静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

事勿れ体質よ 永遠なれ…    < 公人として何が恥ずべきことか、わかっているのか? >

2014-10-25 23:30:00 | 時評
<朝から酒を飲み続けた揚げ句、小樽で女性3人をひき逃げで死なせた男。遅ればせながら地検が危険運転に訴因変更の申し出。遺族と7万人の署名に背中押されたので>
  ・・・・ここでの言い訳は「逮捕時の残留アルコール濃度が不十分もしくは境界ギリギリだったから訴因変更はテクニカルに難しかった」といったところか。 だが、罪と罰を決めるのは、残留数値XXのボーダーライン判定ではない。 危険運転犯罪を冒す状態か否かの判断は、容疑者個人の酒の強さではなく、事故を起こした事実1点で十分なのだ。 万一、血中濃度が低くても、事故を起こしたことが危険運転そのもの。そもそも酒気帯びvs危険運転、この区別は必要か?  薬物障害とアルコールによる危険運転を峻別する正当性は?
   
   <原発ADRで議事録の不開示と委員名黒塗り。情報公開どこ吹く風。カネの話は内密に、か。被災者の疑心暗鬼を募らせる愚挙>。  これもヒドイ話ではないか。 情報公開請求が法令で定められた目的は、特定の個人に損失を招く恐れが想定される情報に限り部分的に秘匿を許すほかは、国民・市民が知る権利を行使するのを最優先にすること。 かたや、国家の定めた司法試験に合格して法執行に携わる人は、公に関わった事案で匿名にされる根拠はどんな事案であれどこにもない。 公人としての法執行資格と見識を前提に損害補償認定業務に就いた弁護士の名前はおろか、審議過程をも秘匿する正統性は何処にあるのか?  もっと率直にいうと、公人は公務についている間、守られるべき秘密や純粋の個人利益などないのだ。  それが厭なら公務に就かなければよい。
   議員も含め、およそ公人は其の特権と資格/義務を背負って公務に携わる以上、匿名での発言/逃避は許されないのだ。 君は誰の為、何を隠すのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評; 025  < 中途半端もありがたい >  玄侑宗久 対談集   東京書籍  2012.10.17 発行 285頁

2014-10-25 11:56:14 | 書評
 ひと月ブリに、書評を書きたくなった本だ。  対談の相手は順に(敬称略); 木田 元、辰巳 芳子、五木 寛之、養老 猛司、片田 珠美、山田 太一、中沢 新一、佐藤 優、日野原 重明、山折 哲雄・・・。偶然にも東日本大震災を挟んで5人づつ行われたことで、玄侑氏自身の福島居住と臨西僧としての見識が綯い交ぜになり、いのち・自然と科学の在り方を論じる中に原発にまつわる難問をも含む「厚み」をもたらしている。
  最初の対談集「他生の縁」では、専ら仏教哲学/認識論を中核に据えた生命論/自然と科学/人生観だったが、震災が日本・日本人に与えたものの大きさが、この二つ目の対談を比較にならぬほど豊かな内容にしている。この対談集の発行からちょうど2年経つが、語られている言葉それぞれは驚くほど新鮮だ。各氏が指摘する様々な論点は今日現在の問いであり、近未来も続く重い投げかけである。 巨人たちが繰り広げる知の大地は目が眩むほど豊かであり、視界は広すぎて紹介/要約の任にとても耐えず、ただもう読んでいただくしかない。
   然し、僭越ながら敢えて全巻を貫く柱を無理やり纏めるならば、2元論で世界の混沌を統一しようと概念追及を極め、1神教に突き進む西洋哲学と科学精神への大いなるアンチ・テーゼとして、混沌の開放から進む<多神教世界/八百神>そして<無・空の共存>受容による日本人の自然観/生命観こそが、壊れかけた自然と人類の関係立て直しへの偉大な陣地ではないか?   これが論者10人の恐らく共通認識ではないだろうか。そして、各氏が共に深く憂うのは<日本人の1神教徒化>である。言い換えると、Yes/No 以外に第3の答えも有り、多様な価値の並立が必要であると認めず、否定/抹殺してかかる生き様のことだ。  この纏めが、抽象的にではなく個別具体的に各氏の専門領域の視座から浮かび上がる。  是非、お薦めしたい1冊である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする