来年のカレンダーはこれで決まり! 抱一の「四季花鳥図巻」

今年も残すところあと2ヶ月となりました。そろそろ来年のカレンダーをどうしようかとお悩みの方も多いのではないでしょうか。無精な私は、いつも慌てて年明けに購入するか、何処からかいただいたカレンダーをそのまま掛けて満足してしまうのですが、今回だけは早々に決まりました。東京国立博物館オリジナルカレンダー、酒井抱一の「四季花鳥図巻」です。


表紙から。

 
中を少しご紹介。


最後のページには「四季花鳥図巻」の簡単な解説と、カレンダーの図柄をどの部分から切り取ったのかが図入りで示されています。丁寧です。

去年までの東博のカレンダーは、所蔵の国宝の図柄を用いたものが販売されていたそうです。それが今回とうとう「ネタ切れ。」(売店の方のお話)となり、抱一の「四季花鳥図巻」が登場する運びとなりました。当然ながら印刷も鮮明です。一部1200円。ミュージアムショップでの販売です。まずはお手に取ってみてはいかがでしょう。

*酒井抱一「四季花鳥図巻」(1818)
春夏秋冬の花鳥、草花などが描かれた二巻の巻物。上巻の春草から始まり下巻の積雪の光景にて終る。光琳作とされる「四季草花図巻」の影響を受けている。鮮やかな色彩は中国・清朝の花卉画にも通じる。(新潮日本美術文庫18 酒井抱一より。)





「酒井抱一/新潮社」
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「赤と黒の芸術 楽茶碗」 三井記念美術館

三井記念美術館中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
「開館一周年記念特別展 赤と黒の芸術 楽茶碗」
9/16-11/12

日本橋の三井記念美術館が早くも一周年を迎えました。記念特別展の名に相応しい充実した展覧会です。楽焼400年の伝統を丹念に辿ります。



楽焼の始まりは今から430年ほど前、桃山時代にまで遡ります。当時、侘茶を大成した千利休(1522-1591)が、自ら理想とする茶の湯のための茶碗を創案しました。そのアイデアを受け止めたのが、楽焼の始祖である初代長次郎(?-1589)です。現在、利休と長次郎との関係を示す確かな証拠は残っていないそうですが、彼こそがまさに利休の「侘び寂び」を器に表現し、後世に残した芸術家だと言えるのかと思います。そしてその伝統は15代、400年に渡り現代に受け継がれました。展示は、初代長次郎から現代の樂家の当主吉左衛門(1949-)まで、約70点ほどの楽焼茶碗にて構成されています。伝統の重みと、新たなる創作への工夫。歴史に裏付けられた深い楽焼の芸術を存分に楽しむことが出来ました。

さすがにその長き歴史を鑑みると、一言に楽焼と云えども表現の方向は多岐に渡っています。ただし、楽焼の根本でもある手捏ね(てづくね)の技法だけは変わっていません。ちなみに手捏ねとはロクロを使わずに、土をそれこそ手で捏ねて器に仕立て上げる制作方法のことです。作り手の意思が手により直に器へ伝えられ、その情熱と温もりが保存されている。楽焼の興った桃山時代、この手捏ね技術を用いていたのは長次郎だけだったのだそうです。それを当時の人々は、これまでと全く異なった茶碗だと考え「今焼茶碗」(今=現代)と称した。また、展覧会のタイトルにもある「赤と黒」とは、楽茶碗に特徴的な赤楽と黒楽を意味します。土の色に近い赤と、全ての色の終着点でもある黒。このシンプル極まりない色の組み合わせが、器に驚くほど豊かな表情を与えています。もちろん時代が下ることによって色の世界が導入されていきますが、この赤と黒の競演こそが楽焼の象徴でもあるとも言えるようです。



初代長次郎では「俊寛」が絶品です。「鹿ヶ谷の陰謀」によって喜界ヶ島へと流されたという俊寛の故事にちなんだこの黒楽茶碗は、その深淵な黒の妙味はもとより、円空間がゆがんだようなそのフォルムと、口部に仄かに指し示された窪みが、器のずっしりとした重みと美しさをジワジワと伝えています。またその他にも、ひし形の造形が面白い「ムキ栗」や、あくまでも控えめな赤が映える「無一物」なども魅力的でした。非常にシンプルでありながら、それでいて様々な表情を見せる長次郎はまさに楽焼のエッセンスの全てが内包されています。この深い瞑想性。惹かれないはずがありません。



楽焼にモダニズムをもたらしたとされる三代目の道入(1599-1656)もまた優れていました。「升」に施された、まるで金箔が貼られたような紋様を見て下さい。実際には黒釉を抜いて作られた模様とのことですが、それがかげろうのようにゆらめき、あたかも器の表面を泳ぐように靡いています。また白泥で色紙をあしらった「僧正」や、きらびやかな色遣いの美しい「鵺」なども非常に魅力のある作品でした。道入は長次郎茶碗に比べると全体的に華やかで、また躍動感に満ちていますが、楽焼の持つ瞑想的な静けさは何ら損なわれていません。伝統と革新を両立させた楽焼の面白さが、道入の作品に一番あらわれているかと思います。



長次郎と道入の他にもう一人と問われれば、私は迷うことなく九代の了入(1756-1834)を挙げるでしょう。了入の面白さは、その独特なヘラの使い方にあります。何度も丁寧に刷り込まれたヘラの痕跡が、これまでの楽焼に見られなかった彩りを器に与えていました。輝きをさらに増した黒楽の「巌」や、ザックリと切り込まれた面に白が眩しい「白楽筒茶碗」、さらにはまるで燃え盛る炎のように器が躍動する「古希七十之内」などはどれも大変に美しい作品です。ヘラと器との格闘が、楽焼に新たな命を吹きこんだようです。



茶にも器にも素養のない私ですが、まさかこれほど惹かれるとは思いませんでした。今月12日まで開催されています。(10/31から11/11の間は、夜7時まで開館しています。)是非おすすめしたい展覧会です。(10/7鑑賞)
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「タワー展 - 内藤多仲と三塔物語 - 」 INAXギャラリー1

INAXギャラリー1中央区京橋3-6-18 INAX銀座ショールーム9階)
「タワー展 - 内藤多仲と三塔物語 - 」
9/1-11/18

東名阪にそびえ立つ三つのタワーが、全て同じ人物の設計によるものだったということをご存知でしょうか。名古屋テレビ塔(1954)と大阪通天閣(1956)、それに東京タワー(1958)の構造設計を担当した、内藤多仲(1886-1970)の業績を辿るミニ展覧会です。



日本の耐震構造理論を躍進させた(公式HPから。)という内藤多仲は、別名「塔博士」と呼ばれるほど鉄塔を多く手がけた設計士なのだそうです。今回の展示で紹介されている三タワーの他にも、さっぽろテレビ塔(1957)や博多ポートタワー(1964)なども設計したと聞けば、その業績の大きさが実感出来るかと思います。展示はパネルが中心です。それぞれのタワーの解説に始まり、外観の写真(組み立て時の写真なども含みます。)や眺望の紹介、それに各タワーの土産物までが並んでいました。また他にも、タワーの図面などが一部紹介されています。かなりコンパクトではありますが、よくまとまった展示でした。

関東に住む私にとって、一番馴染みがあるのはやはり東京タワーです。建造当初のシルエットが今よりも美しいのには驚かされました。特に上の部分がスラッとしていてスリムです。もしかしたらその後付けられたパラボラアンテナが、タワーをゴツゴツと不格好にしてしまったのかもしれません。333メートルの高さは、自立鉄塔としては依然として世界一を誇ります。(これをまず超えるのは、墨田区に建設が決まった「すみだ・タワー」でしょうか。その高さは何と610メートルです。)低層から高層ビルがジャングルのように絡み合う東京の景色の中で、殆ど唯一ランドマークになっているのはこの東京タワーくらいでしょう。蛍光色ばかり目立つ東京の夜景の中から、いつも赤く燃えて浮き出ています。その存在感は他のタワーを寄せ付けません。

通天閣は、新世界界隈の散策とセットで楽しみたい名所です。展望台の高さが、名古屋テレビ塔のそれよりも1メートル高い(通天閣91メートル、テレビ塔90メートル。)のは、先発の名古屋には負けるなという、いかにも大阪らしい(?)発想から生まれた結果なのだそうです。また通天閣と言えばビリケン様ですが、設置されたのは大分後の1980年だとは初めて知りました。ここはタワー自体よりも、某大手電機メーカーの広告の方がはるかに目立っています。高層ビルの林立する現在の大阪に、高さ103メートルでは力がやや足りません。人型のような愛嬌のある形や、地域に深く溶け込んでいるその風情を楽しみたいところです。

名古屋のテレビ塔には一度も昇ったことがありませんが、これこそが日本初の電波鉄塔だそうです。頭頂部へ後に設置されたアンテナ群が、随分と近未来的なデザインに感じられました。下層部の重厚な構えとはアンバランスではありますが、アンテナだけとれば東京タワーよりもはるかに洗練しているのではないでしょうか。最近でこそ駅前のセントラルタワーズに押され気味ですが、久屋大通と一体となったテレビ塔は、まさに名古屋の都市計画の核として生き続けていきそうです。

三タワーの他にも、多仲が構造設計を担当した建物などが至極簡単に紹介されていました。(旧根津美術館など。)タワーや高層建築の好きな方には、おすすめしたい展覧会です。11月18日までの開催です。(10/22鑑賞)

  

*会場にて配布されていた三タワーのパンフレットです。通天閣のパンフには「通天閣フィギュアペーパークラフト」も付いていました。(早速作ってみました。完成したものが下の写真です。)ちょっと曲がってしまいましたが、雰囲気は良く出ています。こういう嬉しいオマケはたまりません。


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「山口紗矢展」 INAXガレリアセラミカ

INAXガレリアセラミカ中央区京橋3-6-18 INAX銀座ショールーム2階)
「山口紗矢展 - 白い陶 青の痕跡 - 」
10/5-30

INAXガレリアセラミカにて開催中の山口紗矢展です。まるで柔らかい粘土のような陶のオブジェが印象に残りました。



一見しただけでは、果たしてこれが陶なのかと疑ってしまうくらい、滑らかで柔らかそうな質感を見せています。思わず陶の表面を手で撫でたくなってしまうほどです。そして奇妙な作品の形です。様々な造形が象られていますが、そこからは実に多様なイメージがわいてきました。時に古代の碑文や粘土の板、さらには走る犬などのようにも見え、はたまた青カビの生えた巨大チーズすら連想させます。また、無数に開けられた穴も特徴的です。ちょうど指のサイズの大きさでしょう。作品の至る所を貫通しています。これは穴と言うよりも、もはや作品の装飾と言うべきなのかもしれません。まさにドットに覆われたオブジェです。

白の土肌とエメラルドグリーンの釉薬が描く、鮮やかなコントラストも魅力的でした。今月30日までの開催です。(10/22鑑賞)
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藤原歌劇団 「ランスへの旅」

藤原歌劇団公演(2006)
ロッシーニ「ランスへの旅」

指揮 アルベルト・ゼッダ
演出 エミリオ・サージ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト
 コリンナ 高橋薫子
 メリベーア侯爵夫人 森山京子
 フォルヴィル伯爵夫人 佐藤美枝子
 コルテーゼ夫人 小濱妙美
 騎士ベルフィオール 小山陽二郎
 リーベンスコフ伯爵 マキシム・ミロノフ
 シドニー卿 彭康亮
 ドン・プロフォンド 久保田真澄
 トロンボノク男爵 折江忠道
 ドン・アルバロ 牧野正人
 ドン・プルデンツィオ 柿沼伸美

2006/10/22 15:00- 東京文化会館大ホール 5階

藤原歌劇団にて「ランスの旅」を聴いてきました。ゼッダの素晴らしいロッシーニが聴けただけでも私は満足です。

最近の新国立劇場でリズム感の欠如したロッシーニやヴェルディを聴いた私にとって、今回のゼッダの指揮する「ランス」はまさに理想とするロッシーニの音楽でした。インテンポにて、鋭角的に刻まれる澱みない明快なリズム。体が浮き上がるような愉悦感と、手に汗握るようなスピード感が同時にやって来ます。重唱に次ぐ重唱の聴かせどころも、歌手をうまくのせながら全く遅滞せずにスムーズに進行しました。それこそこのオペラを良く知っているからこそ可能な演奏なのでしょう。決して状態の良くないオーケストラから、響きの問題(特にラッパが残念でした。)はともかくも、これほど輝かしいロッシーニを聴かせるとは、まさにゼッタの力が為した業と言う他ありません。この公演の主役は、一にも二にもアルベルト・ゼッダです。

藤原の歌手陣は総じて立派でしたが、ロッシーニの音楽を引き立てるような歌唱であったかと問われればかなり厳しかったと言うべきだと思います。ただし唯一、コリンナの高橋が真摯な歌声を披露していたのには好感を持てました。シャルル10世を讃える幕切れのソロは十分な存在感です。また期待のマキシム・ミロノフは、その美声こそ他のキャストを大きく凌駕していたように思いましたが、特に高音を中心とする不安定な歌唱が少し残念でした。もしかしたら調子が悪かったのかもしれません。キャパシティがロッシーニには大きく過ぎる点も否めませんが、もう一歩、力強い歌が聴ければと感じました。あれでは、総じて声を張り上げて、どこかヴェルディ調に歌う他の男性キャストに終始埋もれてしまいます。

 

サージの演出は簡潔そのものです。ステージに真っ白な木枠のセットを用い、その上にてドタバタ劇を繰り広げて行きます。キャストが行き来する度に、セットのきしむ音がホールに響き渡るのが気になりましたが、コミカルな演技を通じて、この作品にある「馬鹿らしいほどの愉しさ」を全面に押し出した演出だったと感じました。シャルル10世を半ばパロディー化して客席に登場させたのも、一種の体制賛美の続く歌合戦自体を茶化していたのではないでしょうか。暗がりに浮かぶ白い舞台に、キャストの纏うダークスーツ。背景の幕にもう一工夫あれば尚良かったと思いますが、総じて美しい舞台でした。

「ランスへの旅」はともかく大好きな作品なので、全く飽きることなく最後まで聴くことが出来ますが、改めて舞台に接してみると、ともかく台本の滑稽までの無意味さに逆に感心させられてしまいます。ここまで来ると、もはや劇の筋などどうでも良いのでしょう。指揮だけをとれば、この演奏で著名なアバド盤にも引けを取らないほど充実した内容でした。良いロッシーニの音楽は、知らない間に杯のすすむイタリアワインのようです。ゼッダの快活なロッシーニで、思う存分、その美酒に酔うことが出来ました。また是非日本でロッシーニを振っていただきたいと思います。
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「ウィーン美術アカデミー名品展」 損保ジャパン東郷青児美術館

損保ジャパン東郷青児美術館新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)
「ヨーロッパ絵画の400年 - ウィーン美術アカデミー名品展 - 」
9/16-11/12



ウィーン美術アカデミーから、約400年にわたるヨーロッパ絵画の充実したコレクションがやってきました。クラナハ、ルーベンス、ファン・ダイクからレンブラント、そして何とクールベまでが展示されています。(全部で80点ほどです。)これぞ名品展のお手本とでも言えるような展覧会でした。



「初期板絵」として展示されていたクラナハも見応え十分ですが、私の好みはもう少し時代の下った「バロック」近辺にあるのかもしれません。ルーベンスでは、遠目から見るとまるでルノワールのタッチを思わせるような豊潤な裸体が美しい「三美神」(1620-24)が圧倒的です。その他、地球儀や磁器、それにタペストリーなどが驚くほど美しく描き分けられているブールの「地球儀とオウムのいる静物」(1658)や、二人の子どもが生き生きと目を合わすムリーリョの「サイコロ遊びをする少年たち」(1670-75)なども魅力的でした。サイコロ遊びからすぐに喧嘩にでも発展しそうな、子どもたちの真剣な眼差しが印象的です。遊びよりも博打を連想させます。



「オランダとイタリアの風景画」では、ホイエンの「帆船と閉経にラメケンス砦」(1655)や、ロイスダールの「川と小橋のある森の風景」(1670)が優れていました。ぷかぷかと海に浮かぶ帆船は冒険へのロマンを感じさせ、こじんまりとした里山の景色には郷愁を思わせる。透き通った川面で水と戯れた白鳥が一際輝いています。淡い光が大地を優しく照らしていました。



作品の収集にも力を入れていたというハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアを描いた肖像画も忘れられません。(メイテンスの「女帝マリア・テレジアの肖像」。)胸を張り、顎を引いて、威厳に満ちた表情にて構えるマリア・テレジア。手前に差し出した左手は、ハプスブルク家最後の栄光を必至につなぎ止めようとしているかのようです。ちなみに、これが描かれた3年後の1762年、彼女は当時神童として売り出し中だった6歳のモーツァルトに謁見し、演奏を娘マリア(後のマリー・アントワネット)とともに聴きました。そしてその時モーツァルトは、大胆にも7歳のマリアに求婚をしてしまいます。有名なエピソードです。

総じて近代絵画以前の作品に見応えがありましたが、それ以降でも、ニーベルングの指環を題材とした天井画の下絵や、ファウストを捉えた作品なども印象的でした。ロマン派好きには見逃せない作品です。

ジュニア版ブックレット(300円)が充実していました。11月12日までの開催です。(10/15鑑賞)

*関連エントリ
「ウィーン美術アカデミー名品展」 鑑賞会メモ
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「HASHI『橋村奉臣』展」 東京都写真美術館

東京都写真美術館目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「HASHI『橋村奉臣』展」
9/16-10/29



次の土日までの開催ですが、是非おすすめしたいと思います。ニューヨーク在住の写真家「HASHI」こと、橋村奉臣の個展です。



展示構成は二部に分かれていますが、初めの「一瞬の永遠」からして非常に見応えがあります。肉眼では決して確認することが出来ないモノの移行の瞬間を捕らえ、それを驚くほど鮮やかな写真で表現する。グラスから水が滴り落ち、金魚が網を破るその瞬間。HASHIの写真を見ると、普段どれだけモノの一面だけしか見ていないのかが痛いほど良く分かります。二つのワイングラスが豪快にぶつかり合う瞬間を見て下さい。赤と白のワインが、まるでキスをするように体を寄せ合わせ、その情熱を互いに確認し合っているではありませんか。モノの魂は、人の感知し得ない次元の中に閉ざされていた。HASHIはそれを解放して、シンプルな写真の上に載せてくれたようです。この展覧会では、何気なく見落としてしまうようなモノの移ろう瞬間に、未知の美しい時が隠されていたことを目の当たりにすることが出来ます。また彼の創作の方向性は、杉本博司と正反対にあると言っても良いのではないでしょうか。杉本が永遠の美を写真に吸い込んで保存しているとすれば、HASHIは一瞬の美を写真へ取り出して見せているのです。早送りすることも巻き戻すことも出来ない時間を、彼はファインダーを通じて拡大し、いとも容易く仕留めています。これはもう魔術です。

 

大きく引き延ばされた写真自体のクオリティーも見事でした。カビの生えた果実はまるで衛星写真で見た火山のようにそびえ立ち、水の中に投げ入れられた石がレモンのように輝いている。目に染みいるほどに眩しい色の光が、写真から強く放たれています。また、見えないはずの瞬間を何とかして捉えようとするHASHIの眼差しが、作品自体にも良く表れていると感じました。人は一点だけを真剣に凝視する時、まわりに存在する他のものは目に入りません。それと同じように、彼の作品にも、ストイックなまでに研ぎすまされた僅かな時間と空間だけが表現されています。つまり、余分な時間を一切削ぎ落とした美の瞬間だけを、またあたかもモノに魂が宿って自在に表情を変えた時だけを、鋭く切り出しているのです。常に極めて純度の高い、ダイヤモンドのように輝いた一瞬間だけが示されていました。



後半部では、またそれと打って変わった「未来の原風景」シリーズが待ち構えています。こちらは1980年から90年代のパリの街角などを捉えたモノクロ写真を、コラージュとして半ば絵画テイストに仕立て上げた作品です。10年から20年前に撮影されたはずの町並みが、もっと昔の、まるで40、50年前のイメージにて湧き上がって来ます。タイムスリップです。コンセプトの「西暦3000年の未来社会に生活する人々の目に、現代がどう見えるのか。」(パンフレットより。)というところまではさすがに感じ取れませんでしたが、モノトーンの画面から滲み出すように浮き出す街角や人々の光景は、まさにノスタルジックな風情に満ち溢れていました。またその他、ロダンの彫刻を写した作品からは、その素材の質感の重みを通り越した官能性を強く感じさせます。石が血の通った肉体へと変化した。ロダンが彫刻に意図したその感覚を、HASHIは写真で忠実に再現しているのかもしれません。



恥ずかしながら、これまでHASHIの名を一度も耳にしたことがなかったのですが、久々に写真に惚れました。今月29日までの開催です。(10/15鑑賞)
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「鳥獣花木図屏風」の超豪華「写真集」、本日刊行!

只今、京都巡回中のプライスコレクション展でも話題の「鳥獣花木図屏風」が、この度一冊の豪華な「写真集」となって刊行されました。手がけたのは、この作品をこよなく愛してやまない日本美術研究家、山下裕二氏です。定価は税込みで3360円(!)。内容の95%ほどが「鳥獣花木図屏風」のカラー図版で占められています。(残りの5%ほどが山下氏の文章です。)細部の細部まで徹底して拡大した図版。実際に見るよりも、この作品が詳細が良く分かると言えるほどかもしれません。ともかく屏風の拡大写真が、特段の解説もなく延々と続いていきます。色々な意味でぶっ飛んだ写真集でした。

「伊藤若冲 鳥獣花木図屏風/山下裕二/小学館」

山下氏と言えば、真贋等の問題がつきまとっている「鳥獣花木図屏風」を間違いなく若冲の作であると述べている研究家です。(それに対して「鳥獣花木図屏風」を若冲の模倣作だとしているのは、「もっと知りたい伊藤若冲」の著者でもある佐藤康宏氏です。)もちろん山下氏は今回の本で、佐藤氏へ反論を含んだ「若冲作決定論」を展開しています。しかしながらそれは、実に残念なことに、あまりにも短く、また控えめで物足りない論証で終ってしまっていました。この著作で、専門家による真贋論争が喧々諤々と始まり、作品研究のさらなる発展に繋がると考えるのは間違いかもしれません。率直に申し上げれば、この作品が若冲であるとする論をもっと展開していただきたかったのです。先輩学者に対する妙な遠慮なぞ無用です。これほどの豪華本を出すのであれば、それこそ佐藤氏を「ぎゃふん」と言わすチャンスです。静岡県美の「樹花鳥獣図屏風」云々でなく、何故にこの「鳥獣花木図屏風」が若冲作であり、また「スゴい」のか。それを専門家ならではの視点で仔細に分析していただきたかったと思いました。(もちろんその反面、佐藤氏にも何故この作品が若冲でないのか、それをもっと一般に向けて論じて欲しいと思います。)

「もっと知りたい伊藤若冲 - 生涯と作品/佐藤康宏/東京美術」

まずはともかく、一度書店にてお手に取られてみることをおすすめします。

*関連エントリ(二点の屏風についての感想です。)
「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館 (その3・エキセントリック)
伊藤若冲派 「樹花鳥獣図屏風」 静岡県立美術館

私はこの二点の屏風画の真贋については全く分かりませんが、どちらかと言えば「樹花鳥獣図屏風」の方が好きな作品です。見通しの良い構図感が優れていると思います。
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「石内都 mother's」 東京都写真美術館

東京都写真美術館目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「石内都 mother's」
9/23-11/5



今年1月の個展(ハウスオブシセイドウ)でも印象深かった石内都の写真展です。彼女の亡き母の所持品を写した作品、約40点ほどで構成されています。昨年のヴェネツィア・ビエンナーレの日本館から巡回してきました。半ば凱旋展です。(展示は写真美術館のために再構成されています。)



石内は遺品とじっくり向き合うことで、亡くなった母との対話を試みています。髪の毛の絡まったクシや、年季の入った口紅、そして着古された衣服。それらが生前に撮影されたという裸体と相まって、それこそポートレートを描くように、母という一人の女性の姿が提示されていました。特に、内側がボロボロに削げ落ちたヒールが印象的です。履き古された靴には、それを使っていた者の歩みが記録されています。出歩いたであろう場所と、この靴を履いて出会った人たち。履き慣れた靴を捨ててしまう時に襲われるような、ある種の寂しさを感じました。失われた母への哀悼。ここは瞑想するように見入ります。

 

一般的に、遺品を拝見するということはあまり気分の良い行為ではありません。しかし、石内はそれを物質感を削ぎ落としたような冷たい感触の写真で美しく見せてくれました。写真には母の生活感こそ朧げに漂っていますが、そこにあったはずの温もりは殆ど表現されていません。その部分に、石内と母との難しい関係(確執もあったと聞きました。)を思わせますが、一枚一枚から沸き立つ気品には、石内の母への敬意がこめられていると感じました。母の腕の中に抱かれたかったが、実際には飛び込めなかった。遺品と対話することで、彼女は生前叶わなかった母との愛を確かめているのかもしれません。

11月5日までの開催です。(10/15鑑賞)
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「小金沢健人 『数を忘れる』」 ヒロミヨシイ 10/14

ヒロミヨシイ江東区清澄1-3-2 6階)
「小金沢健人 『数を忘れる』」
10/7-11/4

小金沢健人の個展です。二面の大型スクリーンを使った映像作品と、暗室に星空を作り出したインスタレーションに見応えがありました。

展示室正面に映し出されているのは、「鳥/2コーナー」(2005)です。白を背景とした二面のスクリーンに、たくさんの鳥(蝙蝠?)の群れる様子がほぼエンドレスに流されています。白みに浮かび上がる鳥たちのシルエット。それがまるでゆらゆらとたなびく翳ろうのようにうごめいていました。右から左へ、また時に上から下へと、空間を縦横無尽に駆け回っている。大空で気持ちよく羽ばたいています。

暗室のインスタレーション、「宇宙の撹拌」(2006)は、まさに小金沢流プラネタリウムです。床に置かれたいくつものミラーボールと、羽のない二つの扇風機。そこへ上からスポットライトがあたり、部屋いっぱいに星空が投影されます。青や白に瞬く無数の星たち。ここに無限の大宇宙が広がり、深い瞑想の時が誕生します。そしてタイトルの「撹拌」の到来です。この仕掛けは扇風機にありました。星の輝きをしばし見つめていると、突然床の羽のない扇風機がバタバタと動き始めます。そして星空が震え、宇宙が大きく揺れ出す。その振動が体に伝わるかのようです。瞑想から一転し、めまいのするような感覚に襲われました。

その他、眩しいネオンサインによる2点のオブジェやドローイングなども展示されています。11月4日までの開催です。
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「イケムラレイコ 『パシフィック』」 シュウゴアーツ 10/14

シュウゴアーツ江東区清澄1-3-2 5階)
「イケムラレイコ 『パシフィック』」
9/26-11/4

MOTのグループ展や、森美術館の「ストーリーテラーズ」などで印象深いイケムラレイコの個展です。ズバリ、タイトルの「パシフィック」(太平洋)のイメージ通り、新作の海景画が目立っていました。夢物語の少女と大海原のモチーフの組み合わせ。これまでの作風からまた一歩踏み込んだような世界が提示されています。

深い青みが無限に広がる「blue horizon」(2006)は、まるでザオ・ウーキーの抽象画のようです。波打つ海と、水面からクジラの噴き出す潮のように立ち上る水蒸気。色の渦が、キャンバスの中でぶつかり合いながら広がっています。また、あたかもマグマの海が描かれたような「pacific red」(2006)も、そのうねり立つ赤が、非常に力強くキャンバスを行き来していました。そしてその赤波の上に伸びる一筋の雲。飛行機の駆けた痕跡でしょうか。画面から朧げに現れる水平線が、海の彼方を指し示し、その先の彼岸をも暗示しています。全てをのみ込んでしまう海の深淵が表現されていました。



煌めく閃光の伸びた「birdgirl」(2006)も印象的でした。光の横切る闇の中にて、少女が楽しそうに駆け出しています。この幻想性と、まるで夢心地のような空間は健在です。11月4日まで開催です。
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「シルケ・オットー・ナップ」展 タカ・イシイギャラリー 10/14

タカ・イシイギャラリー江東区清澄1-3-2 5階)
「シルケ・オットー・ナップ」展
10/7-11/4

ロンドンを拠点として制作を続けているアーティスト、シルケ・オットー・ナップの日本初個展です。パフォーマンスをする人などのダイナミックなイメージを、水彩を用いてキャンバスへ静的に移し替えています。銀色に爛れた水彩の中から浮かび上がるシルエットが印象的な作品でした。

描かれているモチーフは、パフォーマンスやロック・ミュージシャンです。その彼らの動きをキャンバスに閉じ込め、徹底した単純化の元、水彩にて美しく表現します。軽やかにダンスをする人たちが、銀色がかったモノトーンから限りなく淡く滲み出す。これは自身の撮影した写真を元に、水彩だけを使ってキャンバスへ再現する手法を用いているのだそうです。そして水彩は、あたかもキャンバスの水溶性を超えるのではないかと思うほど、瑞々しく、またたっぷりと配されています。そこから、どこか懐かしい残像があくまでも朧げに飛び出してくる。ストイックな表現から生まれた、簡素で落ち着いた美が感じられました。

銀色をベースにしたキャンバスはまるで白黒写真です。11月4日まで開催されています。
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「開廊10周年記念展」 小山登美夫ギャラリー 10/14

小山登美夫ギャラリー江東区清澄1-3-2 7階)
「小山登美夫ギャラリー 開廊10周年記念展」
9/30-10/14(会期終了)



清澄ギャラリービルの最上階に構える小山登美夫ギャラリーが、開廊10周年を迎えました。それを記念して開催された展覧会です。

デニス・ホリングスワース、桑原正彦、奈良美智、それに村上隆ら、今に輝く11名の作家の最新作が展示されています。まず目立つのは、奈良美智の手がけたクリーム色の巨大オブジェです。平べったく、楕円形をした少女。じろりと睨むようなその表情が心に残ります。画廊の10周年を祝った新作のドローイング6点と合わせて、奈良の独特な世界観をコンパクトに拝見することが出来ました。

村上隆のアクリル画、「そして、そしてそしてそしてそして、ぐじゅぐじゅ」(2006)も見応え十分です。1メートル四方のキャンバスに、お馴染みのスーパーフラットによるキャラクターが描かれていますが、その画肌の質感と配色が大変に魅力的です。銀地に鮮やかに彩られた赤や青は、さながら江戸琳派を思わせるきらびやかな装いを感じさせました。まるで日本画の技法を用いたのではないかと思うほどです。とてもアクリルの質感には見えません。

ヴィベケ・タンベルグの数字や英語を用いたコラージュ風の作品も印象的でした。「世界の全ての平行マイル」や「世界の全ての国々の最初の一文字」などは、まさにタイトルの通り、そこに使われた数字やアルファベットを用いて一枚の「絵」を作り上げる作品です。小さな紙に切り取られた英数字が、ビーズをまき散らしたようにして画面に散らばります。無限に連鎖する数字が、あたかも原子モデルのように立体的に浮き上がって見えました。

次回21日からは、福井篤とピーター・ウーの個展が予告されています。そちらもまた拝見する予定です。
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日本一の公立美術館は横浜美術館?

横浜美術館など最高ランク6館、日経が「実力調査」(NIKKEI NET)

詳しくは今日(14日)の日本経済新聞朝刊をご参照下さい。要は「全国公立美術館番付」です。全国の都道府県、もしくは市区立の134の美術館が、同新聞社独自の調査によってランク付けされました。以下、ベスト10を抜き出してみます。

評価ランク
AAA 
横浜美術館
愛知県立美術館
東京都写真美術館
静岡県立美術館
神奈川県立美術館
東京都現代美術館

AA(この他に、以下世田谷美術館や府中市美術館など18館。)
京都市美術館
金沢21世紀美術館
豊田市美術館
福岡市美術館

このランキングそのものよりも、日経新聞紙上に発表された調査の詳細が必見です。(文化面、32、33面。)上位にランクされた美術館の取り組みから、美術館全体における財政難の状況、または識者の意見、さらにはランキングの項目別(学芸・企画力や運営力など。)の分析などが丁寧に掲載されていました。

ランキングの傾向から鑑みると、総じて大規模館に集客や企画の優位性があることは否めないようです。作品収集を中断した美術館が全体の44%もあったり、予算の不足から開館日を減らすなどという不景気な話も続きますが、その中で意欲的な取り組みをしている美術館も紹介されていました。静岡県立美術館の自己評価制度などはその一例でもあります。

美術館を取り巻く厳しい現状を端的に示しているのは、年間収入にしめる入場料収入の割合かと思います。記事によれば、入場者収入は平均で7%、その他物販などを含めても約15%程度に過ぎないそうです。(ただしMoMAでも14%だそうです。)行政の財政難から補助金が削られるなど、美術館全体はまさに縮小均衡の道を辿るしかないとさえ思う現状ですが、その中でどれだけの存在感を発揮出来ているのかがこのランキングにも繋がっていると感じました。いつまでたっても集まらない寄付金をあてにするよりも、また美術館を建てることが半ば目的と化している行政の意識が変わるのを待つよりも、まずは今出来る範囲での自助努力をせざるを得ないのかもしれません。

私の拙いエントリよりも、紙面にあたることをおすすめします。日経新聞、14日付けの朝刊です。
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「国宝 伴大納言絵巻展」 出光美術館 10/7

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「開館40周年記念 国宝 伴大納言絵巻展 - 新たな発見、深まる謎 - 」
10/7-11/5(全巻実物展示:10/7-15、10/31-11/5)

出光美術館の誇る至宝、「伴大納言絵巻」(12世紀・平安時代)を期間限定にて全巻展示する展覧会です。早速、初日に行ってきました。



伴大納言絵巻を拝見するのはこれで二度目ですが、その全てを見るのはもちろん今回が初めてです。上、中、下巻合わせて27メートルという長大な絵巻の中に、「応天門の変」(866年)を題材とするスキャンダラスな歴史物語が圧倒的なスケールにて描かれています。精緻で生き生きとした人物描写と、巧みな場面転換、そしてドラマティックな炎上シーン。どこをとっても全く隙がありません。長さはともかく、僅か縦30センチ強の巻物が、さながら映画館の巨大スクリーンのような迫力を持って迫ってきます。この臨場感は強烈です。何百年も前の出来事だったのが、つい最近の事件であるかのような錯覚にさえ陥ってしまいます。これほど鮮やかな印象を残す絵巻物が他のどこにあるのでしょう。少なくとも私はそれを知りません。

大変高名な作品です。全体の流れや背景等は、展示や各資料などを参照していただきたいのですが、今回私が惹かれたのは、迫力ある炎上のシーンではなく、意外にも大納言や源信の登場する部分でした。ともに大胆な余白を用いて、彼らの激しい情念や静かな意思を克明に伝えています。嘆き悲しむ女房のシーンや、噂の広まる長屋の部分、それに検非違使らが勇ましく行進するクライマックスにかけての描写も当然ながら素晴らしいのですが、むしろ静寂の中に物語の核心がこめられたようなこれらの部分に釘付けとなりました。



その犯行を満足げに見届けながら静かに立つ伴大納言は、これまで「異時動図法」(ある人物を同じ場面に何回も登場させる技法。)によって大納言ではないと考えられていた人物です。今回、彼の登場場面のすぐ後ろに、失われた詞書が存在していたことが確実となり、技法は否定、あくまでも大納言であることが明らかとなりました。検非違使があたふたと駆けつけ、また人々が激しく燃え盛る応天門を見つめ騒ぐ炎上シーンからは一転、霞に包まれた幻想的な静寂の中にただ一人佇む大納言。その後ろ姿には、炎と喧噪をしっかりとこの目で見届けたぞという、何やら信念のようなものが漂っています。実際にこの光景は、天皇に讒言(源信が犯人であるとした。)した後の出来事に当たるそうですが、その肩や横顔に見る半ばリラックスしたような表現は、大きな一仕事を終えたという達成感すら感じさせました。そして霞がまるで事件の真相を包み込むかのように漂い、また不気味な静寂が今後の波乱をも予感させています。私がもう一点感銘した源信の祈りの場面とは全く正反対な、奇妙に良い意味で力の抜けた、それでいてやはりドラマの核となるべき部分が明らかにされた場面だと思いました。



自らの潔白を信じてひたすら祈り続ける源信の後ろ姿は、それこそ祈りと言うよりもまるで呪詛を唱えているかのような激しさを感じました。力強いこぶしを前に差し出し、肩を振るわせるようにして全身で祈りを捧げています。ここに見るのは無実の罪を着せられた源信の哀れさではなく、むしろ殿上人の熾烈な権力闘争の中で逞しく生きる政治家の姿です。結果的に源信はこの事件の数年後に亡くなってしまいますが、この時点ではまだ地位への執念が残っていたのではないでしょうか。喜怒哀楽を純粋に爆発させたその隣の女房たちとは対照的な姿でした。この絵巻に描写された人物の中で、最も魂を感じる部分です。

「新たな発見、深まる謎」とあるように、展示ではこの作品にまつわる様々な謎を解きほぐしています。大納言の特定や、詞書の意図的の欠落、さらには連行される大納言と良房との装束の関係。この手の政変にはいつの時代も非難や噂話が付きものではありますが、大納言は嵌められたのではないのかという、殆ど結論を出せそうもない歴史の文(あや)に思いを馳せるのも面白いかと思います。もはや真相は、積み重ねられた年月によって埋もれてしまったようです。

最後に会場について触れたいと思います。まず館内では、混乱を避けるために、ロープによって区切られた列に加わって鑑賞することが要求されます。上、中、下巻、全て別の場所に置かれていますが、それぞれの作品の前では基本的に一列、すなわち15~20人弱程度しか立ち入ることが出来ません。(遠目でも良い方は、列の外側からも進むことが出来ますが、殆ど見えないに等しいと思います。)よって入場者がそんなに多くなくとも、すぐに行列が出来てしまいます。(解説パネルの位置がその列をさらに長くしています。)そして後方からは、監視の方の「一歩前にお進み下さい。」や「立ち止まらずにお願いします。」という注意の声が引っ切りなしにかかっていました。やむを得ないことではありますが、少なくともゆっくり鑑賞出来るような雰囲気ではありません。もう少し配慮が欲しいところです。

図録も充実しています。時間に余裕を持ってお出かけなさることをおすすめします。来月5日までの開催です。

*展示スケジュールにご注意下さい。
全巻実物展示 10/7-15、10/31-11/5
中巻のみ実物 10/17-22(上、下巻は複製)
下巻のみ実物 10/24-29(上、中巻は複製)
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