散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

成子天神社(西新宿8丁目)

2016-07-26 06:00:22 | 日記

         

      

 高層ビルの立ち並ぶ現在と違って、1100年を超える昔は柏木鳴子と呼ばれ、もともと天照大

御神を祀る大神宮があって、松や柏の樹々が茂る清らかな神域が広がっておりました。「学問の

神様」、「厄よけの神様」として知られる天神さまは、その時代その時代において多様な信仰をひ

とつに統合する神様とも言われています。         

       

 菅原道真公が、生前に彫られた像を柏木村に持ち帰り、平和と文道の神としてお祀りしたのが

延喜3年(903)と伝えられます。その後、徳川三代将軍家光公より春日の局に柏木鳴子の地を

賜り、局の勧請により天満天神社として社殿を造営。明治27年成子神社と改め、昭和3年成子

天神社と改称。その後戦災焼失後昭和41年の再建等を経て、平成26年に現在の姿に御造営を

されたのです。(写真Mr麹町)

           

 日馬富士8度目の優勝 大相撲名古屋場所で横綱日馬富士が優勝しました。感心するの

は、その闘志とスピードですね。大型力士の多い時代に130キロ程度の体重で、はるかに重

い力士を投げ飛ばす、或いは寄り切ってしまう力量は凄いですね。一日一番死ぬ気で戦った

と当人がインタビューに応えていたが、感心しますね。稀勢の里も12勝3敗と健闘はしました

が、平幕に2敗もしていたんでは優勝できない。それと精神面で横綱を見本にもっと背水の陣

で闘ってほしいですね。      


続・田母沢御用邸

2016-07-25 05:56:37 | 日記

       

          

 当御用邸の主家である三階家は、もとは天保11年(1840)に現在の赤坂迎賓館と重なる位置

に建てられていた、紀州徳川家江戸中屋敷の中心部でした。その後、明治の維新を経て、明治6

年の皇居炎上から明治22年までの16年間、近代日本の基礎が固まる時代を仮皇居の中心部

分として使われてきました。      

        撞球場

         

 御用邸は、この三階家部分が移築されて聖上御殿になり、大正には謁見所などの公的部分が

増築されたことから、三時代にわたる建物で構成されています。昭和19年(1944)には、皇太子

明仁親王(今上天皇)が疎開のため、約1年間にわたり滞在されており、日光田母沢御用邸は江

戸時代の後期から昭和の激動の時代までを生き続け、現在に至っています。(写真Mr麹町)


日光田母沢御用邸

2016-07-24 05:55:25 | 日記

       車寄せ

          謁見所

 明治32年(1899)に、嘉仁親王(大正天皇)のご静養のために造営され、昭和22年(1947)

に廃止されるまでの間、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。明治期に造営された

御用邸の中でも最大規模の木造建築で、本邸が現存する唯一の建物です。    

         学問所

          

 江戸・明治・大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、これらの建築物の併用が、当初か

ら存在したかのように建てられているところに、大きな特徴があります。御用邸に刻まれた技と伝

統を後世に伝えるために、栃木県では大正10年の姿を可能な限り忠実に復源したものです。東

武日光駅から約3㎞のところです。(写真Mr麹町)


日光真光教会

2016-07-23 05:58:58 | 日記

        

           

 日光真光教会は明治32年(1899)に建てられました。日本で初めて東京・大阪間で電話が開

通した年といいます。日光で初めての洋風建築で、当初は木造でしたが、大正3年(1914)に石

造りに建て替えられました。重厚なゴジック式の石造りの建物です。  

        

          

 石造りの塔と急勾配の天然スレート葺きの切妻屋根が特徴です。外壁には近くを流れる大谷川

から採取された安山岩が用いられています。現在でも、礼拝だけでなく、コンサートや結婚式も行

えるそうです。もちろん教会のメンバーでなくとも、式を挙げることができます。(写真Mr麹町)


都知事選挙も終盤戦

2016-07-22 05:59:52 | 日記

       

         

 7月31日に投票日を迎える東京都知事の選挙もいよいよ終盤戦ですね。崖から飛び降りると言ってい

ちばん最初に手を挙げた小池百合子氏、自民党東京都連に推薦してくれと頼んだけれど結局「そうはい

きません」と断わられて開き直って、「鳥越さんなんて病み上がりの人を連れて来てどうする」と叫んで

鳥越俊太郎氏に噛みつかれ、「これが選挙なんですよ」とシラッとしている。    

 今回の都知事立候補は21人もいますが、上の2人の他に増田寛也氏の3人しか新聞などに現れませ

んね。他の18人の名前も顔も出てきませんよ。そんなもんですかね。と言ってるうちに、又も週刊文春の

爆弾がさく裂しました。鳥越俊太郎氏「女子大生淫行疑惑」だそうで、本当なら病み上がりどころか元気な

もんですね。ま、昔の話だろうけれど。増田寛也氏の話題がどうも少ないような。とにかく残り10日間です

から火の出るような選挙戦を期待しましょう。(写真Mr麹町)