山種美術館 「桜さくらサクラ・2005」展 4/29

山種美術館(千代田区三番町)
「桜さくらサクラ・2005」
3/12~5/8

こんにちは。

今日は、山種美術館の「桜さくらサクラ展」を見てきました。桜にちなんだ近現代の日本画が一同に会した、なかなか贅沢な展覧会でした。

「桜にちなんだ作品」と言っても、当然ながら、作品によってそれぞれの味わいが大きく異なります。鮮やかな桜色が克明に描かれたような、強い存在感を示す作品から、朧げに染み入る淡い色が印象的な作品まで、多種多様な表情を持つ「桜」がズラリと並びます。桜は日本の美意識と密接に結びついている感がありますが、確かに満開の桜を前にすると、漠然とした春の喜びを得ることがあります。今年お花見へ行き損ねた私にとっては、ちょうど良い展覧会となりました。少し遅めの「春」です。

速水御舟の「夜桜」は、色の落とされた花びらや枝が、大変に素朴な味わいを持っている美しい作品です。夜桜と言うと、どうもライトアップされた、光に反射した輝かしいピンク色を想像してしまいますが、もしかしたらその色は桜本来の美しさを損なっているのかもしれません。月明かりにポワッと浮かびだすような桜の淡い存在感。御舟の手にかかるとそれが一層味わい深くなります。繊細で落ち着き払った「美」がありました。

横山大観の「山桜」は、桜の木が大きく左へ反り返っている様が印象的です。構図としても見てもかなり大胆ではないでしょうか。桜の木全体が、まるで風になびいて大きくしなっているかのようです。また、花びらが散りゆく様が美しく、目に見えない風の存在感すら感じます。散り際の美学を上手く捉えた作品だと思いました。

菱田春草の「月四題春」は、枯れたようなタッチが独特の魅力を醸し出していました。朧げな月を前にした押し花のような花びらが、細い枝にしがみつくように咲いています。あまり他では見られないような面白い表現です。有名な「桜下美人図」も素晴らしかったのですが、私はこちらの作品に強く惹かれました。

面白い表現と言えば、橋本明治の「朝陽桜」も、凹凸感のある桜の様子が一際異彩を放っていたと思います。画面一杯にこれでもかというほど桜の花びらが描かれています。まさに満開です。花びらに花びらを幾重も重ねると、こんな風に見えるのかもしれません。やや押しが強すぎるのか、私の好きな感じではないのですが、面白い作品であることには間違いありません。

山種美術館は初めて行きました。美術館というよりもオフィスビルの一室のような雰囲気です。照明にあまり工夫がなされていないのか、作品への光の写り込みが気になりましたが、日本画の殿堂的な美術館でもあるそうです。今後は積極的に通いたいと思います。帰りに歩いた千鳥ヶ淵も、すっかり新緑が濃くなっていました。8日までの開催です。
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2005

あちこちで宣伝してるので既にご存知の方も多いかと思いますが、今日から三日間、東京国際フォーラムで「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2005」が開催されます。これは、1995年に誕生したフランスのナントで開催されている音楽祭の「東京バージョン」ということで、今日から5月1日までの間に、約150ものコンサートが開かれます。まさに「熱狂の日」に相応しいようなハードでエキサイティングな音楽祭です。

公式HPを何度見てもその全貌がなかなか掴みにくいのですが、テーマ作曲家であるベートーヴェンの音楽が、毎日朝から晩まで、同時進行的に、様々なコンサートで奏でられていきます。値段も無料から最大で3000円と素晴らしく良心的です。既に前売り券が売り切れているコンサートもありますが、原則的に全て当日券を出すというアナウンスがあります。また参加アーティストも実にバラエティーに富んでいます。相当に力の入った音楽祭です。これに参加しない手はありません。

私が一番注目しているのは、コンチェルト・ケルンとRIAS合唱団による「ミサ・ソレムニス」です。この組み合わせでチケット価格がわずか2000円と言うのも素晴らしいですが、東京で、これだけハイレベルの古楽器オーケストラで「ミサ・ソレムニス」を聴けるチャンスがあるでしょうか。是非聴いてきます。

公式サイト:東京国際フォーラム「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」
チケット:ぴあ(特設ページ)
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大胆さと緻密さと ヤンソンス指揮バイエルン放送響のコンサート

日本におけるドイツ年(3) NHKFMベストオブクラシック(4/27 19:00~)

曲 サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番                     
  ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲第2番

指揮 マリス・ヤンソンス
ヴァイオリン ジュリアン・ラクリン
演奏 バイエルン放送交響楽団

こんにちは。

ドイツ年特集の第三弾は、ヤンソンスとバイエルン放送響のコンサートです。一曲目のバルトークは聴き逃してしまいましたが、今日も耳を傾けてみました。

まずは、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲の中で抜群の知名度を誇る第三番です。少し曲想がごちゃごちゃしているような印象を受けますが、第二楽章の幻想的な旋律美と、第三楽章の楽しげなリズムや勇ましいファンファーレが強く記憶に残るなかなかの名曲です。ラクリンのヴァイオリンは、右に左にと大きく振れるような幅広い即興的な表現で、この音楽の持つ愉悦感をしっかりと伝えてくれました。ヤンソンスとバイエルン放送響も重心を低く抑えた好サポートです。良い演奏でした。

ダフニスとクロエの組曲では、オーケストラが驚くほど軽やかな響きを聴かせてくれます。ゆったりとした大きな流れに浸りながら、一つ一つの旋律がポッカリと浮かび出すのが素晴らしく、ヤンソンスの幅広いレパートリーに対する巧みな表現力を見せつける演奏だったと思います。繊細で美しく、また素朴な響きは、まるでラヴェルが武満の曲へと変化したかのようです。(?!)

私はこれまであまりヤンソンスを注目して聴いたことがありませんでしたが、確かにこの日の演奏を聴く限りでは、最近凄い勢いで注目されている指揮者だというのにも何となく頷けます。彼の演奏では以前ショスタコーヴィッチの交響曲のCDを頻繁に聴いていました。他にも何かオススメのCDはあるでしょうか。もう少し聴き込んでいきたい指揮者です。
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ラトルとベルリン・フィルによるブラームスの第2交響曲

日本におけるドイツ年(1) NHKFMベストオブクラシック(4/25 19:00~)

曲 シマノフスキ/ハーフィズの歌
  ブラームス/交響曲第2番ニ長調

指揮 サイモン・ラトル
メゾ・ソプラノ カタリナ・カルネウス
演奏 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

こんにちは。

今週のベストオブクラシックは、日本におけるドイツ年特集とのことで、ドイツの有名オーケストラが続々登場するそうです。今日はまずその第一回目で、ラトル&ベルリン・フィルのコンサートが放送されていました。(一曲目のサーリアホは聴き逃しましたので、二曲目のシマノフスキから聴きました。)

初めて聴いたシマノフスキの「ハーフィズの歌」は、穏やかな表情と美しい旋律が魅力的な情感溢れる曲です。シマノフスキに定評のあるラトルだけあってか、演奏も実に緻密で情緒的。メゾ・ソプラノのカルネウスの落ち着いた歌声と相まって、線の柔らかい牧歌的な良い演奏になっていたと思います。このような比較的マイナーな音楽を、たくさん演奏するのも彼ならではでしょう。「ロジェ王」は既に名盤としての地位を確立していますが、今後も多くのシマノフスキをCD化していただきたいものです。

二曲目は、今年の来日プログラムでも取り上げていたブラームスの第二交響曲でした。第一楽章こそやや冴えない印象も受けましたが、第二楽章から第三楽章へ移るにつれて、音楽がうねりながら一本の大河のようにどっしりと流れゆく様はさすがです。第四楽章は、好き嫌いが分かれそうな曲芸的な「仕掛け」が随所にありましたが、概ね好演だったと思います。先日の日本公演ではどのように受け止められたのでしょう。

それにしてもベルリン・フィルはラトルの手にかかると、響きに強い粘性を帯びてくると思います。カラヤン時代の録音と聴き比べると、響きの厚さという点では隔世の感がありますが、リズムの変化に対する抜群の反応と、腰の低く据わった粘り気のある表現は、ベルリン・フィルの魅力を倍加させるかのようです。早く実演に接してみたいものです。
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李禹煥 「線より」 東京都現代美術館の特集展示から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第7室 特集展示「李禹煥」
「李禹煥 -線より-」(1973年)

今、東京都現代美術館の常設展示室では、李禹煥(1936~)が特集されています。美術館所蔵の「線より」や「点より」と、詩画集の「東の扉」などが展示されていました。全部で10点ほどはあったでしょうか。

1973年作の「線より」は、青い絵具の幽玄なタッチが印象深い、とても穏やかな表情を見せる作品です。線は上から下へと描かれているはずなのに、何故か、下からゆらゆらと立ち上っているようにも見えます。青い絵具がサーッと透き通っていく過程には、一体どのような意味があるのでしょう。感覚的に美しい上、線の意味を考えさせる作品です。特集展示の中では一番惹かれました。

李は、初めて「もの派」へ理論的支柱を与えた人物としても紹介されますが、その後は激しい批判も呼び、様々な美学的論争を巻き起こしたこともあるそうです。彼の作品は80年代以降、「点より」に代表されるような動きのある作風へと移り変わっていきましたが、「もの派」云々の前提知識がなくとも、作品からは「美」や「意味」を朧げに感じることが出来ます。私は数年前に、葉山の神奈川県立近代美術館で初めて彼の作品に触れ、圧倒的な感銘を受けました。李の作品から生まれる独特の心地よい空気感は、美術館で味わう大きな喜びの一つです。8月まで特集されているそうです。
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サム・フランシスの「無題」 東京都現代美術館から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第9室
「サム・フランシス -無題- 」(1985年)

東京都現代美術館の中で、最も開放的な場所とは、サム・フランシス(1923~1994)の「無題」のある第9展示室ではないでしょうか。展示室の四面の壁全てに飾られた大きな作品は、カンヴァス上の鮮やかで動的な色彩の魅力と相まって、原初的な生命の息吹を感じさせます。エネルギーがほとばしりながら渦巻いている。あまりにも圧倒的です。

色彩はこの上なく鮮やかです。真っ白なカンヴァス上で大胆に飛び跳ねている色彩は、まるで生命を宿しているかのように動いています。これほど動きを感じさせる作品も珍しいでしょう。大胆な構成と躍動感。動きとともに空間の無限な広がりをも感じさせます。天井から自然光が差し込んでいますが、「光」とも共鳴し合うような作品です。

サム・フランシスは、アメリカの抽象表現主義作家として有名ですが、日本に滞在した経験もあり、水墨画との関連性を指摘する意見もあるそうです。現代美術館では2003年に大規模な個展も開催されました。私は残念ながらその時見損ねてしまったのですが、この「無題」の一点だけでも、十分にその魅力を味わうことが出来ます。この美術館では絶対に外すことの出来ない空間でしょう。私の一推しの作品です。
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ベルリン・ドイツ交響楽団 2005来日公演 「ブルックナー:交響曲第6番他」 4/18

ベルリン・ドイツ交響楽団 2005来日公演/東京

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
ブルックナー 交響曲第6番

指揮 ケント・ナガノ
ヴァイオリン 庄司紗矢香

2005/4/18 19:00 東京オペラシティコンサートホール3階

こんにちは。

オペラシティでベルリン・ドイツ響の公演を聴いてきました。芸術監督のナガノとのコンビでは、最後の来日なのだそうです。

一曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でした。ソリストの庄司紗矢香さんは、その華奢なお体からは想像もつかないような、豊潤な響きをヴァイオリンから引き出します。色気すら感じるようなヴィブラートの甘い味わいは、変なたとえですが、まるで程よい飲み頃を迎えた極上のワインのようです。まさに「美音」でした。オーケストラも、そんな彼女の演奏に寄り添うような控えめなサポートで、引き立て役に上手く徹していました。技巧を誇示しながら緊張感で唸らせる演奏とは対極にあるような、極めて穏やかな幸福感の漂う演奏だったと思います。

メインはブルックナーの第6交響曲です。これは大変に荒々しく、そして猛々しい演奏となりました。オーケストラは、前半で聴かせた控えめな表現から一転し、ホールを破壊せんばかりの大音響で鳴らしてきます。金管は激しく爆発するかのように吠え、力強いコントラバスは荒れ狂うようにゴリゴリと奏でます。ただ、決して熱狂型の浪花節的演奏(よく分からない用語ですが…。)にならないところがさすがなのでしょう。ナガノは各セクションの音のバランスにも大変に気をつかっているようで、弦と管はしっかりと複層的に聴こえ、全体の構造もしっかり示していました。後もう少しだけ「ブルックナー休止」を堪能できる「間」が欲しいかとは思いましたが、テンポ感も明瞭でセカセカする部分がありません。剛胆でかつ繊細とも言えるでしょう。水準の高い演奏でした。

ブルックナーの音楽で良く語られる、「宗教性」や「自然性」などの観点から言えば、彼のスタイルはまさに大自然の険しさや雄大さを感じさせる後者の要素を持っていたと思います。ナガノはヴァントに私淑されていたとのことですが、ヴァントほどの厳格さと緻密さはありません。当然ながら、ナガノのスタイルはあくまでも彼自身の独自のものだと思います。

最後の和音が鳴り響いた後も、ナガノがほぼ完全に手を降ろすまで拍手が湧きませんでした。オペラシティの豊かな残響は、美しい音の残照の痕跡をくっきりと示してくれます。改めてブルックナーの音楽の素晴らしさを思いながら、ナガノとベルリン・ドイツ響の高い音楽性を感じました。久々にブルックナーの音の大伽藍を味わいました。至福の時間を過ごしました。
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「あなたのまちの本郷新」 生誕100周年記念写真コンテスト

こんにちは。

彫刻家の本郷新の写真コンテストが、札幌彫刻美術館などによって行なわれているそうです。私も「弐代目・青い日記帳」を読んで初めて知りました。

「あなたのまちの本郷新 写真で送ってください」
札幌出身の彫刻家、本郷新が今年生誕100年を迎えるのを記念し、札幌彫刻美術館とNPO法人シビックメディアは、全国に点在する本郷新の作品の写真を集め、ウェブ上、および同美術館で公開する計画を立てました。本郷の作品は、公共空間に設置された野外彫刻だけでも全国で80体を超えます。あなたのまちの本郷新の彫刻を、写真に撮って送ってください。
送られた写真の中から選考委員が写真を選び、本サイトでご紹介したり、5月21日(土)から6月19日(日)まで札幌芸術の森美術館と札幌彫刻美術館で開催される「生誕100年 本郷新展」の会場で展示いたします。写真を使用する場合、撮影者には事前にご連絡いたします。


というわけで、作品が設置されているリストはこちらです。

日本全国はもとより、首都圏各地にもいくつか設置されています。私はあまり意識して彼の彫刻を見てきたわけではありませんが、世田谷美術館前庭の「わだつみのこえ」などは印象に残っています。写真に興味がおありの方、是非腕試しにでもいかがでしょう。

デジカメ写真を、直接事務局へメール送信するのもOKだそうです。自信はありませんが、今度チャレンジしてみようかと思います。
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東京都現代美術館 「ルオー展」 4/16

東京都現代美術館(江東区三好)
「出光コレクションによる ルオー展」
4/16~6/26

こんにちは。

昨日から木場の現代美術館で「ルオー展」が始まっています。早速初日に見てきました。

この展覧会は、世界最大級を誇るという出光美術館のルオー・コレクションの中から選ばれた、約二百点ほどの作品で構成されています。凹凸感のある独特の油彩から版画連作の「ミセレーレ」、それに活動初期の水彩画まで、ルオーの画業の大半が網羅されたという充実の展覧会です。見応えがありました。

ルオーの油彩画の味わいは大変に濃厚です。何層にも剥ぎ落とされては塗り固められた絵具は、単なる色彩としての意味を通り越して、作品全体の構造や配置までをも作り上げます。まるでカンヴァスに絵具をグイグイと擦り込ませたかのような力強いタッチは、人物や事物の存在感を高めて、それぞれに堅牢な構成感を与えます。その強烈な個性は、一度見たら二度と忘れることがなさそうです。パンフレットには、ルオーの油彩を「ステンドグラスを思わせる深い精神性」と紹介していましたが、私には、深い精神性云々はともかく、透明感のあるステンドグラスと言うよりも、例えば色鮮やかな石板画を見ているような印象を受けました。無骨な味わいがあります。

まとめて展示されることが珍しいという油絵連作の「受難」は、その画面構成からして異様な雰囲気です。まるでカメラのフレームを通して覗き込んだような「枠」のある視点は、その枠を通して垣間見える「受難物語」をクローズアップするかのようにして訴えかけます。また、「受難」シリーズにも顕著に見られますが、画面の上方に、鈍く輝いているような丸い月が多く描かれていることに気がつきます。ルオーにとって月とは何の意味があったのでしょう。あまりにも執拗に登場してくるので気になりました。

ルオーによって描かれた人物は、どれもやや類型的な印象を受けます。(決して悪い意味ではありませんが。)足や手などの関節が強調されたような造形と、大きな目にくっきりとした鼻筋の顔。そこからは強い意思を感じさせますが、それと同時に、まるで「木組み人形」のようなゴツゴツとした素朴な味わいをも思わせます。それは、ルオーの独特の色彩とも相まって、見る者に強いインパクトを与えそうです。

「小さな女曲馬師」(1925年頃)に強く惹かれました。ザラッとした独特のカンヴァスの味わいは、この作品の背景に使われている緑色を、驚くほど美しく見せてくれます。一見、この緑色は、闇が混じったような底抜けに深い暗さを思わせるのに、少し視点を変えるだけで、輝きだすようにキラキラと明るく映えてきます。手前の白馬や、赤みのかかった床とのコントラストも素晴らしく、ルオーの色彩の奥深さをこれでもかと感じさせるような作品です。

ルオーは何かに取り憑かれたように描いていたのでしょうか。作品からは何か病んでいるような険しい表情も感じられました。もしかしたら万人受けはしないのかもしれません。ただ、私にとっては絶対に忘れられない芸術家の一人となったようです。版画作品については会期の途中で展示の入れ替えも予定されています。そちらもまた見てみたいと思いました。
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東京都写真美術館 「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第1部 -誕生- 」 4/9

東京都写真美術館(目黒区三田)
「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第1部 -誕生- 」
4/2~5/22

こんにちは。

先日、東京都写真美術館で「写真はものの見方をどのように変えてきたか」という展覧会を見てきました。

この展覧会は、東京都写真美術館の「開館十周年記念企画」とのことで、11月までに「誕生」、「創造」、「再生」、「混沌」と、全四回のシリーズが予定されています。写真と人間の関わりに焦点を当てながら、写真史を概観していく内容は、私のような写真に疎い者だけではなく、写真にお詳しい方でも楽しめそうです。今回私が見てきたのは、第一回目の「誕生」です。19世紀ヨーロッパの写真技術黎明期の変遷と、幕末以降明治までの日本の写真史を扱っていました。

いわゆる写真の起源は、1839年のフランスで発表された「ダゲレオタイプ」という技術なのだそうです。展示では、当時の写真をいくつか並べながら、その技術的背景について説明していましたが、貴重な実機も置かれていたりしてなかなか分かりやすい内容となっています。世界初の写真集とされるタルボットの「自然の鉛筆」には、植物や建物など様々な被写体がありました。技術を誇示するための要素が強いとは言え、どれも興味深い写真ばかりです。

写真技術の日本への流入は意外と早く、1848年に「写真器」が輸入されたことがその発端なのだそうです。当時の日本の風景を写したものの中に、江戸を鳥瞰的に撮った写真がありましたが、見渡す限りの屋根瓦と白い塀に埋め尽くされ、一切の高い構造物がありません。「近代化」を遂げた東京には、すぐにこれらの建物が消えてしまいましたが、今この光景が残っていたら間違いなく「世界遺産」だったことでしょう。

写真の隆盛は、それだけ人の価値観や生活を変化させたのでしょうか。画家の生計にとって重要だった「肖像画」は、次第に写真の領域となってしまいます。戦争遂行のために、半ばプロパガンダ的に使われた写真の意味…。色々と挙げればキリがありません。「写真の発明」の影響力の凄まじさを、まじまじと見せつけられた展覧会でした。第四部まで見続けていきたいです。

*「写真はものの見方をどのように変えてきたか」展スケジュール
「第一部 誕生」 4/2~2/22
「第二部 創造」 5/28~7/18
「第三部 再生」 7/23~9/11
「第四部 混沌」 9/17~11/6
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小倉遊亀の「浴女その一」 東京国立近代美術館から

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
常設展示
「小倉遊亀 -浴女その一- 」

年代を感じさせる白いタイル張りの浴室に、薄い桃色がかった肌を露とする女性が二名。湯には透明感溢れるエメラルドグリーンが配されていて、タイル目地が丸みを帯びながら揺らいだ線で描かれています。小倉遊亀(1895~2000)の作品は、東京国立近代美術館に五点ほど並べられているようですが、私はいつも、この「浴女その一」(1938)の美しく上品な味わいに惹かれます。

この作品の一番素晴らしい点は、何と言っても浴槽にはられた湯の透明感ではないでしょうか。瑞々しいばかりの淡く優しい緑色を帯びた湯が、浴槽の床のタイル目地をゆらゆらと揺らげて、実に深い質感をもたらしている。また、そのたっぷりとはられた湯は、その色合いから想像もしにくいような温かさを感じさせます。さらに、今にも入浴しようとする女性は、その横顔が穏やかで、何とも言えない幸福感を発露しているかのようです。また背中を見せているもう一人の女性の、足を組みながら湯と戯れている姿も美しいものです。全体の色彩の透明感と、クッキリと描かれた輪郭線のバランス感覚。他ではなかなかお目にかかれないような味わい深い作品です。

調べてみると、この美術館では三年前に、小倉の大規模な回顧展が開催されたそうです。残念ながら私は、その時まだ彼女の魅力に気がついていなかったので見損ねてしまいました。またの機会にでも是非、まとまって小倉の作品を拝見してみたいものです。

*「浴女その二」についての記事はこちらへ。
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NHK交響楽団 第1538回定期公演 「バルトーク:管弦楽のための協奏曲他」 4/10

NHK交響楽団 第1538回定期公演Aプログラム2日目

ハイドン 協奏交響曲
リスト ピアノ協奏曲第1番
バルトーク 管弦楽のための協奏曲

指揮 準・メルクル
ピアノ 横山幸雄
オーボエ 茂木大輔
ファゴット 水谷上総
ヴァイオリン 篠崎史紀
チェロ 藤森亮一

2005/4/10 15:00 NHKホール3階席

こんにちは。

昨年の12月以来、久々となるN響の定期演奏会を聴いてきました。三曲全てが「協奏曲」という興味深いプログラムでした。

ハイドンの協奏交響曲は初めて聴きましたが、なかなか面白い曲です。リズミカルな弦の下支えの上に、オーボエやチェロなどの美しいメロディーが絡み合います。今回のソリストの方は全てN響のメンバーの方とのことでしたが、さすがに普段から一緒に音楽を奏でられておられるせいか、曲が進むにつれての呼吸感は見事なものです。私としては特にオーボエの茂木さんに惹かれました。柔らかなふくらみのある響きが3階席まで確実に響いてきます。これは素晴らしかったです。

二曲目はリストのピアノ協奏曲でした。ソリストの横山幸雄さんはバリバリと弾くように鍵盤へ向かっていましたが、出てくる響きは意外にもソフトで、過激な表情が殆ど見られません。まるで、流れゆく音の粒が泡のようになって次々と軽く弾けているようでした。ですから、この曲に更なる表情の深刻さを求める方にとっては、若干の物足りなさが残った演奏だったかもしれません。私もあともう少し華やかさが欲しいかとは思いましたが、集中力を最後まで切らさないで聴くことができました。弛緩した部分はなかったように思います。歯切れよいリズムを聴かせてくれたオーケストラのサポートも好印象でした。

休憩後のメインは、バルトークの名曲として名高い「管弦楽のための協奏曲」でした。メルクルはこの曲を、異様なほど神経質に、そして半ば過剰な感じさえ受けるほど丁寧に掘り下げていたようです。曲の一つ一つのプロットを明確に提示して、全体の構成をがっちりと組み立てていきます。私は何回かこの曲を実演で聴きましたが、ここまでの堅牢感を感じたのは初めてでした。メルクルの解釈の方向性は、その明快な指揮によって、オーケストラの隅々にまで行き渡っていたのでしょう。ミスらしいミスが殆どなく、各セクションの齟齬も殆どないような、ある意味でほぼ完璧な演奏でした。「知性的」な演奏とも言えるかもしれません。バルトークの独特の語り口を極力排したような表現も、あれほどの説得力を持ってすれば納得するしかなさそうです。

私は頻繁にメルクルを聴いているわけではありませんが、こういう方がオーケストラのトップに立てば、その音楽表現や技能が格段に向上していくのではないかと思わせるような演奏でした。機会があれば是非、彼を別のオーケストラで聴いてみたいです。以前、新国立劇場「リング」の時は、あまり方向性が分からなかったメルクルでしたが、今回はそれを僅かでも感じとることができました。予定はしていませんが、Cプログラムの「荘厳ミサ曲」も良い演奏になりそうです。
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東京都写真美術館 「Ten Views - スペイン現代写真家10人展」 4/9

東京都写真美術館(目黒区三田)
「Ten Views - スペイン現代写真家10人展」
3/19~4/24

こんにちは。

恵比寿の写真美術館で、DADA.さんご推薦の「スペイン現代写真家10人展」を見てきました。

この展覧会は、「過去25年の民主社会において、スペインが遂げた変貌をテーマにした写真展」(パンフレットから。)という趣旨の元に、現代の10名のスペイン人写真家の作品が展示されています。どの作品も良い意味で既視感がなくて、スペインの人々や建物、そして空気や大地などが、半ば映画的な視点を持って、美しくフレームの中におさまっています。強いインスピレーションを呼び起こされるものばかりでした。

どの作品も、写真としての面白さを感じさせるのはもちろんですが、特に私の感性と波長があったのは、展示室入口前に並んでいるフアン・マヌエル・カストロ・プリエトの幻想的な作品と、入口正面のリッキー・ダビラのポートレート作品、それにスペインの原風景を美しく切り取ったラモン・マサッツの作品です。

プリエトの作品は、どれも物語性を喚起させるものばかりです。空間の歪みを捉えたような、構図を曖昧にした作品からは、その場所の過去の物語を感じさせるような要素があります。モノクロ写真での光の取り込み方も器用で、作品の「影」の部分を美しく見せる技術にも唸らさせるものがありました。部屋に飾って日々対面してみたいような、そんな作品でした。

ダビラのポートレート写真は、被写体の強い生命力の発露を感じさせる、存在感のとても強い作品です。こちらを睨みつけるような鋭い眼光と、皮膚の奥底にまで食い込んでいるようなシミやしわが、どの被写体にも強く浮き出ていて、そこからは人間の「生」の営みを執拗なまでに感じさせます。ポートレート写真では、アルベルト・ガルシア=アリックスの作品も良く、美しく切り取られた被写体の人物の存在感を感じとることができましたが、ダビラの方がより生々しい表現です。「見ているのか、それとも見られているのか。」視点が転倒してしまうような、そんな力強ささえ感じました。

マサッツの作品は、スペインの大地と空気を、美しい構図でもって見せてくるものばかりです。空の「青」や建物の壁の「白」などが、限りなく鮮明に、そして光を放って輝いて写っています。見ていて爽快な気分になる開放感溢れる作品は、照明の落とされた会場の中で、一際目立っていたのではないでしょうか。単なる風景を、あれほどにまで鮮やかにおさめることができるのかと、半ば関心させられます。

会場の雰囲気も良く、作品の配置や照明の度合いにも細心の注意が払われた質の高い展覧会だったと思います。図録が5000円を超えるお値段だったので断念しましたが、どれも何度も見返したくなる作品ばかりです。逞しい表現力を感じる写真芸術に接することができた良い写真展でした。
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宮島達男のデジタル・カウンター 東京都現代美術館から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第13室
「宮島達男 -Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever-」

宮島達男(1957~)のいわゆるデジタル・カウンターは、都内のあちこちでも見ることができます。例えば原美術館の「Time Link」(1989)は、曲線が印象的な美術館の一室で、黙々と時をカウントし続ける何やら刹那的な作品であり、また、東京オペラシティーの大階段にある「Time Passage」(1996)は、夜になるとまるで数字が口を開いて語りだすように点滅し始める、音楽的なリズムすら感じさせる作品です。しかし、私が見た宮島の作品の中で最も素晴らしいと思うのが、この東京都現代美術館の常設展示室にある「Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever」(それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く 1998年)です。

常設展示の最後でどっしりと待ち構えるこの作品。部屋の照明はもちろん落とされていて、暗闇の中から浮き上がるカウンターの眩いばかりの点滅をじっくり堪能することが出来ます。また、部屋には作品からちょうど良い場所に椅子が置かれていて、腰掛けながら「永遠」を感じることもできる。私も大概この椅子に腰掛けながら、都市のイルミネーションの点灯を眺める感覚で、巨大なカウンターが作り上げる「無限空間」を見ていますが、しばらくすると何やらカウンター一つ一つが細胞で、作品全体が不思議な生き物のような、そんな妙な気持ちにさせられることもあります。見ていくと次第に落ち着いていくカウンター。この美術館でなくてはならない、私とっては一番居心地の良い場所です。

最近の宮島の作品では、青色のダイオードを使用した作品もあるそうです。無限の青の点滅は、一体どんな印象を与えるのでしょうか。是非見てみたいものです。

*私が見た宮島の作品
Time Link(1989) 原美術館
Time Passage(1996) 東京オペラシティ
Number of Time in Coin-Locker(1996) 埼玉県立近代美術館
Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever(1998) 東京都現代美術館
Counter Void(2003) 六本木ヒルズ

海外はもちろん、豊田や直島にも作品があるようです。みなさんのおすすめの「宮島」がありましたら教えて下さい。

おけはざまさんのブログに、ファーレ立川にある「LUNA」の写真が載っています。)
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出光美術館 「長谷川等伯の美」 4/3

出光美術館(千代田区丸の内)
「新発見 長谷川等伯の美」
3/12~4/17

こんにちは。

先日、初めて行く出光美術館で、これまた初めて見ることとなる長谷川等伯(1539~1667)の屏風画を鑑賞してきました。

出光美術館は日比谷通りに面した帝国劇場の9階にあります。丸の内界隈はたまに歩くので、全く勝手の分からない場所ではないのですが、今までこの美術館の存在を意識したことはありませんでした。不覚です…。

さて、展覧会のタイトルに「新発見」という言葉が見られますが、これは、「松に鴉・柳に白鷺図屏風」と「竹に虎図屏風」(ともに出光美術館蔵)の二点が、最近の等伯研究の進展により、新たに真作として確認されたという意味で付けられたようです。確認の方法については、簡単に印の真贋の解析などで解説されています。私は何しろ初めて等伯の世界に触れたので、真作云々については書きようもありませんが、なかなか興味深いのも事実です。考古学的なロマンを感じさせました。

等伯の作品は全部で七作ほど並んでいました。これらを見てまず思ったのは、一つ一つの筆の運びが生み出すであろう作品全体の「流れ」です。「萩芒図屏風」(相国寺蔵)の、風に流されるススキがなびく様は、そこに想像できる空気の存在感と相まって、流麗とも言える美しさを感じさせます。「波龍図屏風」(本法寺蔵)も、一見、おどろおどろしくて厳めしい龍が目立ちますが、それを下の波と合一させることで、これも全体として強い「流れ」を生み出します。それらは、「生き生きと。」とも表現できそうですが、大きな流れを作り出すことで、作品に大胆に生気を注入するかのようです。木の枝や花びら一つをとってもそう思いました。

上にアップしたパンフレットの作品である「竹虎図屏風」(出光美術館蔵)は、この上なくフサフサとしたような虎の毛並みが印象的です。また、前にぐっとかがんでいる表情も可愛らしくて、この動物の凶暴性が殆ど感じられません。まるで猫か何かの、人間のペットとして飼いならされた動物のようです。面白い作品です。

等伯の影響を受けた長谷川派の作品もいくつか展示されていました。等伯の「波濤図」から生まれたとされる同名の作品は、荒々しい波の様子も素晴らしいのですが、荒波に必至に耐えながら、半ば堂々とした格好で描かれる巨大な岩石がなお一層印象に残ります。元となる等伯の作品は、今回は出品されていなく、京都市左京区の禅林寺に所蔵されているそうです。これは是非見てみたいと思います。(取りあえず今回は、絵葉書だけで我慢しました…。)絵葉書では、無機質な岩肌が勢いのある線で思い切って描かれています。それは何やら劇画調で、日本画離れしているかのような表現です。実際見るとどんな感じなのでしょうか…。

会場の混雑ぶりにも頷ける充実した内容の展覧会でした。これからは出光美術館もなるべく通っていきたいです。
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