散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

鉄砲洲稲荷神社(中央区湊1丁目)

2014-03-17 06:30:54 | 日記
     

         

 この辺りはその昔、江戸幕府の鉄砲の試射地であったことからこの名がついたといいます。

 中央区の説明によると、鉄砲洲稲荷神社は江戸湊の入り口に鎮座する神社として、地域の

人々の信仰を集めてきました。寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に移りましたが明治元

年(1863)に現在地に移転して今日に至っています。  

     

 関東大震災により被害をうけた境内は、昭和10年(1935)より復興整備されました。

 境内は昭和初期の神社建築をよく伝えていますので、中央区民文化財に登録されています。 
 あの広重の名所江戸百景にも描かれています。
 

マナーはココロ(東京メトロ)

2014-03-16 06:08:55 | 日記
      

 東京メトロのマナーポスターです。今月は「ついうっかり 通せんぼ」ですね。女子高校の

生徒さんですかね。入口近くに立って何か考えていますよ。ホームに着いても乗ってくる人が

いないので、そのまま立ちふさがっています。もう一人のお兄さんは夢中で読書中で、後ろで

降りる人が困っています。  

 ついうっかり通せんぼですね。ドァ付近では、乗り降りする方にご配慮ください・・・と書

いてあります。思いやりも、気づかいも マナーはココロですね。

水位観測所跡(新川テラス)

2014-03-15 06:01:40 | 日記
     

 江戸湊の錨の東側に三角の観測装置があります。この観測所は明治6年6月から水位の観測

を始めました。満潮位と干潮位を測定して東京湾の基準を定め、さらに全国の水位の基準とし

て定めた観測装置です。  

 その後、東京湾の埋め立てや、隅田川の河川水の影響もあって、より理想的な位置として、

三浦半島油壺の観測所にその機能を移されました。この観測装置は歴史的経緯を長く後世に伝

えるものとなっています。明治の初めに近代化を図っていろいろと努力した先人に対して、心

から敬意を表したいと思いますね。

遠藤 稀勢の里から白星

2014-03-14 06:15:11 | 日記
      NHKTV

        

 前頭筆頭まで駆け上がった遠藤は、役力士と総当たりで「力が出せるか」と期待と不安と五

分のファンの声のなか、五日目に大関稀勢の里に勝って館内大騒ぎです。  

 稀勢の里はカド番の今場所は初日から危なげなく4連勝、五日目にまさかの一敗を喫してし

しぶい顔。遠藤の地元石川県からの応援団は拍手喝采。これで横綱大関との対戦が終わって今

日は西前頭筆頭の玉鷲との相撲、さてどうなるか見ものですね。

江戸湊(中央区新川)

2014-03-13 06:26:32 | 日記
    

        佃大橋

 徳船稲荷神社から東南に向かうとご覧の「錨」があります。これは慶長年間に江戸幕府が、

この地に江戸湊を築港した記念のしるしです。水運の中心地として江戸の経済を支えていたと

伝えられています.  

      佃島高層ビル群

 昭和11年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として大いに賑わいまいました。これ

を記念した錨ですが、目の前には川幅も広々とした隅田川の流れがあり、佃島への佃大橋が見

えますね。目を左に転じれば高層ビル群に圧倒されます。当時の船乗りは、これほどのビル群

が立ち並ぶ姿は想像もできなかったでしょうね。