「兵庫の喫茶展」というのに行ってきた。
場所は阪急芦屋川駅すぐの古書店「風文庫」さん。
以前から気になっていたお店で、この際と思って。
丁度この催しをされたコトリスさんが在廊でした。
喫茶店の話色々しました。
「街の喫茶店のいいところは?」と訊くと
「あたたかいところです」とのこと。
さて「喫茶・輪」はどうだったのだろう?
多分、あたたかかったと思うが。
そのコトリスさんの本を購入しました。
今日の東川。
なぜでしょうか?川床が波打ってます。
『コーヒーカップの耳』喫茶店に集まる人の魅力がいっぱい。
場所は阪急芦屋川駅すぐの古書店「風文庫」さん。
以前から気になっていたお店で、この際と思って。
丁度この催しをされたコトリスさんが在廊でした。
喫茶店の話色々しました。
「街の喫茶店のいいところは?」と訊くと
「あたたかいところです」とのこと。
さて「喫茶・輪」はどうだったのだろう?
多分、あたたかかったと思うが。
そのコトリスさんの本を購入しました。
今日の東川。
なぜでしょうか?川床が波打ってます。
『コーヒーカップの耳』喫茶店に集まる人の魅力がいっぱい。
今日は「書斎・輪」にお二人のお客様がありました。
どちらも久しぶり、今年初めてです。
お一人はS水さん。
かつて「喫茶・輪」の常連だった人。
『完本・コーヒーカップの耳』にも登場するユーモアのある人。
もうお一人も「輪」のお客様だったA居さん。わたしのパソコンのお助けマンでもあります。
楽しい時間を過ごしました。
また、家の方にも来訪者が。
大阪の孫fumiとそのお父ちゃん。
お彼岸ということでうちの仏さまにお参りに。
fumiとはオセロをしました。
この前わたし負けましたので、今日はジーチも強いぞというところを見せておきました。
ちょっと大人気なかったかな。
どちらも久しぶり、今年初めてです。
お一人はS水さん。
かつて「喫茶・輪」の常連だった人。
『完本・コーヒーカップの耳』にも登場するユーモアのある人。
もうお一人も「輪」のお客様だったA居さん。わたしのパソコンのお助けマンでもあります。
楽しい時間を過ごしました。
また、家の方にも来訪者が。
大阪の孫fumiとそのお父ちゃん。
お彼岸ということでうちの仏さまにお参りに。
fumiとはオセロをしました。
この前わたし負けましたので、今日はジーチも強いぞというところを見せておきました。
ちょっと大人気なかったかな。
今日の「書斎・輪」のお客様は、朝日新聞でデスクも務めたことがあるBさん。
3時間もおしゃべりしました。
驚いたことに、杉山先生と映画関連でおつきあいがあったとのこと。
また、わたしが取材を受けたことのある二人の記者、Iさん、Aさんの上司だったことがあると。その時のエピソードも面白かった。
天気が怪しかったがアシスト自転車で来られていて、片道40分とのこと。
ご苦労様でした。
3時間もおしゃべりしました。
驚いたことに、杉山先生と映画関連でおつきあいがあったとのこと。
また、わたしが取材を受けたことのある二人の記者、Iさん、Aさんの上司だったことがあると。その時のエピソードも面白かった。
天気が怪しかったがアシスト自転車で来られていて、片道40分とのこと。
ご苦労様でした。
今日の書斎「輪」のお客様は、地域情報誌『宮っ子』の用海版編集長のK馬さん。
3月号の校正です。
それが済んで、妻も交えて世間話。
こちらの方が長く、楽しく。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
3月号の校正です。
それが済んで、妻も交えて世間話。
こちらの方が長く、楽しく。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
書斎「輪」に今年最初のお客人でした。
詩誌「現代詩神戸」「新怪魚」同人の今猿人さんと、そのご友人で近代文学史を研究しておられるM本さん。
ご友人のM本さんは「近代日本文学史メジャーのマイナー」というHPを開設しておられます。
読書好きの方は開いてみてください。
今さんは最近『四百代言』というユニークな詩集を出された人。
年齢を存じ上げなかったのですが、大体想像していたお年頃でした。
わたしより一回りほどお若い。いや、もう少し。
今が書き盛りかもしれません。
2時間ばかりお話させていただきました。
話題は主に神戸の詩界の状況になりましたが、わたしと思いがほぼ同じような感じでした。
これからはこのような人が中心になって行かれるのでしょうね。
『四百代言』、なんらかの賞を受けられるでしょう。
今後のご活躍を期待します。
詩誌「現代詩神戸」「新怪魚」同人の今猿人さんと、そのご友人で近代文学史を研究しておられるM本さん。
ご友人のM本さんは「近代日本文学史メジャーのマイナー」というHPを開設しておられます。
読書好きの方は開いてみてください。
今さんは最近『四百代言』というユニークな詩集を出された人。
年齢を存じ上げなかったのですが、大体想像していたお年頃でした。
わたしより一回りほどお若い。いや、もう少し。
今が書き盛りかもしれません。
2時間ばかりお話させていただきました。
話題は主に神戸の詩界の状況になりましたが、わたしと思いがほぼ同じような感じでした。
これからはこのような人が中心になって行かれるのでしょうね。
『四百代言』、なんらかの賞を受けられるでしょう。
今後のご活躍を期待します。
丁度3年前の今日、「喫茶・輪」は廃業しました(廃業届日付)。
が、今日2023年12月31日夜、門灯を点けてみました。
すぎし日々年月を噛みしめております。
が、今日2023年12月31日夜、門灯を点けてみました。
すぎし日々年月を噛みしめております。
「喫茶・輪」は丁度3年前に廃業しましたが、その跡をわたしの書斎兼応接室にしています。
今日、乱雑だった書斎を整理して掃除しました。
多少はきれいになったでしょうか?
そこにお客さんがありました。
西宮の情報誌『宮っ子』用海版の編集長K馬さんです。
編集の相談に見えたのでした。
「お忙しいからちょっとだけ」とおっしゃったのですが、わたしと妻とでお相手をし、結構な時間を過ごしました。
この応接室はいいですよね。
ただしご来訪下さる時には事前にご連絡をお願いします。
留守をすることが多いので。
今日、乱雑だった書斎を整理して掃除しました。
多少はきれいになったでしょうか?
そこにお客さんがありました。
西宮の情報誌『宮っ子』用海版の編集長K馬さんです。
編集の相談に見えたのでした。
「お忙しいからちょっとだけ」とおっしゃったのですが、わたしと妻とでお相手をし、結構な時間を過ごしました。
この応接室はいいですよね。
ただしご来訪下さる時には事前にご連絡をお願いします。
留守をすることが多いので。
二人がかりで障子の張替。
作業は店の大きなテーブルで。
これが楽なのです。
この大きなテーブルは、「 喫茶 輪」が忙しかったころの「兵(つわもの)どもの夢のあと」なのです。
みんな今どうしているかなあ。亡くなった人も多いけど。
『コーヒーカップの耳』 兵(つわもの)どもが多数登場します。
作業は店の大きなテーブルで。
これが楽なのです。
この大きなテーブルは、「 喫茶 輪」が忙しかったころの「兵(つわもの)どもの夢のあと」なのです。
みんな今どうしているかなあ。亡くなった人も多いけど。
『コーヒーカップの耳』 兵(つわもの)どもが多数登場します。
外出時に持ち歩いて読んでましたが、今日歯医者さんで読み終えました。
『喫茶店文学傑作選』(林哲夫編)。
中で興味深かったのは、小野十三郎。宮崎翁が親しくて、面白いエピソードのある人であることと、登場人物に馴染みの名前が多かったことによる。
そして、常磐新平さん。
何度かおハガキを頂いたことがあるので。
それにしても「喫茶輪」が登場しないのが不審(笑) 。
『喫茶店文学傑作選』(林哲夫編)。
中で興味深かったのは、小野十三郎。宮崎翁が親しくて、面白いエピソードのある人であることと、登場人物に馴染みの名前が多かったことによる。
そして、常磐新平さん。
何度かおハガキを頂いたことがあるので。
それにしても「喫茶輪」が登場しないのが不審(笑) 。
今日、午後、異色のお客さまが男女お二人お見えでした。
川柳作家さん。
久しぶりに刺激的な時間をすごしました。
お一人のN野さんから本を二冊お借りしました。
一冊は著者永六輔さんのサイン入りです。
楽しみです。
川柳作家さん。
久しぶりに刺激的な時間をすごしました。
お一人のN野さんから本を二冊お借りしました。
一冊は著者永六輔さんのサイン入りです。
楽しみです。
買い物から帰ってきた妻が「出てきて」と呼ぶ。
「村田さんが」と。
「だれ?」と言いながら出てみると、見知らぬ男性が。
「店によく来てくださってた村田さんやん」。
そうか、あの村田さんか。
彼の親の代からだと、60年近くも昔から縁のあった人だ。
彼が子どものころに出会っているのだが、その時には特には認識していない。わたしが米屋をしていた頃のことだ。
わたしがまだ二十歳代のころだが、浜松原町にあった川崎製鉄の独身寮が廃止になり、それが社宅となり、そこに社員家族が集団で入居してくるということがあった。
木造二階建ての長屋のような住居。例えれば学校の教室のようになっていて、長い廊下があった(後には鉄筋住宅になったのだが)。
そこに毎日のように(主に土日)入居者が引っ越して来られて、粗品の店名入りのタオルを持って得意先獲得に行ったのだが、何軒かのほかの米屋さんと競合になった。
殺気立っていたように思う。それも若き日の思い出だ。
何軒か獲得して、その中の一軒に村田さんがあった。
彼はそこの子どもだった。
その後、時が経って、「喫茶輪」にやってきて常連になったのが今日の村田さんである。
フォークリフトマンとして日本盛に勤めていたのだが、お昼に定食を食べに来てくださっていたのだ。
もう30年以上になる。
その後、日本盛をやめてほかの仕事(運転手)についてからも「輪」に来てくださった。
彼はシャイな人でカウンター席に座ることはなかった。
いつもテーブル席で口数少なく、打ち解けて話すということはなかった。
なので、『コーヒーカップの耳』に、彼は登場しない。
さらに、勤め先も何度か変えて、そのうちうちの店に来られなくなった。
以来、会わなくなって十数年になるかもしれない。
妻が買い物から帰宅したとき、後ろからバイクでやってきた彼が声をかけたのだと。
「誰かわかる?」と。
妻はちょっと考えて「村田さん」と言ったと。
彼はにっこりと笑ったと。
もしわたしなら絶対に思い出さない。
なぜなら、ハンサムだった彼が、スキンヘッドのおじいさんになっていたからだ。
齢を聴くと68歳だという。
まったく変わってしまっていたのだから。
よくも妻は即座に名前が言えたものだと思う。
彼はわたしに「元気そうやねえ」と言う。
「いや、いろいろ病気をしたんやで」と言うと、
彼は、「俺は交通事故で」と。
送迎マイクロバスの運転手をしているというのだが、3年前に大きな事故を起こしたのだと。
市中バスに正面衝突したというのだ。
自分の居眠り運転だったと。
気がついたら病院。何カ月もの治療だったと。
よくぞ命があったものだ。
後遺症は残ったが、送迎バスの仕事は今もしているという。
不幸中の幸いだ。
「元気でね」といって別れたが、元気でいてほしいものだ。
『喫茶店文学傑作選』の常盤新平さんの所を読んでいてびっくりした。
《三省堂の地階にはレストランもあって、ひところ雪中梅を飲ませてくれた。》
この中の「雪中梅」。
新潟の名酒です。
今はどうなんでしょう。あの頃入手困難なお酒でした。
「あのころ」というのは「喫茶輪」が大いににぎわっていた頃のこと。
もう20年以上も昔。村上さんという強烈な個性のお客さんがおられて、長距離トレーラーのオーナー運転手でした。
『コーヒーカップの耳』の中では「村中さん」で度々登場します。
その人が新潟方面に行った時にたまに買って帰って来られて飲ませてもらったのでした。
透き通った感じの美味しいお酒でした。
公の値段は一升瓶で1000円もしなかったのですが、その値段では入手できず、5000円以上だったと思います。
それでも入手困難のお酒。幻の名酒とも言われていました。
村上さんは、ほかにやはり新潟の名酒「越乃寒梅」も買ってきてくださったことが何度かあります。
これもプレミアがついて一万円ほどだったと思います。
その昔には田中角栄事務所が買い占めていたとのうわさがあったりしました。
すっかり忘れていたこんな話、「雪中梅」で思い出しました。
《三省堂の地階にはレストランもあって、ひところ雪中梅を飲ませてくれた。》
この中の「雪中梅」。
新潟の名酒です。
今はどうなんでしょう。あの頃入手困難なお酒でした。
「あのころ」というのは「喫茶輪」が大いににぎわっていた頃のこと。
もう20年以上も昔。村上さんという強烈な個性のお客さんがおられて、長距離トレーラーのオーナー運転手でした。
『コーヒーカップの耳』の中では「村中さん」で度々登場します。
その人が新潟方面に行った時にたまに買って帰って来られて飲ませてもらったのでした。
透き通った感じの美味しいお酒でした。
公の値段は一升瓶で1000円もしなかったのですが、その値段では入手できず、5000円以上だったと思います。
それでも入手困難のお酒。幻の名酒とも言われていました。
村上さんは、ほかにやはり新潟の名酒「越乃寒梅」も買ってきてくださったことが何度かあります。
これもプレミアがついて一万円ほどだったと思います。
その昔には田中角栄事務所が買い占めていたとのうわさがあったりしました。
すっかり忘れていたこんな話、「雪中梅」で思い出しました。
明日はちょっと、人が集まることになってますので、久しぶりに店を掃除しました。
店といっても二年半前に廃業しましたけどね。
クーラーガンガンでやりましたが、アッツイです。
床にモップもかけましたので、フラフラです。
普段はわたしの書斎にしてますので、テーブルの上はグダグダ、片づけるのが大変でした。
店といっても二年半前に廃業しましたけどね。
クーラーガンガンでやりましたが、アッツイです。
床にモップもかけましたので、フラフラです。
普段はわたしの書斎にしてますので、テーブルの上はグダグダ、片づけるのが大変でした。