散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

江戸東京博物館(6)

2015-10-26 06:15:06 | 日記

       

          怖い不発弾

 いよいよ昭和に入ってきました。戦後の商店街ですが、復員兵がいますね。私たちのような

年齢になりますと、焼跡、闇市、復員兵の様子を記憶しています。進駐軍の残飯の雑炊という

か、ごたごたした煮物があったかと思うと、どこから出たかと思うようなご馳走があったり、不思

議な時代でした。焼け跡から不発弾がゴロリと出たりしました。  

        三種の神器

         

 だんだん世の中が落ち着いて、昭和30年代になりますとオリンピックですね。皆さんわくわく

していましたよ。岸内閣の安保騒動のあと、池田内閣の所得倍増という夢のような時代がきま

した。三種の神器というのを御存知ですか。博物館に展示される電化製品、冷蔵庫、テレビそ

して洗濯機です。オート三輪車からトラック乗用車なども充実してきました。なんだか希望の夢

が広がった時代でしたよ。(写真Mr麹町)


江戸東京博物館(5)

2015-10-25 06:07:35 | 日記

           

           六区の賑わい

  今回は明治から大正にかけてのお話です。明治23年(1890)11月、浅草に赤レンガづくり

の凌雲閣(通称・浅草十二階)が建てられました。高さ52mという、当時としていは驚異的な高

さを誇る八角形の塔です。12階のうち8階までは日本で最初のエレベーターが設置されていま

した。しかし、故障が多くて翌年には使用中止となってしまいました。残念でしたね。大正12年

の関東大震災で倒壊、爆破されたそうですよ。    

         朝野新聞

  朝野新聞(ちょうやしんぶん)は、明治7年(1874)9月24日から、明治26年(1893)11月

19日まで東京で発行された民権派の政論新聞だったそうです。(写真Mr麹町)


江戸東京博物館(4)

2015-10-24 06:08:50 | 日記

         

       

          賑やかですね

 越後屋という木札がありますね。現在の「三越」の屋号で、1673年に創業者三井高利八兵衛

は、江戸本町1丁目(現在の日本橋本石町)に間口約3mの呉服店「越後屋」を開きましたが、そ

れが現在の日本橋三越本店ということになります。店構えも立派ですね。    

           神田祭り

 「神田祭り」の山車のひとつを、関東に現存する山車や絵画資料をもとに原寸大で復元したもの

だそうです。これは、江戸町人の盛んな意気を示し、隔年に江戸城にくりこんで、将軍の上覧に供

したといいます。(写真Mr麹町)


江戸東京博物館(3)

2015-10-23 06:07:25 | 日記

       

           江戸の町

       美味しそうな寿司

 5階の町の暮らしを見ますと、浪人と思われる武士が子供たちに読み書きを教えているのがあ

りました。壁に大小の刀が架かっているので武士と思われます。当時はこうしてこども達に読み

書きを教えていたのです。他の国に比べて、日本の国の教育程度は決して低くなかったと言われ

る所以ですね。美味しそうなお寿司が売られていますよ。    

        日本橋

 町の賑わいもリアルに再現されています。この橋は「日本橋」ですね。なかなか頑丈に出来てい

ますが、現在の橋は昭和2年に架橋されたと聞きます。(写真Mr麹町)


江戸東京博物館(2)

2015-10-22 06:10:00 | 日記

        お江戸日本橋

           太田道灌像

 常設展示場は先ず6階の「日本橋」を渡ります。エレベーター前に立派な江戸時代の日本橋が

架かっています。これを渡って「江戸ゾーン」へ入ります。こには江戸城と町割りの構図がありまし

て、その時代の様子が分かります。そこからエスカレーターで5階に降りると、芝居と遊里の様子

などが展開されます。

        芝居小屋

           助六と揚巻

 人気の花川戸の助六ですね。この助六という侠客は、実は曽我五郎で夜毎吉原で、けんかを

売っては相手に刀を抜かせてます。そして源家の重宝「友切丸」を探していたと言う訳です。当時

の江戸では、曽我ものという仇打ちが人気があって、正月初番は曽我ものを上演する習慣があっ

たことから、この芝居を展示したものと思います。(写真Mr麹町)