都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

空港待合室に泊まる

1992-10-12 | ロシア  

1992.10.12(Mon) Vladivostok

 17:30 ウラジオストク空港に戻る。H君、Y君、Sさん、アレキサンドル氏とお別れ。次はハバロフスクで会う予定。彼等はバスで街に戻り、モスクワへ向かう僕等5人とAndre氏、Natashaさんは空港に残された。すぐ飛行機が出るなら良いが、そうではないので文字通り空港に取り残され、足止めである。去り際のバスに向かってF氏が、置いてかないでくれぇーっとわざと言って皆を笑わせる。

 一段落して外国人専用待合室で時間をつぶす。日記を書く。溜まった分も書く。K氏、O氏は本を読む。I氏は寝る。F氏はスケッチをしている。TVではVostok TV、BIBなるものも放送している。19:00からИТАでロシアのTVニュースを見る。いろいろな内容を放送しているが理解できるのは半分以下。今、ロシアではディズニーが流行っているそうだ。アメリカのギャグアニメやドナルドダック、ミッキーマウスもTVでは流れている。

 19:30 空港のレストランにて夕食。F氏が椅子を後ろに傾けて2本足状態にしていたところ、椅子が潰れて壊れてしまった。ホゾの部分がゆるい椅子をガタガタやっていたものだから外れてしまったようだ。飛行機は故障のため更に遅れ、明日の04:30になるということが判明。はてさてどんな故障やら、乗れたとしてもまた故障することはないのだろうかと心配になる。

 20:00 Andre氏とNatashaさんとF氏、O氏、私でUNOをやる。Andre氏とNatashaさんは二人とも日本語は皆目出来ない。ウラジオではイーゴリさんがいたから少しは周辺の状況も判ったが、今度は完全にロシア語か英語のみである。互いにその英語も怪しいのでもどかしいことが多い。二人は最初はUNOのやり方を知らなかったが、F氏などがブロークンの英語で教えてあげた結果できるようになり、途中では時折勝ったりするようにもなった。10回やって結局一番勝ったのはF氏、ビリは私だった。彼の隣だとどうもうまくいかない。

 22:00 UNOをやめて日記の続きをまた書く。I氏とK氏は寝る。I氏は全くよく寝る。どこでもよく寝るので彼は日中いたって元気だ。一方、K氏は少し体調が悪いと言っている。F氏は私の本(椎名誠の「ロシアにおけるニタリノフの便座について」)を読んでいたが、ソファーにゴロッと横になってうつらうつらし始める。彼の場合、横になるとたいがい眠りに落ちる直前である。

 23:00 かなり時差のある場所へと移動するので、いつ寝たらよいか分からないのだが、皆が寝始めたのでO氏と私も寝ることにする。しかし、寝やすい場所はI氏やK氏に先にとられてしまい、私やO氏は椅子を組み合わせて不自然な体勢で寝ることを強いられた。こういうときは先に寝たもん勝ちだ。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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孤児院見学

1992-10-12 | ロシア  

1992.10.12(Mon) Vladivostok

 15:30、平和委員会の人の案内で、空港から4km程度離れた所にある孤児院へ向かう。

 16:00、孤児院に到着。外壁がタイル張りの近代的な3F建て建物だ。タイルで子供や太陽の絵が描かれ、児童・少年教育施設であることが表されている。ロシアにはモニュメントも多いが、このようなモザイク壁画が作られていることも多いようだ。ここには3~17才の身寄りがない、もしくは何らかの事情で両親と同居できない少年少女がいるという。家庭の事情と言われてもにわかには思いつかないが、例えば親が暴力を振るったり、アルコール中毒である家庭などだそうだ。寒いからかロシアではアル中が特に多いという。ウォッカを沢山呑んでしまうからだろうか。

 孤児院の先生は、突然の訪問者である私達を皆暖かく出迎えてくれた。どうぞどうぞ御覧になって下さい、という感じ。しかし訪れたこちらはやや複雑な気分だ。飛行機待ちの間の突然の訪問である上、どちらかといえば観光モードのはずなのに、まじめに見学することになってしまった。

 恐らく平和委員会という福祉系の団体だからなのだろうが、なぜ孤児院を訪れなければならなかったのかが、いまひとつ判らない。日本なら、時間が空いたら何かもう一つ観光地に行くところだ。或いは問題提起をして協力を訴えているのかもしれないが、そうだとしたらやや相手が違うような気もする。こういうところに行くのが嫌だというわけではないが、本来の渡航目的がそういう視察ではなかったので対応に苦慮してしまう。そんなわけでやや及び腰になりながら施設を見学することになった。もちろんこのようなやや不幸な境遇の子供達にも、例えば日本人という外国人と接する機会を与え刺激を与える、というのは一つの考えとして理解は出来るのだが・・・。

 施設の中をくまなく見て回るのにさほど時間は掛からない。小さな子がいろいろなことを教わっていたり、少女がミシンでちょっとした服を作っていたりする。作ったものは売ったりして収入の足しにもしているらしい。マンドリンやバラライカの合奏を披露してくれた子供達もいた。確かに、こんなに可愛らしい子供達が親と離れてここで生活しなければならないというのを目にすると複雑な気分になる。また私たちがそれに対して特に何かを出来るわけではないというのも、無力感があることだった。ただどうやら、今回の我々の旅費から平和委員会が得る収入の一部は、これらの事業に回っているようであり、そういう意味では少しホッとする。もしかすると収入の使途の一端をPRしていたのかもしれない。そう考えると少し私たちも安堵するのだった。

 食堂はこぎれいになっている。その壁には周辺の森の様子が描かれており、これも子供達の作品だという。傍から見ると可哀相にも思えるのだが、彼らがはにかみながらも明るい笑顔をしていたのを見て、ここにいる方が場合によっては幸せであることもあるのかもしれないとも思う。

 彼らと記念写真を撮り、私たちはまたバスに乗って孤児院を後にした。別れ際、見えなくなるまで子供達が入口に立って手を降り続けていたのが印象的だった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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ウラジオストク空港

1992-10-12 | ロシア  

1992.10.12(Mon) Vladivostok

 12:15 ウラジオストク空港に到着、バスを降りてから荷物を空港の係に預けて、外国人専用待合室に入る。添乗員のSさんやアレキサンドル氏と一時別れるので、ここで記念写真を撮る。英語の先生のタマーラおばさんも一緒に見送りに来てくれた。モスクワへは平和委員会のAndre氏とNatashaさんが付いて行ってくれるという。同行者がいるのはとりあえず心強い。

 外国人専用待合室にはTVが置いてあって、ロシアのTV番組を見ることが出来た。ИТАという局のニュースで、ロシアでは元軍人の勲章が、インフレによる年金生活者の生活費の不足から街頭で売られているという。またロシア正教が最近人気であること、中国の動向、スポーツの話題などをやっていた。ロシア語が分からなくてもTVなら映像で意外と内容が分かる。

ウラジオストク空港(1992)   Google Map

 14:30の飛行機だったので待ち時間は1時間程度のはずだった。しかし13:30頃になって、予定の飛行機が故障のため中央アジアのどこかの飛行場をまだ飛び立っておらず、従ってその飛行機がこちらに来て、準備をしてからモスクワへ向かうのは、12時間遅れの夜中の2時、つまり半日遅れて次の日になってしまうということが判明した。バタバタしながら空港へ急いできたのに、このようなことになるとはと、一同溜息をついてグッタリする。

 いきなり暇になってしまったので、空港内を見て回る。僕等は特別待合室にいたが、普通の待合室の方は一般のロシア人が沢山いる。しかしいかんせん臭い。ロシア人は割に皆、体臭があり、強い汗臭さがある。またかなり匂いの強い煙草を吸う人も多い。それらの臭いが待合室に充満しているのでたまらない。

 飛行機を待つ人の中に、大きな麻袋をいくつも抱えていたり背負っている人々がいる。後で判ったのだが、彼等は中国へ衣類を買い付けに行っているロシア人だという。大量の衣類を手荷物として持ち込み、国内の方々へ向かうらしい。中ソ国境に近い街ならではの風景だ。着陸した飛行機から荷物がボトボト落とされていたのを、荒っぽいと思っていたが、あれは彼等の荷物で衣類だからのことのようだった。

ウラジオストク空港ロビー

 待合室の片隅に行くと電子音がする。音を辿って地下に降りると、そこには薄暗い小部屋があって、大人も子供も静かに、しかし熱くTVゲームをしていた。一心に画面を見つめる子等の異様な熱気にやや圧倒されつつ1Fに戻る。さすがに中に混じってゲームをする気にはなれなかった。そういえばテトリスはロシアで創られたゲームだ。ロシアもあなどれない。

 14:30 空港のレストランで昼食。クリームシチューのようなものが、壺入りで出てくる。熱かったがこれはとても美味しかった。食後そのまましばらく話していると、厨房の方から水がジワジワ流れてくる。何事かと思ったら、厨房の水道が破裂したという。そうこうしている内に2Fは水浸しになってしまった。そんな状況なのに食堂のおばちゃんは「全くいやになっちゃうわねぇ」という感じで肩をすくめ、両手を上げてニコニコしている。オイオイそんなにのんびりしてていいのかよっ、と言いたくなるが、この調子がロシア式なのかもしれない。

 ところでこちらではレストランを、PECTOPAHと綴り、これでレストランと発音するのだが、ついペクトパーと読みたくなってしまう。そんな読み方をしてももちろん通じないが、綴る時にはそう覚えておくと便利だ。


2013年追記 
 改めてウラジオストク空港を検索したら、1999年に国際線ターミナルビルが完成し、2006年には国内線ターミナルも改築されたという。また2012年に行われたAPECの際に更に改修がされ、新国際旅客ターミナルが建設されたのだそうだ。90年代前半までは地方都市の小さな飛行場という感じだったが、現在はかなり立派になったようで、全く様子が変わったようだ。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#飛行機
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ウラジオ市内調査最終日

1992-10-12 | ロシア  

1992.10.12(Mon) Vladivostok

 07:45 起床。朝はやはり少し寒い。昨晩閉め出しを食った大学の女子学生達からの連絡はなく、なにも変わったことがないかのごとく今朝は静かだ。今日の午後、私たち、M2の5人はモスクワへ向かう。ウラジオストクには約一週間滞在した。街路調査などをしたので街の大体の様子は把握することが出来た。ただ、のんびり観光が出来なかったのはやや残念だった。朝、寮を出たらもうここには戻らないので、全てをスーツケースに詰めて準備を整える。断水などもあって印象的だったので、ドミトリーのトイレとシャワーの写真を撮っておく。

ドミトリーのトイレとシャワー

 08:30 部屋を出てバスに荷物を積み込む。すぐに出発の予定だったが、少し遅れて9時少し前に寮を出発。S氏は体調不良で、今日は一日寮で休むことになる。一週間泊まっていた寮も見納め。ここに来ることは二度とないかもしれない。

 09:10 ウラジオストクホテルにて朝食。相変わらず窓ガラスが破れていて寒い。09:50にバスでホテルを出る。

 10:00 昨日の打ち合わせ通り、午前中のField作業を行う。

 市役所前に行くがジェルジンスキー像は見つからず。台座もなく存在の痕跡は全くない。ソビエト崩壊の後、やはりKGBの創設者たるジェルジンスキーの像は、目の敵にされて真っ先に打ち壊されたのだろうか。人物崇拝が形になっている場合、体制が替わると明確にこのような変化が起こる。

モルドツェフ横町   Google Map
(ул. Мордовцва(モルドフツヴァ通り))

 像が見つからなかったので、私の今日の調査担当分は早くも終了してしまった。最後に少し自由時間ができたので、観光モードでグムへ行きショッピングをすることにする。途中、スハーノフ通りで塔のある建物を見掛けるが、詳細は不明。

スハーノフ通り、塔のある建物   Google Map

 グム百貨店をぶらぶらする。グムはあくまでも百貨店であって土産物屋ではないので、プレゼントになるような物はあまり売っておらず、日用品が中心の品揃えだ。毛皮のコートとかはあるが、こちらはやや高い。かといって毛皮の帽子を買っても日本ではあまり使う機会もない。また百貨店とはいっても3、4階建てで日本の地方都市の昔の小ぶりなもの程度なので、ブランド品が所狭しと並ぶ都会のデパートとは異なる。

 しばらく店内を見ていたら同行のF氏に出会う。狭い街で旅行者が行くところも限られているため、このような遭遇はしばしば起こる。彼と共に時計売場へ行き、ショーケースの中にあった腕時計を買うことにする。電池式で810RB、クォーツではない。また電池のタイプが特殊なようで、寿命が来て止まったら日本では交換用の電池がなさそうだ。しかしまあ良い。810RBと言えば、換算すると324円にしかならない。結局この時計は帰国後、誰かにあげてしまった。一方、F氏は少し大きめの時計を買っていた。モスクワでならいろいろ買えるだろうということで、お金はあまり使わず残しておくことにする。

 11:30 中央広場に集合し、正午少し前にバスで空港に向かう。やや疲れて車中でウトウトする。途中に壊れかけた教会があったが、どちらかというとこの建物の方が昔の写真の建物に似ていた。しかし立地や背景の様子などの周辺状況は異なる。また郊外の方では紅葉が非常に美しかった。昨日、女子大生達が紅葉狩りに行っていたというのに納得。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #街並み 海外  #道 
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