「ディエゴ・リベラの時代」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館
「ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」 
10/21~12/10



20世紀前半のメキシコを代表する画家、ディエゴ・リベラ(1886〜1957)。日本ではフリーダ・カーロの夫として良く知られているかもしれません。

そのリベラの画業を追いかけるのが、「ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」です。ただし「の時代」が重要です。というのも、出展作のうちリベラの作品は約30点ほどで、多数を同時代の画家の作品や資料が占めていました。よってリベラ単独の回顧展ではありません。

さらにメキシコの壁画運動や美術教育をはじめ、ヨーロッパ絵画の影響、前衛芸術の参照のほか、革命前後の社会状況から日本人画家の関係などを踏まえているのも特徴ではないでしょうか。大変に幅広い内容で、メキシコの一時代を横断して切り取ったような展覧会でした。

リベラは1886年、メキシコ中部のグアナファト市に生まれました。幼くして絵が得意で、10歳にして美術学校へ通います。そこで西洋画を学ぶだけでなく、同国の自然や風景なども積極的に描きました。


ディエゴ・リベラ「農地」 1904年 ディエゴ・リベラ生家美術館

まだ10代のリベラが制作したのが「農地」で、大きな山を背に、農夫が馬を引く様子を捉えています。空と山肌は水色に染まり、地平線を望むかのような大地も、明るい色彩で表現しました。これぞメキシコなのでしょうか。牧歌的でかつ雄大な景色が広がっていました。

1907年、20歳にてヨーロッパへと留学したリベラは、まずマドリードへと渡り、各地を旅しては、印象派から点描までの技法を一通り摂取しました。グレコ画にも倣い、キュビズムの画風も試みては、ピカソとも交流したそうです。


ディエゴ・リベラ「銃を持つ水兵(昼食をとる船乗り)」 1914年 ディエゴ・リベラ生家美術館

実際に渡欧期の作風は目まぐるしく変化していました。例えば「パリのノートルダム」ではモネを思わせるような筆触を見せる一方、「カタルーニャの灼熱の大地」の点描はスーラかシニャックのようでもあり、「銃を持つ水兵」では、人物が解体され、キュビズム的な表現で水兵を象っています。あらゆる技法に学ぼうとしたのでしょうか。ヴァイタリティのある画家だったのかもしれません。

1921年に帰国したリベラは、「メキシコ革命以降の社会や先住民に目を向け、思想や歴史を公共空間に描く、メキシコ壁画運動」(解説より)に関与するようになります。公教育省のための壁画では、革命の主題や労働者、それに貧しい人々を描きました。(壁画は写真や資料で紹介。)結果的に壁画を6年間で、計100面以上も制作したそうです。


ディエゴ・リベラ「とうもろこしをひく女」 1924年 メキシコ国立美術館

その時代の代表作とも呼べるのが、「とうもろこしをひく女」で、白い服を着た女性が、太い腕を前で動かしては、とうもろこしを引いています。腕も身体も量感が凄まじく、全ての体重を棒にかけては引く様子がひしひしと伝わって来ました。まさしく一心不乱で、脇目もふらずに、ただとうもろこしだけと対峙しています。なんと真剣な姿なのでしょうか。リベラの労働への共感の眼差しが感じられました。

リベラと同時代の画家では、ダビッド・アルファロ・シケイロスの「奴隷」が印象に残りました。スペイン植民地下の奴隷をモチーフとした作品で、皆、細い棒のような手を突き出しては、抵抗の意思を示すようなポーズをしています。画家自身も革命運動に参加し、兵士として国中を駆け回り、投獄されたこともあるそうです。そのリアルな体験を元にしたのかもしれません。

リベラと日本の画家との関係についても触れています。その1人が、メキシコに渡り、同地の美術学校を卒業後、壁画運動に加わった北川民次で、彼の描いた水彩や木炭画なども何点か展示されています。北川はリベラとも交流していました。

藤田嗣治も関わりがあります。藤田は、1932年から1年間ほどメキシコに滞在し、リベラの壁画を鑑賞しました。ただちょうどその時、リベラはアメリカで制作中のため、会うことは叶いませんでした。それでもリベラ邸を撮影した写真や、インクによる肖像画を残しています。


ディエゴ・リベラ「裸婦とひまわり」 1946年 ベラクルス州立美術館

チラシ表紙を飾る「裸婦とひまわり」が圧巻でした。モデルはアメリカのダンサーで、裸で大きな黄色いひまわりを抱くような仕草を見せています。手前に一輪のひまわりが横たわっているので、剪定の途中かもしれません。ともかく目を引くのが、肉感的な臀部で、褐色の肌と、太陽のように輝かしいひまわりは、生命感に満ち溢れています。むせ返るような熱気すら伝わってきました。

フリーダ・カーロの作品も1点のみ、「ディエゴとフリーダ1929-1944」が展示されていました。小さな肖像画で、植物の根か木の枝、あるいは貝殻を思わせるモチーフの中、人物が前を向く姿を捉えていますが、リベラとフリーダの顔が合体しています。フリーダは、1929年にリベラと結婚するも、約10年後に離婚し、その翌年に再婚しました。結婚15年の際にリベラに贈られた作品だそうです。


ディエゴ・リベラ「聖アントニウスの誘惑」 1947年 メキシコ国立美術館

最後に強烈な印象を与えられたのが、「聖アントニウスの誘惑」でした。有名な聖人の誘惑のテーマとしていますが、アントニウスはおろか、悪魔の姿も見られません。あるのは土中の赤い大根でした。しかし単にリアルな大根ではなく、奇妙な生き物の形のようでもあり、一部では性的なモチーフも隠れているように思えなくありません。リベラは、メキシコ南部の大根の人形祭りからヒントを得て制作したそうです。何とも奇抜な作品で、しばらく頭から離れませんでした。


マリア・イスキエルド「巡礼者たち」 1945年 名古屋市美術館

ほかにもホセ・マリア・ベラスコ、ホセ・クレンメテ・オロスコや、ラモン・アルバ・デ・ラ・カナル、フェルナンド・レアル、フェルミン・レブエルタスなど、リベラと接触のあった画家も参照し、リベラと同時代のメキシコの芸術の動向を大まかに捉えています。

メキシコ史に疎い私ではありますが、リベラを中心としたメキシコの画家の、時にエネルギッシュな作品群には心引かれるものがありました。


なおメキシコ州と埼玉県は姉妹都市でもあるそうです。これほど多角的にリベラの芸術を検証する展覧会は、しばらく望めないかもしれません。

12月10日まで開催されています。おすすめします。

「ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」 埼玉県立近代美術館@momas_kouhou
会期:10月21日 (土) ~ 12月10日 (日)
休館:月曜日。但し7月17日は開館。
時間:10:00~17:30 
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1200(960)円 、大高生960(770)円、中学生以下は無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
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「野生展」 21_21 DESIGN SIGHT

21_21 DESIGN SIGHT
「野生展:飼いならされない感覚と思考」 
2017/10/20〜2018/2/4



人類学者の中沢新一が、「野生の発見方法を紐解く」(公式サイトより)というユニークな展覧会が、21_21 DESIGN SIGHTにて開催されています。

それにしても、美術はともかく、デザインとはあまり近しいとは思えない野生を、一体、どのような方法で紹介していたのでしょうか。


「丸石神」 *写真:遠山孝之

いきなり現れるのが石でした。縄文時代に遡るとされる丸石神を模した作品で、川を流れ下りながら、自然に丸く造形された石に、人々は神聖なものが宿るとして祀っていました。いずれもが記紀神話の神社よりも古く、まさに太古の野生的な神の体現とも言えるのかもしれません。現在では、山梨県の笛吹川沿いに多く見られるそうです。


aircord「Finding Perceptions」

続くのは一転、何ともアクティブな映像インスタレーションでした。光やテクノロジーを用いて表現を行うクリエイティヴスタジオ、「aircord」による作品で、脳の未開拓の部分の可視化することに挑戦しています。一面に広がるのが神経細胞のネットワークで、カメラが来場者を発見すると、その間に電気信号を伝えるかのごとく、映像が反映し、リアルタイムで変化し続けました。つまり鑑賞者も作品の一部と化しています。


「南方熊楠が使っていた実験道具」/青木美歌「あなたに続く歌」

この作品の背景にあるのが、明治時代の博物学者、南方熊楠の思想でした。南方は、脳に野生状態を取り戻すと「脳力」が高まり、それまで見えなかった物事の本来的な結びつきが、直感的に分かると考えていたそうです。また脳内の組織が、因果的な様式から、縁起的なネットワークへと転換するとも主張しました。俄かには理解しにくいかもしれませんが、そうしたネットワーク的展開こそ、常識などの因果に囚われず、より新しい発見なり発明がなされると説いていたようです。


「遮光器土偶」(レプリカ) *レプリカ制作:伊澤孝臣

かわいいも野生を表す一つのキーワードです。中沢は、古くから日本人は野生を表現すると、かわいく造形する傾向があると指摘しています。一例が、太古の土偶や埴輪です。さらに時代を超えて鳥獣戯画などから、現代のキャラクターまでを参照し、日本人が見出してきたかわいいの系譜を追っていました。


「郷土玩具」 協力:明治大学野生の科学研究所

さらに身近な野生として、木彫の人形や郷土玩具なども並べていました。確かに郷土玩具には、土地特有の信仰なども反映されています。そこに原初的な野生味を見出せるのかもしれません。


田島征三「獣の遠吠え」

私が直感的に野生的と感じたのが、田島征三の「獣の遠吠え」と題したインスタレーションでした。たくさんのキャンバスの上には茶色の細長い物体が付着し、何やら嵐を示すかのようにとぐろを巻いていますが、実際にはモクレンの木から落ちてきた実を用い、力強く吠える獣の声を表現しています。迫力は十分でした。


「メンディドール」(パプアニューギニア)

端的にプリミティブなのが、オセアニアからアフリカの仮面でした。またパプアニューギニアのメンディドールも目を引きます。呪術的な要素も感じられました。


「石見神楽・大蛇」ほか 西村裕介

さらに民俗芸能も野生の一側面として捉えています。いずれも西村裕介による写真で、東日本大震災後、被災者を供養するために舞う芸能団体の姿に触発され、一連の作品を撮り始めました。黄金色の仮面に赤々しい龍などは、日本の地方に根付いた土着的な文化の現れかもしれません。


青木美歌「あなたに続く歌」

現代美術では、菌類や微生物をガラスで象る、青木美歌の作品が印象に残りました。ともかく振り幅の広い展覧会です。テーマは野生と簡潔ながらも、内容は多岐にわたっていました。


どれほどまでに内容へ踏み込めたかどうか自信はありませんが、そもそも「野生」という価値観について再考を促すような展示なのかもしれません。ディレクターの中沢の思想が色濃く反映されていて、独特の切り口には、率直なところ、戸惑いを覚えましたが、事前に著作に触れておくと、理解も深まるのかもしれません。


「野生展」会場風景

ロングランの展覧会です。2018年2月4日まで開催されています。

「野生展:飼いならされない感覚と思考」 21_21 DESIGN SIGHT@2121DESIGNSIGHT
会期:2017年10月20日(金)〜2018年2月4日(日)
休館:火曜日。年末年始(12月26日〜1月3日)。
時間:11:00~19:00
 *入場は閉場の30分前まで。
料金:一般1100円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料。
 *15名以上は各200円引。
住所:港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
交通:都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線六本木駅、及び東京メトロ千代田線乃木坂駅より徒歩5分。
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「シャガール 三次元の世界」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「シャガール 三次元の世界」 
9/16~12/3



東京ステーションギャラリーで開催中の「シャガール 三次元の世界」を見てきました。

幻想的な作風で知られ、エコール・ド・パリの画家であるマルク・シャガールは、後年になって多くの彫刻を制作しました。

日本で初めてシャガールの彫刻を本格的に紹介する展覧会です。出品は彫刻・陶器で60点、さらに関連する素描や絵画、それに版画など110点が加わります。かなり膨大でした。

冒頭で比較されるのが、「誕生日」と題した1枚の絵画と1点の彫刻でした。絵画は1923年、先行して描いた作品を模写したもので、恋人のベラがシャガールのアトリエにやって来た場面を表しています。喜びのあまりか、ともに跳ね上がるように浮かび、ねじれながら口づけしていて、その独特の光景は、まるで白昼夢を見るかのようでした。ベラが花束を手にしているのは、シャガールの誕生日を祝うためなのでしょう。カーペットの赤い色彩や、衣服の緑や青の色彩も鮮やかです。まさに多幸感に包まれていました。

このシーンを切り出した彫刻が、大理石による「誕生日」で、絵画より遅れること約40年、1968年に制作されました。基本的にシャガールの彫刻は、「絵画と不可分の関係」(解説より)にあり、絵画が先行し、後年に彫刻が作られるようになります。ただ必ずしも絵画の写しではなく、空間を入れ替えるなど、モチーフに変化があるのも興味深いところでした。

まずシャガールは陶器で立体表現に挑戦します。1947年、亡命先のアメリカよりパリへ戻った画家は、南仏へと移り、永住することを決めました。その頃に陶器が作られました。ここで興味深いのは、質感に絵画的効果を追求していることです。陶芸はシャガール自身でなく、職人との共同作業でしたが、細部の表現にも熱心だったのか、表面を盛り上げ、かき落とすなどして多様に処理しています。また下絵の参照も重要です。シャガールは下絵を彫刻として立体化させ、さらに表面に彩色で絵画を描きました。二次元と三次元は常に行き来します。下絵と陶芸を見比べるのも面白いかもしれません。

シャガールの彫刻の特徴にあげられるのが、石彫であることと、複数のモチーフの混在、ないし垂直性でした。絵画と同様、男女のモチーフは溶け合い、ある時には動物の胴体と一体化するように抱き合っています。絵画よりも、プリミティブな印象を受けるのではないでしょうか。中には人や動物だけでなく、草花などの植物のモチーフも混ざり合います。まるでロマネスクの彫刻のように見えるかもしれません。

「ヤコブの梯子」に垂直性を見出せました。旧約聖書を主題とした彫刻で、下部にヤコブがいて、肩から梯子が伸び、天使が上り下りしています。まさに直立です。ノミの削り跡も荒々しく、おおよそ絵画からは想像も付かないような凄みも感じられました。ヤコブの夢の中の縦の動きを、より効果的に表していました。

この聖書に関するモチーフも多く登場します。うち目を引いたのは、ハサダ病院附属ユダヤ教会堂のステンドグラスのための下絵で、シャガールはイスラエルの十二の士族を描きました。とはいうものの、ユダヤ教では人を直接表すことができないため、例えばレビ族を律法の石板に置き換えるなどして制作しています。

点数自体は立体よりも平面の方が多く、絵画の優品も見逃すことは出来ません。中でも私が印象に残ったのは、「天蓋の花嫁」で、ユダヤの結婚式をテーマとし、亡きベラと、新しいパートナーであったハガードを重ねて花嫁に表現しています。まさに愛の画家とも称された、シャガールならではの一枚だと言えそうです。

「もっと知りたいシャガール/木島俊介/東京美術」

私もシャガールは美術を見始めた頃に好きになった画家の一人で、これまでにも何度か展覧会を追って来たつもりでしたが、まさかこのように彫刻を残していたとは思いませんでした。まだ見たことないシャガールの世界がここにあります。


[シャガール 三次元の世界 巡回予定]
名古屋市美術館:12月14日(木)〜2018年2月18日(日)
青森県立美術館:2018年3月10日(土)〜5月6日(日)

やはりファンも多いのでしょうか。静まり返った展示室内で、食い入るように作品に見入っている方が多いのも印象に残りました。



間も無く会期末です。12月3日まで開催されています。

「シャガール 三次元の世界」 東京ステーションギャラリー
会期:9月16日(土)~12月3日(日)
休館:月曜日。但し9月18日、10月9日は開館。9月19日、10月10日は休館。
料金:一般1300(800)円、高校・大学生1100(600)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)
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「特別展 川合玉堂」 山種美術館

山種美術館
「特別展 没後60年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然」 
10/28~12/24



山種美術館で開催中の「特別展 没後60年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然」の特別内覧会に参加してきました。

日本画家、川合玉堂(1873~1957)は、山河を愛し、まさに四季折々、多様に移ろう日本の自然と人々の姿を、情緒豊かに描き続けました。

約4年ぶりの大規模な回顧展です。出展は80点超に及びます。(展示替えあり)山種美術館のみならず、玉堂美術館、東京国立近代美術館などのコレクションを交え、初期から晩年へと至る玉堂の画業を詳らかにしていました。


川合玉堂「写生画巻」 1888(明治21)年 玉堂美術館

1873年、愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は、幼い頃から絵を得意としていました。小学校を卒業後、早くも京都の望月玉泉へと入門し、日本画を学びました。「写生画巻」は、玉堂15歳の頃の作品で、葡萄や鳥などを極めて細かに描いています。中でも葡萄は、葉の虫食いの跡や変色までも表現し、若き玉堂が、いかに真摯に写生に取り組んでいることが分かるのではないでしょうか。その高い画力に感心させられました。


川合玉堂「鵜飼」 1895(明治28)年 山種美術館

次に玉堂が学んだのは、円山四条派の系譜を継ぐ幸野楳嶺でした。当時、楳嶺の元には竹内栖鳳らの精鋭も集まっていて、玉堂は切磋琢磨しながら、日々の制作に打ち込んだそうです。しかしここで転機が訪れました。楳嶺が他界した1895年のことです。この年、第四回内国勧業博覧会に「鵜飼」を出展し、三等銅牌を受賞しますが、そこで橋本雅邦の作品に出会い、大きな衝撃を受けます。玉堂は、絵を学び直す覚悟で東京へと移住し、雅邦の元でさらに研鑽を積みました。


川合玉堂「渓山秋趣」 1906(明治39)年 山種美術館

その雅邦に学んだ成果を示すのが、「渓山秋趣」で、秋の渓谷を奥行きをもって、対角線の構図で描いています。岩の表現に伝統的な描法が見られるものの、一部に大気をもたらすためか、墨の滲みなどに面的な表現を与え、どこか情緒的な趣きも感じられました。また点景にも注目です。写真では分かりませんが、中央下の川の筏の上には、1人の人物が歩いています。こうした人や動物を風景に加えるのも、玉堂の得意としたところでした。

大正から昭和にかけての玉堂は、官展を活動の場として、東京画壇の中心的な存在としての地位を占めます。あくまでも日本の自然を、日本画ならではの風景表現で描こうとした玉堂は、時に琳派や大和絵の山水表現にも関心を寄せ、画面構成に取り組む一方、従来の漢画的な筆法も交え、多様な景観を臨場感豊かに表現していきました。


川合玉堂「紅白梅」 1919(大正8)年頃 玉堂美術館

その琳派へ接触を思わせるのが「紅白梅」でした。金地に紅白梅を配す構図は、光琳の「紅白梅図屏風」などを参照したとも言われていますが、いわゆる光琳的なデザインや抽象化を志向せず、シジュウカラを描き加えるなど、自然の光景として表しているのも興味深いところです。その意味では、抱一の「紅白梅図屏風」にも近いかもしれません。また落款も、丸みを帯びた琳派の画家に近いスタイルを踏襲していました。


川合玉堂「春風春水」 1940(昭和15)年 山種美術館

「鵜飼」と並び「渡し舟」も玉堂の好んだモチーフでした。そのうちの1枚が「春風春水」で、山桜の散る急峻な山間部を、農婦を乗せた渡し舟が、川を横断する姿を描いています。空から覗きこむような構図も特徴的です。舟の上にはワイヤーも見えますが、昭和期には、ワイヤーと滑車を用いた近代的な渡し舟も少なくありませんでした。僅かに波立った水面の色彩も美しいのではないでしょうか。


川合玉堂「早乙女」 1945(昭和20)年 山種美術館

戦時中、玉堂は奥多摩に疎開します。その際に制作したのが「早乙女」で、農婦が田植えに勤しむ姿を表しています。先の「春風春水」同様に、玉堂アングルともいうべき、俯瞰する構図も効果的で、畦道の表現には、琳派の影響も見ることが出来ます。その牧歌的な光景は、とても戦争の最中とは思えません。奥多摩の自然を愛した玉堂は、疎開後もかの地に住み続け、自然や人々の暮らしを描きました。


「偶庵」川合玉堂(画)、斎藤茂吉(賛) 1948〜50(昭和23〜25)年頃

人となりについて触れているのも展覧会の特徴です。そもそも玉堂は少年時代から俳句を嗜み、晩年には俳歌集を刊行するなど、句作や詠歌を生活の一部としていました。よって、絵に自作の詩歌を書いた、画賛形式の作品も多く残しています。


川合玉堂書簡「1930年12月3日付大倉堯信充」

書簡からも玉堂の家族に対する温かい眼差しが感じられました。上の書簡は、1930年、香港に赴任していた長女の夫に送ったもので、生まれた子の姿を知らせようと、自らのスケッチを添えました。書簡では「可愛らしさ、神々しさは描けないけれど」と謙遜してもいます。

「屋根草を刈る」にも、家族に関するエピソードがありました。植木職人が茅葺屋根に梯子をかけ、雑草を刈り取る光景を描いた作品ですが、玉堂は一度描いたのち、中学生の孫に、「何か足りないところはあるかい。」と聞いたところ、「花があるのに蝶がいない。」と言われ、モンシロチョウを描き加えたそうです。蝶が舞うことで、より空間に広がりも感じられるかもしれません。時に玉堂81歳、最後の日展への出品作でもあります。

ほかにも、山種美術館の創立者である山種種二のために描いた「松上双鶴」や、横山大観、川端龍子との連作、「松竹梅」なども展示し、玉堂と交流のあった人々について紹介していました。


川合玉堂「渓雨紅樹」 1946(昭和21)年 山種美術館

紅葉色に染まる「渓雨紅樹」が絶品でした。霧の立ち込める谷間を背に、美しく紅葉した樹木を描いた作品で、手前には筧から流れ落ちる水を受けて水車が回っています。雨も降りしきるのか、山道を進む2人の農婦は傘をさしていました。水車の水の流れの描写が殊更に繊細です。まるで白く細い糸を束ねたように表されています。この自然に対しての鋭敏な感覚も、玉堂画の大きな魅力と言えそうです。

写真は特別内覧会時に許可を得て撮影しましたが、会期中も「鵜飼」の1点は自由に撮影が出来ます。(動画、フラッシュ不可)


川合玉堂「鵜飼」 1939(昭和14)年頃 山種美術館

長良川の鵜飼は、玉堂の少年時代を過ごした岐阜の風物でもあり、画家も生涯を通し、繰り返し描き続けました。自身でも郷愁を覚えていたのかもしれません。

会期中、一部の作品に展示替えがあります。

「特別展 没後60年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然」出品リスト(PDF)
前期:10月28日〜11月26日
後期:11月28日〜12月24日


川合玉堂「秋晴」 1936(昭和10)年頃 山種美術館

それにしても玉堂画は、何と慎ましやかで、また趣深いのでしょうか。まさに「日本の原風景ここにあり」と言えるかもしれません。後期も再度追いかけたいと思います。


12月24日まで開催されています。

「特別展 没後60年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然」 山種美術館@yamatanemuseum
会期:10月28日(土)~12月24日(日)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生900(800)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
 *リピーター割:使用済み有料入場券を提示すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。渋谷駅東口より都バス学03番「日赤医療センター前」行きに乗車、「東4丁目」下車、徒歩2分。

注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「めでたい北斎」 すみだ北斎美術館

すみだ北斎美術館
「開館一周年記念 めでたい北斎~まるっとまるごと福づくし」
2017/11/21〜2018/1/21



北斎ゆかりの墨田の地に誕生した「すみだ北斎美術館」も、この11月で、開館1周年を迎えました。

それを祝しての展覧会です。そもそも江戸時代の趣味人たちは、新春におめでたい図像を描いた摺物を贈りあう風習がありました。ともかくタイトルが全てを物語ります。「めでたい」とあるように、右も左も、いわゆる吉祥主題の作品ばかりでした。

まずは七福神です。冒頭に北斎の「大黒酒宴図」が待ち構えます。酒を飲んでは上機嫌の大黒様です。魚屋北渓の「見立七福神」も佳品ではないでしょうか。見立とあるように、直接、七福神を描かず、例えば掛け軸の打ち出の小槌が大黒天を、また宝塔が毘沙門天を示しています。7つの神を探すのにさほど時間はかかりませんでした。


葛飾北斎「布袋図」 *前期展示

肉筆で目を引くのが、北斎の「布袋図」でした。丸々と太った布袋が、白く大きな袋の上に乗り、横笛を吹く姿を描いています。白い袋と布袋の腹の立体感が絶妙で、筆に迷いは見られませんでした。

七福神以外の神も登場します。中でも目を引くのは、芸能の神として知られる天臼女命と、導きの神として信仰を集める猿田彦大神でした。なお出展作品は何も北斎だけではありません。一門の作品もかなり多く出ていました。

神の次は吉祥モチーフです。生き物、草木、話のほか、様々にめでたい作品をずらりと紹介しています。ただし面白いのは、一見すると、どの辺がめでたいのか良く分からない作品が少なくないことです。例えば魚屋北渓は「塩竜図」を描いていますが、この竜は塩を食べ、鱗から塩を出し、精力剤として重宝されたという逸話から、おめでたい存在として知られていました。また北斎漫画からコウモリを描いた作品もありましたが、コウモリの漢字の読みが、中国でフウ、すなわち福に似ていたことから、やはり縁起の良い生き物だと考えられていたそうです。意外な事物にも、めでたいモチーフが潜んでいました。

新年のならわしも見逃せません。門松に羽子板、それに蹴鞠や凧揚げなどの定番のモチーフの中、1つ興味深かったのが、七草がゆを描いた作品でした。女性が粥を準備するため、まな板の上に草を載せ、刻もうとしていますが、この際に大きな音を立てるのが、より良いとされていました。とすれば、当時の人々は、一生懸命に草を叩いていたのでしょうか。何でも、田畑の鳥を追い払うイメージと重ねられていたそうです。知りませんでした。


葛飾北斎「目黒不動尊詣」 *前期展示

ラストは、目黒不動などの、めでたい場所を描いた作品が並びます。小品の摺物が多く、展示自体に派手さはありませんが、めでたいモチーフばかりに囲まれれば、楽しい気持ちにならないはずもありません。


出口ではおみくじを引くことも出来ます。ちょっとしたお正月気分も味わえるかもしれません。


魚屋北渓「兎の鹿島おどり」 *後期展示

最後に展示替えの情報です。前後期にて多数の作品が入れ替わります。

「開館一周年記念 めでたい北斎~まるっとまるごと福づくし」(出品リスト)
前期:11月21日(火)〜12月17日(日)
後期:12月19日(火)〜1月21日(日)


11月25日(土)と翌26日(日)には、美術館前の緑町公園にて、「開館1周年記念感謝祭」が行われるそうです。焼きそばやから揚げ、団子などを販売する飲食コーナーのほか、北斎缶バッジや版画スタンプなどの体験コーナーが開設されます。美術館の来場者のみならず、地域の方々を含めて、また盛り上がるかもしれません。



2018年1月21日まで開催されています。

「開館一周年記念 めでたい北斎~まるっとまるごと福づくし」 すみだ北斎美術館@HokusaiMuseum
会期:2017年11月21日(火) 〜 2018年1月21日(日)
休館:月曜日。
時間:9:30~17:30(入場は17:00まで)
料金:一般1000(800)円、大学・高校生・65歳以上700(560)円、中学生300(240)円。小学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *観覧日当日に限り、常設展も観覧可。
住所:墨田区亀沢2-7-2
交通:都営地下鉄大江戸線両国駅A3出口より徒歩5分。JR線両国駅東口より徒歩10分。
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「光琳ワールド/こぶ牛ワイルド」 東京黎明アートルーム

東京黎明アートルーム
「光琳ワールド/こぶ牛ワイルド」 
11/10~11/25



東京黎明アートルームで開催中の「光琳ワールド/こぶ牛ワイルド」を見てきました。

いわゆる二本立ての展覧会です。まず光琳画は4点あり、全て墨画で、「宝船図」、「大黒天図」、それに「寿老人図」など、吉祥的なモチーフの作品ばかりでした。チラシ表紙を飾るのが「宝船図」で、一筆で描いたような舟の姿が印象に残りました。素早く動く墨線からは、光琳の息遣いを感じられるかもしれません。


一方で、紀元前900〜800年頃の、古代イランで制作された土器を指すのが「こぶ牛ワイルド」です。全10点のうち、3点がいわゆるこぶ牛形をしていて、大胆な曲線を多用したデザインから、一部で「現代アート」と称されることもあるそうです。表面の円形の模様も独特で、丸みを帯びた形から、ゆるキャラのようにも見えました。確かにワイルドで、野性味が感じられます。

展示は光琳と古代イランの土器だけに留まりません。ほかにも、縄文時代の土器をはじめ、伊賀、信楽の壺や水指し、伊万里に鍋島などの陶磁器から、カンボジアやアフガニスタンの仏像、はたまた白隠や雪村の墨画などが並んでいました。

中でも惹かれたのが初期鍋島の作品でした。小ぶりの皿ながらも、色鮮やかな意匠は美しく、のちの鍋島とは異なった魅力があります。また仁清の「信楽写銹絵楓文水指」も目を引きました。出展数は全部で約50〜60点ほどでしたが、優品が多く、想像以上に見応えがありました。

さて、東京黎明アートルームですが、今回初めて行きました。

最寄駅はJR線、都営大江戸線の東中野駅です。駅から山手通りを中野坂上方向へ少し進み、右の路地へ折れ、閑静な住宅街を抜けた先に位置します。歩いてせいぜい7〜8分程度でした。



アートルーム自体は2005年、TOREK Art Roomとして開室しました。世界救世教、並びにMOA美術館の創立者である岡田茂吉のコレクションを公開するために建てられました。

その後、一昨年の2015年に、東京黎明アートルームとして再オープンしました。以来、各展覧会毎に、日本美術や仏教美術、それに陶器などが入れ替わって公開されています。

展示室は1階と2階に3室あり、いずれもリニューアル後のMOA美術館を彷彿させるような空間が広がっていました。照明、展示ケースともに優れていて、鑑賞に際して、全く申し分がありません。ただしMOAとは異なり、展示室内の撮影は出来ません。ご注意ください。

またカフェスペースこそないものの、ソファーから和室を備えたラウンジもあり、自由に休憩することも出来ました。大きな邸宅へ足を踏み入れたような趣きも感じられるかもしれません。岡田茂吉の書画が、法隆寺の古材を囲む空間も、独特の雰囲気がありました。



率直なところ、噂には聞いていましたが、まさか東中野に、このような上質な美術の展示施設があるとは思いませんでした。

「光琳ワールド/こぶ牛ワイルド」は間も無く終了しますが、次回、12月10日からは、「乾山・鍋島&蕪村の憧憬」が始まります。



「乾山・鍋島&蕪村の憧憬」東京黎明アートルーム
会期:12月10日(日)~12月25日(月)
休室:12月23日(土)

小さなスペースではありますが、建物、コレクションとも、一見の価値があります。なおこれまで原則、月の10日より25日の間のみ開室していましたが、来年1月以降は、開室期間を延長することが決まりました。観覧の機会も増えそうです。

11月25日まで開催されています。

「光琳ワールド/こぶ牛ワイルド」 東京黎明アートルーム@torek_museum
会期:11月10日(金)~11月25日(土)
休館:11月19日(日)
時間:10:00~16:30
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人400円、20歳未満は無料。
住所:中野区東中野2-10-13
交通:JR線東中野駅より徒歩7分。都営大江戸線東中野駅A3出口より徒歩6分。
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「龍子の生きざまを見よ!」 大田区立龍子記念館

大田区立龍子記念館
「没後50年特別展 龍子の生きざまを見よ!」 
11/3~12/3



大田区立龍子記念館で開催中の「没後50年特別展 龍子の生きざまを見よ!」を見てきました。

1885年に和歌山で生まれた川端龍子は、10歳の頃に上京し、のちに現在の大田区へと移り、日本画を創作しながら、終生を過ごしました。現在、龍子の旧宅とアトリエは、龍子公園として整備され、その隣地には、龍子自らが設計した龍子記念館があり、一般に広く公開されています。

まさに龍子ゆかりの地での回顧展です。「龍子の生きざまを見よ!」とは、何とも挑戦的なタイトルですが、これは生前の龍子が、新聞紙上にて、「この人を見よ!」と称賛されたことに由来します。

出展数は50点超です。生誕の地の和歌山の作品を中心に、山種美術館、福井県立美術館などの他館のコレクションも交え、幅広い画業を紹介していました。


川端龍子「新樹の曲」(部分) 昭和7年 東京国立近代美術館

自らの制作を、広く大衆に訴えるべく、「会場芸術」を主張した龍子ですが、それを体現したとも言えるのが、冒頭の「新樹の曲」でした。横幅4メートルにも及ぶ6曲1双の屏風で、手入れの行き届いた松などの植栽を描いています。ともかく目を引くのが、植栽の造形で、どこか琳派を思わせる装飾性も感じられるのではないでしょうか。龍子の三男が、造園家として独立する際に制作されました。なお三男は戦争中、南方で病に倒れて亡くなりますが、龍子の思い入れも深かったのか、自身の葬儀の際、祭壇に「新樹の曲」が飾られたそうです。特別な作品だったのかもしれません。


川端龍子「狩人の幻想」 昭和23年 和歌山県立近代美術館

「狩人の幻想」も会場芸術をうたうのに相応しい力作です。画面中央にて青い明王が猪に跨り、上目遣いで険しい表情をしながら、左で白い鳥を射抜き、右で同じく白い鹿を捕まえています。また猪には、犬が噛みついていました。下方を覆う草花はやはり装飾的ですが、明王を頂点にした動物たちには躍動感があります。まるで画面から飛び出さんとばかりの勢いでした。

愛犬家でもあった龍子は、犬をモチーフとした作品を数多く残しています。うち1つが「雷雨」で、突然の雷雨に驚く犬と、雨風に揺れる山百合や芭蕉を描いています。画面には雷光を示す黄金色の色彩が広がる一方、芭蕉は暗がりで黒く、どこか不穏な気配も感じられました。山百合が殊更に艶やかで、その香りが伝わるかのようでした。


川合玉堂「若竹」 昭和30年 パラミタミュージアム

大観と玉堂、そして龍子による連作も見どころの1つでした。昭和27年、3名の画家は雪月花展を開き、各々が3つの主題を描いては、連作として完成させるプロジェクトを始めました。さらに同様に「松竹梅展」も開催し、新たな創作活動を展開していきます。展示では第3回の雪月花展と、第1回の松竹梅展の出展作が出ていましたが、三者三様ながらも、1つの主題に取り組む様からは、画家らの深い交流も伺えるのではないでしょうか。薄い緑で地面から生える竹を描いた、玉堂の「若竹」なども印象に残りました。


川端龍子「西国巡礼草描」より「第十六番清水寺」 村上三島記念館

「那智の瀧」は文字通り和歌山を舞台とした作品です。険しい崖の中、深い緑を割くように、飛沫をあげて落ちる瀧の姿を描いています。また信仰心に厚かった龍子は、亡くなった妻や、息子の菩提を弔うために、霊場の巡礼にも出かけました。その際に描いたのが、「西国巡礼草描」で、昭和33年から、約3年の間に渡り歩いた霊場をスケッチに残しています。さらに自作の俳句も添えられていて、情景も浮かび上がりました。軽妙な筆と、薄塗りで瑞々しい水彩表現からは、かの会場芸術の大作とは異なった魅力が感じられるかもしれません。

さて見どころは絵画だけにとどまりません。仏像です。龍子は自邸に持仏堂をもうけ、奈良時代の十一面観音菩薩立像と、ともに平安時代の不動明王立像と帝釈天立像などを安置し、日々、祈りを捧げていました。現在、三体の仏像は、大田区が所有し、東京国立博物館へと寄託されています。


それが特別に開帳しました。しかもケースがなく、露出での展示です。さらに同じく持仏堂の襖にはめ込まれていた、伝宗達ともされる「桜芥子図」を高精細で複製し、あわせて公開しています。


伝俵屋宗達「桜芥子図襖」 1624〜43年頃 大田区立龍子記念館

複製とはいえども、さすがに高精細だけあり、素人目には本物と区別がつきません。この光景を、龍子も日々、眺めていたのでしょうか。そう思うと感慨深いものがありました。



隣接の龍子公園の見学もおすすめです。

川端龍子ゆかりの「龍子公園」を見学してきました

原則、開館日の10:00、11:00、14:00の1日3回、記念館の職員の方の案内により、見学することが出来ます。(ガイドツアー方式)私も一度、参加しましたが、随所に龍子のこだわりが感じられる建物や庭園にも趣きがあり、職員の方も実に丁寧に説明して下さいました。一見の価値があります。



僅か1ヶ月の龍子特別展です。この夏には山種美術館でも回顧展が行われましたが、あえて異なる選定をしたのか、殆ど出展作品が重なりません。その意味では新鮮味もありました。

12月3日まで開催されています。

「没後50年特別展 龍子の生きざまを見よ!」 大田区立龍子記念館
会期:11月3日(金・祝)~12月3日(日)
休館:月曜日。
時間:9:00~16:30
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人500円、小・中学生250円。65歳以上は無料。
住所:大田区中央4-2-1
交通:都営浅草線西馬込駅南口から徒歩15分。JR大森駅西口から東急バス4番荏原町駅入口行に乗車、臼田坂下下車。バス停より徒歩2分。 
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「鈴木基真展 MOD」 LIXILギャラリー

LIXILギャラリー
「クリエイションの未来展 第13回 清水敏男監修 鈴木基真展 MOD」 
10/12~12/24



4名のクリエーターが、各3ヶ月毎に会期を区切り、個別のテーマを設定して展示を行う「クリエイションの未来展」も、第13回を数えるに至りました。

今回の監修を担当したのは、美術評論家の清水敏男氏です。主に木彫を手がける現代美術家、鈴木基真の制作を紹介しています。



まず目に飛び込んできたのは、壁際に並ぶ木彫の作品でした。うち1つは高層のアパートを象っていて、たくさんの窓をはじめ、エアコンの室外機も表現しています。茶色に塗られたアパートは、所々、緻密に彫っているものの、下層階は幾分、荒削りで、何も写実のみを追求しているようには思えません。現実と非現実が交差します。また独特の乾いた、言い換えれば、表面のパサついた感触も面白いのではないでしょうか。



隣の家屋も同様で、家自体は細かに彫りながら、同じ敷地に生える樹木は、さも彫り残すように表現しています、また建物同士の縮尺はまちまちで、一定ではありません。さらに中央の台の上の木彫は、確かに小屋を象っていたものの、より細部の処理は大胆で、建物をリアルに写したというよりも、まるで木製の玩具のようにも見えました。ざっくりとしたノミの跡と思われる面も、はっきりと残されていて、作家の手の動きが伝わるようでした。



かねてより鈴木は、「アメリカ映画に登場する風景をモチーフに、建物や街を独自のスケールに置き換えた」(解説より)作品を制作して来ました。今からおおよそ4年前に、同ギャラリーで行われた個展においても、やはりアメリカ映画に触発された、建物や樹木などの木彫を出品していました。

「鈴木基真展ーCinematic Orchestra」(LIXILギャラリー)
2013年1月8日(火)~1月29日(火)
http://www1.lixil.co.jp/gallery/contemporary/detail/d_002273.html

私も見に行きましたが、高さ150センチの台の上に、家屋や樹木、それに観覧車などを並べた展示は、さもジオラマを前にしたような趣きがありました。

今回はさらに変化がありました。それが新作のライトボックスです。中には、木彫と同様に、細かなテクスチャーの広がる建物が表現されています。初めは木彫をそのまま捉えたのかと思いましたが、実は木構造と粘土の塑像で制作したものを写真で撮影し、後ろから光を当てるライトボックスに仕上げた作品でした。



その光の効果もあるのか、窓の部分に明かりが灯っているようにも見えます。鈴木の木彫は常に無人で、建物が並べども、人の気配や賑わいはありませんが、ライトボックスの作品からは、どことなく人の存在を感じ取れるかもしれません。



このライトボックスの作品で、作家の鈴木は、本年のVOCA奨励賞を受賞したそうです。木彫とはまた違った展開も知ることが出来ました。



12月24日まで開催されています。

「クリエイションの未来展 第13回 清水敏男監修 鈴木基真展 MOD」 LIXILギャラリー
会期:10月12日(木)~12月24日(日)
休廊:水曜日。11月26日(日)
時間:10:00~18:00
料金:無料
住所:中央区京橋3-6-18 LIXIL:GINZA1、2階
交通:東京メトロ銀座線京橋駅より徒歩1分、東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅7番出口より徒歩3分、都営浅草線宝町駅より徒歩3分、JR線有楽町駅より徒歩7分
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「没後70年 北野恒富展」 千葉市美術館

千葉市美術館
「没後70年 北野恒富展」 
11/3~12/17



千葉市美術館で開催中の「没後70年 北野恒富展」を見てきました。

1880年に金沢で生まれた北野恒富は、17歳で上阪し、新聞小説の挿絵で名を馳せたのち、文展で入選するなど、日本画家としての活躍しました。その画風は一時、「画壇の悪魔派」とも呼ばれていたそうです。

艶やかな美人画が目白押しです。出展は計170点超(展示替えを含む。)。初期から晩年の日本画のみならず、新聞挿絵、またポスターのほか、継承者とされる画家らも参照し、恒富の画業の全体像を紹介していました。

冒頭が意外にも「燕子花」でした。とは言うものの、単に花だけでなく、女性と合わせて描いています。何でも恒富は、少年期に、光琳風の作品を学んでいたそうです。琳派への志向は明らかではありませんが、ひょっとすると感化されていたのかもしれません。


「暖か」 大正4(1915)年 滋賀県立近代美術館 *前期展示

恒富画を一つ特徴付ける要素として、赤と黒の色遣いがあります。その一例が「暖か」と「鏡の前」で、まさに赤と黒を対照的に描きました。「暖か」のモデルは、赤い長襦袢を着た女性で、身を崩しては腰掛け、どこか虚ろで、ややアンニュイな表情をしています。襦袢の模様は極めて精緻で、厚塗りでもあり、一時の御舟の細密表現を思わせるものがありました。公開当時、格好が挑発的すぎると批判されましたが、清方らは擁護したそうです。


「鏡の前」 大正4(1915)年 滋賀県立近代美術館蔵 *前期展示

一方で「鏡の前」の女性は、黒い着物を身に付け、ちょうど髪、ないしかんざしを直すような仕草をして立っています。赤い帯は腰の上に巻かれ、すらっとした姿が印象に残りました。なお「鏡の前」には、大下絵も合わせて展示されていて、恒富が太い線を重ねては消しながら、人物を象っているのが分かりました。見比べるのも面白いかもしれません。


「願いの糸」 大正3(1914)年 公益財団法人木下美術館

「暖か」などに見られる耽美的な女性像こそ、恒富の魅力かもしれませんが、必ずしも妖艶の一辺倒というわけではありません。「願いの糸」はどうでしょうか。水の入った盥を前に、淡い桜色の着物を着た女性が、赤い糸を針に通す仕草をしています。細く曲がった指先はやや官能的でもありますが、表情は物憂げながらも、全体としては清楚に思えなくはありません。恋愛成就などを願う、七夕の夜の風習を表現しました。


「墨染」 大正後期 個人蔵

チラシ表紙を飾る「墨染」も魅惑的でした。女性が俯きながら、すらっと立つ姿は美しく、モノクロームに沈む色のトーンの効果もあるのか、幽玄な雰囲気を醸し出しています。髪飾りの青が、殊更に際立っていました。濃淡のある色を、一つの作品へ同時に表現するのも、恒富画の特徴と言えるかもしれません。


「淀君」 大正9(1920)年 耕三寺博物館

恒富はモデルの内面を表現した画家でした。その最たる一枚とも言えるのが、「淀君」です。その名の通り、淀殿が、落城寸前の大阪城で、煙に包まれる様子を描いています。右手で着物を脱ぎ、上目遣いで、やや横を見やる淀殿の表情には凄みもあり、強い意志と、反面の諦念が、同時に表されているようにも思えました。また先の「暖か」と同様、着物の絞り染の模様が、極めて精緻でした。ただならぬ雰囲気も感じられるのではないでしょうか。

さりげない風景画にも優品がありました。東都名所に収められた「宗右衛門町」で、賑わう夜の街の情景を、俯瞰した構図で表しています。家々からぼんやりとしみる明かりには温かみがあり、恒富の街に対する愛情も感じられました。



昭和の初期に入ると、モダニズム風の作品を描くようになります。「戯れ」では、緑色に濃い若葉の下で、黒いカメラのファインダーを覗く芸妓を表しました。上に若葉、下に女性の半身を配置した、鳥瞰的な構図も独特で、着物の色も緑を基調としていることから、初夏の季節感を感じられるかもしれません。カメラというモダンな素材を、日本画の世界へ違和感なく落とし込んでいます。

奇妙な緊張感が漂っていました。それが「蓮池(朝)」で、二曲一双の屏風に、蓮の花の咲いた池を進む小舟を表しています。舟の上には2人の女性が描かれていて、一人は右を向き、もう一人は漕ぐための棒を持ちながら、左の後方へと向いています。舟の中央に挟みがあることから、蓮の花を切り取りに来たのかもしれません。それにしても、挟みを挟んだ両者の距離は遠く、そもそも視線すら合わそうともしていません。一体、どのような関係にあるのでしょうか。

モダニズムとも関連があるのか、時に実験的な作品があるのも面白いところです。例えば「口三味線」で、名が示すように、口で三味線の伴奏を真似る女性の姿を描いています。当然ながら、あくまでも真似ごとのため、三味線はなく、身振りで弾く仕草をしているに過ぎませんが、その手の向きが、人物の動きからすれば、やや不自然に曲がっていて、幾何学的にすら見えました。意図しての構図なのかもしれません。

気品のある「真葛庵之蓮月」には心打たれました。障子の合間に剃髪の女性を描いたもので、幕末の歌人をモデルにしています。その様子は、至極、平穏で、知性的であり、澄み切った心の内面が滲み出しているようにも見えました。それこそ悪魔的な要素は1ミリもありません。


「ポスター:朝のクラブ歯磨」 大正2(1913)年 アド・ミュージアム東京

恒富はポスターデザインでも業績を残した人物であります。当初はミュシャに倣い、アール・ヌーヴォーのスタイルを取り入れて、モダンで流麗な広告ポスターを次々と制作しました。

目立つのは「菊正宗」のポスターです。菊をあしらった襖を前に、歌舞伎の柄の着物を身にした芸妓が座っていて、右上には確かに「菊正宗」の文字がありました。戦前の日本のポスターでは、最大のサイズとも言われています。

「高島屋」のポスターも面白いのではないでしょうか。肩から胸のあたりを露わにした女性は艶やかで、うっとりとした表情をしながら、上目遣いで前を見据えています。白い肌と着物の精緻な模様は対比的でもあり、右手の長い指が特に目を引きます。そして、これこそ、現代美術家の森村泰昌が扮したことでも有名なポスターであり、実際に森村の作品も特別に出品されていました。やはりモデルの指先が気になったのでしょうか。爪を手入れしては、ポーズをとっているのが印象的でした。

ラストは大坂画壇の展開です。恒富は画塾「白曜社」を設立し、大阪モダニズムというべき潮流を牽引しました。島成園、木谷千種らをはじめ、中村貞以といった画家の作品も展示されていました。

展示替えの情報です。会期途中で一部の作品が入れ替わります。

「没後70年 北野恒富展」出品リスト(PDF)
前期:11月3日~11月26日
後期:11月28日~12月17日


「いとさんこいさん」 昭和11(1936)年 京都市美術館 *後期展示

代表作の1つとしても知られ、谷崎潤一郎の「細雪」の登場する姉妹を描いた「いとさんこいさん」は、後期に出品されます。一方で、「暖か」と「鏡の前」は前期のみの展示です。ご注意ください。


時に耽美的ながらも、終始、人を見据え、内面をえぐり出しつつ、優美なポスターも手がけた北野恒富。画風の展開は思いの外に多様で、単に「悪魔派」云々で片付けられるほど単純ではありません。その幅広い魅力を初めて知ることが出来ました。

恒富展に続く、所蔵作品展「近代美女競べ」も好企画でした。日本画を中心に、木版画や書籍資料を交え、近代の画家の美人画を70点超も展示しています。特に橋口五葉の素描が充実しています。恒富展チケットで観覧可能です。こちらもお見逃しなきようおすすめします。

2003年に東京ステーションギャラリーで開催された、「浪花画壇の悪魔派 北野恒富展」以来の大規模な回顧展です。あべのハルカス美術館に始まり、島根県立石見美術館を経て、千葉市美術館へと巡回してきました。以降の巡回はありません。



なお現在、京都国立近代美術館で開催中の「岡本神草とその時代展」が、来年5月末より千葉市美術館へと巡回(予定。2018年5月30日〜7月8日)するそうです。そちらも期待したいと思いまあす。

12月17日まで開催されています。

「没後70年 北野恒富展」 千葉市美術館@ccma_jp
会期:11月3日(金・祝)~ 12月17日(日)
休館:11月6日(月)、11月27日(月)、12月4日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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「マリメッコ・スピリッツ」 ギンザ・グラフィック・ギャラリー

ギンザ・グラフィック・ギャラリー
「マリメッコ・スピリッツーパーヴォ・ハロネン/マイヤ・ロウエカリ/アイノ=マイヤ・メッツォラ」
11/15〜2018/1/13



ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中の、「マリメッコ・スピリッツーパーヴォ・ハロネン/マイヤ・ロウエカリ/アイノ=マイヤ・メッツォラ」を見てきました。

マリメッコの創業者であるアルミ・ラティア(1912~1979)は、才能のあるデザイナーを発掘し、創造意欲を発揮出来る環境を整えつつ、様々なデザインパターンを生み出しては、世界的ファッションブランドを築き上げました。



現在のマリメッコで活躍している、3名のデザイナーにスポットを当てた展覧会です。マリメッコの代表的パターンをはじめ、オリジナル作品やインタビュー映像のほか、日本にインスピレーションを受けて作った新作などを紹介しています。


マイヤ・ロウエカリ「シィルトラプータルハ」 2009年

3名の中で最も長くマリメッコと関わっているのが、グラフィック・デザイナーのマイヤ・ロウエカリでした。1982年に北フィンランドで生まれたロウエカリは、2003年、ヘルシンキ芸術大学の在学中に、マリメッコと大学の主催したデザインコンペで優勝を果たします。以来、マリメッコのためのデザインを作り続けました。グラフィカルなデザインが特徴的でもあります。


アイノ=マイヤ・メッツォラ「シトルーナプー」 2014年

続くのが、1983年生まれのアイノ=マイヤ・メッツォラで、やはりヘルシンキ芸術大学の在学中の2006年、マリメッコのコンペに参加し、同コレクションのデザインとして選定されました。水彩やフェルトペン、グワッシュなど、多彩な画材を用いることで知られています。


パーヴォ・ハロネン「サルメ」 2015年

最近になってデザインを担うようになったのが、1974年生まれの現代アーティスト、パーヴォ・ハロネンでした。フリーランスのプリントデザイナーでもあるハロネンは、2011年よりマリメッコの生地デザインを手がけています。自然からのインスピレーションを、抽象的パターンへと転換させることを得意としているそうです。


マイヤ・ロウエカリ「ブラザーズ」 2016年

冒頭の1階には、3名のデザイナーによるパターンがずらりと並んでいました。中にはフィンランド独立100周年を記念してデザインされた作品や、同地の気候変動、例えばフィンランドの島を覆う雨雲や霧雨、それに駆け抜ける涼しい風などをモチーフとした作品もありました。まさにスタイリッシュで、お気に入りの作品を見つけるのにはさほどの時間もかかりません。

階下のフロアが日本に因んだ作品の展開でした。同ギャラリーでは、展覧会の開催に際し、3名のデザイナーに、「JAPAN」をテーマにした新作パターンの制作を依頼しました。ただし3名は、一度も来日の経験がありません。一体、どのようなデザインが生み出されたのでしょうか。


アイノ=マイヤ・メッツォラ「コケデラ」 2017年

アイノ=マイヤ・メッツォラは「コケデラ」を作り上げました。日本庭園や寺院からヒントを得たデザインで、言うまでもなく、苔寺で知られる西芳寺をモチーフとしています。せり上がる石のような量感は独特で、遠目では、石畳か石垣のようにも見えました。表面を覆う素早い線が、苔を表しているのでしょうか。幽玄な雰囲気も感じられました。


マイヤ・ロウエカリ「キルシカンクッカサデ」 2017年

一転して、日本の都市に着目したのが、マイヤ・ロウエカリでした。タイトルは「キルシカンクッカサデ」で、「桜の花の雨」を意味し、雨の降るネオン街の東京をモチーフとしています。色鮮やかなファッションを身につけた若者からは活気も感じられ、多くの人で行き交う東京の賑わいを巧みに表現しているのではないでしょうか。表参道の交差点の光景が頭に浮かびました。


パーヴォ・ハロネン「アウレオリ」 2017年

得意の切り紙の技術によって、抽象的なパターンを生み出したのが、パーヴォ・ハロネンでした。「アウレオリ(光の輪)」と名付けた作品は、かの葛飾北斎の河童や、円山応挙の鶴、はたまた宮崎駿の映画などからインスパイアして作り上げたそうです。表面のパターンは自然の地表を表現しています。

どことなく流水紋のようにも見えなくはありません。3名の中で最も「和」を感じさせるのではないでしょうか。私が一番惹かれたのは、この「アウレオリ」でした。



さらにマリメッコのテーブルウェアなども、少ないながらも紹介していました。マリメッコのパターン自体の魅力と、デザイナーの自由な創造力を、同時に味わえるような展覧会と言えるかもしれません。

なお、12月15日から、東陽町のギャラリーエークワッドでも、「マリメッコ・スピリッツ」と題した展覧会が行われます。

GALLERY A4(ギャラリーエークワッド)
「マリメッコ・スピリッツーエラ マンタパ マリメッコの暮らしぶり」
2017年12月15日(金)〜2018年2月28日(水)


アイノ=マイヤ・メッツォラ「普段使いの文房具」

2つで1つのマリメッコ展です。銀座と東陽町を行き来して楽しむのも良さそうです。



2018年1月13日まで開催されています。

「マリメッコ・スピリッツーパーヴォ・ハロネン/マイヤ・ロウエカリ/アイノ=マイヤ・メッツォラ」 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
会期:2017年11月15日(水)~2018年1月13日(土)
休廊:日曜・祝日。年末年始(12/28~1/4)。
時間:11:00~19:00
料金:無料
住所:中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅から徒歩5分。JR線有楽町駅、新橋駅から徒歩10分。
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「TOKYO数寄フェス2017」 上野恩賜公園、谷中地域一帯

上野恩賜公園、谷中地域一帯
「TOKYO数寄フェス2017」 
11/10〜11/19



10日間限定のアートフェスティバルです。上野恩賜公園、谷中地域一帯で開催中の「TOKYO数寄フェス2017」を見てきました。



上野公園内に巨大な水上楼閣が登場しました。それが、現代美術家の大巻伸嗣による「プラネテスー私が生きたようにそれらも生き、私がいなくなったようにそれらもいなくなった」です。高さ14メートルもあるスケルトンのインスタレーションで、約4800本にも及ぶ角材で組み上げられています。私も前もって写真で見知っていましたが、想像以上の大きさで、驚きました。



ちょうど日没前後のため、ライトアップがされていました。写真では僅かにグリーンに染まっていますが、実際は通常の照明のようで、内部に大きな光源が3〜4つほど吊り下がっていました。さすがに目立つゆえか、ギャラリーも多く、スマホやカメラを構えては、記念撮影をする方もたくさん見受けられました。



しかし何故に楼閣なのでしょうか。答えを紐解くには、上野公園の開園以前にまで遡る必要がありました。かつてこの界隈は、寛永寺の境内で、多くの仏閣が立ち並んでいましたが、災害や戦争を経て、明治時代に公園として整備されたそうです。大巻は、その記憶や空間を再現すべく、寛永寺山門の「文殊楼」をモチーフにした建築物を設置しました。透けて見えるのも何か意図してのことかもしれません。また噴水の水盤の効果か、建物の下にも、楼閣が映り込んでいて、より際立って見えました。



その楼閣の北側でお茶を振舞うのが、インテリアデザイナーの橋本和幸と、伊藤園とのコラボによる「ティーテイスターフォレスト」でした。最近、「景色を眺めながらお茶をいただく」(公式サイトより)ことに取り組むという橋本は、公園内に移動式茶屋を設置し、その中で、茶をいただきながら、改めて暮らしについて見つめ直そうという展示を行っています。



ただ、一口に茶屋と言っても、一捻りも二捻りもある、個性的な茶屋でした。また会期中には、伊藤園のお茶のスペシャリスト「ティーテイスター」による、「茶KABUKI」と題したイベントも行われていたようです。公園内に突如、出現した茶屋は、いささか新奇にも映りました。



さて「TOKYO数寄フェス2017」は、上野公園の外へも展開しています。その1つが、アートプロジェクト「The Whole and The Part/全体と部分」で、谷中界隈の3会場にて、東京藝術大学GAP(グローバルアートプラクティス)専攻と、パリ国立高等美術学校の生徒による作品展示が行われています。



会場自体も見どころの一つです。というのも、旧平櫛田中邸、旧谷邸、市田邸といった歴史的建造物が舞台となっているからです。中でも市田邸は、明治40年、布問屋を営んでいた市田氏が建てたもので、現在、国の登録有形文化財に指定されています。



この日は日没前後の駆け足での鑑賞のため、旧谷邸、そして市田邸しかまわれませんでしたが、まさに古民家の空間は趣きがあり、建物を見学するだけでもかなり楽しめました。



なお一連の谷中の展示は、日仏両大学の教員や生徒が、互いの国を行き来し、ユニットを組んでは、共同制作を行ったプログラムの一環でもあります。その成果発表の場と言えるのかもしれません。

これらのプログラムのほかにも、ワークショップや、コンサートイベントなども開催されています。中でも今週末(17日〜19日)の日没後には、鈴木太朗と空間演出研究所が、不忍池を舞台に、光を用いたインスタレーションを展開します。なおプログラムの観覧時間は、会場毎で異なります。詳しくは同フェスの公式サイトをご覧下さい。

「TOKYO数寄フェス2017」とは、文化施設、行政、民間企業によって結成された「上野文化の杜」@uenobunka)が、昨秋、日本の文化と芸術を国内外に発信するために初めて開催したイベントで、今年は会期を延長し、規模もやや拡大しました。

また「数寄」とは、日本美術院を創設した岡倉天心が、茶の湯を通して日本文化を紹介した著書、「茶の本」の中で用いた言葉から名付けられたそうです。まだ試行錯誤の感は否めないかもしれませんが、今後は上野を代表するアートイベントとして育っていくのかもしれません。


上野公園の木々もすっかり色づいていました。博物館や美術館へのお出かけの際に立ち寄るのも良いのではないでしょうか。



11月19日まで開催されています。

「TOKYO数寄フェス2017」 上野恩賜公園、谷中地域一帯
会期:11月10日(金)〜11月19日(日)
会場:上野恩賜公園(不忍池一帯、噴水前広場ほか)、東京国立博物館、 東京都美術館、東京文化会館、谷中地域ほか。
時間:11:00〜17:00
 *11/10、11、17〜19は20時まで。谷中エリアは全日17時まで。
料金:無料。但し博物館、美術館へは別途入館料が必要。
住所:台東区上野公園5-20
交通:JR線、東京メトロ鉄銀座線・日比谷線上野駅下車徒歩2分。京成線京成上野下車徒歩1分。
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「日本美術応援団+西洋美術応援団トークバトル 展覧会大総括2017」が開催されます

美術の専門家が、一年の美術展を振り返り、来年を展望します。「日本美術応援団+西洋美術応援団トークバトル 展覧会大総括2017」が開催されます。



[日本美術応援団+西洋美術応援団トークバトル 展覧会大総括2017]

日時:2017年12月12日(火)19:00~20:30(受付開始は18:30)

会場:千代田区立日比谷図書文化館「日比谷コンベンションホール」(千代田区日比谷公園1番4号

交通:東京メトロ丸の内線・日比谷線霞ヶ関駅B2出口より徒歩約3分。都営地下鉄三田線内幸町駅A7出口より徒歩約3分。東京メトロ千代田線霞ヶ関駅C4出口より徒歩約3分。



[登壇]

スピーカー:西洋美術応援団幹事長・高橋明也(三菱一号館美術館館長)、日本美術応援団団長・山下裕二(日本美術史家)

モデレーター:鈴木芳雄(編集者・美術ジャーナリスト)

これは昨年秋に開催された「トークイベント 『西洋美術 VS 日本美術 十番勝負』」の続編に当たるもので、フクヘンさんこと鈴木芳雄さんがモデレーターを担当し、西洋美術応援団幹事長の高橋明也館長(三菱一号館美術館館長)と、日本美術応援団団長の山下裕二先生(日本美術史家)をスピーカーに迎えてのトークイベントとなります。

[トークイベント概要]
日本美術応援団団長として、数々の展覧会を盛り上げる美術史家・山下裕二氏と、三菱一号館美術館館長として活躍するなか、西洋美術応援団の幹事長も担う高橋明也氏。日本美術と西洋美術の専門家のおふたりが、今年開催された数々の展覧会について語っていただく年忘れ豪華対談。
昨年開催したトークイベント『西洋美術 VS 日本美術 十番勝負』でも好評だった、ふたりの“本音”が満載です!
ミュシャ、運慶、アルチンボルド、草間彌生…2017年話題となった美術展について、また2018年注目の展覧会情報を先取りできる90分。
さらに、クリスマスシーズンならではのとっておき企画もご用意。
来年の美術館巡りが必ず楽しくなる時間をお届けします。

前回は、日本、西洋美術の魅力を、10のテーマに沿って語る内容でしたが、今年は、一年の美術展の振り返りながら、来年の展覧会情報を先取りします。またクリスマスならではのイベントとして、大抽選会も準備されているそうです。

日時は12月12日(火)の夜7時からです。日比谷公園にある千代田区立日比谷図書文化館「日比谷コンベンションホール」にて行われます。

[定員、料金、チケットの購入方法]

定員:180席(立見不可/事前チケット購入者に限る)

料金:2500円(税込)

*11月16日(木)よりチケットぴあにて販売開始します(Pコード:763264)



チケットは11月16日(木)から「ぴあ」にて発売され、料金は2500円です。事前申込制で、定員の180名に達し次第、受付終了となります。

日本美術応援団は、今から20年以上も前、山下先生が、亡き赤瀬川原平さんとタッグを組んで結成されました。その後、南伸坊さん、井浦新さんも加わり、まさに日本美術を応援すべく、トークや出版のほか、様々な活動を続けて来ました。

それに対し、昨年、結成されたのが、三菱一号館美術館の高橋館長が幹事長を担う西洋美術応援団で、キックオフイベントとして、「トークイベント 『西洋美術 VS 日本美術 十番勝負』」が行われました。


お話好きのお三方です。私も昨年のイベントに参加しましたが、ともかく話題に事欠かず、時間をオーバーしての美術に関する熱いトークが続きました。今回も裏話ありの、楽しい内容となるに違いありません。


「日本美術応援団+西洋美術応援団トークバトル 展覧会大総括2017」は、12月12日(火)の19時より、千代田区立日比谷図書文化館「日比谷コンベンションホール」にて開催されます。

チケットの購入は→http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1755476

[日本美術応援団+西洋美術応援団トークバトル 展覧会大総括2017]
日時:2017年12月12日(火)19:00~20:30
 *受付開始は18:30。
会場:千代田区立日比谷図書文化館「日比谷コンベンションホール」
 *千代田区日比谷公園1番4号
交通:東京メトロ丸の内線・日比谷線霞ヶ関駅B2出口より徒歩約3分。都営地下鉄三田線内幸町駅A7出口より徒歩約3分。東京メトロ千代田線霞ヶ関駅C4出口より徒歩約3分
スピーカー:西洋美術応援団幹事長・高橋明也(三菱一号館美術館館長)、日本美術応援団団長・山下裕二(日本美術史家)
モデレーター:鈴木芳雄(編集者・美術ジャーナリスト)
定員:180席(立見不可/事前チケット購入者に限る)
料金:2500円(税込)
問い合わせ:株式会社廣済堂「カルチャープランニング部」cp@kosaido.co.jp
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「神道の形成と古代祭祀」 國學院大學博物館

國學院大學博物館
「神道の形成と古代祭祀」 
10/14~12/10



古代の祭祀と、神道の形成について、文献資料や出土品から探る展覧会が、國學院大學博物館で開催されています。


「日本書紀巻21」 舎人親王ほか撰 原典:奈良時代・養老4(720)年 江戸時代刊 國學院大學図書館 ほか

そもそも神道という言葉は、いつ、どこで現れたのでしょうか。答えは、8世紀に編纂された日本書紀で、記述の中に、初めて神道の語が採用されました。書紀では、唐の三教のうちの道教に相当する存在として、神道を位置付けました。モデル自体は唐にあったそうです。

ただし唐の道教が、帝室と老子を師に仰いだ一方、神道は天皇の祖のみを天神としました。皇孫のみが国家を治めるという理念を示したことで、日本独自の国家宗教としての神道が確立しました。

神道の出典も中国に依拠します。六朝時代に起きたという神滅、神不滅論争で、肉体が滅んでも、永続する霊魂のことを、神道と呼びました。つまり元来は、仏教用語でした。それが採用された理由として、留学僧の関与が想定されているそうです。


「伊勢太神宮禰宜謹解申儀式并年中祭行事事」 皇大神宮(宮司大中臣真継ほか)解 藤井成章筆 原典:平安時代・延暦23(804)年 江戸時代写 國學院大學図書館

伊勢神宮に関する資料が目を引きました。「伊勢太神宮禰宜謹解申儀式并年中祭行事事」は、804年に神宮が神祇官に提出したもの(展示品は写し)で、祭具の準備や執行、収納など、一連の祭祀のプロセスを細かに記しています。


「内宮御神宝図」 弘化2(1845)年 國學院大學図書館

また、神宮で使用された神宝や装束を描いたのが、「内宮御神宝図」や「内宮御装束図」でした。神宮の祭祀は、7世紀後半頃より体系化しましたが、神宝や装束が、古代の古墳の副葬品に共通しているという指摘もあります。何らかの関わりがあったのは間違いないかもしれません。


「内行花文鏡」 伝福岡県宗像市 沖ノ島出土 古墳時代・4世紀 國學院大學博物館

そして時代は遡ります。古墳時代です。のちに神道と呼ばれる国家的祭祀の原型が、同時代にあると定義した上で、様々な出土品から、神々が祀られた形を明らかにしていました。


「靭型埴輪」 埼玉県本庄市出土 古墳時代・6世紀 國學院大學博物館 ほか

そもそも古墳時代の祭祀は、弥生後期の西日本各地の墓制が統合して成立しました。そして、5世紀頃、「治天下大王」の君臨した地域に、祭式が定型化して普及しました。


「美濃ケ浜遺跡出土遺物」 山口県山口市 古墳〜飛鳥時代・6〜7世紀 國學院大學博物館

古墳への埋葬品は、何も祭祀遺物だけではなく、農耕具、調理具などの日用品や、武器も含まれています。また最近の調査から、祭祀行為そのもののほかに、祭祀への準備や収納の状況についても解明が進んでいるそうです。


「建鉾山遺跡出土遺物」 福島県白河市 古墳時代・5世紀 國學院大學博物館

製塩遺跡として知られる美濃ケ浜遺跡(山口県)も同様で、発掘調査から、様々な財を象った石造の模造品を製造していたことが分かりました。また建鉾山遺跡(福島県)では、いわゆる神宝が、信仰の対象であった磐座の周囲に納められていました。巨岩を庫に見立てたとも考えられています。

ラストは律令国家形成前後の神祇祭祀の動向です。7世紀後半以降には、古墳時代の祭祀体系が成文化されます。神祇令が置かれ、神祇行政が執行されました。それにより、伊勢神宮、神社、祭料の様式などが確立しました。

ただ宮殿形式の神宮が整備された時代においても、全ての神社に本殿や神庫があったわけではありませんでした。上多賀宮脇遺跡(静岡県)に見られるように、依然として磐座の元に、鏡などを納めたこともあったそうです。


「人形」(模造) 奈良県奈良市 平城京跡出土 原品:8世紀 國學院大學博物館 ほか

また古墳時代に由来する呪術的な人形などを納めることもありました。さらに祭祀において、道教的な方術が流入していたことも判明しているそうです。祭祀のあり方は、地域や時代において変容していて、何も一朝一夕に全てが完成したわけではありません。

続く常設展にも神道関連の作品が展示されていました。あわせて見るのが良さそうです。

会場内でアンケートに答えると、解説の付いたパンフレットがもらえました。展示への理解も深まります。


「神道の形成と古代祭祀」会場入口

会場内、一部の資料を除き、撮影も可能です。(常設の神道展示コーナーは撮影不可。)


入場は無料です。12月10日まで開催されています。

「神道の形成と古代祭祀」 國學院大學博物館@Kokugakuin_Muse
会期:10月14日(土)~12月10日(日)
休館:10月23日(月)、11月20日(月)
時間:10:00~18:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:無料。
住所:渋谷区東4-10-28 國學院大學渋谷キャンパス内。
交通:JR線、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線、東急東横線・田園都市線渋谷駅より徒歩15分。渋谷駅東口バスターミナル54番乗り場より都営バス「学03日赤医療センター行き」で「国学院大学前」下車すぐ。JR線、東京メトロ日比谷線恵比寿駅西口ロータリー1番乗り場より都営バス「学06日赤医療センター行き」で「東四丁目」下車。徒歩5分。
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「長沢芦雪展」 愛知県美術館

愛知県美術館
「長沢芦雪展 京のエンターテイナー」
10/6~11/19



愛知県美術館で開催中の「長沢芦雪展 京(みやこ)のエンターテイナー」を見てきました。

1786年、時に33歳の長沢芦雪は、師の円山応挙の名代として南紀へ赴き、翌年にかけて、無量寺、成就寺、そして草堂寺で障壁画を描きました。それらは現在、重要文化財の指定を受け、芦雪の代表的な作品として評価を受けています。

その中でも人気の「虎図襖」を含む、無量寺の障壁画の空間再現が、史上初めて美術館で実現しました。さらに初期から晩年の作品、80点超(一部に展示替えあり)を展示して、芦雪の画業の全体を辿っています。

冒頭、芦雪の肖像画を経ると、まず現れるのが、最初期の応挙入門以前、または門下時代の作品でした。1754年、丹波の篠山藩士の子として育った芦雪は、若くして京都に出て、少なくとも20代半ばまでには、応挙の門で絵を学んでいたと言われています。


長沢芦雪「蛇図」 個人蔵
 
松の幹にまとわりつく蛇を描いたのが「蛇図」で、元になる図が応挙の写生帖にないことから、おそらく入門以前の作品だと考えられています。蛇の体は平べったく、やや不自然で、確かに「未熟」(解説より)かもしれませんが、頭部の描写は緻密で、蛇も鋭い目を光らせていました。

「関羽図」では線に注目です。いうまでもなく、三国志の武将の関羽がモデルで、滝を背景に、岩陰で座りながら、トレードマークでもあった長い髭を触っています。服装を象る線が独特で、太い箇所と細い箇所に分かれ、一定ではありません。なにやら一筆を震わせながら描いているようにも見えましたが、実際には細い線を重ねているそうです。

早くも芦雪らしい作品であるのが、得意の蛙を配した「若竹に蛙図」でした。若い竹の生えた水辺に、一匹の蛙が、ぴょんと飛び出さんとばかりに座っています。筆は素早く、竹の葉も軽やかで、僅かに風に揺られているようでした。蛙の視点に誘われるからか、見る側の意識も、否応なしに水辺の方へと向かいます。鑑賞者の視線を巧みに誘導していました。


長沢芦雪「牡丹孔雀図」 下御霊神社

師の応挙と芦雪の作品を見比べることも出来ました。一例が「牡丹孔雀図」で、応挙作と芦雪作が隣り合わせに並んでいます。応挙作はまさしく華麗で、赤い牡丹を背景に、これ見よがしに羽を広げる孔雀の姿を堂々と描いています。また下から、もう一羽の孔雀が、顔を覗かせている様子も面白いのではないでしょうか。一方での芦雪作は、応挙に比べると、全体的に陰影が濃く、羽や牡丹には立体感があり、ぐっと首を下に曲げた孔雀自体にも動きがありました。

より両絵師の個性が際立っていたのが、「楚蓮香図」でした。楚蓮香とは、中国の唐の長安の美人で、香りを慕って蝶がついて来たとも言われています。その逸話に倣い、ともに蝶を見やる女性の姿を表していますが、応挙の画が風雅としたら、芦雪は妖艶とも呼べるのではないでしょうか。応挙が、女性の手を袖に隠して描いたのに対し、芦雪は、細い指を差し出し、蝶がぴたりと吸い付くようにとまる様子を表現しています。また芦雪の女性には、口元に笑みが見られました。上衣の赤い色彩も鮮やかでした。

蛙と並び、芦雪が得意としたのが、雀でした。中でも「躑躅群雀図」が魅惑的で、紅色の花をつけた躑躅が咲き、枝や下方の水辺で雀が群れています。雀は皆、じゃれ合っていて、まるで人間の子どものように楽しげに遊んでいました。いずれも俊敏で、一つとして同じ動きがありません。雀のさえずりが聞こえてくるかのようでした。

初期の作品で、特に目を引いたのが「岩上猿・唐子遊図屏風」でした。右隻には、岩の上に三匹の猿がいて、一匹は何かを食べるような仕草をしています。ほかの猿は、単にぼんやりと辺りを見渡すのみで、何もしていません。黒々とした岩肌が特徴的で、滝の白い筋も見られました。左隻は、中央部に小川の流れる穏やかな水辺でした。川の手前と奥に唐子がいて、手前の唐子たちは子犬をあやしています。この唐子たちはもちろん、コロコロとした子犬の可愛らしさと言ったら比類がありません。もちろん応挙の犬も親しみがありますが、蛙、雀、子犬を同時に描かせれば、芦雪の右に出る者はいないのではないでしょうか。

無量寺の再現は展示の中盤でした。仏間を中央に、手前の室中之間の左右に「虎図襖」と「龍図襖」があり、それに左右に続く上間二之間に「薔薇に鶏・猫図襖」、下間二之間に「唐子遊図襖」が配置されています。これまでにも「虎図」と「龍図」が並んで展示されたことはありましたが、今回は本来の配置と同様、初めて向かいあう形にて展示されました。

最初に姿を現したのが、上間二之間の「薔薇に鶏・猫図」で、左4面に2羽の鶏と薔薇、右4面に3匹の猫が描かれています。1羽の鶏は餌を探すのか、頭を下に向けている一方、猫はいずれも水辺にいて、1匹の子猫は魚を捕ろうとしているのか、鋭い視線を水面に向けながら、脚を差し出していました。また襖は、ちょうど左から4面目の岩の部分で、直角に折れていましたが、これも無量寺の本来の配置に準じています。


続くが「虎図襖」と「龍図襖」でした。虎はまるで屏風から飛び出さんとばかりに跳ねる一方、龍は確かに黒雲を割いて姿を現しているものの、見方を変えれば、その中に身を潜めようとしているようにも思えなくはありません。虎は丸っこく、猛々しい表情ながらも、愛嬌があり、可愛らしくもありました。前脚の描写が独特で、一本しか見えず、左脚のみを差し出しているのか、両脚を重ねて出しているのか、良く分かりません。

また虎の姿自体は、4面の襖に描かれていますが、その後ろにも2面あり、岩と竹の笹が、ちょうど虎と反対方向へと伸び、ないしは靡いていることが分かります。この後ろ2面があるのとないのでは大違いで、虎はかなり後方から前へと軽やかにジャンプしているように見えました。また後ろへ長く伸びてはとぐろを巻く尾っぽも、虎の前への動きを効果的に示すための表現なのかもしれません。なお、先の「薔薇に鶏・猫図」の子猫の真裏に、この虎が描かれていることから、水中の魚から見た猫が、虎であるという説もあるそうです。果たしてどうなのでしょうか。

「龍図襖」の裏手に当たるのが、下間二之間の「唐子遊図襖」でした。「薔薇に鶏・猫図襖」同様に、8面あり、4面の部分で折れています。うち北側は室内、龍の裏側は屋外に設定し、子どもたちが読み書きなどを学ぶ光景を表しました。とは言うものの、ここは遊び心のある芦雪です。ほぼ誰一人、真面目に学ぼうとする子を描いていません。皆、いたずらに熱心で、中には隣の子の顔に筆で墨を塗っている者もいました。これほど生き生きとした子どもたちが登場する作品も、ほかに少ないのではないでしょうか。子ども好きともされる、芦雪の真骨頂と言うべき作品かもしれません。


長沢芦雪「群猿図屏風」(部分) 重要文化財 草堂寺

同じく南紀の草堂寺からも名品がやって来ました。それが「群猿図屏風」で、右に崖と岩、左に水辺を配置し、ともに猿を描いたもので、黒い崖と白い猿、そして白い水辺と黒い猿を、対比的に表現しています。何よりも目を引くのが、崖や岩の描写で、水を含んだ墨の筆触が、掠れと飛沫を伴い、確かに「アクションペインティング」(解説より)を彷彿されるような、激しい面を築き上げていました。その岩の上で、ただ一匹、座る白いサルは、一体、何を見据えているのでしょうか。一方で、左隻の水辺は平穏で、親子を含む4匹の猿が水を飲んだり、毛づくろいをしています。のちの「白象黒牛図屏風」など、画面の左右を対比させるのも、芦雪の得意とするところですが、その際たる作品と言えそうです。

芦雪は空間を作るのに長けた絵師でした。それを表すのが「朝顔に蛙図襖」で、余白を大きく取った6面の襖に、朝顔と蛙、それに竹を配しています。右から3面目に、ともに背を向けた蛙が2匹いて、その側から、竹が大きくしなるように右方向へと伸びていました。そして一番左の面の端から伸びる朝顔は、大きく蔓を宙に振り上げ、いつしか右の竹の方へと伸び、最後は抱きつくように巻きついていました。極めてシンプルな作品ながらも、何たる深遠な空間が表現されているのでしょうか。蛙の視点に乗り、朝顔や竹の行く手を見遣っていると、いつしか絵画空間の中に飲み込まれていることに気づきました。

新しい表現にも果敢に取り組みます。その1つが油絵のような質感のある作品群で、芦雪は短期間ながらも、黒に染めた紙へ絵具を厚く塗りこめた、「鵞鳥之図」などを描きました。ただしほかの画風とはかけ離れているため、一見しただけでは芦雪とは気づきません。

また指や手に墨をつけて描く指頭画も、応挙一門の絵師の中で、ほぼ唯一、作品を残しました。禅の精神への接近なども指摘されているそうです。


応挙だけでなく、ほかの絵師との合作の作品も何点が出展されていましたが、中でも充実していたのが、「花鳥蟲獣図巻」でした。阿波出身の曾道怡との合作で、道怡が先に竹を描き、その後に芦雪が彩色の花鳥や虫を加えました。得意の雀だけでなく、朱色に染まる鸚鵡などを配し、何やら一村を思わせる濃密な画面を作り上げています。かなり力を入れて描いたのでしょうか。巣を作る蜘蛛の姿も写実的でした。

30代後半から46歳で亡くなるまでの芦雪の作品には、一筋縄では捉えきれない、幅広い画風も見られます。特に後半の5年間は、「傾向の広がりにおいても旺盛な制作」(解説より)を続けました。

「巌上母猿図」に心打たれました。背後は一面の金箔で、右から突き出た青緑色の巌の上に、ただ一匹、猿が左手を差し出すような仕草で座っています。注目すべきは猿の表情で、全てを諦めたかのように下を向き、目時は虚ろで、まるで正気がありません。芦雪は、30代後半と40代にて、いずれも2歳の娘と息子を亡くました。この物悲しい猿は、子を失った母猿なのでしょうか。あくまでも推測の範囲に過ぎませんが、何らかの形で芦雪の心境が反映されているのかもしれません。


長沢芦雪「白象黒牛図屏風」(部分) エツコ&ジョー・プライスコレクション

プライスコレクションでも人気の「白象黒牛図屏風」は、最終盤での展示でした。よく指摘されるように象と牛、犬と鴉を、白と黒、さらに大と小とで対比させるように表しています。この絵の主役は何と言っても子犬です。応挙の犬が、無垢で可愛らしいとすれば、芦雪の犬は可愛らしくも、どこか茶目っ気があり、いたずらっ子風でもあります。これぞ脱力系、ゆるキャラの元祖と言っても良いかもしれません。


長沢芦雪「方寸五百羅漢図」 個人蔵

ラストは「方寸五百羅漢図」でした。巨大な「白象黒牛図屏風」とは一転、僅か3センチ四方に過ぎない、実に小さな作品でした。中には500人とも言われる羅漢たちが描かれていますが、米粒以下のサイズのため、肉眼では殆ど分かりません。おそらく当時も、相当な驚きを持って受け止められたのではないでしょうか。画力あり、機知に富み、ウイットもあり、そして人を喜ばせようとした、まさに江戸のエンターテイナーの絵師、長沢芦雪ならではの作品と言えそうです。


私が芦雪を意識する切っ掛けになったのが、今から10年前、2007年の府中市美術館で開催された「動物絵画の100年」展のことでした。その際、会場のラストに「牛図」や「朝顔図」などの襖絵が出ていて、いずれも余白の利用、ないし空間を意識した巧みな構図に強く感銘したことを覚えています。以来、芦雪の犬や雀の可愛らしさにも魅了され、今回も出展した「虎図襖」を、「対決展」(2008年、東京国立博物館)で見たこともあり、より強く芦雪に惹かれるようになったものでした。いつか大規模な回顧展を見たいと思ったのは、一度や二度ではありません。

もちろんこれまでにも回顧展はなかったわけではなく、公式サイトにも記載があるように、2000年には千葉市美術館と和歌山県立博物館、そして2011年にはMIHO MUSEUMにて芦雪展が行われました。



しかしどういうわけか見逃していました。まさにファン待望、待ちに待った芦雪展です。時間の許す限り、芦雪の作品を堪能しました。



荒天の日曜日に観覧して来ましたが、混雑というほどではなかったものの、思いの外に盛況でした。名古屋限定、1ヶ月強の芦雪祭も、残すところ約1週間です。会期末に向けてさらに賑わうかもしれません。

巡回はありません。11月19日まで開催されています。大変に遅くなりましたが、おすすめします。

「長沢芦雪展 京(みやこ)のエンターテイナー」@rosetsu2017) 愛知県美術館@apmoa
会期:10月6日(金)~11月19日(日)
休館:月曜日。
 *ただし10月9日(月・祝)は開館し、翌10月10日(火)は休館。
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、高校・大学生1100(900)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *コレクション展も観覧可。
住所:名古屋市東区東桜1-13-2 愛知芸術文化センター10階
交通:地下鉄東山線・名城線栄駅、名鉄瀬戸線栄町駅下車。オアシス21を経由し徒歩3分。
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「古代アンデス文明展」 国立科学博物館

国立科学博物館
「古代アンデス文明展」 
10/21~2018/2/18



1994年の「黄金の都シカン発掘展」に始まり、2012年の「インカ帝国展」など、計5回開催されてきた南米シリーズ、「アンデス・プロジェクト」の集大成とも言うべき展覧会が、国立科学博物館で始まりました。

それが「古代アンデス文明展」です。かつてはナスカ、シカン、インカなど、各文明にテーマを絞っていましたが、今回は通史でした。カラルに始まり、チャビン、ナスカにモチェ、さらにはティワナク、シカン、チムー王国からインカ帝国まで、紀元前3000年頃から16世紀にまで至るアンデスの諸文明を、一挙に俯瞰しています。


「土製のリャマ像」 ワリ文化(650年〜1000年) ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館

可愛らしいものから、恐ろしいものまでが目白押しでした。冒頭は土製の「リャマ像」です。紀元650年から1000年頃に中央高地でおきたワリの彫像で、アンデスに欠かせない家畜であるリャマを象っています。有名なアルパカと同じラクダ科の動物で、古くから山岳地方にて、運搬用、もしくは毛皮を衣類として使うために飼われていました。くりくりとした目を光らせています。可愛らしいのではないでしょうか。


「自身の首を切る人物の象形鐙型土器」 クピスニケ文化(前1200〜前800年) ペルー文化省・国立チャビン博物館

しかし一転、実に不気味なのが、「自身の首を切る人物の象形鎧型土器」でした。時代はワリをより遥かに遡り、紀元前1300年から紀元前500年頃のチャビンの土器で、まさに首が真っ逆さまに切断される様子を表現しています。切断面には、剥き出しの血管を象った、生々しい造形も見られました。アンデスにおいて「切断後の人体」の表現は少なくありませんが、殺傷行為自体を描いた事例は極めて珍しいそうです。人物は、宗教的指導者とされ、生贄の儀礼との関係も指摘されています。全身に刺青が彫られていました。

アンデスは「石の文明」とも言われ、現在のペルー北部山岳近いのチャビンにおいても、石彫の神像や頭像が作られました。このチャビンは、アンデスで過去から続いてきた宗教や伝統を統合し、この地に最初の文化的で統一的な交流をもたらしました。その宗教的なイデオロギーは、数百年続きましたが、いつしか権威を失い、再び各地域が独自に進化していきました。アンデス文明は、全域が統一された時代と、個別の文化が成り立つ時代が、交互に現れるのも特徴でもあります。


右:「縄をかけられたラクダ科動物(リャマ?)が描かれた土製の皿」 ナスカ文化 ディダクティコ・アントニーニ博物館

チャビン後、ペルー北部の沿岸で、土器や黄金製品の文化を生み出したのが、モチェでした。一方の南部では、チャビンの影響を受けたパラカスが発展し、のちのナスカへと繋がっていきます。地上絵でも有名なナスカは、土器の制作にも優れていました。その一例が、「縄をかけられたラクダ科の動物が描かれた土製の皿」で、リャマとされる動物の横顔を表しています。やや抽象化した描法も個性的かもしれません。


右:「人間型超自然的存在の像が付いた土器の壺」 後期モチェ文化 ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館

文字のないアンデスでは、時に土器の意匠が意思疎通のツールと化していました。モチェでは、土器に、神や死者、自然や人間といった、4つの世界観を示していたそうです。

6世紀後半、気候変動により、アンデスは大きく変化します。モチェとナスカののち、アンデスにおこったのが、ボリビア高地のティワナク(紀元500年~1100年頃)、中央高地のワリ(紀元650年~1000年頃)、そして北海岸のシカン(紀元800年頃~1375年頃)でした。


「黒色玄武岩製のチャチャプマ彫像」(レプリカ) ティワナク文化 ティワナク遺跡石彫博物館

ティワナクは、標高3000メートルを超える地域で栄え、高度な石造技術を持っていました。玄武岩製の彫像(展示品はレプリカ)は、「チャチャプマ」と呼ばれる神話的存在を象ったもので、動物の戦士が、人間の首を膝の上に乗せる姿を表現しています。


左:「パリティ島で出土した肖像土器」 ティワナク文化 国立考古学博物館(ボリビア)

帽子をかぶり、下唇にはピアスに似た装身具をつけていた、男性の肖像土器も興味深いのではないでしょうか。この写実的な土器は、高地のティティカカ湖に浮かぶ小さな島、パリティ島から出土しましたが、おそらく低地アマゾンの人間を象った肖像とされることから、ティワナクがアマゾン低地の人々と交流していた証拠だとされています。またパリティ島の埋納の遺構から、数多くの割れた土器も見つかっていて、それらは、聖なる湖のティティカカ湖への供物であったとされています。

なお土器に独特な象形が多いのは、ろくろを使わず、手でこねたり、型を使用していたからではないかという指摘もあります。アンデスはろくろの基盤となる車輪の文化を有しませんでした。


「多彩色の水筒型壺」 ワリ文化 ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館

ワリでは多彩の色鉢が目立っていました。いずれも装飾的で、人物や奇妙な生き物などを描いています。特に細かな模様を施した鉢や壺は、特別な饗宴のための酒を醸造、あるいは酒を供するために使われたそうです。


「金の胸飾り」 シカン文化 ペルー文化省・国立ブリューニング考古学博物館

シカンで特徴的なのは、高い金属加工技術に裏打ちされた、黄金の服飾品でした。中でも「金の胸飾り」や「金のコップ」は美しく、一部には、粒金と呼ばれる精緻な技巧が用いられました。


「人間型の土製小像3体」 中期シカン文化 ペルー文化省・国立シカン博物館

中期のシカンは広大な領域を支配してました。それを物語るのが「土製小像3体」で、いずれも別々の様式の服と、飾りを身につけていることから、様々な民族、ないし社会的集団が属していた考えられています。


右:「装飾付きの壺」 中期シカン文化 ペルー文化省・国立シカン博物館

再び可愛らしい作品に出会いました。「装飾付きの壺」です。中期シカンの土器で、ベージュ色を帯びていて、シカン神の顔を象っています。脇にはウミギクガイの一種を彫っていますが、何やら人が喜んで両手を上げながら笑っている姿にも見えました。

アンデス文明の最後を飾ったのが、チムー王国(紀元1100年頃~1470年頃)と、インカ帝国(紀元15世紀~1572年)でした。チムーはシカンの技術を吸収し、農業を発展させ、現在のエクアドルの海岸部までの北方と交易を進めました。


「木製柱状人物像」 チムー文化 ペルー文化省・チャンチャン遺跡博物館

何やら異様な雰囲気を漂わせていたのが、「木製柱状人物像」でした。チムーのチャンチャン遺跡にある王宮の入口の壁に埋め込まれていた像で、多くの突起をつけた帽子、ないし兜をかぶっています。両手で何かを持つような仕草をしていますが、実際に手にしていたのものは分かっていません。武器や防具を構えていたのでしょうか。


「インカ帝国のチャチャポヤス地方で使われたキープ」 インカ文化 ペルー文化省・ミイラ研究所・レイメバンバ博物館

アンデスで、情報や記録の伝達を担ったのが、キープでした。複数の紐に結び目をつけたもので、その形や色、ないし結び目の位置などから、単位などを表しました。写真はインカ時代のキープですが、この種の手段は、既に7世紀から10世紀のワリの時代に存在していたそうです。


「金合金製の小型人物像」 インカ文化 ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館

諸地域を統合したインカは、南北4000キロにも及ぶ、アンデス史上の最大の版図を誇っていました。しかし、アンデスの象徴ともいうべき黄金製品は少なく、しかも小さな作品しか残されていません。その原因はスペインの侵攻でした。インカ滅亡時、時の皇帝アタワルパは、自身の命を乞うため、スペインのピサロに金製品を差し出してしまいます。またスペイン人は、征服の過程で多くの金製品を奪い、価値を認めず、鋳つぶしては、本国へと持ち帰りました。

ラストはミイラでした。アンデスには、旧大陸では見られなかった、ミイラの文化を持っていました。そもそもアンデスの海岸地帯では、エジプトよりも早く、7000年前からミイラが作られていました。その加工の方法は多様で、時に崇拝の対象でもあり、コミュニティーの一員でもありました。中にはミイラの服を取り替える習慣もあったそうです。

実際に会場では、何体かのミイラが展示されています。その生々しい姿を前すると、アンデスの人々の死生観について考させられるものがありました。


「頭を覆う布」 チャンカイ文化 天野プレコロンビアン織物博物館

アンデス文明史のダイジェスト版です。長い時代を扱っているからか、ともかく展開が早く、時代の流れを追っていくのが大変でしたが、アンデスの生んだ多様な文明を、一通り見知ることが出来ました。

最後に会場内の状況です。11月5日の日曜の午後に見てきました。入場待ちの列は一切なかったものの、館内は思いの外に盛況でした。一部の作品の前は多くの人が集まり、最前列で鑑賞するためには、順番を待つ必要もありました。


既に会期が始まって半月ほど経ちました。来年2月までのロングランの展覧会ではありますが、終盤にかけて混み合うのかもしれません。金曜、及び土曜の夜間開館も有用となりそうです。

映像、もしくは最終章のミイラを除き、会場内の撮影が出来ました。

2018年2月18日まで開催されています。

「古代アンデス文明展」@andes2017_2019) 国立科学博物館
会期:10月21日(土)~2018年2月18日(日)
休館:7月18日(火)、9月4日(月)、11日(月)、19日(火)。
時間:9:00~17:00。
 *毎週金・土曜日、11月1日(水)、11月2日(木)は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般・大学生1600(1400)円、小・中・高校生600(500)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *金曜限定ペア得ナイト券2000円。(2名同時入場。17時以降有効。)
住所:台東区上野公園7-20
交通:JR線上野駅公園口徒歩5分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成線京成上野駅徒歩10分。
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