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処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

ハゲタカ

2009-06-14 23:28:03 | 

真山 仁 著、 講談社文庫 全2巻

 

             

 

NHKの番組宣伝に刺激を受けて読んでみた。

かなり分厚い分量だが、面白く一気に読めた。

 

現実のニュースにおけるこうした経済・金融報道は、実にわかりにくい。とりわけ、新聞は、果たして書いてる記者は、自身が本当に判っているのか、と思わざるを得ない記事が多い。

 

ところが、この本は、実によく判る。それだけ著者の力量が群を抜いている。こう断定すると記者らは、「長い文章なら、俺だって判り易く書ける」と反論するか知らん。「だったら、あなたが小説書いてみて」と言おう。出来ッこないのだ。

例えば、預金保険法102条の適用の一号措置と三号措置の違い。「再生」と「破綻」、規模とケースと影響などが素人でもスッと理解できる。

 

登場人物一人ひとりの造形と配置が巧み。彼らの心では、明と暗、善と悪が交錯する。その人間臭さが、最後まで飽きさせない要素でもあろう。

 

私のキャステイング。鷲津は田宮二郎をおいて他に無し。飯島は中村伸朗、松平は十朱幸代、芝野は加藤剛。ちょっと昔過ぎるか。まあいいや。

 

 

 

 

 

 


毎日が日曜日

2009-05-27 23:10:04 | 

城山三郎 著   新潮文庫 刊

 

                        

 

昭和51年の初版時に読み、今回は2度目。右肩上がりの経済を支えた日本の商社の実態を知り、衝撃を受けたものだった。もっとも、この時代は、商社に限らず、どこもある種の熱気に覆われていた。結果、日本は第二位の経済大国となったのだった。

 

そこに働く人間の典型を描いて分かりやすい。デフォルメされてないから嘘っぽくない。「いるいるこんなの」とか「あいつににそっくりだこの男」といちいちに思い当たる。作家の人間観察の鋭さと構成の旨さの技であろう。

 

主人公は、商社の本流とは程遠い地方の閑職にありながら、あの激しい日々だ。文字通り ”毎日が日曜日” のブログ主としては身の置き所が無い。この本を手に取ったのは、刺激の潜在的な欲求の故かしらん。くわばらくわばら。

 

 


照 柿

2009-05-01 22:25:06 | 

高村 薫 著、 講談社文庫(全2巻)

 

                    

 

毛頭、差別化する気はないのだが、著者には ” 女だてらに ” との献辞を敬服の意を込めて贈りたい。

 

冒頭の熱処理工場の濃密かつ微細な描写や捜査に奔走する刑事達の生態や会話のやり取り、秦野組長と合田刑事の手ホンビキの息詰まる臨場感など、男の作家でもこれほどまでには到底表現できないのではないか。一体どうやって取材したのだろうか。性のハンディの前に幾重にもの壁があったろうに。ただ敬服するしかない。

 

主人公の二人の男の心理描写あるいは心象風景が、これでもかこれでもかと描かれる。これはもう読者への挑発としか言いようがない。生硬い文章の不条理な展開を追うのは読者にとって相当な体力・知力が要る。「どうだ、ここまではついてこれるか?」「これならどうだ?」と。

 

沼野充義は解説の書き出しで、「高村薫は現代日本のドストエフスキーである」と明言している。我が意を得たりである。そして末尾で、「『照柿』は余計な形容を必要としない、要するに小説なのだ。それも人間の妄執と感情の渦を描いた--もはや優れたといった形容では間に合わないので、私はむしろ"強い”と読んでみたい--小説である」とも。

 

高村薫は、私にとって、読む前に相当の覚悟の要る作家である。そして、社会時評をもっと読んでみたい作家である。山崎豊子よりもより日常社会に強くコミットする作家であるから。

 

 

 

 

 


珍妃の井戸

2009-03-13 22:15:33 | 

浅田次郎 著、 講談社文庫 刊 

 

                        

 

大作『蒼穹の昴』の続編にあたる物語。義和団事件、戊戌の政変が打ち続いて崩壊する清朝。その混乱の中で光緒帝の妃を殺したのは誰か。’犯人は西太后’の定説に挑戦した歴史小説。ミステリーとしても上々。

 

英露独日の高官が、カルテットを組んで、真相究明にあたるも、証言はバラバラ。その過程は芥川龍之介の『藪の中』を思わせる。

 

圧巻は物語の最終章、374ページからのどんでん返し。実に上手い。落涙しながら、’天子とは何ぞや’、’天子の愛とは’、’国とは’を自問することになる読者が多いに違いない。 

 


勇気凛凛ルリの色

2009-01-22 21:22:45 | 

浅田 次郎著、講談社文庫刊      

 

                

 

当代屈指のストーリーテラーの世相雑感集。『週刊現代』連載シリーズの文庫化第1冊。

 

作者の異色の職歴や多彩な人生経験と筋立ての上手さで、読者には書いてることの真偽が判らない。ノンフィクションの筈が、筆致の巧みさで、どこまでがホントでどこまでがウソなのか煙に巻かれてしまうと言うわけだ。「恐怖について」など眉に唾付け読んでいる。

 

こんないい加減でいいのかと不謹慎さに不快感を催す部分が多々あるが、これは作者もあとがきで書いてるように、書き方の作戦のうちだろう。

 

ともあれ、虚実取り混ぜた(とブログ主は思っているが)作者の数々の体験談は、面白い。三島由紀夫や山口瞳など大作家への畏敬の念もストレートに伝わってくる。

 

 「サチコの死について」は日常の事実のニュース報道からの一文ではあるが、慟哭無しには読み得ない。作者の、読者の、世間の憤りと無念の想いが立ち上ってくる。

 

「タイトルについて」で、”職場でも酒場でも、団塊の世代のと思しき男に’ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団! 勇気凛々ルルの色’と書いたメモを差し出して、ちょっと読んでくれませんか、と言ってみよう。すると、読むのではなく、節をつけて歌いだす”という下りは、思わずニタッとしたのだった。

 

最後に、夫々の章に、初出の掲載日を記した方がいい。世相がテーマだけに、時が経てば経つほど、読者には親切になる。これは版元への要望になるが。


Chinese Posters

2009-01-14 23:35:34 | 

秋山 孝 著, 朝日新聞出版 刊

200頁, 1890円

 

            

 

「中国におけるポスターと国民生活との密接な関係は、世界でも類がなく、もはや単なるポスター・イラストレーションの域を越え、それらが作られた時代を知り、研究する貴重な資料である」という著者が収集したのは300枚。

そのうちの1949年の中華人民共和国成立から2008年の四川大地震までのポスター168枚が紹介されている。

 

ポスターは中国共産党の最大最強のプロパガンダであった。その威力は想像を絶する。しかしそれは過去の話。

78年以来改革開放の道をひた走る速度に比例して、中国共産党の威令は年年歳歳衰えつつある。今やネット人口は億単位の中国。ポスターが国策に役割を果たせる時代は、再び来ることはないだろう。それだけに、貴重な資料ではある。

 

                        

  1951年「侵略者アメリカは必ず失敗する」              1967年「毛沢東思想万歳!」

 

 

                     

     1969年「偉大な領袖毛主席万歳!」       1982年「社会主義の新しい風ーサービス」

 

 

                 

    1994年「敬愛する少平同志」         2008年「汶川の傷」

    個人崇拝を禁じた少平のポスターは珍しい     四川地震のキャンペーン

 

 


絵を描く日常

2008-11-21 23:41:47 | 

玉村豊男 著  東京書籍 刊

 

          

       

 

玉村氏をはじめて知ったのは、TBSの『ブロードキャスター』だっただろうか。この番組はレギュラーあるいはゲストの魅力に寄るところが大きかった。

 

昨今、お笑いではなくジャリではなくタレントでもなく、自分の言葉で世間の変化や事件の背景、善悪を語れる人を探すのは難しい。その意味で氏のコメントは印象深かった。

 

ある時フラリ入った感じのよい小さな美術館が彼のミュージアム。そこで氏の作品に目を見張る。氏への関心は、本書によって、氏のDNAや絵描きとしての履歴、動機、画家と画商など充分に満たせることになった。特に、日常の生活における創作の模様や技法の試行錯誤などが、氏自身も書いているように、多くの人に役立つ 書き方になっていて有難い。

 

               

 

それにしても、肝臓を患ったために運動量の少ない、高校生以来の絵を手に染め、物書きの余技としての絵描きが、本業以上に実を結び、ガレリア・プロバとの契約に繋がり、売れる作家となる。何と幸運な人生であることか。人さまざま、世さまざまである。

 

 

 


畏るべき昭和天皇

2008-11-15 11:41:56 | 

松本 健一著、毎日新聞社刊

 

              

                                 松本健一氏

 

著者が竹内好論を書き始めた頃から、同時代の、いや同世代の評論家として目が離せないと思ってきた。「北一輝」をはじめとして、いい仕事をしてきている。この著作も、充分楽しませて貰った。齢を重ねた分だけ味のある文章になっていると思う。僭越ながら。

 

私達が普段知ることのなかった昭和天皇の発言や判断・行動について、歴史の事実の上からその畏るべき能力(さらに存在そのもの)を明らかにする。そして著者は、「あえて言えば」と前置きして、その畏るべきところを、 「二・二六事件のとき、北一輝から軍隊を奪い返し、戦後GHQ=マッカーサーを押し返し、自衛隊に突入した三島由紀夫を黙殺したたたかい振りにあった」と指摘する。

 

 

       ニ・ニ六事件         マッカーサーと昭和天皇

 

一、自らはアメリカからの短波放送に耳を傾け、軍の報告の欺瞞性を見抜い

  ていた。

一、二十歳の皇太子時代、初訪欧のバッキンガム宮殿における挨拶は、格式

  の高さと礼節と朗々たる音声で、参会者を驚嘆させた。 

一、戦時中、日本軍の南進の際、参謀総長はじめ軍首脳は、中立国タイへの

  上陸が国際法違反になることを気づかなかった。ただ一人天皇だけが知

  っていて下問した。

一、東条英機ら主戦論を前に、本来出席資格の無い重臣を大本営の御前会

  議に出席させて、挙国一致による戦争回避を狙った。

一、GHQに逮捕されることを嫌って近衛文麿首相は服毒自殺をした。この

  報告を受けて天皇は「近衛は弱いね」と述べた。

などのくだりは、ある種の感動を持って読んだ。

 

           

               昭和天皇 

 

著者が昭和天皇を「畏るべき」との形容詞が相応しいと思ったのは、1975年のエリザベス女王の来日の際の一シーンだと述懐する。

 

エリザベス女王と天皇の通訳をしたのは、外務省から派遣された通訳官・真崎秀樹。彼が、二・二六事件で蹶起青年将校から軍人政権の首班と推された真崎甚三郎陸軍大将の息子であると確認した時であったと言う。反乱軍の首魁の息子の起用は、天皇制が国内の権力闘争を越えて存続するシステムとなるための措置であったという。

 

著者結語。「昭和天皇は、現実政治を越えた彼方の虹であろうとした。そして実は、それ以外に天皇制が近代政治を越えて生き延びる制度的方法はないのである。昭和天皇の生涯は、そのことを身をもって示したのだった」

 

ところで、文中、日本が生んだ世界的名指揮者小澤征爾の名は、小澤の父開作が親交のあった陸軍の軍人板垣征四郎(関東軍参謀長、陸軍大臣)と石原莞爾(陸軍中将)から一字づつ貰って名付けたという記述があった。公知の事実だろうが、初めて知った。意外ではあった。

 

       

     板垣征四郎              石原莞爾

 

     

        小澤征爾     

 

 

 

 

 

 

 

 


チーム・バチスタの栄光

2008-10-11 13:37:54 | 

海堂 尊 著  宝島社文庫全2巻

 

            

 

自分で選んで読む本は、自ずと傾向が決まってしまう。あれも読みたいこれも読みたいと尽きることは無い。と思いつつも一方で、人から貰ったり借りたりした本は、自らの好みや思考回路を離れることで、実に新鮮かつ貴重な経験になる。この本もそうした一冊。2005年の「このミステリーがすごい!」大賞受賞。選考委員の満場一致、数秒で選ばれたという。

 

翌年の広告・宣伝が、映画の封切りも加え露出度が多く、ゆえに臍を曲げて読まなかった嫌いがある。

 

現在の最新医療の世界を扱い、しかも心臓手術のエリート達を巡っての犯人探しのミステリー。手術室の描写や医師・看護師の専門用語を駆使した会話、厚労省と病院の位相、大学病院の実態など、類書が少ない分新鮮な興味に満たされる。著者のように本業が医師でなければ到底書くことは出来なかろう。しかし、医師ではない山崎豊子の「白い巨塔」には及ばなかった。軽さは否めない。

 

映画では主人公の田口公平が女性に置き換えられている。演じるのは竹内結子。最近は、こうして原作とは異なる登場人物になることが多いようだ。まあ受けるためなのだろうが、感心はしない。私のキャスティングは田口公平には小日向文世、白鳥圭介には山本耕史を起用するが。

 

映画「チーム・バチスタの栄光」

 


論語物語 

2008-09-10 10:32:24 | 

下村湖人著、 講談社学術文庫

 

 下村湖人は、高校時代に読んだ『次郎物語』以来か。当時、教師や家族から、良い本と聞かされていたのが下地にあったのだろう。著者がいかなる人物かも知らず、一心不乱に読んだことだった。確か、ブームとはいかないまでも映画もいくつかあったと思うが。

 

今どき、論語など読む人がいるのだろうか。いるのである。サイトやブログを訪ねると思いのほか賑やかなことが判った。

今こそもっと読まれるべきだと考える人が多いのだろう。

 

著者は論語を自家薬籠中の物として、孔子の言説を中心にして自由闊達にイメージを膨らませて、判りやすい展開と文章で物語を創作している。仁だ義だ倫理だ道徳だと堅苦しく規範を説くのではなく、人としての生き方を自然体で理解に繋ぐ。

 

文革時代、徹底排除された儒教だが、北京五輪では、「四海みな兄弟」「和を持って尊しとなす」「友、遠方より来る、また楽しからずや」と重要なコンセプトの一つになった。中国政府は、世界の大学の中国語コースを「孔子学院」として積極展開中。

 

思うに、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想をテーゼとしてきた中国共産党は、急激に拡大する党への批判を、儒教をイデオロギーに組み込んで、或いは置き換えることによって、危機を回避しようとしているのではなかろうか。

 

       

             北京五輪開幕式