喫茶 輪

コーヒーカップの耳

中村義明君 3

2011-10-31 08:16:05 | 中村義明君

 昨夜、中村君の奥様、多加子さんと電話でお話しました。お元気な声で安心しました。
 
 義明君が20年ほどもまえにこんなものを書いてたこと、わたし知りませんでした。科学雑誌「ウータン」に寄稿していたのです。奥様も、なにか雑誌が来ているなと思ってましたが、わたしも内容はよく知りませんでした、と。遺品を整理していて出てきたのだと。「imamuraさんなら読んで下さると思って」と送って来て下さったのだった。正直、全て読ませて頂いて、感動した。

「熊野から」の第3回。

                   Img401

←クリック。


 とても20年前に書かれたものとは思えません。今年、日本に不幸があってから書かれたように思います。こういうことを日本人は長く忘れていたのですね。因みに「ウータン」は数年前に廃刊になっているようです。そう言えば私の息子が子どものころに一時期定期購読していたことがあります。

                              つづく

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わが心の自叙伝・安水稔和・9

2011-10-30 18:10:24 | アート・文化



  今日は神戸新聞にもう一つ気になる記事が。
←クリックするとあなたのパソコンが故障する恐れがあります。そして二度クリックすると爆発する恐れがあります。お気をつけ下さい。

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大社公民館での稲葉さん。

2011-10-30 16:35:15 | ブルーグラス

 行って来ました。西宮市大社公民館での「ファミリーコンサート」。
 日本のブルーグラス界を代表するブルーグラッサー、稲葉和裕さんが出演でした。
 客席、100以上用意されていましたが満員でした。
 これが、入場料無料で見られるなんて!
 一時間半、たっぷりと楽しませて頂きました。



  前半はカントリーをメーンに。曲目は誰もが知るのを選ばれている。やはり公民館ですからね。
 出演は、稲葉さんのほかに、フィドルの蔦川さん、ベースの石平さんでした。どちらもベテラン、見事なものです。

後半は、稲葉さんがギターをバンジョーに持ちかえて。蔦川さんがフィドルをギターに。ブルーグラスを数曲やって下さいました。やはりわたしはブルーグラスが興奮します。

 そしてゲストにアリサちゃん。先日の関西TV[よーいドン・となりの人間国宝さん」で円広志を相手に絶妙の演技をした、”11歳天才美少女”です。

 そのyoutubeです。↓

http://www.youtube.com/user/mabataki935#p/a/u/0/EL52pO8bz1I

 ああ、楽しかった。最近わたし雑用が多くて、生のステージを見てなかったもので、久しぶりに楽しませて頂きました。
 稲葉さん、ありがとうございました。

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中村義明君 2

2011-10-29 16:13:17 | 中村義明君

 中村義明君 2

                                        Img401_2

 熊野の奥で生きぬいた中村君の軌跡の一端、第二回目です。
 今の人々が忘れ去った、しかし、今こそ大事ではないかと思える彼の思いです。
 これはもう20年ほども前に彼が書いたもの、「熊野から」です。科学雑誌『ウータン』へ寄稿したもの。

クリックで大きくなります。さらにクリックするともっと大きくなります。



 このページの終わり3行を注目して下さい。20年も前に彼はすでにこのようなことを考えてたのですね。
              つづく

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出石町奥小野

2011-10-29 09:53:19 | 懐かしい話

 Cimg0066

昨日のこと。

常連さんのS下さん、今日はお連れを連れて。

その帰りに、そのお連れを指して「こいつ豊岡病院で生まれとるんですわ」

S下さん、うちが夫婦とも但馬に縁が深いのを知っている。

「出石出身です」とそのお連れ。

わたし、「出石のどこ?」

彼、「奥の方で誰も知りませんわ」

わたし、「言ってみてよ」

彼、「ゆうても知らんとおもうけど、奥小野です」

わたし、「えっ!うっそ~~~っ!!!」

ということで、わたしが5年ほど前に書いたものを読んで下さい。

Img392 ←クリック。Img391_2

 しかも、その彼のお母さんとうちの家内の生まれ年が一緒。

そして、家内の実家の門から小川を挟んで鎮守のそばにその家はある。

いや、スゴイ縁だ。

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足立巻一先生の文章。

2011-10-28 16:51:28 | 足立巻一先生

 今日、茨木市からのお客様、Mさんがお土産に持って来て下さったのがこの本。

Img389 『続清水正一詩集』

 うれしかったが、これに挟まれていたしおりがスゴイ。

 足立巻一先生が書いておられる。

Photo ←クリックして下さい。

Photo_2 ←クリックして下さい。

Photo_3

Photo_4

 どうですか。いい文章でしょう。文章というより、その心ですね。涙なしに読めますか?

 このしおりには8人が文を寄せておられるが、杉山平一先生も。

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枝豆

2011-10-28 16:15:21 | 喫茶・輪

  昨日夕方、T井さんが持って来て下さった。ご主人の運転の車で。

 Cimg7135

 ドッカ~~ンと、わたしの長い腕で一抱え。畑から採りたてです。

 夕方でしたので、取りあえず店内に放り込みました。その後、わたし公民館へ将棋でしたので。

 子ども二十数人来てました。にぎやかでした。講座は「将棋の格言」。格言という言葉の解説から始めます。小さな子は一年生から、上は中学生まで。持ってる言葉のレベルが違うので配慮が要ります。あっ、話逸れてます。枝豆でした。

 昨日、家内も大阪へ行っていて、夜帰って来たので豆の世話は今朝になりました。取りあえず店を開けて、ぼちぼち枝から外しにかかりました。できたらゴミを、ゴミ回収車が来る前に出したいのでちょっと急ぎました。しかしたくさんで、なかなかです。まあ、そのうちお客さんが見えたら手伝ってもらおうとシコシコやってました。が今日に限ってなかなか朝のお客様が見えません。小一時間かかってやっと外し終えました。そこへ現れたのがS水さんです。いつもはもっと早くに来られる人です。今日はピッタリのタイミング。「あきませんやん。もっと早く来てもらわな。外で待ってはったん?終わるのを」

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中村義明君 1

2011-10-28 14:44:29 | 中村義明君

 中村義明君 1

 台風12号の犠牲になった西宮市出身の中村義明君の奥様から大きな封筒で便りが来た。
 彼が熊野でやってきたことが記された資料が入っている。読んでみて胸にこたえた。それを徐々に紹介したいと思います。どうか読んで下さい。
 
 先ず、第一回目。奥様の「ごあいさつ」です。これ一つでも彼の人柄をしのぶことが出来ます。
画面をクリックして下さい。段階的に二度クリックするとさらに大きくなります。

 このあと、わたしへの私信が書かれてありました。
 そして、次は、地元の新聞の主コラムと写真です。


 いいことが書いてあります。
 そして写真の顔がいいです。微塵も俗欲のない顔だ。

  改めて彼の笑顔にもう一度会いたいと激しく思う。

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見積もり。

2011-10-28 10:46:55 | 喫茶・輪

 久しぶりに山さんの話。

 「ああ、痛い。まだ痛い。きのう現場で頭、コンクリートにぶっつけたんや。目の前真っ暗になったで。おれ、思わずそのコンクリート見たがな。割れとらんか思て。割れとったら工事せなアカン。見積もり、思い切り加算してな」

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「お元気で」

2011-10-27 15:18:23 | 喫茶・輪

Cimg0066

 朝、奥から店にチラッと顔を出した家内、丁度カウンター席に座っておられたO田さんに「お元気でね」と言って顔を引っ込めようとした。

 するとO田さん「えっ?」と怪訝な顔。

 そこでわたし、

 「荷物まとめて、もう田舎へ帰る、言うてますねん。長らくお世話になりました」

 しかも家内、今日はちょっとだけ小奇麗な服装だった。

 O田さん、ますます不審の面持ち。

 わたし、「またお会いできるかどうか分かりませんけど、その時までお元気で、ゆうてますねん」

 家内、あわてて、「いや、急に寒くなったからね」と。

 実は、家内、田舎へではなく、kohの幼稚園の音楽会で、satoのお守に大阪へ電車で行くのだ。それで、店に出てお愛想できないので、昨年秋脳梗塞を患われたO田さんを気づかっての「お元気でね」だった。

 しかし紛らわしい言葉だ。

 

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花森安治と杉山平一先生。

2011-10-26 15:27:43 | 文学

 今朝の神戸新聞に花森安治のことが。

Img380_2

 花森とくれば、わたしは杉山先生を思い起こす。

 先生が書かれた「わたしの会った人」から「花森安治」です。

Img381_2

Img382_2

 上の新聞記事の中に、100歳の人の談話が載っている。杉山先生も近く97歳になられる。なんか面白いなあ。

 夕刊には、北杜夫さんが亡くなられたと。

 わたし、若い日に北さんの長編「楡家の人びと」を読んで感心した覚えがある。その本、今もあります。初版箱入りです。

 何十年ぶりかで箱から出してページを繰りました。中から紙片が出て来ました。


 その裏面です。三島由紀夫が推薦文を書いてます。
 わたしこれを読んで買ったのでしょうか。歴史的仮名遣いがいいですねえ。

  こちらの方が値打ちあるのかも知れません。

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五百旗頭真氏。

2011-10-25 18:32:05 | アート・文化

 文化功労者に五百旗頭(いおきべ)真さんが。
 五百旗頭氏は今、防衛大学の学長・神戸大学名誉教授であり、東日本大震災の復興構想会議議長です。
 この人、西宮出身です。
 息子が中学生の時、五百旗頭さんの息子さんと同級生でした。その息子さんからの年賀状があります。西宮の住所が書かれています。
 五百旗頭氏とは父親の会で一度、席を同じくしました。しっかり発言する人でした。その時、氏は神戸大学教授でした。
 わたしの息子は、学校の課題で、尊敬する人は?という設問に「五百旗頭教授」と答えたことがありました。通学の電車で同じになることが度々あってお話したことがあったのです。その息子さんは、後、東大に現役合格し、今は東大で准教授ではないでしょうか。うちらとは出来が違います。
 さて、西宮市、この出来事にどう対処するでしょうか?昨年、文化勲章を受けられた西宮出身の脇田晴子さんの時は無視でした。
 西宮の今の文化行政、まったくお話になりません。

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甲山頂上。

2011-10-25 17:24:50 | 日記

 午後、店を閉めてから家内と甲山に上がってきた。
 ウィークデイで駐車場も空いていた。

Cimg7120
 先ず神呪寺(かんのうじ)にお参りする。

Cimg7073

 納骨堂が新しくなっていた。久しぶりなのだ。境内の展望台からの眺め。まあ、いい眺めだ。しかし、昔の甲山頂上からの眺めを知っている者には物足りない。

 さて頂上を目指して歩く。すぐに鬱蒼とした山道だ。昔はこんなではなかった。はげ山だったのでどこからでも下界が見えた。

 私たち以外だれも登山者はない。静かなものだ。
 傍らの朽木の陰に蟻地獄の穴が。
 
 昔、子どもの頃、捕まえて帰って、蟻をエサに育てたことがある。やがてウスバカゲロウが飛び立った。

 中腹の樹間から下界がわずかに顔を出す。今日は天侯があまりよくなく、あいにく視界が悪い。でもいい景色だ。

 頂上はまだまだだと思っていたら、空が急に明るくなって頂上だった。以前はもっと距離があったように思ったのだが。
 わたし、このブログで最近の甲山の頂上からの眺望は全くダメと書いていた。しかし実は最近登ってなかったのである。何年か前に登ってガッカリして、それが頭に残っていたのである。だから、わたしの言うことに自分で100%の確信はなかったのだ。もしかしたら、その後樹木が整備されていて下界が見えるのではないかと。しかし、今日頂上に登ってきて、ハッキリ言います。眺望、全くダメでした。昔の面影ありません。これでは頂上へ上がった甲斐がありません。登る魅力もありません。孫を連れて上がってやろうとも思いません。せっかくの西宮のシンボル、甲山の値打ちがありません。
 こんな風に視界をさえぎっています。残念ですねえ。昔は、西には夙川の松並木が海まで続くのが見え、東は武庫川の流れ、そして大阪(伊丹)空港の飛行機の発着までもが見え、その手前では仁川競馬場も眼下でした。

 ただし、頂上の広場は昔バレーボールのパス回しをした時のように広いままだった。しかもきれいに整備されていた。

Cimg7082
 下りの山道で、頭上からパラパラと物が落ちてくる、と思ったら、ドングリだった。まるで大粒の雨のように降ってきた。

Cimg7126

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栽松会。

2011-10-24 23:13:18 | 中村義明君

 ネットの威力に今更ながら感心している。

 昨夜、NHKの大河ドラマ「江」を見た。番組の終わりに、秀吉のお墓がある方広寺が紹介された。わたし、すぐネットで検索しました。この方広寺は京都だが、同じ画面に静岡の方広寺があって思わずクリックした。そしてたどり着いたのが、令孝さんのブログだった。しかも、その当日の記事に盤珪さんのことが書かれていた。わたしが別ブログで前日に触れた禅僧のことである。これも偶然だった。

 で、令孝さんだが、昔、「栽松会」という居士禅の会で一緒だった人である。関西学院大学を出てダイエーに勤めていてエリートだった。しかし彼は早くに出家して今は静岡のお寺の住職になっている。わたしは早くに棒を折って、ちょっと後ろめたい。彼とはもう何十年も会っていない。ただし年賀状のやりとりは続いている。

 わたし、思わずそのブログにコメントを入れました。すると彼から「最近、中村君にお会いになりましたか?」と。

 そうなんです。この前の台風12号の犠牲になって、ここに何度も書いた中村義明君のことです。令孝さんにとっても忘れ難い人だったのだ。気になる人だったのだ。

 こうして縁がつながって来たんです。離れていた縁が今頃になってつながって。これ仏縁というのでしょうか。

 令孝さんのブログです。↓

      http://imakoko.hamazo.tv/

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甲山。

2011-10-24 17:07:48 | アート・文化

 西宮市の情報課が催している「第2回写真展・秋のレジャー」を見て来ました。




 興味深いのは甲山の写真です。

 昔はこうでした。山の南面に樹木がない。南から見ると文字通りはげ山でした。しかしこれが良かったのです。
 頂上からの眺望が見事でした。眼下に西宮の町並みが見事に広がっていたのです。いまは雑木が育ってしまって、まったく見えません。あの眺望があったればこその、甲山は西宮のシンボルでした。
 この写真、見て下さい。


 甲山から仁川ピクニックセンターを望む写真です。今、こんな写真撮れません。頂上へ上がる魅力がなくなってしまっています。
 なんとかあの頂上付近の樹木を整備して視界を広げてはもらえないのでしょうか。
〇 
 西宮市教育委員会発行の『市民文芸集』(昭和58年)にこのような詩が載っています。

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