この辺りはその昔、江戸幕府の鉄砲の試射地であったことからこの名がついたといいます。
中央区の説明によると、鉄砲洲稲荷神社は江戸湊の入り口に鎮座する神社として、地域の
人々の信仰を集めてきました。寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に移りましたが明治元
年(1863)に現在地に移転して今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は、昭和10年(1935)より復興整備されました。
境内は昭和初期の神社建築をよく伝えていますので、中央区民文化財に登録されています。
あの広重の名所江戸百景にも描かれています。