静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

いま靖国から # 23  < 特攻が いのち学ぶ宝庫? >

2014-07-04 17:34:52 | トーク・ネットTalk Net
 昨日の記事#22は、小泉元首相親子2代に亘る軍国礼賛の歩みの整理。私には既知の逸話なので、敢えてコメントは割愛した。
 だが、今朝の内容は捨て置けない。伊藤記者が引用する知覧の特攻平和記念会館の説明ガイドの言葉を読み、唖然としたからだ。
 <ガイドたちは自信満々で、迷いはないらしい。知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)の語り部は胸を張って言う。「出撃前の遺書を通して、親子の絆、責任感、勇気、日本人の健全な誇りを伝え、正しい歴史認識を啓発します。『ここに来て分かりました』と喜ばれるのが至福の時ですね」>
 連載最初の当りに述べた私のコメントに戻ることになるが、特攻兵の遺書が<親子の絆、責任感、勇気、日本人の健全な誇りを伝え、正しい歴史認識を啓発>するという立論はどこから出てくるのか? 飛行機を使った特攻兵でなくとも、およそ突撃に駆け出す兵士の悲壮な叫び声・気合はみな同じではないか! 何故、カミカゼだけがそのような装いをまとい、誇り・正しい歴史認識を啓発する・と無邪気にいえるのか?

 <疑問が膨らんだのは、鹿屋航空基地史料館(同県鹿屋市)で聞いた説明だった。「例えばいじめによる自殺の問題にも、特攻の歴史から命の尊さを学ぶことで、自ら命を絶つなという人生の指針を与えられます」> この記述に私は最初ふきだしてしまった。特攻で捨てる命だけがなぜ尊いのか? 強いられた特攻と自殺の対置、ここに潜む誤魔化し・まやかし。 子供は気づかないとタカを括っているのであろうか?
 <ご批判も受けます。今の子供たちに戦争中の生々しい遺言の意味が本当に分かるか、と。分かる分からないより、どんな心境になるか。平和のありがたさ、いのちの大切さ……」> また、ここでも情緒・イメージ操作・非論理のまやかしだ。

 この顕彰の不純さを端無くも暴露したのが<「防衛予算を使っている広報の立場からしますと、児童・生徒さんが1000人来たら、そのうち1人でも2人でも将来、海上自衛隊に入ってもらえたら、なおいいかと……」>という本音であり、<本当に熱心なのは、子供たちより、引率する30~40代の先生や父母の方なのだ。「初めて知った」。「感動した」。「また来たい」>などと情緒に流された層の怖さだ。ゴスペルなどで酔い痴れるのと同じムードが一貫している。 こういう中堅世代が今の多数派だとすれば、この国は大丈夫か?

 愛国心は教育で刷り込むものではない。”よい国”とはどういう国なのか、を幼いうちから親と教師が一緒に考え醸し出し、育つ心が愛国心である。子供の住む国が醜い・うしろめたい・品格に欠ける・理屈にならない横車を押しながら、論理的一貫性のない価値幻想を先に立て「国を愛する心を育てる」などとほざいても、国は良くならない。

 
コメント
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