≪ 6. 柿本人麿 世界の古代文学の最高峰 ≫ その2.
* 淡海(あふみ)の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ (柿本人麿:巻3・二六六)
Plover skimming evening waves on the Omi Sea, when you cry so my heart trails, pliantly down to the paast.
この短歌は、5月21日投稿≪ 1.ちいさな「くに」の雄大な構想力 ≫で引用した「大津京」の廃墟を通り過ぎた時に詠んだ長歌と呼応する。即ち、宮廷内の争闘が終わり奈良に都が落ち着く以前、滋賀県大津に仮の内裏が造営されたが、やがて放擲され、荒れ野に変わり果てた姿に世の無常を謳った詩心に繋がる。
一見、この歌が万葉集ではなく平安期の作品といわれても違和感がないくらい、私には繊細且つ静寂さに満ちた歌だ。その繊細さをどう英語に置くか?
リービ氏は、「心もしのに」の「しのに」の原型「しなえる≒撓う」の英訳に苦しみ、drooping ではなく「しなやかに」に近い plaintly を選んだと言う。氏が人麿を「最高峰」と呼ぶ所以は、ホ―メロスにも比肩すると彼が感じる構想力の一方で、かくもたおやかな詩情をも表現する幅の広さであろうか、と私は思う。
さて、もうひとつこの短歌から私が触発されたことは、「ちどり」の演じる役割が人麿の此の短歌と<百人一首>に後世とり上げられる名歌でも、よく似ている点である。”どこか淋しい””頼りなげな”イメージが此の鳥の歩き方や鳴き声から醸し出されてきたならば、まさに当を得た役割だ。 尤も、人麿は廃墟を偲ぶ世のはかなさ、栄華のむなしさに千鳥を援用したのに対し、平安王朝歌人は”恋心の移ろいやすさ”の形容に用いたので違うといえば違うのだが。 時代的には云うまでも無く人麿の短歌が早いわけで、後世の歌人がそれを使ったことになる。 いやいや、どっこい「夕波チドリ」のフレーズは現代の艶歌まで生きている。
改めていうのも失礼なことだが、このリービ氏の日本語へのセンス/造詣の深さはどうだ。 私は全く恐れ入り脱帽するしかない。 ≪ つづく ≫
* 淡海(あふみ)の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ (柿本人麿:巻3・二六六)
Plover skimming evening waves on the Omi Sea, when you cry so my heart trails, pliantly down to the paast.
この短歌は、5月21日投稿≪ 1.ちいさな「くに」の雄大な構想力 ≫で引用した「大津京」の廃墟を通り過ぎた時に詠んだ長歌と呼応する。即ち、宮廷内の争闘が終わり奈良に都が落ち着く以前、滋賀県大津に仮の内裏が造営されたが、やがて放擲され、荒れ野に変わり果てた姿に世の無常を謳った詩心に繋がる。
一見、この歌が万葉集ではなく平安期の作品といわれても違和感がないくらい、私には繊細且つ静寂さに満ちた歌だ。その繊細さをどう英語に置くか?
リービ氏は、「心もしのに」の「しのに」の原型「しなえる≒撓う」の英訳に苦しみ、drooping ではなく「しなやかに」に近い plaintly を選んだと言う。氏が人麿を「最高峰」と呼ぶ所以は、ホ―メロスにも比肩すると彼が感じる構想力の一方で、かくもたおやかな詩情をも表現する幅の広さであろうか、と私は思う。
さて、もうひとつこの短歌から私が触発されたことは、「ちどり」の演じる役割が人麿の此の短歌と<百人一首>に後世とり上げられる名歌でも、よく似ている点である。”どこか淋しい””頼りなげな”イメージが此の鳥の歩き方や鳴き声から醸し出されてきたならば、まさに当を得た役割だ。 尤も、人麿は廃墟を偲ぶ世のはかなさ、栄華のむなしさに千鳥を援用したのに対し、平安王朝歌人は”恋心の移ろいやすさ”の形容に用いたので違うといえば違うのだが。 時代的には云うまでも無く人麿の短歌が早いわけで、後世の歌人がそれを使ったことになる。 いやいや、どっこい「夕波チドリ」のフレーズは現代の艶歌まで生きている。
改めていうのも失礼なことだが、このリービ氏の日本語へのセンス/造詣の深さはどうだ。 私は全く恐れ入り脱帽するしかない。 ≪ つづく ≫