喫茶 輪

コーヒーカップの耳

立会人ピンチヒッター

2021-10-31 21:47:21 | 日記
三年前に卒業させてもらった投票立会人ですが、今日はピンチヒッターでした。





朝7時から夜8時まで、13時間。
なにもしないのにしんどい仕事です。
いや、なにもしないからしんどいと言えるのかも。
でも、久しぶりの人に何人も出会えたのは良かったです。
「復活されたんですか?」と言ってくださったり。
中に、エッセイのネタになる出会いもありました。
また、選挙の時にはいつも出会えてた人がもうお亡くなりになって会えなくなっていたり。

imamura kinjiの最近の主な著書。
『触媒のうた』
『コーヒーカップの耳』
『縁起・小墓圓満地蔵尊』
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『菱』212号

2021-10-31 16:26:44 | 
鳥取の詩人、手皮小四郎さんからお贈りいただきました。



詩誌『菱』212号です。
創刊が1968年とありますから、もう53年を過ぎるのだ。
二十歳の若者が73歳になっておられるわけですね。
読ませていただきましたが、みなさん、こなれたものを書いておられます。
わたしに幸いなのは抽象詩が一篇もないということ。
胸にしみいるように入ってきます。
みないいのですが、やはり手皮さんのこの作品を紹介しましょう。
←クリック。
「バッタを追う」です。
「コメツキバッタ」は懐かしい。わたしたち阪神間の子どもは、このバッタのことを「キチキチバッタ」とも呼んでいました。
わたしの幼年時代、隣の用海小学校は空襲で木造校舎が焼けて休校となっており、焼け残った三階建ての鉄筋校舎の12教室が臨時市民病院になっていました。
その運動場は草原になっていて、蝶やトンボ、バッタの楽園となっており、空襲で壊れた塀から自由に出入りが出来、絶好の遊び場になっていたのでした。
そこでの近所の子どもたちとの遊びやケンカなど、この詩を読んで、懐かしく思い出しました。
そのこまごまとした、涙が出るほど懐かしいこと、たしかにバッタが「チキチキチキ」と鳴いて跳んでいたことなど、
いつか詳しく書いてみたいと思いますが、さてどうなるか。
手皮さん、思い出させてくださってありがとうございます。
手皮さんも「聯詩と日記に見る辻晋堂の得度・改名」を二段5ページにわたって書いておられます。
辻晋堂は彫刻家。
わたしが尊敬する詩人、足立巻一先生の詩集『雑歌』の巻頭ページには辻氏の彫刻「浄瑠璃」の写真が口絵として飾られている。
表紙もまた、辻氏の「寒山」だ。
詩集 の「あとがき」はこう始まる。
《1978年の春のことである。ある友人がいきなり言った。「きみはそんなに晋堂さんと親しいのか。”浄瑠璃”という陶彫の首根っこに”だんだん足立巻一さんに似てきた”と彫ってあったぞ」。その人は京都で辻晋堂さんの個展を見てきたのだ。言われて驚いた。親しいもなにもない。ただの一度お会いしただけである。》
この後も面白い話が続いていて、後に辻氏と足立先生は親しくなる。
足立先生の自筆年譜には辻氏のことが度々登場し、いろんな新聞などに原稿を書かれたことが載っている。
ということで、ここで辻氏の詳しいことを知ることになるとは奇遇という気がしました。
手皮さん、ありがとうございました。

今村の最近の主な著書。
『触媒のうた』
『コーヒーカップの耳』
『縁起・小墓圓満地蔵尊』


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巨大カリンの実

2021-10-30 08:59:59 | 地蔵さん
地蔵さんのカリンの木。



昨年は大豊作で無数に実をつけたのですが、今年は裏作で数個しか生りませんでした。
そのかわりデッカイです。



ソフトボールよりデッカイ。

今村の最近の主な著書。
『触媒のうた』
『コーヒーカップの耳』
『縁起・小墓圓満地蔵尊』
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『別嬢』松尾茂夫さん追悼特集号

2021-10-28 08:16:30 | 
『別嬢』(114号、追悼 松尾茂夫)をお贈りいただいた。



「追悼 松尾茂夫」となっています。
今年4月1日にお亡くなりになった加古川の詩人、松尾さんへの追悼号です。
松尾さんについては以前このブログでも書きましたが、わたしもお世話
になった人です。
 昔出していた同人誌『風媒花』の印刷を、編集者岩川昌子さんを通じて善意で引き受けて出してくださっていたのでした。
そのおかげで、わたしの第一詩集『工場風景』が出せました。私家版で30部だけの出版でしたが、杉山平一氏が「ほめ過ぎかもしれませんが」と評価して下さり、その後への自信が持てたのでした。
また、松尾さんはわたしの書くものを早くから「怖い詩を書く人や」などと注目して下さったのでした。
そんなわけで、この追悼号にはとりわけ想いが深いです。
何人かのゆかりの人の追悼文も心にしみて良かったですが、ご息女の七彩さんの詩には泣けました。
七彩さんは詩を書き始めてまだ二年ほどとのことですが、さすがと思いました。
先ず「令和三年四月一日の詩(うた)」です。
それぞれ順に画面をクリックして読んでください。






そしてもう一篇。
「ウイスキーの方舟」。




松尾さんを知っているだけに、胸に迫るものがあります。
最後の《あなたは美しいウイスキーの方舟に ただしんと横たわり、深く目を閉じていた》なんて、たまりません。
七彩さんのほかの作品「紫雲」「糸雨」もつよく胸を打つものでした。

七彩さんは先にも書いたように、ここ二年ばかり前から詩を書き始められたということで、父親の茂夫さんとは詩について話す機会がなかったということです。
でもこうして、追悼号にいい詩が載って、松尾さんも泉下で喜んでおられることでしょう。
あらためまして、ご冥福をお祈りいたします。松尾さん、ありがとうございました。

『触媒のうた』
『コーヒーカップの耳』
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河西昭男先生にびっくり仰天!

2021-10-26 08:01:17 | 懐かしい話
昨夜の「ファミリーヒストリー・堤真一の巻」ですけど。


思いがけない人が登場で、わたしはびっくり仰天でしたねえ!


河西昭男先生です。
61年ぶりにお目にかかりました。
浜脇中学で英語の教師をなさっていました。
わたしは英語を小林久盛先生と椿本金之助先生に習いましたが、この河西先生にも授業を受けた覚えがあります。
一、二度だったと思いますので、小林先生がお休みの時の代理授業だったかと思いますが。
でも印象に残っていて、快活な先生だったです。
小林先生が弟分のようにかわいがっておられたと記憶します。
そして、妹さんがわたしたちの学年におられました。
さすがに昭男先生は別のクラスでしたが、この学年のクラス担任をしておられました。
その時校内で最も若い教師だったと思います。
わたしたちが卒業したあと、高校教師になられたと聞きました。
本当だったんですね。
真一さんは西宮東高校とのこと。
この学校はわたしの弟の出身校でもあります。
浜脇中学の卒業アルバムの中の教師です。河西先生は最前列、右から4人目。
 

もう60年以上になりますからアップ、許されるでしょう。
小林久隆博士のご尊父小林久盛先生、そして、後にご母堂になられる田辺孝子先生も写っておられます。
ほかにも懐かしいお顔がいっぱい。
 
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ファミリーヒストリー・堤真一の巻

2021-10-25 22:04:47 | 懐かしい話
NHKのファミリーヒストリー、堤真一の巻を見ました。良かったです。
堤真一は西宮出身の俳優さんです。




真一のお母さんも登場。

お母さんは今、体調不良とかで写真だけ。
このお母ちゃん、20年ほど前にうちの店に何人かで来てくださいました。
元気で個性的な人でした。
「うちの息子、大河ドラマに出てるの」とご自分でおっしゃいました。

そして、テレビを見ていて驚いたのがこの人。


パッと分かりました。
60年ぶり以上ですが、「河西先生だ」と声が出ました。
この先生についてはまた別にブログを書きたいと思います。
懐かしい人です。
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『梁塵秘抄』にえべっさんが登場していたとは。

2021-10-25 10:29:39 | 宮崎修二朗翁
先日、西宮図書館のリサイクル図書の棚から戴いてきた本、杉本苑子さんの随想集『片方の耳飾り』の中の話です。
『梁塵秘抄』についての話題。

「梁塵秘抄」といえば、
《遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子どもの声聞けば
 我が身さへこそ動(ゆる)がるれ》

で有名だが、
こんなのもあるんですね。
《我が子は二十(はたち)に成りぬらん
 博打(ばくち)してこそ歩(あり)くなれ
 国々の博党に
 さすがに子なれば憎か無し
 負(ま)かいたまふな
 王子の住吉西の宮》


こんな意味だそうです。
《息子が博徒になったのは困りものだが、我が子となればやはり可愛いので、 どうか負けませんようにと、住吉や西ノ宮の神様にお祈りした――という、これは老いた母の悲哀をうたったものだ。》

最後に「西の宮」が出てきます。
わたしが住む町です。
西宮のえべっさんが平安時代からこのように取り上げられていたとは。
えべっさんは博奕の神様ではないでしょうに。

その後、この本を斜め読みして、さっき読み終えたのですが、「あとがき」を読んでいて「あらまあ!」でした。
栃折久美子さんのお名前があったからです。
《栃折久美子さんの佳き装丁にも恵まれて》と。
その書影。
杉本苑子さんは宮崎修二朗翁と深いお付き合いのあった人ですが、栃折さんもまた宮崎翁と交流があった人。
先日このブログでも取り上げたばかりでした。《栃折久美子》
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「詩は一生の長い道」

2021-10-25 07:29:09 | 
今朝の神戸新聞「正平調」。拝借お許しを。

終りの方に「詩は一生の長い道」とあります。
堀口大学といえばこの言葉ですが、わたしが所持する大学直筆のものには、こうあります。



「詩は長い 一生の道」
微妙に違うんですけどね。端正な字です。

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富田砕花旧居

2021-10-24 15:19:17 | 宮崎修二朗翁
ちょっと用事があって富田砕花旧居へ行ってきました。
何十年ぶりでしょうか。
西宮から打出までは阪神電車で。
家から駅までと、駅から旧居までは徒歩で。
歩数約5400歩。よく歩きました。



















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竜王戦の立会人は

2021-10-22 18:37:13 | 将棋
将棋、竜王戦、豊島竜王対藤井三冠の第二局目。
今日がその第一日目。
午後6時になって豊島竜王が次の手を封じました。

写真中央、こちら向きの白髪の人は立会人です。



淡路仁茂九段。
この人、何度かうちへ見えてくださってますが、十数年前にこんなことがありました。
年末近く、翌年の将棋カレンダーを持ってきてくださったのです。
その時、丁度、孫のkohがいました。
まだ3歳ぐらいだったかと思います。
淡路九段がわたしにカレンダーを手渡して下さったのですが、
そばにいたkohが淡路九段にこう言ったのです。
「カレンダー屋さんですか?」と。
わたしはあわてましたねえ。
天下の九段をつかまえて、「カレンダー屋さんですか?」ですからねえ。
そのkoh、今は高校一年生で、学校の将棋クラブに所属しています。
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リサイクル図書

2021-10-22 11:48:23 | 本・雑誌
西宮中央図書館へ行ってきました。
予約していた本の受け取りに。もちろん徒歩で。約4000歩。汗かきました。

館内のステンドグラスです。



旧図書館を飾っていたもの。戦災を逃れたのです。
解体する際、廃棄せずに残して、市内各所の図書館や公民館に活用したもの。

帰りにリサイクル図書の棚から一冊いただいて帰ってきました。



杉本苑子さんの随想集『片方の耳飾り』(読売新聞社・昭和54年)。
杉本さんの直筆書簡がうちにはたくさんあります。
すべて宮崎翁宛のもの。
そんな縁でこの本、いただいてきました。
杉本さんについては『触媒のうた』でも取り上げております。ご参照ください。
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姫路文学館の学芸員さん

2021-10-22 08:18:57 | 触媒のうた
今朝の神戸新聞、「姫路文学館」開館30周年の記事。
「案内するのは」とあって甲斐文子さんのお名前が。

聴き手は平松正子さん。
お二人ともお元気そうだ。 
特に甲斐さんには『触媒のうた』でお世話になりました。
人名索引にも記載させていただいていますが、有本芳水の章の199ページにそのいきさつが。
あ、そうだ。一昨年に孫のkohと行った時にもお会いしたのだった。
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杉山平一年譜

2021-10-21 15:01:55 | 杉山平一先生
必要があって杉山平一先生の年譜を読んでいたのですが、本が大きすぎて不便なんです。
『杉山平一全詩集』の下巻の巻末に載ってます。
800ページを超える大冊です。
で、年譜のページだけをコピーして冊子にしました。



二段組で60ページを超えてます。杉山先生の自筆年譜です。
その冒頭にこう書かれています。
《大正三年(1914年) 十一月二日、福島県会津若松市に生まれた。というのも、父黌一が、神戸三菱電気より、猪苗代水力発電所(現東京電力)建設の発電機据えつけのための技術者としてその地に出向、滞在中だったからである。産婆が、母美登のおでこに聴診器を当てて、男か女を判断したという。雪の日は保温のため蚊帳を吊ったと後年母は語った。翌年、発電所は完成、一家は神戸へ帰任した。》
ご本人自筆の年譜ならではの記述です。
こんな感じで60ページ余り、一冊の読み物になっています。
これで手に持って読むのに便利です。
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子どもの心

2021-10-19 11:42:11 | 杉山平一先生
杉山平一先生の本を必要があって読んでいるが、今日はこの本。



『詩と映画と人生』(なにわ塾叢書・1994年)です。
一度読んではいるのですが、忘れています。
今日はこんな場面で「あっ」でした。

クリックして、「この心ということですが、」以下の数行を読んでみてください。二段階クリックでさらに大きくなります。
いつの子どもも、そんなことを考えるんですね。
わたしの人生最初の本『ライオンの顔』にこんな口頭詩を載せています。

  心ってあるの?
  どこにあるの?
  体の中にあるの?
  さわられへん?
  見えへん?


というものです。わたしの長男が5歳の時に発した言葉。

因みに『ライオンの顔』は一冊だけ西宮図書館に所蔵されています。
わたしが送ったのではなく、どなたかが寄贈されたようです。
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「宇宙に私」

2021-10-18 09:04:47 | 
今朝の神戸新聞「読者文芸」欄、詩の部の特選作。
作者の嶋谷タクオさん、引用お許しを。

「宇宙に私」です。
着想がいいですねえ。13800000063歳だなんて。
選者の時里二郎さんはこう評しておられます。
《宇宙と測りあえる存在としての「私」の発見は新鮮。谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」を彷彿とさせる。》と。
時里氏は谷川俊太郎だが、わたしは井上靖のこの散文詩を思い起こしました。
←クリック。
「人生」です。このあとまだ、こう続きます。
――私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤んだ。人生への愛情が嘗てないほど純粋無比の清冽さで襲ってきたからだ。
まだ詩に興味のなかった若き日に読んで衝撃を受けた、忘れられない詩です。


「喫茶・輪」は廃業いたしました。但し、「書斎・輪」へのご来訪は歓迎致します。

『コーヒーカップの耳』 「喫茶・輪」の歴史が詰まっています。
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