喫茶 輪

コーヒーカップの耳

我が家にようこそ、クマバチ君。

2021-03-31 11:14:20 | 日記
我が家にようこそ、クマバチ君。


家の前で花を見ていたら、なんか音が。
「ウ~~~ン」といううなり音。
クマバチが来ていたのです。
隣のお地蔵さんに藤の花が咲くと、そこにはよく来るのですがわが家へは珍しい。
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自重しよう

2021-03-30 22:41:08 | 新型コロナウイルス
先に書いたブログ「『雪』が終刊」だが、
記事にこんなことが書いてあった。
《最終号では歴代編集長らが思い出を振り返り…》。
そして、《購入希望者は発行元の同市危険物安全協会☎078・325・8515へ。》と。
歴代編集長のうち3人はわたしも知っている人なので、読みたく思い、電話をして申し込んだ。
しかし郵送はできないとのことで、「神戸消防局予防課」になるべく早く来てくださいとのこと。
それで「取り置いてください。伺います」とお願いしました。
ところが夕方のニュースを見ると、コロナの感染が急拡大しているとのことで考えました。
今日は西宮でも30人もの感染者が出ています。
これは自重しなくては、ということで、後期高齢者で基礎疾患持ちのわたしは、残念だけど明日電話してキャンセルしようと思います。
電車に乗っての大阪や神戸は怖いですからね。

早くワクチンが普及してほしいものです。
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『雪』が終刊

2021-03-30 15:37:17 | 宮崎修二朗翁
宮崎修二朗先生が深く関わっておられた神戸消防局発行の情報誌『雪』がこの3月号で終刊だという。



「72年で幕」とあるが、今のように市販の情報誌の形になったのは1955年。
そして宮崎先生の連載が1956年から始まっている。
ということは、『雪』は宮崎先生が育てられたようなものといえる。
わたしが知っているのは「言葉探偵局」だが、これは長い連載だった。
そのころはわたしも定期購読していた。
淋しいことだが、これも時代の流れ、致し方ないのでしょうか。

『完本・コーヒーカップの耳』
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104歳の人から電話が

2021-03-30 08:06:45 | 宮っ子
昨日、104歳の人から電話がかかってきた。
池田町の竹本忠雄さん104歳。
戦時中、戦闘機「紫電改」の制作に従事しておられた人。
「宮っ子」の「わが町この人あり」で二度取材させていただいています。
第一回目が2009年3月号。
第二回目が2016年9月号。
凄い人です。取材の時、「目標は日本最高齢とちゃいます。ギネス目指してます」とおっしゃっていた。
今年頂いた年賀状には「104歳になりました」とあり、現実味を帯びてきました。
電話では、わたしのことをしっかりと認識してのお話でした。
まだまだしっかりしておられます。

最近、年賀状卒業の知らせを受けることが多くなりましたが、わたしは、この人からの年賀状が届く限り卒業はしません。
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「三つのどってんこ ―いとしのまどさん」

2021-03-29 17:36:21 | 本・雑誌
「図書」4月号に、みやこうせいという人が「三つのどってんこ ―いとしのまどさん」と題して書いておられる。
5ページにわたっているが最初のページ。

親愛の情あふれる個性的な文章。
こんな記述があります。
《お会いして二日後に、まどさんからくねくねした字のハガキを頂いた。》
「くねくねした字」とあります。
わたしが昔いただいたまどさんからのハガキです。

なるほど、くねくねした文字といえなくもないですね。
このハガキ、今は大阪の孫の所に行ってます。
ちゃんと額に入れて大切にしてくださいと言ってあるのですが。

また、まどさんの詩を読み直してみようか。

『完本・コーヒーカップの耳』
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『ユーモアのある風景』

2021-03-29 13:07:12 | 本・雑誌
いつも何冊かの本を併読しているが、その中の一冊。



『ユーモアのある風景』(編集工房ノア)。
織田正吉さんがお亡くなりになる直前に出されたもの。
気になる項目、「川柳 丸腰の文芸」を先に読んだ。
大いに勉強になります。
中にこんなことが書かれてます。
《おかしみがあると詩としての評価は低くなる。》
そうなんですね。
でもわたしはおかしみのある詩は大好きです。
織田さんもユーモアに一生を捧げてこられたのですよね。
その織田さんに昔頂いたハガキがあります。


追記
 こんなことも書いてあります。
《サラリーマン川柳の困るところは、駄洒落程度のおかしさを求めるのが川柳だという誤解を毒ガスのように撒き散らしたことである。人間はおかしくてかなしい存在だから、人間を詠めば、当然、おかしさをともなうが、笑いはその一面に過ぎないのである。》

 《俳句は格調と形を重んじる。川柳が重んじるのは中身以外にない。具体的にいえば、人間観察による発見、十七音の言葉でそれを表現する芸ということになる。子規は写実を唱えたが、写実には人事と天然ガあり、人事の写実は難く、天然の写実は易し」といっている(「俳諧大要」)。人間を写生することのむずかしさが川柳のおもしろいところでもある。(略)基礎になるのは人生経験と言葉のセンスということになるだろう。俳句よりも川柳のほうがむずかしいというのはそういう意味である。》


『完本・コーヒーカップの耳』
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「小さな目」三田版

2021-03-29 08:23:19 | 
神戸新聞三田版で子どもの詩「小さな目」欄が始まった。

以前には「ひょうご版」でも掲載されていた。
そのとき、わたし、ブログで注文しました。
いいことだけど、「ダメな作品は載せないでください」という意味のことを。こんなこと言うからわたしは神戸新聞さんに嫌われてしまうのかも?
新聞に載るということは子どもにとってうれしいもの。
そして誇らしいもの。
載ればその作品は<いいもの>と思い込んでしまう。
それはその子にとって決していいことではないだろう。
大きくなって、良しあしが分かるようになってから改めて読み直した時に恥ずかしい思いをすることになってしまう。
それはわたしならつらいことだと思う。
しかし当時、ダメなものが載せられていた気がしないでもなかった。
選者の眼の問題である。
三田版の担当者さん、よろしくお願いいたします。
子どもの眼は楽しいものではあります。

『完本・コーヒーカップの耳』


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『とっとり詩集』

2021-03-26 14:27:43 | 
鳥取の詩人、手皮小四郎さんからお贈りいただいた。
『とっとり詩集』。



わたしは初めて手にするものです。
鳥取県現代詩人協会が発行する第9集。
参加人数は22人。少数精鋭というのでしょうか、レベルが高いです。
各自がそれぞれ2,3篇ずつ作品を載せておられる。
中で、3人だけ紹介します。
先ず手皮さんの「龍頭」。「たつがしら」と読みます。
←クリックで。
貴重な民俗風習を描いたもの。このように見事に描くのは力量が必要でしょう。
わたしこの作品、たしか読んだ覚えがあります。手皮さんが編集なさっている同人誌『菱』でだったと思いますが。

次に布井ヒロ子さん(わたしには未知の人ですが)の「のの字」と「キラ」。
←クリック。
このうちの「のの字」に魅かれました。
一度読んで意味が分からず、二度読んでももう一つ(わたしは頭が悪い)、そして三度読んで、「あ、そうなのか」でした。
色んな楽しみ方が出来そうな、なんとも不思議な詩です。

次は渡部兼直さんの「看護婦」。
←クリック。
いかにも渡部さんらしい作品。ほのかな色気が漂っていて。
兼直さん、お元気だったんだ、良かった。
もう20年も前に、わたしの詩集『コーヒーカップの耳』を大いに評価してくださって、お会いした時にわたしを抱きかかえるように親愛の情を示してくださったのを忘れない。

『完本・コーヒーカップの耳』

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神戸新聞の「同人誌評」欄

2021-03-26 11:59:45 | 文芸
神戸新聞の「同人誌評」欄の評者が替わられました。
新しい人、葉山ほずみさんという方です。



冒頭の二行、《小説は葛藤をどこまで描くことができるのだろうか。》とあります。
この警句のような言葉は前任者の野元正さんも毎回書いておられました。
なかなか鋭く、詩を書くものにも勉強になると思ってました。
この葉山さんもずっと続けられるのかな?

『完本・コーヒーカップの耳』
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入道雲か?

2021-03-25 17:13:47 | 日記
今日は二往復。
郵便ポストまでである。
片道約400歩。なので1600歩。
途中、空を見上げると、入道雲か?と思う雲が。



手前のネットは津門中央公園に隣接する野球グラウンドのもの。
甲子園球場が近いので、今行われている高校野球の出場校が練習していて元気な声が響いている。

『完本・コーヒーカップの耳』
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「むかしのくらし むかしの小学校」展に杉山平一先生の会社の扇風機が

2021-03-25 08:29:11 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「わがまち」阪神版にこんな記事が。
神戸新聞さん、記事拝借お許しを。



この扇風機の写真を見たとたん、「あっ、杉山先生の扇風機だ」と感じました。
読んでみるとやはり。
尼崎精工が製造」となってます。
しかしこの記述はちょっと嫌ですねえ。《元軍需工場》となってます。
違いますからね。戦時中には軍需工場の時期がありましたが、もともとは家電の会社だったんですから。

この「むかしのくらし むかしの小学校展」は「尼崎市立歴史博物館」で28日までだそうです。
「尼崎市立歴史博物館」へは一度行ったことがありますが、その時はこの扇風機を見ることができなかったのでした。

『完本・コーヒーカップの耳』
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短い原稿ですが

2021-03-24 22:39:29 | 宮っ子
今朝、「宮っ子」の用海版編集長が5月号の校正刷りを持って来訪。
その時、次の「街角小景」(埋め草原稿)の原稿を依頼されました。
ちょうど頭の中にネタがあったので、すぐに取り掛かりました。
締め切りは特にないのですが、短いものなので書き上げて送稿しておきました。


『完本・コーヒーカップの耳』
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『別嬢』113号

2021-03-23 13:27:32 | 
加古川の詩人高橋夏男さんから『別嬢』113号をお贈りいただきました。



すぐに開いてみたのが、わたしが大好きな西川保市さんのページ。
←クリック。
やはりいいですねえ。
ニンマリしてしまいます。

このページはわたしが書かせていただきました。二段階クリックで。

同人でもありませんのにありがたいことです。

まだあとは読んでません。
いずれ読んで、高橋さんに感想をお届けしたいと思います。

『完本・コーヒーカップの耳』
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『海鳴り』33号

2021-03-23 08:40:23 | 本・雑誌
編集工房ノアさんからお送りいただいた。



ノアさんのPR誌ですが、充実している。

巻頭にはいつもの通り杉山平一先生の詩。
「手のひら」という心打つ散文詩。

涸沢さんの「小島輝正讃」は楽しい読み物だった。

そしてわたしの興味を引いたのは、安水稔和先生の「織田正吉君の視線」。
昨年11月20日に亡くなられた織田さんへの追悼文といえるもの。
織田さんが亡くなられたあと、他の新聞、朝日などには追悼の記事が出ていたと思うが、地元の神戸新聞には載らなかったので、私は不審だった。
きっと安水先生あたりが書かれるものと思っていた。
そしてこの『海鳴り』の記事。
大学時代の「ぽえとろ」という同人誌でのお仲間。
ところが、《何十年ぶりかの再会であった。(略)「何十年ぶり」とは実に七十年余ぶりであった。》
この七十年余ぶりというのは、織田さんの『ユーモアのある風景』という本が出る少し前の話。要するに最近のことである。
わたしは、あれ?そうなのか!と思った。
もっと頻繁に会っておられるのかと思っていた。
とするなら、わたしとの関連で残念だったということがあった。
わたしの詩集『コーヒーカップの耳』の出版記念会が日本盛「煉瓦館」で20年前にあったとき、宮崎翁の手配で織田さんが講演をしてくださることになっていた。
安水先生も出席してくださった。
でも、宮崎翁に連絡ミスがあり、その日は織田さんは別の所(たしか東北のどこか)での講演が先に決まっており、来られなかったのだった。
もしあの時、計画通りに織田さんが来てくださっていたら、この『海鳴り』の原稿も違うものになっていたというわけだ。
この宮崎翁の手違いも、もともとをただせば、安水先生の関連でそうなったのですがね。
そのことを言うとまたややこしくなりますので割愛します。

『完本・コーヒーカップの耳』
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「動物哲学童話」ドリアン助川

2021-03-22 15:47:03 | ドリアン助川さん
ドリアン助川さんの連載が始まったというのでエビスタのブックファーストへ買いに行ってきました。



『青春と読書』(集英社・91円)4月号です。
ドリさんの新連載は「動物哲学童話」というもの。
「動物の生態に哲学のひとさじ」とサブタイトルがついてます。
第一話は「クマ少年と眼差し」。
読ませていただきましたが、意味深長です。
哀しみを滲ませたじっくりとした童話。
大人の童話といえるでしょう。

本屋さんに行ったついでに、今朝の新聞広告に載っていた、木皿泉さんの『木皿食堂④毎日がこれっきり』(双葉社)も買ってきました。



読むのが楽しみです。

もう一つついでに拙著『完本・コーヒーカップの耳』の様子を見ると、いまもまだ平台に積んでくださってました。
この前見た時は5冊だったのが、3冊に減ってました。
発売一年後の今も、少しずつでも売れてるようでうれしかったです。
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