喫茶 輪

コーヒーカップの耳

BOSS(ボス)新CMで天空城登場!【出演:タモリ・トミー・リー・満島ひかり】 のコピー

2016-02-29 19:36:18 | テレビ番組
これですね。竹田城のCM。


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タモリさん竹田城に。

2016-02-29 11:37:00 | 日記
ここ数年、ブームになっている竹田城だが、わたしはブーム以前に行って良かった。
ゆっくりと楽しめましたからね。
その後、高倉健さんなど有名人が次々と訪れ、ブームに拍車をかけています。
今朝の神戸新聞にはタモリさんもやってきてCMを撮ったと。

ガイド役のジョーンズさんの赤い服。
わたしの従姉妹が初期からガイドをしてますが、この服です。
「和田山観光ボランティアガイド」の制服。
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また「アッ」

2016-02-28 11:43:28 | アート・文化
今朝の神戸新聞の記事。

「松帆銅鐸を特別公開」と。
またもや「アッ」と声が出ましたが、まあ今回は小さな声で。
わたし特別に銅鐸に興味があるわけではありません。

最近お近づきになった人に田岡春夫さんという人がある。
西宮市、というより「兵庫県郷土史の父」ともいうべき人に田岡香逸氏という人がおられた。
春夫さんはそのご子息。
で、つい最近その春夫さんにお願いして、昔の新聞切り抜きのコピーを頂いた。
昭和30年の紙面。「日本のあしあと」という12回の連載記事。
この記事の解説を香逸さんがしておられる。
その第一回の記事。

松帆村から出た銅鐸のことが書かれている。
偶然ですねえ。
今回の松帆銅鐸は昨年に大量発見されて大きく話題になりました。「舌をつけた銅鐸」として。
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アマコー扇風機

2016-02-28 09:17:46 | 杉山平一先生

先日、著者の中村廣人さんから戴いた本『軌跡の小片』です。
この中のこのページは興味深かった。

杉山平一先生の会社「尼崎精工」が昔作っていた扇風機の写真が載っている。
これが収蔵されているのが「尼崎市立文化財収蔵庫」だと。
アッと思った。
なんかこのごろわたし「アッ」ということが多い。
老人にしてはいいことかな?
しかし、良くないことでアッということも多く、微妙。
まあ、今回の「アッ」はちょっと新鮮。
でもなあ、残念なものでもある。
というのも、この「尼崎市立文化財収蔵庫」は、わたし昨年訪れているのです。



いろんな文化財を見せて頂いたのでした。
ところが、日本の扇風機の黎明期に杉山先生が制作にかかわった扇風機がそこにあるとは知らなかった。
知っていたら当然見せてもらっていた。
残念。
また次の機会にということで。
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田中元三さんが

2016-02-27 10:52:54 | 日記
田中元三さんが昨秋お亡くなりになっていたのだと。

最近消息を聞かないからどうしておられるのかな?とは思っていたのだが、まさかでした。
尼崎から夙川へ越してこられた当座は何度かうちの店に来て頂いたのだが。

田中さんには著書が一冊ある。

『夙川の岸辺から』(2011年4月発行)というロマンチックなタイトルの本。
内容とはマッチしないタイトルだったが、名付け親は上村武雄さん。尼崎のスサノオ神社の宮司さんです。文学者でもあります。今「歴史と神戸」に連載を持っておられる。
さておき、『夙川の…』には、わたしのエッセイを種にして書かれた一文も載っている。
文末にはきっちりと「おことわり」が書かれている。
≪「消えてゆくもの」の後半の大部分は、私の敬愛する詩人、今村欣史さん(ペンネーム・出石アカル)のエッセイ「帰らぬ人形」(雑誌『神戸っ子』に掲載)によるものです。感謝!!≫と。
この『夙川の…』の出版記念会が大阪で盛大に開かれ、わたしも参加させて頂きスピーチさせて頂いたのを昨日のように思い出す。
いつも含羞の笑顔が印象的な人だった。
ご冥福をお祈りいたします。
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『軌跡の小片』

2016-02-27 08:52:44 | 杉山平一先生
昨日、一昨年の暮れに一度ご来店下さった、尼崎の中村廣人さんがご来店。
一冊の新刊書を持って。

『軌跡の小片』(中村廣人著・澪標)
副題に「事業家杉山平一をたどる」とあるように、これは主に事業者としての杉山先生を書かれている。
この視点はこれまであまりなかったものではないだろうか?
杉山先生については多くの人が書いているが、みな、詩、エッセイ、小説、映画評論などに重点を置いていた。そして、付け足しのように「尼崎精工」という会社の経営に携わった人というのを書かれていた。
ところがこの『軌跡の小片』は全く視線が違う。
真正面から「尼崎精工」という会社を背景にそびえさせ、その背景の中で立ち動く杉山先生を描いておられる。
文章に多少硬さがあるように思うが、それは技術系の会社が倒産に向かう話でもあり、仕方のないことなのだろう。
また、奥付けの経歴に「コンクリート主任技士・コンクリート診断士」とある。
要するに中村さんは技術畑一筋の人生を送ってこられたエンジニアなのだ。
お話しを聞くと、ご自分が立ちあげた会社を一度破綻させておられる(その後、立ち直り、今はご子息に代を譲られているとのこと)。杉山先生の人生と重なるところがあるのだ。

「あとがき」を紹介しよう。

≪大阪文学学校の詩・エッセイクラスで学び始めた初年度の終盤近く。一月二十四日の合評会開始前に中塚チューターがある詩人について話をされた。詩にはまったくうといわたしはぼんやりと聞いていた。二、三日後、突然、「戦後、尼崎で父親が経営する会社を手伝い大変苦労した詩人」ということばが頭に浮かびあがってきた。戦後で会社経営に伴う苦労なら、労使絡みに違いないと思った。次の週、合評会開始前、チューターに詩人の名前と会社名を訊いた。
 四方山話の話題になる程度のことは掴めるかもしれない、そんな軽い気持ちで労働運動で関わりがあった先輩を訪ね、話を聞いた。新学期が始まった四月二十五日、これまでに分かったことをチューターに話したところ「それを書きなさい」と言われた。思ってもみなかったこと…≫
このように始まり、次のように続く。
←二段階クリックでどうぞ。
そして次のように締められる。
≪資料の整理ができ、気持ちも整い、書き始めたのは三年目の学期が始まる直前だった。取材や調査に惜しみない協力を下さった方々のおかげです。それから十か月近く呻吟し、何度か弱気の虫が頭をもたげた。十八回に及ぶ長丁場を書き続けられたのは、合評会の度に中塚チューターをはじめクラスメイトの皆さんの真摯な批評に励まされたおかげです。素晴らしい本に仕上がったのは澪標の松村信人さんのおかげです。皆さんに心からお礼申し上げます。≫
ということです。
わたしが読ませて頂いて思うのは、「これは力作だ」ということです。
杉山先生が書かれたものをチョコチョコと引っ張ってきて自分なりの感想、評論を書いたものではなく、ちゃんと取材して時をかけて書いておられる。杉山先生のことならわたしもよく知っているつもりだったが、このように会社の経営陣の一人としての杉山先生に、中村さんなりの視点から書かれたものに新鮮な思いをさせられました。
ただ、気になるのはやはり、音谷健郎さんが栞に書かれていること。
≪会社縮小の各段階の年月と詩集の対比はなされていない。(略)経験がどのように詩に反映したかは、対比させるすべがなかったようだ。≫と、この点に不満が残るのはたしか。中村さん、ごめんなさい。
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結膜下出血

2016-02-26 23:47:17 | 健康・病気
今朝、顔を洗おうと思ったら目が痛い。
あれ?と思って鏡を見たらエライことになってました。

まるで血の海の中のブドウみたい。
近くの眼科クリニックにネット予約して診てもらいました。
結膜下出血でした。

正にウサギの眼です。
放っておいても自然に治ると。
これ、10年ほど以前にもなったことがあるのですが、これほどではありませんでした。
今日診て下さった医師の話では、「血液サラサラの薬を服んでおられませんか?」ということでした。たしかに服んでます。
「普通は痛くないものですけど、ここまで出血が広がってるとね」と。

そして夜です。
fumiに会いました。
すると、わたしのヒドイ目を見て、心配そうな顔をしてくれました。

そして、わたしの腕を「よしよし」とさすってくれました。
ジーチ、エライことになってると分かったのだ。
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天花寺さん

2016-02-26 10:54:19 | 懐かしい話
昨日、珍しいお名前の人がご来店。
天花寺作子さん。
浜脇幼稚園の園長さんです。
浜脇幼稚園は今年100週年を迎えるとのこと。
それで、ある人を介して、わたしが所持している昔の写真を拝借したいと。





66年前の写真です。
記念誌への掲載と、秋に行われる祝賀会でのスライドにと。
ということで卒業アルバムをお貸ししました。
さらにわたしが所持していた、しゅぎちょう(手技帳)と連絡帳を提供しました。
これには「よく残しておられましたね」と驚いておられました。
そして、その100周年記念祝賀会に出席して一言思い出話をとのこと。
面白し。
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元海上自衛官

2016-02-26 09:59:25 | 宮っ子
「宮っ子」3月号が出ました。
今号の「わが町この人あり」は東町一丁目の後藤さんです。
元海上自衛官。ユニークな人です。
取材前に思っていたのと全く違った人柄。
楽しいインタビューだったのを思い出す。



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手の甲の山脈

2016-02-25 10:08:32 | 宮崎修二朗翁
恥ずかしいけど、写真はわたしの手です。
甲に皺が盛り上がっています。

指でつまんで持ち上げると、すぐには元に戻らず、このように山脈が形成されます。
昨日のこと。
宮崎翁を訪問してお話しを伺いながら、わたし、何気なく戯れに手の甲をつまんで山脈を作ってました。
するとそれを見た翁が、
「あれ、今村さん、年いきましたか?」と。
「先生!、わたしももう72歳ですよ」
先生はいつまでもわたしが若いと思っておられる。
「もう年です」と言っても、
「いやいや、あなたはまだこれからの人ですから」なんておっしゃっていた。
随分勘違いしておられた。
しかしこの手の甲の山脈を見て、やっと現実を知って頂けたかと。
そのあと、民俗学の話になった時、
「もうあなた、手を出しちゃいけませんよ。あんなのにはまったらどうにもなりません」とおっしゃる。
以前ならきっと
「勉強なさい」と言って、何冊かの本を貸して下さるところだった。
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お訪ね

2016-02-24 17:27:34 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁をちょっとぶりにお訪ねしてきました。
電車で行って、打出駅からブラブラ歩いて。
途中、43号線の歩道にこんなポストが。なんでやろ?

このポスト好きですけど、43号線には似合いませんねえ。

公園の中にお地蔵さんがあったのでお参り。


お堂の中にたくさんおられるようで。

形のあるのやないのや。
いずれも謂われがあるのでしょう。

翁、いたって退屈そうでした。
「もう、ぼく、死んでしまいます」と。
そりゃあ、本もないし、机もないし。
枕元に数冊の本があるだけ。
あのスゴイ書斎と比べたらどうしようもありません。
話相手もありませんしね。
二時間近くお話ししました。
「ああ、今日はスッとした」と言って下さいました。

帰りは香櫨園駅から電車に乗りました。

香櫨園駅は夙川の真上にあります。
駅から北方面の写真。

行きは阪神西宮駅まで歩いて、打出まで電車に乗り、帰りは香櫨園まで歩いて、そこから西宮駅まで電車に乗りました。
帰ってきてから考えたら、全部歩くのとそんなに変わらないのではないか?ということ。
打出は43号線のそばにあります。うちも43号線に近い所です。ところが西宮駅は43号線よりかなり北にあります。
西宮駅まで歩き、西宮駅から歩いて帰るということは、大分ムダ道を歩くことになっています。
もう次からは全部歩くか、自転車にするか、車にしよう。
まあ、天気が良ければ全部歩くのがいいか。そうしよう。
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My Old Kentucky Home (稲葉和裕 with Friends)

2016-02-23 21:48:48 | ブルーグラス
西宮在住のブルーグラッサー、稲葉和裕さんが岡山のフェスに出演。
この映像をyoutubeに上げた人も、今は広島に在住ですが、元々西宮出身。わたしの中学の同級生です。

My Old Kentucky Home (稲葉和裕 with Friends)


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「平和非核都市宣言」

2016-02-23 09:00:03 | 西宮のこと
先日「西宮市郷土資料館」へ行った時に戴いてきた冊子。

「西宮市平和資料館・解説冊子」
開いて見ていて、このページ。
←クリックを。

「核戦争に未来はありません」
その通りだと思うのですが、今の風潮を見ていると
「持たんことには〇〇国になめられる」と考える人も増えてきているような。

「平和非核都市マーク」ですが、うちの玄関にもシールが貼ってあります。

昭和59年(1984年)に制定されたということですが、これ、市民に配られたのでしょうかねえ。
もう傷んできて汚くなってます。
西宮市、また新しいのを配布してくれないでしょうか。
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F田トシ子さんが…

2016-02-22 10:50:32 | 日記
朝から大きなショックを受けた。
F田トシ子さんが急死されたと聞いた。
葬儀は9時半からだという。
聞いた時にはもう9時20分になっていた。
間に合わない!と思ったが、葬儀場が近くだったので、あわてて着替えて駆けつけた。
読経は始っていたがなんとか焼香には間に合った。
それにしても急だ。

F田トシ子さんは、わたしが子どものころからの知り合い。
まだうちの店を親父が経営していたころ、一時、事務員さんで来てもらっていたことがある。彼女はまだ独身だった。
わたしは多分「お姉ちゃん」と呼んでいたと思う。
そんなころからのお付き合いだ。
その後、別のお米屋さんに長く務められた。
だが結婚されてからは、そのお米屋さんではなく、うちの店からお米を買って下さっていた。それはわたしが米屋を辞めるまで続いた。
義理堅い人でもあった。

トシ子さんはなんとも人懐こい人だった。
「あんた、あんた」と言いながら人の体を触りまくる人だった。
わたしもそうされた。
ベタベタと言ってもいいほど人の体を触りながら話すのだ。
しかし全く嫌味がないのだった。

いつも笑っている人だった。
底抜けに明るい人だった。

ご主人が工務店経営で忙しかった頃、よく内助の功を務められた。
職人さんにも愛情込めて接しておられた。
出入り業者にも温かく接しておられた。
いつも会社の玄関あたりでは人が賑わっていた。
ご主人の人柄も良かったのだが、このトシ子さんの働きも会社を盛り上げるのには功績が大いにあったと思う。

三年前にご主人が亡くなられてからは少し元気を失くされていたが、私どもに会うと、それはそれは情を込めて接して下さった。

あまりにもあっけないではないか。

29年前のお地蔵さんの落慶法要の時の写真がある。
若きわたしも写っている。

 これには家内も一緒に。

どちらの写真もいい笑顔をなさっている。

丁度三年前にご主人が亡くなられた時の拙ブログがあります。F田靖生さん。

ああ、トシ子さん!
また一人大切な人が亡くなってしまった。
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「第13回清原絵画教室展」

2016-02-22 08:49:52 | アート・文化
山本牧さんという人から絵画展のご案内状を頂きました。


 ←クリック

山本さんは元「KOBECCO」の編集員さんです。
もう14年前になりますが、わたしが連載のページを持たせて頂いた時の担当者でした。
オシャレな装いの人でした。
装いだけがオシャレだったわけではなく、センスあふれる文章を書かれます。
もう長くお会いしないのですが、どうなっておられるかな?
もう14年ですから、この葉書に書き添えておられるように「おばちゃん」になられているのかな?
この14年間には、彼女にも人生の変遷があったようですが…。
いや、あんなにオシャレだったので、きっと今も若々しいお姉さんなのでしょう。
しかし、この期間中に行けるかなあ?
ちょっと無理かも?
行けなかったらゴメンナサイ、牧ちゃん。
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