1992.10.7(Wed) Vladivostok
15:00 バスで港へ行き、湾内クルーズに向かう。
15:20 港で一時解散。港には戦艦や病院船が係留されていた。一昔前までは外国人はこの街には全く入れなかったという。ましてや軍艦が停泊しているのを間近に見るなどということは不可能な話だった。しかし時代は変わり、軍艦を近くで平気で見ることができ、写真さえ撮ることができる。実はこの軍艦は燃料不足であまり動けないらしい。それは軍艦じゃないよなーとか思うのだが・・・。ただ、後年、調べたところでは、この船は展示用のもので、ほんとの艦船は金角湾のもっと奥や少し離れた島の湾にいるらしい。
S-56潜水艦 Google Map
Wikipedia - S型潜水艦
I氏と周辺を散歩する。波止場には使われているのかわからない線路があった。港湾関係の引き込線らしい。
近くの公園には第二次世界大戦当時も使われていた潜水艦が展示してあった。地元の子供たちと一緒になってF氏らは潜水艦内部を見学。公園の片隅に小さなバラックの箱のような建物があって、その中には西側のゲーム機があり、これで遊んでいる子供たちもいた。しかし日本人にはこの小さなボックスという物もよくわからない。コインを入れると自動的に遊べるシステムに恐らくなっていないのだろう。管理のおじさんにお金を払ってボックスに入るシステムである。時間が来ると店のおやじが「はい終わり」というのだが、子供が「もうちょっと!」とかいってボックスの中から叫んでいるようだった。日本では無人化されているような物事の全てが、やや前時代的なのがとにかく印象的だ。
しばらくしてから波止場に戻り、レモンジュース(30RB)を買う。
16:00、船に乗る。
さきほど船着き場でも見ていたロシア極東艦隊の駆逐艦?を前方から間近に見る。隣には白い病院船もいる。
係留されている艦船 Google Map
ウラジオにはミンスクという有名な航空母艦があったのだが、この日は見ることができなかった。ミンスクは冷戦時代はしばしば日本近海で示威活動を行い、そのたびにニュースその他で大々的に報じられた航空母艦だ。街のそばに停泊している駆逐艦などとはけた違いに大きいはずなのだが、見ることができず残念だった。
ところが帰国後しばらくして、ミンスクは既にお役後免になっていたことが報道された。なんでも最期は機関が壊れて動けない状態だったということ。最強とも呼ばれた艦船の最期としては哀れな感じ。スクラップとなるべくインドに曳航されてしまったという話だったが、更に解体費用をめぐって交渉が決裂し、しばらく海上のゴミ状態になってしまった。その後、今度は韓国企業にスクラップとして売却されたがそこでも解体されず、更に中国企業に転売され、なぜか中国の深センで軍事テーマパーク・ミンスクワールドとなったのだという(2011年現在も営業してるんだとか。)。
またミンスクは、現在アメリカが保有するような超巨大航空母艦ではなく、基準排水量 36,000tの、キエフ級航空巡洋艦と呼ばれるものだったという。とはいえ、旧ソ連では最大級のいわゆる航空母艦だったようだ。
Wikipedia - ミンスク (空母)
湾内には水中翼船も高速で走っていた。湾が非常に細長いので、街の中心と対岸の交通のために、結構、船が使われているようだ。乗るんだったらむしろこっちの方に乗りたかったかも。
渡し舟から港と中心市街地方面
しかしどうも様子が変だった、というのは一般人も大勢その船に乗っていたのだ。湾内クルーズだと言っていたので、チャーターしてくれたのかと思っていたら、全然、そんなものではなかった。また観光船でも無いようで、地元の普通のおじさんやおばさんが、買い物のためか仕事のために乗船していた。当然、船は金角湾を周遊したりせず、そのまま湾を出てとなりの湾へと向かってしまった。要するにこの船は、湾内クルーズなどではなく、単なる渡し舟だったのだ。そんなわけで、金角湾の奥の方にいる潜水艦や軍艦の姿を見ることはできなかった。残念だったがまあ仕方ない。何日かするとこの程度ではさほど驚かなくなってくる。
古いタイプの荷揚げ用クレーン群
船の甲板から港を見ていると、形がやや異なりきれいに塗られたクレーンが一部にあった。私がそれを指してあれは新しいタイプのクレーンだと言ったら、何だかみんなとても驚いていた。F氏が「メーニアック!」などと笑い叫ぶので参ってしまった。型が違うのぐらい大した知識ではないんだけど・・・。ウラジオ港では、コンテナが日本ほどは使われていないようだった。クレーンが巨大な網でざっくり農産物の袋を吊り上げていたり、一つずつ荷揚げしているような状態で、そのへんも、いつのまにか西側とかなりのズレができてしまっているのだなと感じられるのだった。
浮きドックでは船舶の修理中?
湾内にはいくつかの浮きドックも見られた。極東最大の港は同時に最大の造船所でもあるらしい。
後で聞いた話だと、金角湾の奥には維持ができなくなり使えなくなった潜水艦が何隻も沈んでいるということだった。それって原子力潜水艦なの?。で、また後日、ウラジオ近郊の別の湾で、沈んでいた原潜から放射能が漏れていたとの新聞記事が出て、またまたビックリ。
16:20 隣の湾の最奥部に到着。当たり前だが、ほとんどの人はここで下船してしまった。しかし僕らはここで降りてしまうと戻れないので、下船せずにまたもと来たルートを戻る。16:30に出発。わりあいきっちり30分おきに行き来しているようだ。渡し舟で湾の外まで出たことで、街の周辺の様子は何となくわかったが、皆、湾内クルーズだとばかり思っていたので、その落差は激しく、なんだか残念な船旅となってしまったのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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