☆ 女人禁制:角突きも? 新潟「山古志闘牛大会」でも議論へ https://mainichi.jp/articles/20180426/k00/00e/040/238000c?fm=mnm
私は思わず眼鏡をズリおとしそうになった。 闘牛とも称されるが、スペインのあの闘牛ではなく、牛が角で頭を押し合い、退いた牛が負けになる、例の行事だ。
全国至る所で見られるあれは収穫への感謝を基調とした民俗行事であり、自然崇拝の面からアニミズムたる神道との繋がりもあったのだろう。
水田稲作農業で成り立ってきた日本列島。五穀豊穣を願い、自然の恵みに感謝する気持ちは世界中どこでも同じだろうが、そこに自然畏敬から<カミ←カムイ(アイヌ語)>を抱き、
神道という生霊信仰が生まれた。願い事、頼み事、祝い事など全てが「神道」儀式に収斂されていったのが日本の土着宗教だ。今更、こんな基礎知識を述べるのは烏滸がましいが、
敢えて復習の意味で掲げる。 失礼ながら、現代生活に潜む原始宗教の残渣と近代人権価値の抵触に想いを致すことは、そう簡単ではないからだ。
牛が角を突き合わせるカタチを誰かが「相撲」になぞらえたところから<神事の匂い>が装われ、それで女人禁制も人間のとる相撲同様に模倣・導入されたのだろう。此の比定推移が
私にはフォローできない。 男尊女卑を男も女も疑いなく受け入れていた古代の人々にとり、なぜ神様は男だけが清らかだというのか、を可笑しいとは感じなかった。
其の当時の感性そのままを疑わない人々が今も居て、封建国家から卒業した筈の21世紀で、まだ論理矛盾に目をつぶり、押し通そうとする先にいったい何があるのか???
何と言われようが、論理など糞くらえで女人禁制を未だに通そうとする貴方がた、情緒を離れ、冷静に考えましたか?
私は思わず眼鏡をズリおとしそうになった。 闘牛とも称されるが、スペインのあの闘牛ではなく、牛が角で頭を押し合い、退いた牛が負けになる、例の行事だ。
全国至る所で見られるあれは収穫への感謝を基調とした民俗行事であり、自然崇拝の面からアニミズムたる神道との繋がりもあったのだろう。
水田稲作農業で成り立ってきた日本列島。五穀豊穣を願い、自然の恵みに感謝する気持ちは世界中どこでも同じだろうが、そこに自然畏敬から<カミ←カムイ(アイヌ語)>を抱き、
神道という生霊信仰が生まれた。願い事、頼み事、祝い事など全てが「神道」儀式に収斂されていったのが日本の土着宗教だ。今更、こんな基礎知識を述べるのは烏滸がましいが、
敢えて復習の意味で掲げる。 失礼ながら、現代生活に潜む原始宗教の残渣と近代人権価値の抵触に想いを致すことは、そう簡単ではないからだ。
牛が角を突き合わせるカタチを誰かが「相撲」になぞらえたところから<神事の匂い>が装われ、それで女人禁制も人間のとる相撲同様に模倣・導入されたのだろう。此の比定推移が
私にはフォローできない。 男尊女卑を男も女も疑いなく受け入れていた古代の人々にとり、なぜ神様は男だけが清らかだというのか、を可笑しいとは感じなかった。
其の当時の感性そのままを疑わない人々が今も居て、封建国家から卒業した筈の21世紀で、まだ論理矛盾に目をつぶり、押し通そうとする先にいったい何があるのか???
何と言われようが、論理など糞くらえで女人禁制を未だに通そうとする貴方がた、情緒を離れ、冷静に考えましたか?