静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 絶滅危惧人種の 繰り言 ≫  発話するアナウンサー/ゲストの音声にかぶせる  イメージサウンドを流すな! 「ながら族」称揚は言葉軽視そのもの

2017-08-12 23:16:00 | トーク・ネットTalk Net
 放送における音声の重なり/かぶせ、これが一体いつ頃始まったのか私には記憶が定かではない。 NHK含むTV 各局とも定時ニュース番組までは流石に侵されていないが、他の番組では
 アナウンサー/ナレーター/ゲストなどが話している際中、いつも小さい音量で何やら音が流される。 恰も、それが効果音だと音響係は疑いなく信じているのだろう? としか私には解釈
 できない。  言っておくが、商品売り込み目的の放送用に創られた音楽/キャッチフレーズの洪水とは異なる性質の弊害を私は問題にしているのだ。

 人の話し声と同時に人の声以外の音を同じ時空に流すのは、若い音響係の人々の思惑とは違い、聞いている側にとり、本来耳を傾けている音声とは全く別の、多くの場合は聴きたい声との関係性など無縁の音波振動が加わり、本当に捉えたい言葉を聞き分ける為には無駄な作業負担でしかない。 俗な言い方でいうなら、思考を妨げる「雑音の選り分け」でしかないのだ。
 
 私がTV画面で此の煩瑣に気づき嘆くたび、「それが 今の若い世代が育った音響環境の産物なのよ」と妻はのたまう。 多分、この裏流し音声の隆盛ぶりから判断すると、人が喋っている際中に流された違う音を「雑音」と受け取るのは嘗て、そのような環境を体験しないまま分別盛りに至った年齢層だけだろう。 それは、人数として明らかに今や少数派である。

 私は思う。 <ながら族感覚>そのものの”音と言葉のアマルガム状態”あるいは”音に侵された言葉の自立喪失”こそ、他人の言葉を丹念に聞き分け、頭に受け入れ咀嚼する、そして自分の言葉を紡ぎだす知性の涵養機会を若人から失わせている元凶ではなかろうか????
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