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昔、山城国に一口稲荷神社があり、穢れや災いを洗い清めてくれるということから「えもあら
い稲荷」と呼ばれて、近郷近在の人々の信仰を集めておりました。室町時代の末頃、関東一帯
には天然痘が流行し、この地に在った太田道灌の姫君もその病に罹ってしまいました。
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太田道灌は一口稲荷の噂を聞き、山城国に出向いて「一口稲荷」に平癒を祈願したところ、
姫は全快したと伝えられます。道灌は後に江戸城を築くとき、その鬼門除けとして一口稲荷を
遷座しました。後に明治5年(1872)東京府から村社と定められ、大田姫稲荷と称し、小川町
その他駿河台一帯の氏神としました。(写真Mr駿河台)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
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