静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評;040-10-2     < 英語で読む万葉集 >  りービ英雄  岩波新書 920

2015-06-02 11:34:25 | 書評
  ≪  6. 柿本人麿 世界の古代文学の最高峰 ≫  その2.
* 淡海(あふみ)の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ                 (柿本人麿:巻3・二六六)
 Plover skimming evening waves on the Omi Sea, when you cry so my heart trails, pliantly down to the paast.
 この短歌は、5月21日投稿≪ 1.ちいさな「くに」の雄大な構想力 ≫で引用した「大津京」の廃墟を通り過ぎた時に詠んだ長歌と呼応する。即ち、宮廷内の争闘が終わり奈良に都が落ち着く以前、滋賀県大津に仮の内裏が造営されたが、やがて放擲され、荒れ野に変わり果てた姿に世の無常を謳った詩心に繋がる。
 一見、この歌が万葉集ではなく平安期の作品といわれても違和感がないくらい、私には繊細且つ静寂さに満ちた歌だ。その繊細さをどう英語に置くか?
リービ氏は、「心もしのに」の「しのに」の原型「しなえる≒撓う」の英訳に苦しみ、drooping ではなく「しなやかに」に近い plaintly を選んだと言う。氏が人麿を「最高峰」と呼ぶ所以は、ホ―メロスにも比肩すると彼が感じる構想力の一方で、かくもたおやかな詩情をも表現する幅の広さであろうか、と私は思う。

さて、もうひとつこの短歌から私が触発されたことは、「ちどり」の演じる役割が人麿の此の短歌と<百人一首>に後世とり上げられる名歌でも、よく似ている点である。”どこか淋しい””頼りなげな”イメージが此の鳥の歩き方や鳴き声から醸し出されてきたならば、まさに当を得た役割だ。 尤も、人麿は廃墟を偲ぶ世のはかなさ、栄華のむなしさに千鳥を援用したのに対し、平安王朝歌人は”恋心の移ろいやすさ”の形容に用いたので違うといえば違うのだが。 時代的には云うまでも無く人麿の短歌が早いわけで、後世の歌人がそれを使ったことになる。  いやいや、どっこい「夕波チドリ」のフレーズは現代の艶歌まで生きている。
 改めていうのも失礼なことだが、このリービ氏の日本語へのセンス/造詣の深さはどうだ。 私は全く恐れ入り脱帽するしかない。  ≪ つづく ≫
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☆ 2015.06.02   ≪ 低脳? 安倍 ≫  ≪ コオロギなら食べるのか? ≫

2015-06-02 10:01:02 | トーク・ネットTalk Net
  ☆  安倍首相:やじ飛ばす、回りくどい…答弁が波紋  http://mainichi.jp/select/news/20150602k0000m010106000c.html?fm=mnm
                        
    安倍晋三氏は日本国内閣総理大臣としての資質を欠き、知性/品性/教養水準いずれも歴代首相の中で最低だ。
   「国民は自分の程度に見合った政治家しか選べない」との格言が、今ほど真実味をもって耳に痛い日々はない。恥ずかしく腹立たしい。
    自民党支持者の方々は、これでも尚、この人に任せるのだろうか?  こんな選挙制度/議会制度で大丈夫か???

  ☆  コオロギを食べよう 米で養殖農場など相次ぐ  http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H7F_Q5A530C1FFB000/
    これまた、先日の<イルカvsフォアグラ>にも引っかかる。 西洋文化の動物愛護情緒に抵触せず、工業的に再生産できる生き物ならば
    「形・生態・捕獲方法」を問うことなく、食べられるものは食べよう、家畜の飼料でもいいじゃないか。 ・・・・そういうことなのだ。
    信州には蜂の子を食べる習慣があるね。私も幼い頃、バッタやイナゴをおやつに食べた。  ようやく君たちも仲間入りかい?
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書評;040-10-1     < 英語で読む万葉集 >  りービ英雄  岩波新書 920

2015-06-02 09:42:21 | 書評
  ≪ 6. 柿本人麿 世界の古代文学の最高峰 ≫  その1.
 リービ氏は、なんと人麿に1章を立て、褒めちぎっている。それは、のちの9章「山上憶良 絶叫の挽歌」で同じく憶良一人を論じているのに似ているが、「世界の古代文学の最高峰」とまで言い切るには、それなりの主張があるに違いない。 前も触れたが、西洋文学の基礎教養に育ったリービ氏にとり、古代文学といえばホ―メロスが規範であり、それを比較に出して人麿の詩人としての偉大さを熱心に説く。なんでも欧米の万葉集研究者の間で、下記の長歌は”One Ninty Nine ”と称され<和歌のエヴェレスト>の如く聳え立っているそうだ。
  彼が力説するとおり万葉集、特に7世紀に生きた人々の初期作品は長歌が主流であり、長歌への反歌としての短歌の位置づけが守られている。人麿の多くの長歌は風景に仮借した抒情詩であり、古代西洋世界及び唐期の漢詩では主流である叙事詩は少ない。それでも、人麿の長歌は書き言葉としての日本語がようやく確立し始めた頃でありながら、どこか大陸的・叙事的な香りを大和言葉で実現している、とリービ氏は指摘する。
* ・・・整ふる 鼓の音は 雷(いかづち)の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎か吠ゆると諸人の おびゆるまでに 
指挙(ささげ)たる 旗の靡きは冬ごもり 春去り来れば 野ごとにつきてある火の 風のむた靡くがごとく  取り持てる弓はずの騒ぎ み雪降る 冬の林に 
つむじかも い巻き渡ると 思ふまで・・・・・・・・                          (柿本人麿:巻2・一九九)

 此の長歌(一九九)の全体は引用部分のおよそ4倍ある。改めて岩波文庫を繙きながら読み進むうち、私は次のことに思い当たった。即ち「今も正月に皇居で行う歌会で、選出された短歌は独特の長い節回しで詠まれている。ひょっとして、万葉の昔、このような長歌こそ抑揚豊かに当時の古代日本語の発音で詠み合わされたのではないだろうか?」という連想である。長歌こそが抒情詩であろうがなかろうが、抑揚をつけて文字どおり「歌」われていたのでは? (だとしても、あの歌回初めに遺る節回しが伝統を正しく伝える歌い方なのか、誰もわからない)。然し大事なことは、漢詩においても五言・七言の音律に定まるまでは、一行が必ずしも五や七文字ではなく謂わば自由詩であったたように、三十一文字の短歌が後の世に主流となり長歌が姿を消す前は、長歌が事実上は自由詩の形式であったといって良いのではないか? さて、この長歌一九九でもリービ氏は、英語への翻訳にあたり何に苦労したか、熱っぽく語る。  それはそれで面白いが、先を急ごう。

* 。。。大鳥の 羽易(はがひ)の山に 汝がふる 妹(いも)は座主(いま)すと 人の云へば 岩根割くみて なづみ来し
     良けくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にて座せば。。。。。               (柿本人麿:巻2・二一三)
   And so when someone said," The wife you long for dwells on Hagai Mountain, of the great bird," I struggled up here, kicking the rocks apart,
   but it did no good: my wife, whom I thought was of this world, is ash.
これまた長歌の全体は引用部分の4倍はあるほど長い。引用された下りは、都務めのため残してきた妻子に会うため旧宅に戻る途中、妻が居ると人に云われた場所へ着くと、いとしい妻は死んで「灰」になっていた、という胸張り裂けるところだ。前半部分は別れを偲ぶ旧懐であり、いつの世も胸を打つ。 ≪ つづく ≫
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