打越通信

日記ふういろいろ

カントリーロード

2016-03-20 21:15:26 | 日記ふう
朝6時過ぎに目が覚めた。
いつもより少し遅かった。
同時に妻が起きてきて
「納骨堂の清掃があるので水俣に帰ろう」
言う。
いつもは私が言い出す事を、なんと妻が言い出したのにはビックリした。
毎日の家の整理で疲れていたのであまり乗る気では無かったが、すぐに着替えて家を出た。
今年はうるう年なので3月20日が春分の日(昼と夜の長さが同じ日)となる。
家を出て坪井川遊水地公園を過ぎると綺麗な朝焼けに朝日が出ていた。
掃除は8時からというので高速に乗らないと間に合いそうに無い。
今住んでいるところから一番近いインタチェンジと言えば、熊本IC、益城IC、御船ICなどあるがどれも近い距離とは言えない。
たとえば熊本ICまで行く間に混んでいなければ松橋ICへ行った方が実家には近い。
しかし市内のど真ん中を通るため混雑があるのだ。
朝の6時30分、思ったより空いていた。
片側2車線の国道3号線は連休の中日というのにクルマは少なかった。

実家までの道はこれまで何回通っただろう。
実家の水俣には中学と高校時代にしか住んだことが無い。
祖父の時代に家を建て住み始めたのが始まりのようだ。
長男であった祖父は小学校の先生ということがあり、転勤族だったため実家のあとをとらず、一番したの弟があとをとった。
祖父は定年を迎え、譲り受けた土地に家を建て移り済んだ。
親父も長男だったが同じく教職の道を選び、同じく転勤族だった。
転勤族は私が小学6年から高校を卒業するまでの7年間だけ両親と同居した。
そして親父達も定年を迎え祖父が譲り受けた土地に戻った。
そんな子供の頃、年末になると父とクルマに乗り正月用品などを買いに行くクルマのカーラジオでジョン・デンバーのカントリーロードが良く流れていた。
ウエスタン調の本来、明るい曲なのだが何となく哀愁を感じていた。
学生時代、東京の街でこの曲が流れていると、思わず立ち止まって聴いた。
故郷へ帰ろう TAKE ME HOME がこの曲の本来の意味なのだ。
この曲を聴くたびにふるさとを思ったものだ。
そして今日もこうしてこの道を実家に向かう。



芦北ICから終点は津奈木ICまで自動車道は延長していた。



津奈木ICから実家までは10分程度だ。
納骨堂に行き、納骨堂の周りの草取りをした。



近所の人たち(かなり多くの人たちだった)が集まり、掃除は30分程度で終わり、彼岸という事もありお坊さんが来てお経をあげる。
納骨堂の中に座り一緒にお参りをする。
そのあと、実家の掃除を済ませ、実家をあとにしたとき、自動車道から遠く天草諸島に夕日が落ちようとしていた。

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