喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「せんせいあのね 1年1組かしま教室 ①ひみつやで」

2024-04-18 15:37:41 | 足立巻一先生
今日の神戸新聞夕刊の記事。


久しぶりに足立巻一先生に関連する話。
主役は鹿島和夫さんだが、この記事にも見える灰谷健次郎さんは、足立先生を父と慕った人だった。
お二人とも足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でお会いしている。
もうお二人ともお亡くなりになってしまったが、懐かしいお人だ。
『せんせいあのね』が新たに編集されて出版されたとのこと。
48歳のフリーアナウンサー、むかいさとこさんの努力による。
もちろんわたしは『せんせいあのね一年一組』は持っています。
が、これも読んでみたい。

けど、むかいさんは足立先生のことなどご存じないだろうな。

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「日本の詩は…」

2024-04-06 18:36:52 | 足立巻一先生
この時期のこの時間だけに、ここに日が射す。


4月6日、午後5時50分。
「輪」の西の窓から、奥の席に。



足立巻一先生の詩碑の拓本。

これは、播磨中央公園にある詩碑から。
宮崎修二朗翁と坂野訓子さんとわたしとの三人で行った時に、宮崎翁と坂野さんとで採取された拓本。
後に宮崎翁が、足立先生についての講演で使用され、そのあとわたしに譲って下さったのだった。
宮崎翁も坂野女史も今はない。時茫々。
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足立先生朗読「石の犬」

2024-04-05 08:29:41 | 足立巻一先生
先日上げたブログ「東大寺南大門」ですが、
足立巻一先生の詩「石の犬」のことを書いた。

そうだ、その詩を足立先生自ら朗読しておられる録音があるはず、と思い出した。
あれは印象深い朗読だったと。



久しぶりに聞いてみました。
懐かしいお声。独特の語り口。
そのお姿も思い起こす。

もうこの音源を持つ人は少ないだろうな。
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東大寺南大門

2024-04-02 10:08:59 | 足立巻一先生
阿修羅が第一の目標だったが、「大仏さんも」ということで東大寺にも行った。
世界最大の木造建造物ということでその大きさに今回も、というより以前来た時よりももっと大きな感動を受けた。
余りにもの大迫力。

本堂のその手前にこれも立派な南大門がある。
そこに仁王様がおられてこれが大迫力。

この門のことを足立巻一先生が散文詩に書いておられるのを私は知っていた。
だから来る前にもう一度読んでおかねばならなかった。
こんな詩です。
「石の犬」です。
感動的な詩です。
たしかにその石の犬は昨日見た。
しかし写真は撮らなかった。
バカでした。
詩の内容を忘れていたのだ。
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上郡駅

2023-10-25 22:01:58 | 足立巻一先生
夕方見ていたテレビの画面にびっくり。

播州赤穂の上郡駅でした。
なんとも懐かしい。
あの昔と佇まいが変わっていない。
38年も昔だ。
なぜすぐに38年と分かるかと言うと、上郡駅に関する38年前のことの原稿を今朝仕上げたところだった。
足立巻一先生の取材について行った時のこと。

改札は自動になっているが、建物はその時のままの様子。

さらにその番組は芸人の増田英彦が街を巡るもの。

その増田君、昔うちの店に来店したことがある。
日本盛に仕事で来られた時だった。
丁度、孫のkohがいて、帰りにkohの頭を撫でながら「バイバイ」と言って店を出て行かれたのだった。

最近このような「偶然!」と思うことが多いのだが、これはわたしが高齢になったことと関係があるだろうか?
不思議だ。

『コーヒーカップの耳』人間味あふれ、詩ごころいっぱいの本。

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足立巻一先生の地の言葉

2023-10-23 13:22:53 | 足立巻一先生
この前書いた「足立先生の言葉」ですが。
活字化しました。

この聞き書きは、元々取材したわけでもなく、録音したものでもありません。
一日、足立先生のお供をした中で先生の口をついて出た言葉をわたしが記憶し、帰宅してから思い出して記録したものです。
なので先生の地の言葉です。
先生が書かれた文章からは知ることができない、先生の素の人柄が現れています。
また竹中郁についての話は、「評伝・竹中郁」を書く動機をお話しくださっていて貴重かと思います。
ということで、この原稿をどこかに発表したいと思っているのです。
資料として残るところに書いておきたいのですが、どこがいいかなあ?
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足立先生の言葉

2023-10-18 08:45:36 | 足立巻一先生
こんなのを記録してたんだ。
赤穂まで取材に行かれたのに同行させてもらった時に聞いたことを、帰宅してから思い出して書き留めたもの。


昭和60年2月17日。先生がお亡くなりになる半年前だ。
この日のことは先生の著書、『日が暮れてから道は始まる』に載っています。
6枚にビッシリと書いてます。
なんでもない、こんな一言も。
「なつかしいですなあ」(上郡駅の待合室の椅子の座布団を見て)。
ほかに詩に関しての貴重な話もいっばい記録している。
一部はすでにどこかに書いたと思うが、全部はまだ発表していない。
どこに発表しようか。
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足立巻一先生の声

2023-08-17 19:20:54 | 足立巻一先生
必要というより、聞いてみたくて出してきました。
足立巻一先生のCD。



昭和58年。
NHK第二放送。
カセットテープに録音したのだったが、後にCDにダビングしたもの。
聞いてみたが、足立先生独特の早口が懐かしかった。
ただ、途中、音が切れているところが何カ所かあった。
なんでかな?

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イマムラキンジ

2023-08-12 13:12:09 | 足立巻一先生


全日空、御巣鷹山の事故から38年。
その時の乗客名簿。
http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
この中に「今村欣治」という人があります。
事故当初、メディアで報道されたのは漢字ではなく、カタカナでした。
「イマムラキンジ」と。
わたしと同姓同名。
しかも年齢まで同じでした。
わたしが死んだと思われても仕方なかったのでした。
しばらく我が家はざわついたものです。
入院中の足立巻一先生も「教え子が乗っていた」と嘆いておられたと後日聞きました。先生は、その二日後の8月14日に急性心不全でお亡くなりになったのでした。
いつまで経っても忘れられません。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことが詳しく。
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『ぼくもいくさに征くのだけれど』の足立巻一先生と桑島玄二さん

2023-08-11 18:39:09 | 足立巻一先生


『ぼくもいくさに征くのだけれど』の中に、著者稲泉さんによるこんな記述がある。
《(略)高橋庸治さんを訪ねた。彼は2002年現在、松阪市の本居宣長記念館の館長をしていた。》
ここからあと、20ページほどにわたって、足立巻一先生と桑島玄二さんの話が詳しく出ている。
この高橋館長さんは、足立先生の著書『戦死ヤアワレ』にも登場する。
ほかにもわたしの知る詩人、たかとう匡子さんまで登場している。
参考資料のページを見ると、東秀三さんの名も見える。あら、知った人いっぱいだ。

因みにわたしが本居宣長記念館を訪れた時の写真。

若いですって?そんなことないでしょ。ほんの32年前の1991年2月のことです。

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竹内浩三のこと

2023-08-08 13:45:30 | 足立巻一先生
原稿を書くために読む必要が出てきて、『無名兵士の記録 戦死ヤアワレ』(足立巻一著・1982年・新潮社刊)を出してきた。



その最後の章、「戦死ヤアハレ」を読んだ。40年も昔に読んでますが、さすがに具体的な内容はほとんど忘れてます。
本の表題は「アレ」。しかし章のタイトルは「アレ」になっている。
これは足立先生の工夫ですね。

本の間から思わぬものがでてきた。



六段のマッチのラベル。足立巻一先生の色紙を使ってあるもの。
懐かしい。

それは別として、桑島玄二さんが出てきて、この本と深い関わりがある。
足立先生が情報提供し、重要な人を紹介し、桑島さんは良い本を出版することになる、そんな話が出ている。
その本、『兵士の詩 戦中詩人論』(理論社)、『純白の花負いて 詩人竹内浩三の”筑波日記”』(理論社)、そしてこれは編集工房ノアからの『物言わざれば』(編集工房ノア)の計三冊。
これらもわたしは持っているはずだと探したが見つからない。
どこかにあるんだけどなあ。
あの震災以来、わたしの昔の書斎は物置になってしまっていて、本が無茶苦茶になったまま、整理がついていない。
どうしたらいいんでしょうか?
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田辺聖子の卒業写真に足立巻一先生が

2023-07-23 20:53:27 | 足立巻一先生
図録『田辺聖子の世界展』を見ていたら、こんな写真があった。



大阪文学学校の卒業写真。昭和32年。
足立巻一先生が写っておられる。
この写真は初めて見ます。
足立先生が文学学校で聖子さんを指導しておられたことは広く知られるところで、
先生も「次々に作品を提出してくるので評するのが大変だった」という意味のこと発言しておられる。

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『ありとリボン』の周辺

2023-06-23 13:52:50 | 足立巻一先生

『ありとリボン』(山口雅代著・編集工房ノア刊・2200円+税)を読み終えました。
著者山口雅代さんが子どもの時に作られた詩集の新版です。
こどもの詩というわけです。
いい詩がいっぱい。でも紹介するのは2篇だけにしておきます。



「白いふね」と「いなかことば」です。
「めくって」という言葉が斬新ですね。そして、「いなかことば」ですが、昔、わたしの妻の故郷、出石の奥小野ではカラスが方言で鳴いていたのを思い出しました。
あとの詩はこの本を入手してお読みください。みな素晴らしいです。

ここではこの本の周辺事情を紹介します。
「はじめに―「新版」発行に際して」です。現在の雅代さんが書いておられます。




これでこの本の凡その事情が分かります。

そして「はしがき」。これは初版発行時の竹中郁さんのもの。




巻末近くに「母から雅代へおくることば」というのがあります。

母心がよく出ています。

そして「雅代からお母さんへ」。


年譜です。



これは貴重。
詩人の名前が載ってます。
竹中郁、小野十三郎、足立巻一。
あのころの詩人は、こういった弱い立場の人の才能を評価したら、骨身を惜しまず励まし、そして実際に世に出す手助けをなさっていたのです。
ここに名前は出ていないですが、「國際新聞」というのが出てます。年譜の年を勘案すると、これはきっと宮崎修二朗氏が取り上げたのでしょう。
そこから表紙絵の初山滋にもつながって。
素晴らしい大人たちがいたということで。

足立巻一先生の言葉。

足立先生は特に弱い立場の人に優しかったですからね。

これは浮田要三さんの紹介文。




このあと、黒田清さんも「山口雅代さんとの出会い」と題して書いておられますが、割愛させてください。

そして巻末。

著者ご本人の近影と奥付です。
編集工房ノアの涸沢純平さん、編集ご苦労様でした。
ありがとうございました。

『触媒のうた』 宮崎修二朗による、小野十三郎、足立巻一、竹中郁などのユニークなエピソードがいっぱい。









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『ありとリボン』

2023-06-22 09:49:07 | 足立巻一先生
興味津々の本が届きました。



新版『ありとリボン』(山口雅代著・編集工房ノア刊)2200円+税。
序文を竹中郁が書いてます。
この本についてはまた改めてご報告します。

『コーヒーカップの耳』 足立巻一先生にお読み頂きたかった本。
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灰谷健次郎さんと足立巻一先生のこと

2023-05-12 11:23:39 | 足立巻一先生
灰谷健次郎さんの『天の瞳』を読んでいるのだが。

この際、灰谷健次郎さんと足立巻一先生のことで思い出すことを書いておこう。
これまでどこにも書いてなかった(と思う)こと。
先ず、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でのこと。

初期のころに一度灰谷さんが出席されたことがあった。
足立先生の奥様は出席されていたかどうかは覚えていないのだが、灰谷さんが次のようなスピーチをされた。
この通りではなく、要点のわたしの記憶。
「足立さんを僕は自分のお父さんだと思っています。まだ亡くなられたことが信じられないし、受け入れられません。
だからこれからも足立さんへの郵便物は足立巻一様で出します。奥さま宛には書きませんので、奥様お許しください」と。
もちろんこれはスピーチの一部ですが、この部分だけをわたしは記憶しています。

次に、最後に足立先生にお会いした時のこと。
わたしが先生に話しました。「灰谷さんを批判する本が出ていますが」と。
その本は『優しさまとめて花いちもんめ』(玉田勝郎著・風濤社・1984年10月刊)。
強烈な灰谷批判の本です。



すると先生は即座に「灰谷はいちいち相手にならないでしょう。彼は作品で答えますよ」と。
しかし、その時一つ、灰谷さんを批判して、「あんな本を出して…」と言われました。
そのあんな本とは、『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』(灰谷健次郎編・理論社・1983年10月刊)。



わたしはその後、この本にはずいぶんお世話にななったものでした。
口頭詩についての講師を頼まれた時に大いに利用させてもらったのです。
しかし足立先生は「安易です」と。
これまで出した本からピックアップしただけのもので、出版社の「売らんかな」に乗せられたものだと。
もちろん足立先生ご自身が理論社から本を出しておられて、社主の小宮山量平さんを信頼し評価はしておられましたが。
この本についてはご不満のようでした。
「新しいものを出さねばなりません」とおっしゃいました。
要するに「苦労しなさい」ということだったのでしょう。
ただし、この本の中には次のような灰谷さんの言葉があります。
《足立さんとの出会いがなければ、今のわたしはないとしみじみ思います。》と。

時系列を書いておきましょう。
『お星さんが…』は1983年10月刊。
『優しさまとめて…』は1984年1月刊。
わたしが直接足立先生から話をお聞きしたのは、1985年2月。
そして、灰谷さんのスピーチをわたしが聞いたのは、多分1985年秋の最初の「夕暮れ忌」。

思い出すままに書きました。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことを詳しく書いてます。


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