喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『海鳴り』28

2016-05-31 09:05:06 | 文学
ちょっと前に編集工房ノアさんからお贈り頂いていた。
『海鳴り』28号です。

巻頭詩は例によって杉山平一先生。
←クリック

右のページには三好達治の詩碑。

そしてページを繰ると、我が師匠、安水稔和氏の詩「あれは」
←クリック

ほかに随筆のいいのがたくさん載っている。
鈴木漠さんの「風の行方」。連句を通じての生前の多田智満子さんとの交流を書いておられる。多田さんの辞世の句「草の背を乗り継ぐ風の行方かな」は、わたしも多田さんのことを『KOBECCO』に書かせて頂いた時に使わせて頂いた。
渡辺信雄さんの「またとない時間」。これは昨年お亡くなりになった伊勢田史郎さんへの追悼文。情愛のこもったいい文章でした。

ほかに庄野至さんの「住吉さん」が懐かしげな文章で好感が持てます。
それから、山田稔さんの「「どくだみの花」のことなど」が、随想を書く上で大変勉強になりました。

他にもいっぱい中身の濃い随想が載っていて勉強になります。
涸沢さん、ありがとうございました。
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木津川計さん

2016-05-31 08:20:04 | アート・文化
今朝の神戸新聞に木津川計さんが。
←クリック(二段階)
木津川さんは、わたしの書くものをラジオで紹介して下さった方。

これは『コーヒーカップの耳』を読んで下さった時のもの。
この後も『ライオンの顔』や『きよのパーティー』など何度も。
ありがたいことでした。
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将棋の本

2016-05-30 15:50:27 | 将棋
少し前に、プロ棋士淡路仁茂九段からお手紙をいただいた。
「将棋の本を処分しますが、どこか欲しいところがあれば寄贈します」と。
しかも送料まで負担して下さるというのだ。
なんといい人。
で、わたしが教えに行っている用海小学校将棋クラブに送って頂けるようにお願いした。

今日、将棋クラブの日だったが、届いていた。


ちゃんといい本を選んで送って下さっていた。

部長、副部長(6年生5年生)が、淡路九段宛に礼状を書くそうだ。

淡路九段だが、もう6,7年前にうちに来て下さって、将棋カレンダーを下さった。
その時、丁度kohがいて、「カレンダー屋さんですか?」と言ってわたしをあわてさせたのだった。
九段のプロ棋士をつかまえて「カレンダー屋さんですか?」には、ホントにあわてた。
淡路九段、本当にいい人なんです。
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第34回宮っ子バスツアー

2016-05-30 08:31:18 | 宮っ子
昨日、第34回目の「宮っ子」バスツアーでした。

もう長年バス中での案内役をさせて頂いています。
今年の行き先は花の寺「三室戸寺」と、美しく修復された「平等院」。




三室戸寺では紫陽花がそろそろ咲きかけていました。


ウグイスが盛んに啼いて歓迎してくれました。





ドクダミの花も咲いてました。

まだ朝のうちに着いたので朝日が。

「ようおまいり」



鐘を撞かせてもらいました。


庭園でお抹茶を。

三室戸寺の次に平等院へ…、しかしその前に昼食。
宇治川のほとりで。


さて平等院です。
修復されて鮮やかな朱塗りの平等院です。


宇治川。きれいな景色でした。

心配された雨は帰りのバスに乗ってから。
なんと幸運な。
今回も、おかげさまで色々勉強をさせて頂きました。


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十円硬貨の鳳凰

2016-05-28 17:47:15 | 宮っ子
今年の「宮っ子」バスツアーは平等院と三室戸寺へ行くことになっている。
そこで十円硬貨だ。
平等院の絵が入っている。
ここに3枚並べます。
←クリック
左から、昭和27年、昭和27年、昭和64年とあります。
さてその裏側。

同じ並びにしてあります。
違いが分かるでしょうか?
屋根の上の鳳凰です。
オスとメスがあるのが。
と言っても正式なものではありません。
わたしが中学生のころ(昭和30年代)に十円玉にオスメスがあることが話題になったことがありました。
真ん中の鳳凰をよく見て下さい。
左右のものより尻尾が小さい。
これをメスと呼んでいました。
調べてみると、昭和26年と27年のものに限られるとのこと。
いわゆる「ギザジュウ」(縁にギザギザがある)です。
その中でも半数ぐらいがメスとのこと。
で、左端。同じ27年でもオスのようです。

真ん中の27年は店のお客さまの清水さんにお借りしました。
たまたま持っておられたのです。
バス中での話題にしようと思って。
ところで左端の27年ですが、これは先ほどお地蔵さんのお賽銭を回収してきた中に偶然ありました。
「おっ、メスか?」と思いましたが、残念ながらオスだったのです。
メスの十円玉は滅多に見つかりません。
因みに、ここに上げた64年ですが、なにか感じられませんか?
昭和64年はたしか一週間ほどしかなかったのです。すぐに平成になった年でした。
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「直線」

2016-05-28 17:16:46 | 杉山平一先生
昨日観に行った「田中積写真展」に出ていた作品。
「光芒」です。←クリック
見事な光の直線。
光の直線は水平線より直線ですね。
そこで杉山平一先生の詩「直線」を思い浮かべました。

 「直線」

山は蒼く波うち
河は銀色にうねる

かく私の心もゆがむのに
おお いま
雲間を洩れて
陽の光が落ちてくる
まっ直ぐまっしぐらに

光こそ世界の定規だ
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昭和39年の我が家の写真

2016-05-28 14:46:55 | 懐かしい話
昨日、西宮市の情報公開課から提供して頂いた写真。

昭和39年です。
じっと見ているといろんなことを思い出す。
先ず、ご近所の当時の家の屋根がほとんど写っている。
そこから昔のことを芋づるのように思い出せる。
ドラマがいっぱいある。
また学校の様子も、あまりにも懐かしい。
鉄棒のある場所。砂場のある場所。
放火によって焼失した教室。
講堂の周辺の様子。
そして地蔵さんの様子。
その境内で起こった事件など。
あまりにも多くの懐かしい話が、この一枚の写真の中に蹲っている。
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ぐるりと一回り

2016-05-27 17:25:16 | 日記
午後、徒歩で用海北地域を一回り。
先ずフレンテホールへ田中積さんの写真展を観に。




この度の個展はカラー写真ではなく全てモノクロ写真。
これは珍しいですね。
夜の「今津燈台」の写真がありましたが、灯りの色はわかりません。
で、在廊しておられた田中さんに聞いてみました。
すると「緑色でした」と。
でも、今津の水門工事で移転すると今度は港の右に(沖から見て)なるので赤色になるんですね。
この写真だけはカラーだったら良かったなと思った次第。

田中さんは他に囲碁の趣味がおありで、囲碁関係からの花がたくさん贈られていた。

次に、フレンテそばの宝くじ売り場にちょっと寄って、次に但馬銀行にちょっと寄って、すぐそばのコンビニで自動車税を納入して、次に松原米穀店の吉田さんを訪ねて、先日の運搬自転車の取材を改めてさせて頂いた。


次に、この前に一度行った、市役所東館の古い街の写真展をもう一度覗き、そこにあるうちの家が写っている写真のデータをわたしのパソコンに送ってもらうようにお願いしました。
これです。
帰宅したら届いていました。
S田さん、ありがとうございました。

その帰りに与古道町の古川さんに寄りました。
市役所の古い町並み写真に古川さんは貴重な写真を提供しておられて、もしかしたら、もっともっと他にも面白いのがあるのでは?と。
染色の仕事を中断して相手して下さいました。

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「やめんといてね」

2016-05-27 10:41:59 | 喫茶・輪
朝の仕事に行っておられるI井さん。
いつも仕事帰りに寄って下さる。
今日もしばらくおしゃべりをして帰られたが、
帰りに「まだやめんといてね」と。
店を廃業しないでくれというわけだ。
「わたしが一人で入れる喫茶店はここしかないんやからね」と。
この人、お若い頃には喫茶店のウェイターをしておられた。
それに、うちの店が忙しいころ、長くパートで来て下さっていた人だ。
なのに他の喫茶店には行けないという。
唯一、くつろげるところなのだと。
ありがたいことです。
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「折々のことば」と「触媒のうた」

2016-05-26 16:14:53 | 宮崎修二朗翁
ちょっとした時間の隙間に宮崎翁をお訪ねしました。

ベッドの枕元には数冊の本がありましたが、やはり退屈そうにしておられました。
ご自宅におられた時は、いつ伺っても書斎の机の前におられましたが。


トレードしてきました。

「触媒のうた」と

「折々のことば」

「触媒のうた」は、「チェックをお願いします」と。
お預けしておけば書き込みをして下さるでしょう。
そして「千切り抜き」をいただいてきました。

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「砕氷船」第28号

2016-05-26 10:33:29 | 
滋賀の詩人、森哲弥さんからお贈り頂いた。

「砕氷船」28号。
苗村吉昭さんとの二人誌。
どちらも受賞歴多数の実力派詩人。

森さんの詩、「現幻転々」は、詩というより掌編小説に近い感じがする。
いかにも頭脳の優れた人の作品。力量を感じさせられます。
中で「玻璃球夢想」は詩らしい詩かな。
いかにも森さんの作品ですね。
←クリック

←クリック

楽しい詩です。

連載小説「蓮海寺奇譚」(四)が面白い。
早く次が読みたいが、また半年待たねばならない。
森さんは小説家でもあります。

苗村さんの新しい連載「若き藤村、近江をゆく」が地味ながら苗村さんらしい仕事。
前の「民衆詩派ルネッサンス」は力作だったが、これは少し肩の力を抜いて書いておられるような。でもたくさんの資料を詳細に読みこんでの作業は大変かも。

森さん、ありがとうございました。
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「ないっ!」

2016-05-26 10:19:15 | 喫茶・輪
牛山さん「コーヒー」
わたし「冷たいのん?ぬくたいのん?」
牛山さん「おいしいの」
即答でわたし「ないっ!」
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「むーさんの背中」の自転車

2016-05-26 08:05:23 | 懐かしい話
昨日の神戸新聞の小説「むーさんの背中」だが、カット絵に疑問が。
←クリック

「何十キロもある米袋をいくつも荷台に積んで、威勢よく走っていたむーさんの自転車だ。」とあります。
このカット絵の自転車では無理です。
カットを描いたMさんは多分お若いのでしょうね。
最近、まだ米屋をしている知人の吉田さんが今も乗っている自転車を、写真に撮らせてもらいました。

荷台に鉄棒があります。写真では寝てますが、これを立てて背もたれにして、米袋を何段にも積むのです。
そして、決定的に違うのがスタンド。

ガッチリとしていて、重い物に耐えられるようになっています。
昔、わたしも最高、120㌔の米を積んで走ったことがあります。
カット絵のようなスタンドではとても無理です。
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『触媒のうた』製本化

2016-05-23 18:03:50 | 宮崎修二朗翁
5年余にわたって『KOBECCO』に連載してきた「触媒のうた」を5月号で一応終えました。
取りあえずコピーして製本しました。分厚いので上下二冊になりました。

もう一部ずつ作って、宮崎翁にお見せして、本として出版するための修正加筆のアドバイスを求めたいと思っています。
出版資金のために、これからジャンボ宝くじを買って当選するのを待ちたいと思います。
さて、いつのことになるやら?
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北山冬一郎の小説

2016-05-23 08:38:18 | 北山冬一郎
5年半ほど前に『KOBECCO』に5回にわたって書いた、幻の詩人、北山冬一郎。
未だに拙ブログに問い合わせが次々入る。
北山冬一郎の詩に團伊玖磨が作曲した歌曲が今も歌われていて、その歌手の方や、研究者から。
以前に書いたものより新しい情報もわたしには入っているのだが、それはまだどこにも発表していない。
わたしが若ければ、もう一度ちゃんとした評伝に書けるかもしれないのだが…。ほかのことで忙しいので。

今日は、宮崎翁がおっしゃっていた「カストリ雑誌に書かせました」の言葉を裏付けるような雑誌を入手した話。


『情艶新集』(昭和24年発行)です。
いわゆる戦後のエロ雑誌です。
北山冬一郎の小説を読んでみましたが、それほどエロでもなくグロでもありませんでした。ごく普通の恋愛小説といった感じ。

「もくじ」です。

北山は別格扱いですね。

追記
北山冬一朗については『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター・2017年刊)に詳しく書きました。
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