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本堂から「うぐいす廊下」を抜けると、明王殿があって「武田不動尊」が安置されいます。
信玄が31歳のとき、比叡山より大僧正の位を受けた際、記念像として京都より仏師である
斎藤康清を招き、対面で模刻させたという等身大の不動明王です。信玄生前の制作であること
から、信玄生不動ともよばれています。
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明王殿の裏には信玄の墓があります。1521年生まれで16歳の時、晴信と名乗り39歳
で出家し信玄(僧名)と号します。1573年4月12日に病気にて死去。後に快川和尚の導
師により恵林寺で葬儀が行われており、現在でも、恵林寺では4月12日に信玄忌として毎年
供養が行われています。信玄の墓の後ろには武田家臣の供養塔が約70基並んでいます。
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家康が恵林寺再建の後は、五代将軍綱吉の側近となる柳沢吉保が、信玄の法要を行うと共に
寺内の修復を行いました。柳沢家は吉保の子である吉里の代に吉保夫妻の墓を永慶寺から恵林
寺に改葬しています。寺内には正室定子の墓塔と共に並んでいます。(写真・ミスター麹町)
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今日は恵林寺にある 武田不動尊の話しですね
最初の写真、静寂を感じ何か自然に手を合わせたくなります
此処には珍しく"うぐいすの廊下"があるのですね
この廊下を歩いてみたい所です
まあ いろいろと武田信玄の没までの経歴を聞かせて頂き有難うございました
でも 徳川幕府も偉い 又、未だ供養が・・感心
では失礼致します
大昔武田神社訪れましたが
記憶の外 吉保が関係するとは 驚き
六義園しか知りません
さんざん苦い戦いをした武田信玄の霊を
丁重に弔い、感心しますね。
大分時間が経過していますが それなりに
丁重にやっていたのですね。