墨田区両国4丁目の公園に「勝海舟生誕の地碑」があり、墨田区教育委員会の説明板があり
ます。文政6年(1823)1月30日、本所亀沢町の父小吉(こきち)の実家である男谷家(おだに)
に生まれました。幕臣とはいっても下級武士だった為、苦しい生活を強いられました。少年時代か
ら剣を学び、参禅、蘭学、兵学に励みました。嘉永6年(1853)、幕府に提出した「開国後の方
針」を述べた意見書が採用されて世に出ました。
威臨丸で渡米したこと、慶応4年の江戸城無血開城についてはよく知られています。その後も
明治新政府の土台づくりにも力を尽くし、明治32年(1899)病没しました。77歳でした。枢密院
顧問、伯爵。