都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

レーニン丘

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 再びバスに乗って今度はレーニン丘へ向かう。

ドルジバ多目的アリーナ   Google Map
Wikipedia - Druzhba Multipurpose Arena
Wikipedia - ロシア科学アカデミー

 丘を上る坂の途中で、車窓にドルジバ多目的アリーナとロシア科学アカデミーの建物が見えた。アリーナはギヤを伏せたようなコンクリートのごついドームで、奇妙な形でやや格好良くない。一方、ロシア科学アカデミーは20F程度の高層建物で、頂部に金色の鳥かご状のもの(アンテナ?)が付いている不思議な建物。でも両方とも、一度見ると忘れないようなインパクトがある。

 あとあとネットで調べたところでは、ドルジバ多目的アリーナは、1980年のモスクワオリンピックでのバレーボール会場として建設されたものだそうだ。また、施設の名称は、英語ではDruzhba Multipurpose Arena、ロシア語では、Универсальный спортивный зал "Дружба"で、Дружба(ドルジバ)は「友情」の意味だという。

 レーニン丘の展望台でバスを降りる。

 高台は風もあってやはり寒いが、モスクワ市街を一望できてこれは素晴らしい。早速パノラマ写真を撮る。

レーニンスタジアム   Google Map
Wikipedia - ルジニキ・スタジアム

 眼前に見えるレーニンスタジアムは、西側がボイコットしたことでも記憶される、モスクワオリンピックのメイン会場である。広大な公園にいくつかの施設が点在しているのが見える。なお、レーニンスタジアムはソビエト連邦の崩壊後、ルジニキ・スタジアムという名称に変更されている。

 モスクワに7つあるという尖塔状の超高層建物もいくつか見える。慣れればそれらの位置で方角や現在位置が判るのだろう。周囲に塔を建てたのは街の守りという感じで、結界を作るような感覚で、角櫓を建てるのにも似ている。スターリンのような独裁だからできたことかもしれないが、やや呪術的性格も持っており、且つランドマーク的発想でもあり興味深い。

モスクワ大学   Google Map
Wikipedia - モスクワ大学

 街を見下ろす私達の背後には、広場の向こう側にモスクワ大学の塔がそびえている。かずある尖塔の中でも、この塔は左右に小塔を従えた堂々とした造りで目を引く。頂部にひときわ高く赤い星を戴くその姿は美しく立派で、ロシアの最高学府としての威厳を持つ建物だ。できれば建物の足下まで行って、下から見上げてみたいところだったが、時間が無くてそれはできなかった。今考えてみるととても惜しい。

 夕暮れが近づいてくる。本日はここまで、ということで、ホテルに戻ることにする。

ベルナツキー通りの高層ビル   Google Map

 バスに乗って幹線を走っていると、20F建て程度の超高層オフィスが、3棟、点々と並んでいるのが目に付く。近代的だがどこかモニュメンタルな雰囲気が漂う姿だ。

 18:00 ホテルに帰着。ホテルの客室は8F4号(0804)だった。TVも冷蔵庫もしっかり使えて、CNNなども見られる。ツインに私一人になってしまったので、ちょっと退屈な気もしたが、とりあえず広々として気持ちよい。

 19:30 夕食。時差ぼけで眠い。食事をとるので余計に眠くなる。I氏は一言、眠いと言って、食事もそこそこに部屋に戻ってしまった。ロシアの夕食は軽いので、僕はとりあえず食事だけはしておいた。食後、明日の計画をたてようとしたのだがやはり非常に眠くて、21:00には早くも就寝してしまったのだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#パノラマ  #眺望  #自動車  #塔  #高層ビル  #大学
#オフィス  #体育館  #野外劇場・スタジアム 
#20世紀  #スターリン様式  #ソビエト様式 
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バスで市内観光 2

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 赤の広場を出てノヴォデヴィチ修道院へ向かうことになる。バスに乗る前にInformation看板とターニャさん、I氏を撮る。後で改めて見返すとなかなかしゃれたデザインだ。

ロシアホテル   Google Map
Wikipedia - ホテル・ロシア

 広場のそばには先程昼食を食べたロシアホテルがある。13F建て程度に見えるが実際の最高階は21階、ボリュームは巨大で、非常に多くの部屋数(3,000室以上)がある近代的ホテルだ。当時は知らなかったのだが、90年代までは世界最大のホテルだったのだそうだ。しかしこのホテルは再開発のため2006年正月で営業を終了し、その後解体されてしまったという。

ロシア国立図書館   Google Map
Wikipedia - ロシア国立図書館

 バスに乗ってしばらく市内を走る。改装中のロシア国立図書館(旧レーニン図書館)の前を通る。

革命広場とマルクス像(右)   Google Map
Wikipedia - 革命広場のマルクス像

 メトロポールホテルわきの革命広場にはマルクスの胸像がある。レーニンやスターリンと違ってこちらは健在だった。

 モスクワでは市電は見かけない。一方、モスクワの地下鉄の総延長は世界一だ(当時)。それからトロリーバス、路線バスは結構ある。市民の移動はほとんど、地下鉄とトロリーバス、バスでカヴァーしているのだろう。あと中心部ではやはり大型観光バスが多い。チェコ製のこのバスはなかなかスマートで性能も良さそうだ。また普通乗用車では、最近はBenzやAudiが増えているようだ。

 街を走っていると、ところどころに工事現場がある。その一つのクレーンにはマクドナルドのmの字が付いていた。モスクワには既にマクドナルドがあって、当時ひとしきり話題になっていたが、これも何軒目かのお店の建設現場なのだそうだ。急速に西洋の資本主義が入ってきているのを感じる。

 更に行くと、ビルの屋上にコカコーラのでかい広告がついているのも見かけた。

 また、ウラジオでも気づいていたのだが、こちらの古い建物は、石造だが各階の床は木で張ってあるため、火災に遭うと屋根や床が抜けて外壁だけになってしまう。主たる構造物は残るので、下から順にまた床を張ればよいわけだが、日本人からするとやや奇妙なもののように思われる。ヨーロッパのアパルトマンにはこの形式が多い。

 モスクワも地区によっては古い建物を保存する方向らしく、そうなってしまうと改修もなかなか面倒なようではある。

 17:00 少し前頃、ノヴォデヴィチ修道院に到着する。夕方になってしまい、修道院の中には入れなかった。何故そういう時刻を事前に把握していないのか、また何故こうなることを予測して行動を変えないのか、ここでもちょっと不思議になってしまう。

 修道院そばの公園には黄色く色づいた落ち葉が一面に広がって落ちていた。紅葉する前に落ちてしまった緑色の葉と、ここ数日で降り積もった白い雪が、地面を色とりどりに染めていた。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#広場  #街並み 海外  #道  #ホテル  #雪 
#20世紀  #ソビエト様式 
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赤の広場

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 赤の広場の入口でバスを降りる。モスクワ川とこれに架かるウスチンスキー橋、そしてモスクワに建つ7つの超高層ビルの一つであるコテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート(Google Map)が、どんよりした空の中にぼんやり見えている。

スパスカヤ塔とクレムリン外壁

 午前中はいきなりクレムリンの中に入ってしまったが、今度は赤の広場側から壁越しにクレムリンを望むことになる。広場の周囲にはレーニン廟、クレムリン、聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー大寺院)、グム百貨店、歴史博物館などの壮麗な建物群が立ち並ぶ。

聖ワシリー大聖堂   Google Map
Wikipedia - 聖ワシリー大聖堂

 聖ワシリー大聖堂は、モスクワの映像で必ずといってよいほど現れる、カラフルなネギ坊主が沢山付いたあの寺院だ。

 時間とかの都合で、中には入れなかったが、あやしのその巨大な姿を見ることが出来て感動したのだった。

グム百貨店   Google Map
Wikipedia - グム百貨店
グム百貨店東南側の建物

  赤の広場   Google Map
  クレムリン(左)、レーニン廟(中央)と、ニコリスカヤ塔、国立歴史博物館(右)
  Wikipedia - 赤の広場

 赤の広場は想像以上に広い。幅もかなりあるが、なにしろ長い。ここで革命記念日に戦車やミサイルを伴って軍隊が行進し、赤一色になるのは確かに強烈な光景なのだろうなと思う。そしてそれはTV中継されてこれまで世界の人々に脅威を与えてきたのだ。

 しかし普通の日の赤の広場は人影もさほど多くなく、観光者ばかりだ。その雰囲気は日本の皇居前広場と似ていなくもない。後年、中国の天安門前広場にも行ったが、首都の中心部には何らかの形でこのような場所があるものなのだなと感じる。

 広場からはクレムリンの城壁越しにロシア連邦大統領府が見える。ドーム状の屋根の頂部には白青赤の三色旗が翻っている。広場にて記念写真を撮る。我々日本人はまさかこんなに寒いとは思ってもいなかったので、一様に寒そうにしていたが、地元のターニャさんは慣れているのとちゃんと準備しているので何ともないようだった。

赤の広場から、クレムリンのスパスカヤ塔
1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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#16世紀  #19世紀  #20世紀  #デパート・百貨店 
#ビザンティン  #スターリン様式  #ネオ・ロシア  #世界遺産 
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バスで市内観光 1

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 14:30、ロシアホテルにて昼食。まだ朝食から2~3時間しかたっていない。飛行機の関係で全ての予定が狂ったので、クレムリン観光も超特急だった。モスクワは広いのでバスで連れてってもらうのが便利そうだが、この先どうなるか全く見当がつかない。またShoppingなどの自由行動が出来るかも不明だった。といっても、こんなに大きな街でいきなり放り出されても困ってしまうから、とりあえずバスツアーに頼る他なさそうだ。

 ガイドのユラ氏はエラク日本語がうまい。しかしホテルのレストランのテーブル係のおばちゃんとつるんでいて、キャビアの缶詰を買うことを頻りに薦める。

 キャビアは乱獲も問題になっているそうで、正規のところで買わないと出国時に税関がうるさい。しかしあまりに彼等がうるさいのでO氏が少しだけ買って収拾をつける。こういう場合、横流し品で正規のものが高くなっているか、安いと思っても、偽物もしくは粗悪品をつかまされるかどちらかだという。O氏のものは値段は普通より少し高めだったが、少し汚い以外は本物で横流し品のようだった。

 日本語が上手く、テキパキしてるので、最初はユラ氏に対する僕等の評価は高かったのだが、この一件で評価は急落してしまった。そこら辺のイメージが後々どういう結果をもたらすか、彼等はまだあまり考えていないらしい。

 15:30 バスで市内観光することになる。今度はターニャさんという女性が案内してくれる。ターニャさんは日本語はそれほどうまくない。学校に勤める公務員だという。

 ユラ氏が、とにかく君らは細かいことを気にせず俺に付いてくればOKだという、ちょっと詐欺師っぽい雰囲気を漂わせているのと比べると、こちらは極めて真面目というか失礼ながらバカ正直な感じの人だ。でもこの時我々は、感じのいい人だなーと好感を持ったのだった。

 公務員の給料は安い。インフレが続くロシアではその給料だけでは全く生活できない。そこで仕事の合間にこのようなアルバイトをしているという。大変なことだが、公務員が仕事の合間にバイトが出来るというのも不思議な状態だ。


Google Map

 バスから市内中心部の街並みを見る。モスクワでは、集合住宅の平均的規模がウラジオのそれより大きい。ウラジオでは5階建て程度までだが、モスクワでは9階建て程度のものが道沿いにズラッと並ぶ。

Google Map

 寺院、工場、劇場などが次々に車窓に現れる。ウラジオならバスを降りて一つ一つ見るところだが、モスクワではこの程度は当たり前で、観光地はもっとあるし街も広いので、ここらへんはどんどん通り過ぎる。そこら辺、やはりモスクワはロシアの首都、ウラジオやハバロフスクは極東(Far East)の地方都市(田舎町)なのだなあと実感する。

 遠くに塔状の建物も霞んで見える。モスクワにはスターリン時代に、7つの塔状の高層建築が市内各所に造られたが、どうやらその一つが見えているようだ。滞在中に是非近くまで行って見てみたい建物だ。

ボリショイ劇場   Google Map

 バス車中から市内の著名な建物を見る。ボリショイ劇場はやはり立派だ。1992年当時はまだヨーロッパに行ったことがなく、本場の劇場を見たことがなかったので何とも言えなかったが、日本のいわゆる文化会館に比べると、遙かに壮麗な建物であるのは一見して判る。著名な建物は全体が良く見えるように広場に面して建てられているようだ。周辺の空間を従えて、迫力のある景色が創られている。

旧KGB   Google Map

 別の広場には旧KGB(秘密警察)の建物が威容を見せていた。黒く重々しい石造ベースの2Fに、黄と茶の上階が載る9F建てで、左右対称で権威的で堂々とした構えの建物だ。

 広場には銅像の台座がそびえるが、そこに像は載っていない(写真右手)。ここには旧KGBの創設者であるジェルジンスキーの像があったというが、民主化の流れの中でKGBの役割も変わり、ジェルジンスキーは悪者に変わり、像は台座を残して撤去されたということだ。ここでもスターリン様式同様、時代の変化による街並みの変貌を見せられることになった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#街並み 海外  #古い建物 海外  #住宅系  #映画館・ホール 
#オフィス  #19世紀  #ロシア・クラシック様式 
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クレムリン

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 12:00 ホテルから出発。早速クレムリン(Google Map)へ向かう。

Wikipedia - クレムリン
トロイツカヤ塔

 12:20 バスを下車。ユラさんがガイド。相変わらずめちゃくちゃ寒い。トロイツカヤ塔から旧城内に入る。

アルセナール(旧兵器庫)

 城門を通って最初に見えてくるのは旧兵器庫だが、これも立派な様式建築だ。ベースカラーは黄色で、窓周りや、付け柱が白い。

ロシア連邦大統領府(左)とロシア連邦大統領官邸(右)
左奥はニコリスカヤ塔

 昔はモスクワは城郭都市で、クレムリンが街の全てだったという。先程の城門は街の門だったのだ。現在、街は拡大し中に住む人はいない。教会や寺院、大統領府、大統領官邸などだけが残るクレムリン内部は意外にだだっ広い。小雪の中を足早に歩く。

「大砲の皇帝」前にて
Wikipedia - ツァーリ・プーシュカ(大砲の皇帝)

 「大砲の皇帝」と呼ばれる巨大な大砲の前で記念写真を撮る。この大砲は本当に使ったわけではないようだが、とにかく見応えのある代物だ。

「鐘の皇帝」
Wikipedia - ツァーリ・コロコル(鐘の皇帝)

 そばには「鐘の皇帝」と呼ばれるこれまた巨大な鐘もある。こちらもとにかく馬鹿でかい。こんなものを吊り下げて鳴らすことが出来たのか、はなはだ疑問だ。鋳造時か設置時に出来た裂け目が、人の背丈ほどの穴になっている。ここでも記念写真を撮る。雪で空が鈍色なので、露出が狂う。また、寒いので電池の消耗も気になる。何度も書くようだが、とにかくめちゃくちゃ寒い。K氏とO氏は手袋を持っていなかったので、ひどく寒そうにしてずっとポケットに手を突っ込んでいた。

イワン大帝の鐘楼

 場内にはいくつも寺院がある。まずイワン大帝の鐘楼を眺める。塔が立ち、大きな鐘がいくつも吊り下げられた鐘楼だ。ウラジオで見ていた寺院は、やはり地方の小さな建物だったのだという認識を新たにする。

ウスペンスキー大聖堂
Wikipedia - 生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)

 次にウスペンスキー大聖堂を見る。ロシア正教の寺院建築にはいくつも金色のドームが載っている。たくさんのドームは集中式と呼ばれ、ビザンティンの教会建築の特色だ。外から見ると、軒先にはいくつもアーチが掛かっていて、内部の天井はドームと交差ヴォールトによって支えられているようだ。

 大聖堂入口には、モザイクタイルで描かれた巨大な聖像がある。内部に入ると、内陣の壁一面に描かれたイコンが非常に立派だ。内部の撮影が禁止され写真に撮れなかったので、記憶はひどく曖昧なものになってしまったが、思わず居住まいを正してしまうような荘厳さだった。外は小雪が舞い、どんよりして見通しも悪い。外が薄暗いので教会内部も暗く、数々のイコンが神秘的な印象を強く与える。中はやはり暖かい。モアーッとしてサウナに入ったような気分にさえなる。そういう意味で気持ち良いので、寒い外へは出たくなくなってしまうのだが、時間もないので意を決して外へ出て、他を見て回る。

ブラゴヴェシェンスキー大聖堂
Wikipedia - 生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)

 次にブラゴヴェシェンスキー大聖堂を、そしてアルハンゲリスキー大聖堂を見る。一つずつ内部を見て回ってそれぞれ感動したのだが、写真等には残しておくことが出来なかった。せめて絵葉書や全体のガイドブックを購入しておけばよかったと悔やまれる。

アルハンゲリスキー大聖堂
Wikipedia - 聖天使首大聖堂(アルハンゲリスキー大聖堂)

 クレムリンは広い。まだ見るところはあるようだ。とにかく寒いのだが、体を丸めてユラさんについていく。この日は今年の冬になって一番寒い日だと彼も言っていた。朝の最低気温は-8℃だったらしい。どうりで全く寒いわけだ。

ロシア大統領府(左)とスパスカヤ塔

 ロシア大統領府(旧ソ連最高会議幹部会館)とスパスカヤ塔のそばを通る。大統領府はロシア共産党の中枢なのだが、警備は特になく、何となくそばを通ることが出来てしまった。スパスカヤ塔には大時計がつく。城壁には見張り用の塔がいくつもあるが、その中でもひときわ大きく目立つ塔だ。塔の頂部につく赤い星が共産主義国家を象徴している。一党独裁の社会自体は好きではないが、建物的にみるとこれが格好良く見えてしまうから困ったものだ。顧みて、日本に国家の偉大さを示すような建物はあるだろうか?。なんだかみんなスケールが一回り小さいようだ。

大クレムリン宮殿(右)と武器庫(中央奥)、ボロビツカヤ塔(左)

 大クレムリン宮殿を外から眺め、武器庫(武器宮殿)のわきを通ってボロビツカヤ塔からクレムリンの外へ出る。大クレムリン宮殿は黄色い壁と白い柱の装飾が壮麗で、普通なら5~6階建てに相当する高さの3階建て(内部は2階建て)の巨大な建物だった。しかしこの時は残念ながら中には入れなかった。黒塗りのベンツが列をなして遠くを走っており、誰だか知らないが要人の出入りもあるようだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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モスクワ到着

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 09:00 モスクワ郊外のDomodedovo空港に着陸。本当は前の日の夕方に着く予定だったが朝の到着になった。タラップの下まで出迎えの人が沢山来ていた。

Domodedovo空港   Google Map
Wikipedia - ドモジェドヴォ空港

 歩いて空港ビルまで行く。モスクワはめちゃくちゃ寒く、地吹雪が舞っていた。実は僕はこういう光景も初めてだった。

 09:30 Domodedovo空港を大型バスで素早く出て、雪の降る中、市内への高速道路をひたすら走る。空港から市街へはひたすら林の中を突っ切って行く道のようだ。

 バスに乗っているのは僕等だけだった。どうしてこういう扱いになったのかはよく判らない。ウラジオやハバロフスクではマイクロバスで14~15人乗っていたが、大型バスに7~8人というのは妙な心地だ。完全に貸切でどの席に座ろうが自由なので、右に左に席を替え、車窓の景色を楽しむことにする。

 途中やや渋滞する。原因はバスの事故見物で、現場にはラダのパトカーが止まっていた。

 ところで、空港を出るときAndreさんとNatashaさんは別行動になって、結局それっきりになってしまった。一応一緒には来たのだが、殆ど話もしなかった。彼等が何だったんだかさっぱりわからないのだった。

 近郊の道沿いで発電所(Google Map)を見かける。石炭火力のタービンの上屋なのだろうが、原発みたいな形なのが比較的街中にあるのでビックリする。更に行くと集合住宅団地がみえてくる。この手の団地は極めて多い。

 超高層の集合住宅群(Google Map)も見かける。80年代になってから多く作られている模様で、ウラジオよりも規模(戸数・高さ)が大きい。

 社会主義的な印象を与える近代的オフィスビル(ロシア陸軍士官学校:Google Map)も見られる。金色のタマネギを載せた寺院建築もチラッと見える。

ツェー・デー・テー・ホテル(Google Map

 10:45 ツェー・デー・テー(ЦДТ)・ホテルに到着。Check In。どんなホテルに泊まるのか期待していたのだが、予想を超え、35階建ての超高層ホテルに泊まることになる。調べてみたら1980年に建てられたそうだ。
 英語では、Central Tourist House Hotel(CTH)とのこと。


ホテルのパンフレット

 11:15 ロビーに集合して朝食をホテルのレストランでとる。モスクワ時間では朝食だが、睡眠サイクルから考えると夕食である。このあと更に昼食、夕食ととって、長い一日の間に5回も食事をすることになる。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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モスクワへ

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Vladivostok → Moscow

 03:40 僕らの他にも外国人4人が待合室に入って来る。35分で出発だという情報が入って皆起きる。ようやく飛行機に乗れる。この後9~10時間のFlightの予定だ。しかし結局4時過ぎに飛行機に搭乗。今度の飛行機はイリューシン62型(IL-62M)だった。荷物と同じ出口から駐機場に出て、歩いて飛行機へ向かい、タラップを上る。タラップ上から真夜中の空港の景色を撮る。

ウラジオストク空港(1992)   Google Map

 搭乗口付近で航空機関士と話をする。彼は1980年に初飛行したと言っていたが、飛行機のほうはもっと古く、1967年製だときいてビックリ。25年前の飛行機で、私が1才のときから飛んでいることになる。金属疲労なんかしてないのだろうかと少し不安になるが、飛行機はメンテナンスをやっていれば、10~25年ぐらいには故障や重大な事故が少ないという話を信じることにする。外国人待合室にいた私たちはとっとと乗ってしまったが、一般客はこのあと徐々に乗ってきた。そして機内は何となく例の体臭で満たされていった。

 06:00 ようやく離陸。結局15時間半の遅れだった!。半日以上もモスクワ滞在の時間が減ってしまったことになる。これから9時間あまり飛行機に乗るということは、15.5h+9h=24.5hで、まる1日=24時間を移動に費やしたことになる。上空に達した直後に太陽が昇り朝日が射し込むようになる。

 08:00 山地の上空を飛ぶ。真っ白な雪山とタイガが見える。

 10:00 朝食を食べる。黒パン、白いパン、ハンバーグ、ライス、サーモン、クッキー、それと持ってきたトマト。豪華ではないが、予想していたよりは食べられる。機内食のあとで、Andreさんがジュースや鶏肉、サラミ、キュウリなどの食べ物を持ってきてくれる。しかし我々は皆腹一杯で食べられない。好意には全く感謝する。

 飛行機はずっとツンドラ地帯を飛行している。大小の湖沼の間を川が蛇行しているのが眼下に見える。そのほとんどは凍っているようだった。高度がどの程度かわからないので、川幅などもよくわからない。とにかく初めて見るばかでかい景色だ。

 11:20時点で、下は全部真っ白な雪、その中に大小の河川が見える。氷原、雪原が続く。太陽から逃げるように飛ぶため景色はいつも朝だ。機内がやや明るいのと、景色に気を取られてつい下を眺めてしまうためと、いままでいたウラジオ時間では昼間であるため、ちょこちょこは寝ているのだが、本格的には寝られない。

 12:00 下界はほとんど同じ景色が続いている。時速数百kmなのに前へ進んでいる気がしない。多少うんざりする。長時間の飛行なので、同じ姿勢で過ごすのは窮屈で、腰や背中が痛くなってしまう。

 12:30頃に大きな川(オビ川だろうか。)を越えた。しかしその8~9割は氷で覆われており、川なのか海なのか、はたまた湖なのかさえもよく判らない。その20分後に、今度はウラル山脈かと思われる山地を越える。機体が少し南向きになり、極地からモスクワへ向かって南下しているのが感じられる。

 13:50 機体がまた少し西向きになる。下には道路か送電線かパイプラインといった線的なものが見える。雪はここでも結構積もっている。

 ウラジオとモスクワの時差は-7時間なので、時計を修正する。モスクワ時間で朝の08:30頃に着陸体勢に入る。だが、霧で視界不良だったのか、空港が混んでいて順番待ちだったのか、低空での旋回を30分以上繰り返す。雲の下に出て、空港や周辺の街の上空200~300mを有視界飛行で飛ぶのだ。着陸直前なのでスピードは抑えられており、また微妙な高度を保つため、エンジンのパワーの上げ下げを頻繁に繰り返している。飛行機が2度目の僕は、初めて経験することなので、こんなものなのかなぁとあまり怖くなかったが、F氏は相当怖がっていた。彼の目の前は座席ではなく仕切り壁だったので、いらついた彼は壁を蹴っていた。着陸後、彼は「あの状態があと10分続いたら俺、発狂してた!」と言ったのだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#飛行機  #夕景・夜景 
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