ができるスペースとして注目を集めてきました。



「湯河原惣湯 Books and Retreat」
https://yugawarasoyu.jp

東海道本線の湯河原駅を降り、駅前ロータリーから「奥湯河原行き」のバスに乗ると、山あいに開けた湯河原温泉場の街並みが見えてきました。湯河原惣湯が位置するのは温泉場のちょうど中央といっても良い落合橋バス停の近くで、あたりには明治15年創業の藤田屋や、二・二六事件の舞台となった伊藤屋などの老舗旅館が点在していました。



まず万葉公園の入り口に建つのが「玄関テラス」で、カフェやインフォメーションの他にコワーキングスペースなどが入居していました。



ここでは温泉場のガイドとともに、サンドイッチなどの軽食も販売されていて、無料にて立ち寄ることができました。(テイクアウトも可)



また本の貸し出しも行われていて、園内のテラスにて自由に読むことも可能でした。ただこの日は雨が降りしきる荒天だったため、屋外でゆっくり過ごすことは叶いませんでした。



この「玄関テラス」から千歳川に沿って、万葉公園を奥へと進むと現れるのが、日帰り温泉の「惣湯テラス」でした。これはかつて市民プールや足湯だった頃から使われていた建物をリノベーションした施設で、館内には2種の温泉とダイニングとラウンジ、それにライブラリーなどがありました。



「惣湯テラス」は有料の事前予約制で、食事付き(5500円、5時間利用可。)と食事なし(2600円、3時間利用可。)の2種類のプランがありました。いずれのプランも滞在可能時間を除けば温泉やライブラリーの利用条件に差はありませんが、私は食事付きのプランを利用しました。(食事付きプランは、湯河原の宿泊施設に泊まると500円引き。)



受付にてチェックインを済ませると、入り口で靴を脱ぎ、館内着、タオル、館内バッグを受け取ってロッカールームへと移動しました。「惣湯テラス」では館内着に着替えてから利用することが決められていて、私服にてダイニングなどに入室することはできませんでした。



ちょうどお昼過ぎの時間に着いたので、温泉の前に食事の提供されるダイニングへ行くことにしました。メニューは桜鱒と木の芽のご飯を中心に、新玉ねぎの煮物や菜の花の白和え、それにふきのとうの味噌汁など季節の素材を用いたもので、どれも素材の持ち味を活かして丁寧に仕上げられていました。(メニューは月替わり)



また食事はアルコールを含め1杯目が無料の上、コーヒーや紅茶などもフリードリンクとして用意されていました。(フリードリンクは紙カップにて提供)来館者はほぼ2人か3人連れの方で占められていましたが、ゆっくり窓の外の緑を眺めながら食事をいただくのも良いかもしれません。



このダイニングから1つ上の2階に広がるのが、湯河原惣湯のコンセプトでもある本が並ぶライブラリーでした。ここには1500冊の蔵書よりエッセイ、小説、アート、旅に建築など、さまざまなジャンルの本や雑誌が常時150冊ほど開架されていて、自由に手に取って読むことができました。



そしてライブラリーには椅子やソファー、また机の置かれたスペースもあり、実際にノートパソコンを開いては作業している方を見受けられました。わずかな川の音のみが響く静寂の空間で、本へと向き合うのに最適な空間だったかもしれません。



こうしたダイニングとライブラリーの入った建物に続くのが、男女の2つの温泉からなる露天の大浴場でした。


*浴室の写真は公式サイトより

源泉掛け流しによる大浴場は、石で湯船いくつかに区切られた独特のかたちをしていて、手前から奥へ向かって徐々に温度が低くなるように設定されていました。また浴場にはシャワーとサウナも用意されていましたが、いわゆる洗い場はありませんでした。(シャワーブースにボディソープを用意)

浴場は山の緑に向かって開かれていて、デッキチェアもあり、天井はルーバーの構造になっていました。この日はとても寒く、雨水も浴場に滴り落ちていたからか、お湯はややぬるめでしたが、その分、長い時間ゆったりと浸かることができました。



この大浴場に加え、男女別の1組用の湯船があるのが奥の湯で、ダイニング棟から川沿いの小道をさらに進んだ先に位置していました。



奥の湯は現地での予約順番制によるプライベート用の貸切湯で、利用客がいない場合は自由に入浴することができました。(1組20分程度が目安)



また奥の湯の近くには3〜4名ほどの人が利用できる「奥のラウンジ」があり、椅子に腰掛けて休憩することも可能でした。



結局、ランチをいただき、温泉に2度浸かって、ライブラリーにて本をめくっていると、約4時間ほどは経過していました。ちょうど春休み期間中の平日に利用したこともあり、館内には比較的余裕がありましたが、奥の湯は予約は1時間先まで埋まっていました。あらかじめ入館時に予約しておくのも良いかもしれません。



全国各地に日帰り温泉は数多く点在しますが、食はもとより、本をコンセプトに取り入れた施設はなかなかユニークではないでしょうか。ともかく荒天ゆえに屋外のテラスの利用や散歩を楽しめなかったのは残念でしたが、それでも贅沢な時間を過ごすことができました。

『湯河原惣湯 Books and Retreat』 玄関テラス
営業時間:10:00〜17:30
定休日:第2火曜日 
料金:無料
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上566番地(万葉公園内)
交通:JR線湯河原駅2番乗り場より「不動滝行き」または「奥湯河原行き」に乗車、「落合橋」バス停下車すぐ。(約12分)

『湯河原惣湯 Books and Retreat』 惣湯テラス
営業時間:10:00〜20:00(土・日・祝)、10:00〜18:00(平日)
 *最終入館は閉館の30分前まで。
定休日:毎週水曜日、第2火曜日 
料金:5500円(食事付き)、2600円(食事なし)
 *食事付きプランの滞在時間は最大5時間。食事なしプランは3時間。
 *湯河原の宿泊施設に泊まる場合は500円割引(食事付きプランのみ)
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上704 (万葉公園内)
交通:JR線湯河原駅2番乗り場より「不動滝行き」または「奥湯河原行き」に乗車、「落合橋」バス停下車すぐ。(約12分)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

青木繁の「海の幸」が生まれた房州館山の布良を訪ねて

明治時代を代表する画家で、28歳にて夭折した青木繁は、代表作「海の幸」を房総半島南端に位置する館山の布良(めら)にて描きました。



青木が友人の坂本繁二郎や森田恒友、そして恋人だった福田たねらとともに滞在した布良の家は、現在「青木繁『海の幸』記念館 小谷家住宅」として一般に公開されています。



布良は館山市中心部より南に約10キロほど離れた場所にある漁港で、館山駅からは安房白浜行きの路線バスで約25分ほどかかりました。館山駅からバスに乗って山を抜けると、右正面に太平洋に面した海岸が開けていて、しばらくすると記念館に近い安房自然村バス停に着きました。



1899年に布良を襲った大火の後に建てられた小谷家住宅とは、漁業で栄えた一家の木造平屋建ての住宅で、2009年に館山市指定有形文化財に指定されました。かつて小谷家の住まいでもあった同宅は、後世に残すためにNPO法人とともに基金を集め、約2年の改修工事を経て、2016年に記念館としてオープンしました。



バス停から少し海岸方向へ降りた先に建つ小谷家住宅の前には、ブロンズの刻画「海の幸」も展示されていて、ここが青木とゆかりのある地であることを見ることができました。



私が出向いた際はあたりに人がいなく、玄関も閉ざされていましたが、家の方へ近づくとすぐにガイドの方がやってきて下さいました。同住宅は現在、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点より、個人客に限定した上、土日のみ見学を受け付けています。



中へ入ると座敷があり、右手に青木らが滞在した2間続きの客室が広がっていて、床の間には「大漁」と書かれた掛け軸がかかっていました。また「海の幸」の複製画も展示されていました。そして青木を出迎えた小谷家当主・小谷喜録の子孫にあたる方が、小谷家の来歴や青木の滞在時のエピソードなど丁寧にを説明して下さいました。



小谷家は江戸期より昭和初期まで布良で続いた漁家で、小谷喜録は布良を含む当時の富崎村の議員をはじめ、帝国水難救済会布良救難所看守長をつとめるなど地元の名士として活動していました。



また小谷家が所蔵する「日本重要水産動植物の図」とは、1890年に水産実習のお礼として水産伝習所より贈られたもので、当地に滞在した青木も見ていたとされています。

この地に青木がやってきたのは、東京美術学校を卒業した1904年のことで、いわゆる制作旅行として布良海岸が選ばれました。これは青木や坂本と同じ久留米出身で、交流していた詩人高島宇朗に布良の良さを伝えられていたからと言われていて、約40日間滞在して「海の幸」を制作しました。また青木自身も布良を気に入った様子などを旧友に絵手紙として送りました。

小谷家に滞在した3年後に描かれた大作「わだつみのいろこの宮」も、布良の海に潜ったことから着想を得た作品として知られていて、青木は布良の海そのものも何点か絵画に描きました。



福田たねの「館山の茶屋」(複製画)は、70歳を超えた福田が、かつて青木らと布良に来たことを思い出して描いた作品で、海岸で4人揃ってかき氷を食べる光景が表されていました。

青木とたねの間には子どもが生まれたものの入籍せず、6年後に青木は結核により亡くなりますが、たねは83歳まで生きて野尻長十郎との間に7人の子をもうけました。また1962年には青木との子で、「海の幸」に因んで名付けられた幸彦こと音楽家の福田蘭童や坂本繁二郎とともに布良を訪ねて、「海の幸」の記念碑の除幕式に参加しました。



その記念碑が記念館のすぐ近くの布良海岸に建っていて、正面に伊豆大島、そして眼下に青木も描いた波に削られた岩場と砂浜が入り組む海岸を見ることができました。


青木繁「海の幸」 1904年 *アーティゾン美術館の展示より

10名の裸体の男がサメを担いで砂浜を歩く「海の幸」は、神話世界をのぞき込むような独特の雰囲気が漂っているとともに、人間の根源的な生命感がみなぎっているような印象を与えられます。またたねをモデルとしたとも言われ、こちらを向く1人の人物の目線も心を捉えられてなりません。



「海の幸」の制作にはラファエル前派の影響とともに、布良に伝わる御輿を担ぐ祭礼の光景に着想を得たという指摘もなされています。そして布良には昔からいくつかの神話も伝えられてきました。


この日はあまり時間がなく、残念ながら海岸線まで降りられませんでしたが、日本美術史上でも傑作と称される「海の幸」を生んだ布良を訪ね歩くのも楽しいのではないでしょうか。

「青木繁『海の幸』記念館 小谷家住宅」@aokisigeru_mera
開館:土曜・日曜日。(お盆時期、年末年始を除く)
時間:10:00~16:00(4月〜9月)、10:00〜15:00(10月〜3月) 
料金:一般200円、小中高生100円。
住所:千葉県館山市布良1256
交通:JR線館山駅よりJRバス関東「安房白浜」行き(約25分)、「安房自然村」下車徒歩3分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「晩秋の磐梯高原と会津への旅」 後編:鶴ヶ城と会津若松のレトロな街歩き

「中編:会津さざえ堂と東山温泉向瀧」から続きます。磐梯高原と会津若松へ行ってきました。



会津若松市内を公共交通にて観光するには、まちなか周遊バス「ハイカラさん」と「あかべぇ」が便利です。ともに会津若松駅や飯盛山、また東山温泉に鶴ヶ城、七日町を経由して走る循環バスで、それぞれ30分から1時間に1本程度の本数にて運行していました。



東山温泉駅から「あかべぇ」にてまず向かったのは、会津若松のシンボルともいうべき鶴ヶ城でした。



古くは室町時代の蘆名家にさかのぼる鶴ヶ城は、伊達家、蒲生家、保科家、松平家などと領主をかえていて、江戸幕末の戊辰戦争においては約1ヶ月にも及ぶ篭城戦が繰り広げられました。その後、会津藩の降伏に伴い、天守閣は政府の命令によって取り壊され、現在は1965年に鉄筋コンクリートで外観復元された天守閣が建っています。



5層の天守には歴代藩主や戊辰戦争などに関する資料が展示されていて、郷土博物館として会津の歴史や文化を紹介していました。



そして最上部は展望スペースとなっていて、東西南北を山に囲まれた会津の街並みを一望することができました。ともかく昨日から天気が良かったため、遠くの山々までを眺められました。



鶴ヶ城の城跡のある公園はかなり広く、本丸には千利休の子の小庵が会津に匿われていた際、当主蒲生氏郷のために造ったとされる茶室「麟閣」が公開されていました。



戊辰戦争により荒廃した鶴ヶ城でしたが、麟閣は茶人の森川善兵衛が城下にあった自らの屋敷に移築していて、約120年もの間大切に保存されてきました。そして1990年、会津若松市の市制90年を記念して元の場所へと復元されました。



麟閣の庭ではお茶をいただくことでもできて、のんびりと寛いでいる方の姿もちらほらと見受けられました。鶴ヶ城は団体や個人、それに修学旅行と思しき学生のグループなどが多く、観光客でかなり賑わっていました。



本丸から二の丸、そして出口へと歩くと、三の丸の跡地に福島県立博物館が建っていました。1996年に開館した同館は、福島県の古代から現代までの歴史を民俗、あるいは自然資料などで紹介する施設で、館内には考古、歴史、美術などからなる常設展示室と、さまざまな企画展を行う企画展示室がありました。



企画展示室では秋の企画展として「ふくしま 藁の文化」が行われていて、福島のみならず、東北から関東へ至る藁に関する資料が一堂に公開されていました。



福島の歴史をたどる広大な常設展示室を足早に鑑賞しているとランチタイムとなったので、会津若松市の繁華街である七日町へとバスで移動しました。



この日利用したのは七日町にあるイタリアンレストラン「パパカルト」で、会津の土地の野菜を用いた前菜とクリームパスタのコースでした。前菜はどれも手が混んでいた上、程よく濃厚なクリームの味が美味でした。



また白を基調とした店内も極めて落ち着いていて、表通りの喧騒とは無縁の静かな時間を過ごすことができました。



会津藩の西の玄関口でもあった七日町界隈には、昔ながらの蔵や洋館を利用した飲食店や土産物店が多く集っています。



そのうちセレクトショップを運営する福西本店は、江戸中期に会津に移った初代伊兵衛以来、約300年の歴史を誇る福西家の商家建築が残されていて、母屋蔵や座敷蔵、それに離れなどからなる建物を見学することができました。



戊辰戦争のあおりを受けた福西家は、一度財を失うも、明治後期から大正時代には復興を遂げ、九代伊兵衛の時代には銀行や電力会社、鉄道会社の役員に名を連ねるなど繁栄を極めました。表の大町通りに面した黒漆喰の3つの蔵は大正3年に完成しました。



建物の中に福西家が長らく収集してきた書画や調度品が公開されているのも特徴で、床の間の美しい設えとともに楽しむことができました。



そのうち1925年のパリ万博へも出展された可能性のある、細密な寄木細工による飾り棚には目を見張りました。



また仏間や座敷、母屋のいずれもが蔵によって作られていて、生活と蔵が大変に密接に関わっていたことがよく分かりました。なお母屋蔵に関しては現在、ギャラリースペースとして一般向けに貸し出しされています。



福西家には多い時に一族が7世帯居住し、働き手を含めると50名近くがともに生活をしていたそうです。表通り側の店蔵から母屋に離れ、そして庭園と、想像以上に奥行きのあるスペースに驚かされました。



なお見学に際しては地元のガイドの方が一緒に建物を回りながら、建具や調度品、それに福西家の歴史について親切に解説してくれます。その中では福西の歴代の人々の業績や生き様とともに、戊辰戦争において家の中を新政府軍に蹂躙されてしまったとする逸話も心に残りました。ともかく時間に余裕を持って出かけられることをおすすめします。



七日町界隈をしばらく散歩しながらいくつかの土産店へ立ち入っていると、気がつけば14時を回っていました。



この日の会津若松観光でもう1つ目当てにしていたのが、1850年に操業した老舗酒造メーカー、末廣酒造の嘉永蔵を見学することでした。



酒蔵見学は10時から16時までの各1時間毎にスタートし、所要時間は30分ほどで、見学に際しての料金もかかりません。また基本的に予約は必要ありませんが、現在のコロナ禍を踏まえて1回あたりの見学が10名に制限されていました。よって前もって受付に見学する旨を申し出ておく必要があります。



15時の見学コースの欄に名前を記し、併設する蔵喫茶「杏」にて大吟醸シフォンケーキをいただきながら、しばらく時間を過ごしました。ちょうど土曜日で見学希望の方が多かったのか、15時前に受付へ戻ると、すでに定員に達していました。



そして吹き抜けのホールから蔵へ入ると、仕込み蔵や釜場などがあり、そこでスタッフの方が日本酒の定義や作り方について細かく説明してくれました。



長きに渡る嘉永蔵の歴史の中で特に目を引いたのは、日本酒造りの手法である山廃仕込みについてでした。多くの酵母が必要な日本酒の発酵では、かつて酵母を培養するためにお米を潰す山卸と呼ばれる作業を行っていましたが、明治時代に醸造試験所の技師、嘉儀金一郎が醸造方法に改良を加え、山卸作業を廃止、つまり山廃でも味わい深い酒を造ることができることを考案しました。



その嘉儀が大正時代に山廃の試験醸造を行ったのが嘉永蔵で、末廣酒造では今に至るまで嘉儀の山廃の手法を受け継いできました。



この他、昔の酒造りの道具が並ぶ展示室や、20年前から30年前にかけて作られた日本酒が保管された蔵なども見学することができました。基本的に酒は賞味期限がなく、日本酒も保管状態によっては古酒として味わうことができて、価格もビンテージワインに比べれば遥かに安価であるとのことでした。

なお見学ツアーでは最後に試飲タイムも用意されていました。もちろんお気に入りのお酒をショップにて購入することもできます。



今回の会津の旅で移動に便利だったのは、地域を周遊できるパス「会津ぐるっとカード」でした。利用開始日から連続する2日間が有効期間で、会津エリアのバスや列車が乗り放題になるだけでなく、観光施設や飲食店などの割引サービスがついています。価格は大人2720円でした。



このぐるっとカードの対象エリアがかなり広く、例えば猪苗代から諸橋近代美術館へのバス往復、また猪苗代から会津若松までの電車往復、さらに会津若松市内のバスなどがすべてフリーで利用することができました。また喜多方や会津坂下、会津田島方面へもフリーで行き来することが可能です。なかなかお得ではないでしょうか。

私自身、当地を訪ねるのは初めてでしたが、自然に溢れる磐梯高原と長い歴史と温泉を有する会津には見どころがたくさんありました。次回は喜多方などと合わせてもう少し足を伸ばして回りたいと思います。

「鶴ヶ城」
営業時間:8:30~17:00(天守閣への入場。最終入場は16:30)
入場料:大人410円、小中学生150円。団体料金の設定あり。
 *天守閣・麟閣の共通券:大人520円。
住所:福島県会津若松市追手町1-1
交通:JR線会津若松駅よりまちなか周遊バス「あかべぇ」、もしくは「ハイカラさん」に乗車し「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分。

「末廣酒造 嘉永蔵」 
営業時間:9:00~17:00
無料:嘉永蔵の見学は10時から1時間毎。最終案内は16時。所要時間30分。
住所:福島県会津若松市日新町12-38
交通:R線会津若松駅よりまちなか周遊バス「ハイカラさん」に乗車し「大和町」下車、徒歩1分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「晩秋の磐梯高原と会津への旅」 中編:会津さざえ堂と東山温泉向瀧

「前編:磐梯高原と諸橋近代美術館」から続きます。磐梯高原と会津若松へ行って来ました。



猪苗代駅から磐越西線の快速に乗り、蛇行を繰り返す電車の揺れに身を任せていると、約30分ほどで会津若松駅につきました。



すでに15時頃となっていた上、市内の観光は翌日を予定していたので、まずは宿泊先の東山温泉へのバスルートの途中に位置する飯盛山へ行くことにしました。



会津若松駅からほぼ真東にある飯盛山は、戊辰戦争の際、会津藩の武家の男子による白虎隊が自死した地として知られていて、白虎隊十九士の墓が築かれています。また山のふもとには土産屋が並んでいて、人影こそまばらだったものの、観光地の様相も呈していました。



私が飯盛山で特に見学したかったのは、山の中腹に位置する重要文化財「旧正宗寺三匝堂」、通称「会津さざえ堂」でした。



会津さざえ堂は1796年、当時飯盛山にあった正宗寺の僧、郁堂が考案した六角三層のお堂で、一方通行の二重螺旋構造にて上下に行き来するという、世界でも珍しい建築として知られています。



正面の唐破風の入口を抜けると、右回りに螺旋状のスロープが続いていて、頂上には太鼓橋があり、それを越えると今度は下りのスロープが続いて背面の出口に達するように作られていました。



江戸時代においては二重螺旋の通路に沿って西国三十三観音像が安置されていて、参拝者は一度入ることでお参りを終えたことになるという、庶民のための身近な巡礼の建物として使われていました。



ともかく外観と内観ともに特異な作りをしていて、堂内には数多くの千住札が貼られていました。なおスロープには手すりと滑り止めがありましたが、傾斜はややきついため、見学に当たってはなるべく履きやすい靴の方が良いかもしれません。



そして同じく飯盛山に位置し、鬱蒼とした緑に覆われた白虎隊十九士の墓をお参りした後は、山を降り、再びバスにて宿泊先の東山温泉へと向かいました。



白虎隊は同地にて鶴ヶ城が黒煙に包まれているのを見て落城したと錯覚し、命を落としたと伝えられていますが、西日が差し込んだ黄昏時の会津市街を望みながら少年たちの最後を思うと、どこか胸がつまるものを感じました。



さてこの日の宿にしたのは同温泉でも屈指の歴史を誇る老舗旅館「向瀧」で、ちょうど東山温泉駅バス停から湯川を挟んだすぐの場所に建っていました。



向瀧は「きつね湯」と呼ばれた会津藩士の保養所を前身としていて、明治維新ののちに藩から平田家が受け継いで温泉宿として営業を続け、いまでは6代目を数えるに至りました。ただどういう経緯で平田家が譲り受けたのかについては詳しく分かっていないそうです。



ちょうど川と崖地の間の傾斜のある場所に位置していて、純和風の建物が中庭を囲むようにして連なっていました。建物は明治6年の創業以来、増改築を繰り返していて、特に昭和の初期に行われた大普請では多くの宮大工が腕を振いました。また1996年には国の文化財保護法改正に基づき、登録有形文化財に登録されました。



傾斜地を利用した建物ゆえか、館内の廊下には至るところに階段があり、明治から昭和にかけての建築年代の異なる書院造や数寄屋造り風の部屋が続いていました。



中庭を正面に望むすみれの間に案内していただき、客室でチェックインを行い、抹茶と手作りの羊羹をいただくと、早速温泉を楽しむことにしました。



向瀧には宿の発祥の由来である伝統的な「きつね湯」とシャワー設備が整った現代的な「さるの湯」、それに3つの小さな貸切風呂「蔦の湯」、「瓢の湯」、「鈴の湯」があります。



最もレトロな趣きであるのは「きつね湯」で、動力を使っていないという45度ほどの熱めのお湯が自然にこんこんと湧き出ていました。なお向瀧ではすべての浴槽が源泉かけ流しで、お湯は透明でクセがなく体に程よく馴染むように滑らかでした。硫酸塩泉で疲労回復に効果があるとされています。



一方の「さるの湯」は大理石製の広めの湯船が置かれていて、窓からは樹木も望むことができました。向瀧には温泉宿にて定番の露天風呂がありませんが、最も自然を感じられるのは「さるの湯」かもしれません。なおお風呂へは夜中も入浴することが可能でした。(翌朝9時半まで)



向瀧ではすべてのプランが朝夕食ともお部屋で提供され、温泉を堪能すると夕食の時間がやって来ました。料理は会津産の地鶏や牛肉、それに長茄子やりんごなど土地の食材にこだわった郷土料理で、食前酒から前菜、焼物、煮物、揚げ物、汁、ご飯、デザートなど、かなりボリュームがありました。(写真はその一部です。)



特に鯉やにしん、ますなどを素材とした魚料理がメインとなっていて、臭みのない鯉のお刺身や程よく山椒が効いたにしん漬けも香りだっていました。



またホタテの貝柱で出汁をとった会津伝統のこづゆも、薄味の加減が絶妙で、野菜の旨味が口いっぱいに広がりました。



一連の郷土料理で最大の名物が会津藩に由来するという伝統の「鯉の甘煮」でした。実にこぶしよりも大きな鯉の煮物で、1メートル近くの鯉を約5等分したのち、醤油や砂糖で長時間煮たものでした。ともかく想像以上に大きく、すべて食べられるか心もとありませんでしたが、ご飯と合わせつつ、最後はお茶漬けにしていただきました。ただ鯉の甘煮は食べきれなくとも真空パックにして持ち帰ることが可能で、実際にも宿の方によれば大半の方がお土産にされるとのことでした。



夜の中庭の景色も大変に風情があるのではないでしょうか。冬は30センチほど雪が積もり、ろうそくでライトアップされるため、それを目当てに宿泊される方も少なくないそうです。



一晩あけて「きつね湯」にて体を温め、炊き立ての美味しいコシヒカリなどによる朝ごはんを部屋でいただくと、いつしかチェックアウトの時間を迎えていました。なお昨晩の夕食でもコシヒカリをいただきましたが、ともに会津産であるものの、朝と夕で採れた地域を替えることで、味に変化をつけているとのことでした。確かに夕食のコシヒカリはおかずに馴染むように比較的さっぱりしていた一方、朝食は腹持ちが良さそうな甘くもちもちとした食感でした。



バスが発車するまで少し時間があったため、宿の方に部屋と同様に文化財である大広間を案内してもらいました。寺院建築などに用いられる格天井を特徴とした広間で、松を描いた舞台を有し、天井部分には会津の桐の一枚板が貼られていました。



大変に風格のある広間でしたが、現在の会津にてこれほど大きな桐の一枚板を得ることは難しいため、もはや当地の素材にて改めて造ることは叶いません。それこそ増改築を繰り返した客間と同様に貴重な文化財といえそうです。



古い建物ゆえに年季が入っているのは当然ながら、客間も廊下も含めてガラスや床はぴかぴかに磨かれ、どれほど手入れに注意を払い努力しているのかがよく分かりました。また宿を大切にしながら、自然体でかつ親切に接してくれたスタッフの方の振る舞いにも心を打たれました。



長い歴史を有する温泉の余韻を感じつつ、宿の方が手を振って見送ってくれる中を東山温泉駅バス停へと歩き、バスにて会津若松市の中心部へと向かいました。



「後編:鶴ヶ城と会津若松のレトロな街歩き」へと続きます。

「会津さざえ堂」
拝観時間:8:15~日没(4月~11月)、9:00~16:00(12月~3月)
拝観料:大人400円、大学・高校生300円、小学・中学生200円。
住所:福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
交通:JR線会津若松駅よりまちなか周遊バス「あかべぇ」、もしくは「ハイカラさん」に乗車し「飯盛山下」下車、徒歩5分。

「会津東山温泉 向瀧」
住所:福島県会津若松市東山町大字湯本字川向200
交通:JR線会津若松駅よりまちなか周遊バス「あかべぇ」、もしくは「ハイカラさん」に乗車し「東山温泉駅」下車、徒歩1分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「晩秋の磐梯高原と会津への旅」 前編:磐梯高原と諸橋近代美術館

アジア屈指のサルバドール・ダリのコレクションを有する諸橋近代美術館は、福島県有数のリゾート地である会津磐梯高原に位置します。



東京駅から「やまびこ」に乗車し、郡山駅で磐越西線に乗り換え、磐梯高原への玄関口に当たる猪苗代駅に着いたのは10時半前でした。



猪苗代駅からは磐梯高原へのアプローチは路線バスで、駅からバスに乗ること約30分、樹々の色づく山々を車窓に見ていると諸橋近代美術館のバス停に到着しました。



1999年に開館した諸橋近代美術館は、いわき市出身でスポーツ用品店「ゼビオ」の創立者である諸橋廷蔵氏が蒐集した西洋美術作品を公開する美術館で、とりわけ約340点余りに及ぶダリのコレクションで知られています。



磐梯朝日国立公園内の5.5万平方メートル以上の広大な敷地内に建てられたのは、「中世の馬小屋」をイメージしたという約2000平方メートルの施設で、それこそヨーロッパの景色と見間違うような佇まいを見せていました。



エントランスを抜けて受付を済ませると、すぐ裏にミュージアムショップ、そして右手にカフェがありました。ほとんどの来館者は車でやって来ているようで、駐車場にも何台か車が停まっていましたが、まだ午前中の比較的早い時間ゆえか人出はまばらでした。



なおコロナ禍を踏まえ、入口で消毒と自動での検温の対応のほか、館内滞留人数の掲示などが行われていました。また受付でダリにちなみ、マスクに貼ることのできる髭のシールが配られるなどのしゃれた試みもなされていました。



この日に開催されていたのはテーマ展「ステッピング・アウト〜日常の足跡〜」で、サルバドール・ダリのほか、キリコやエルンスト、ミロの作品に加え、同館がダリともにコレクションの中核にしているイギリスの現代美術家、PJ クルックの作品が公開されていました。



PJ クルックの作品は、現在35点を有していて、1995年に諸橋廷蔵がクルックとパリのギャラリーで会ったことからコレクションがはじまりました。いずれの作品も時事的なモチーフを取り込みつつ、キャンバスだけでなく額縁へとイメージを拡張させていて、風刺的な味わいが感じられるとともに、シュールな世界を築き上げていました。

諸橋近代美術館のダリ・コレクションで興味深いのは、平面の作品とともに、外光を取り込むホールにて多くのブロンズなどの立体彫刻が展示されていることでした。少なくとも国内においてこれほどまとめてダリの彫刻を見られる美術館はほかにないかもしれません。



一通り作品を鑑賞した後は、ミュージアム・カフェで新メニューの「マシュマロ入り ココバナナ」をいただきました。カフェにおいても彫刻ホールと同様、庭の庭園や磐梯高原の豊かな自然を望むことができました。なお同館では展示室内の撮影はできません。



お昼を過ぎて美術館を出ると、徒歩で移動可能な磐梯高原の名所、五色沼へと行くことにしました。国道459号線を少し北に歩くとすぐに沼への案内看板が現れ、売店やレストハウスが並ぶ五色沼の入口に辿り着くことができました。さすがに人気の観光地ゆえに多くの人々で賑わっていました。



五色沼とは磐梯山の北側に点在する大小30余りの湖沼群を指していて、毘沙門沼、赤沼、るり沼などを巡る全長4キロのトレッキングコースが整備されています。



本来であればコースに沿って沼を巡っていくのが良かったかもしれませんが、あいにくバスの時間の関係もあり、毘沙門沼の周辺のみを少しだけ散歩することにしました。



ボート乗り場もある毘沙門沼は裏磐梯ビジターセンター側に位置し、五色沼でも特に人の多いスポットでありつつ、磐梯山を望む展望台も設置されています。



まだ見頃とまでは言えませんが、一部の樹木は朱色に染まっていて、写真を楽しむ人の姿も見受けられました。またお天気にも恵まれたからか、冷ややかな高原の風も心地よく感じられました。



五色沼をしばし散策した後は、再びバスに乗車して起点となった猪苗代駅へ戻りました。そして磐越西線に乗車し、会津若松を目指しました。

「中編:会津さざえ堂と東山温泉向瀧」に続きます。

「コレクションテーマ展「ステッピング・アウト〜日常の足跡〜」 諸橋近代美術館@dali_morohashi
会期:2021年7月13日(火)〜11月7日(日)  *会期終了後、11月8日より来年4月26日まで冬季休館
休館:会期中無休
時間:9:30~17:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1300(1000)円、高校・大学生500(300)円。中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:福島県耶麻郡北塩原村大字桧原字剣ヶ峯1093番23
交通:JR線猪苗代駅より磐梯東都バス「五色沼・磐梯高原」行きに乗車(約25分)、諸橋近代美術館バス停下車すぐ。無料駐車場あり。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「甲府を日帰りで楽しむ ミレーとバルビゾン、そしてワイナリー」 後編:甲府市街・サドヤワイナリー

前編:武田神社・山梨県立美術館から続きます。サドヤワイナリーの見学ツアーに参加してきました。



1917年(大正6年)に創業したサドヤワイナリーは、日本で初めてワイン専用ブドウ品種でワインを製造したことで知られ、甲府の自家農園でブドウを栽培してはワインを作り続けてきました。



サドヤワイナリーではワインの醸造と販売とともに、レストランやチャペル、宴会場などを運営している他、約700坪に及ぶ醸造場や貯蔵庫の地下ワインセラーの見学ツアーを行っています。



ツアーは各回40分程度、定員8名による事前予約制で、私も前もって土曜日の午後の2回目に当たる16時のツアーを予約していました。



山梨県立美術館からバスで甲府駅近くへ戻ると15時頃でした。見学まで少し時間に余裕があったため、甲府の街を散策することにしました。なお繁華街は主に駅の南側、甲府市役所から岡島百貨店付近に広がっていました。



商店街を練り歩きながら甲府城へと進むと、舞鶴城公園南広場にて公共空間を用いた社会実験「ADVENTURE in Kofu Scramble Park」が開催されていました。



これは新型コロナウイルスの影響下において、屋外広場を有効活用するための企画で、私が出向いた日はビアガーデン「KEEP CALM AND DRINK BEER」が行われていました。ソーシャルディスタンスの観点から一定の間隔を開けて座席が配置されていて、県内各地のブルワリーのビールが提供されていました。



そして舞鶴城公園からすぐ北にあるのが、豊臣秀吉の命によって築城が始まり、1600年頃に完成したと考えられている甲府城でした。



豊臣政権以降は徳川家一門が城主となり、1704年に柳沢吉保が治めると、城下町とともに栄えたと言われていて、2019年には国の史跡に指定されました。



城の威容を眺めながら線路を越えると、山手御門のある甲府歴史公園があり、すぐ横には明治から昭和初期の城下町を再現した商業施設、甲州夢小路が広がっていました。



ここでは古民家や蔵、倉庫など古い建築様式を取り入れた店舗が立ち並んでいて、明治初期まで甲府で200年以上も時刻を住民に知らせた「時の鐘」を再現した建物もありました。



レストランや和カフェ、ワイン販売やバー、それに和紙や紙小物などを販売する店などが連なっていて、甲府の1つの観光スポットを形成しているようでした。



また甲府駅北口では丹下健三の設計したメタボリズム建築、山梨文化会館も目立っていました。16本の円柱が建物を支える特徴的な外観は、まるで神殿か宇宙船のように見えました。



しばらく甲府駅周辺を歩いていると、予約していた16時が近づいてきたので、サドヤワイナリーへ行くことにしました。



駅から5分ほどの場所にあるサドヤワイナリーは、南フランスのプロヴァンスを思わせる佇まいが魅力的で、ツアーは入口すぐ右側のショップで受け付けていました。



スタッフの方の誘導の元、ぶどうの垣根を見た後は、いよいよ地下のセラーを見学することになりました。階段を降りると薄暗く古い空間が現れて、地上のお洒落な雰囲気とは一変しました。



地下セラーにはかつて地上からブドウを落としたタンクをはじめ、搾汁機などの昔の機械が残されていて、スタッフの方が樽の作り方やワインの製法などについて分かりやすく説明して下さいました。



一升瓶に換算して約300本ものワインを詰めた樽が並ぶのが、ワインを熟成するための樽熟庫でした。



サドヤのワインは樽で熟成させた後、さらに一升瓶に詰め替えてから寝かせるのが特徴で、無数の一升瓶が並ぶ貯蔵庫も見学することができました。



この他、非売品のヴィンテージワインなどが貯蔵されたスペースなども興味深いのではないでしょうか。



現在、サドヤではコロナ禍において結婚式などの宴会需要が激減し、営業に際しても困難な状況に置かれているとのことでしたが、ベテランのスタッフの方の楽しい解説を聞きながらツアーを巡っていると、あっという間に規定の時間を過ぎていました。



見学ツアーの後は地上へ戻り、ワインの試飲タイムへと移りました。ワインかブドウジュースをグラス一杯分試飲することが可能で、ワインを美味しく飲むための口に含ませ方についてもアドバイスもありました。



サドヤの見学ツアーは、ワインに詳しくなくとも、古い遺構を見られることからして魅惑的と言えるかもしれません。1000円の見学料金もリーズナブルに思えました。



この日は午前中に1回、午後に2回の計3回のツアーが行われましたが、いずれも事前予約で満員とのことでした。そもそもツアーはコロナ対策に伴って見学回数と人数をともに絞っていて、実際にも当日、飛び込みで参加を希望される方を断る様子も見受けられました。見学に際しては事前に予約されることをお勧めします。



最後にショップでお土産用にワインを買い、歩いて甲府駅へと戻りました。サドヤは駅から近く、気軽に立ち寄れるのも魅力かもしれません。



こうして午前中から武田神社と山梨県立美術館、そしてサドヤワイナリーの見学ツアーを日帰りで巡った後は、夕方過ぎの特急「かいじ」にて新宿へと帰りました。

「ワイナリー・地下セラー見学ツアー」 サドヤワイナリー@SADOYA_Winery
開催日時:11:00~(月~木)。11:00~、14:00~、16:00~(金~日祝)
見学料金:一般1000円、中学生以下無料。
 *プレミアム見学ツアーあり。料金は一般2000円。(20歳以上が対象)
 *完全予約制。公式サイトの専用フォームより要予約。
ショップ営業時間:10:00~15:00(月~木)、10:00~17:00(金~日祝)
住所:山梨県甲府市北口3-3-24
交通:JR線甲府駅北口より徒歩5分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ