散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

お茶の水由来

2013-12-22 06:12:13 | 日記
    

         聖橋

 神田山の真ん中に掘割をつくる大工事が行われたのは、二代将軍徳川秀忠の時代です。これ

は水害防止の放水路と、江戸城の外堀を兼ねる谷になりました。現在でも大変な作業だと思い

ますがね。そして神田山は湯島台と駿河台に別れて、北側の湯島台にあった高林寺から泉が湧

き出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、お茶の水と呼ぶようになりまし

たと言うおはなしです。  

 駅前の交番の横に「お茶の水」の碑が立っていますが、碑文はよく読めませんですね。お茶

の水橋から神田川を覗くとかなりの高さで、高所恐怖症の人はちょっとね。400年前の大工

事でこの渓谷づくり・・感服しました。

マナーはココロ(東京メトロ)

2013-12-21 06:18:33 | 日記
      

 年の暮れは忘年会の季節です。こんな光景を見かけますね。隣の女性に寄りかかってグー

グーと眠っています。今年の苦労は忘れても、気配りはお忘れなくーですよ。  

 座席の幅とりなど、まわりの方にご配慮ください。今朝の新聞に「終電車 すわったばかり

に 乗り越した」という川柳がありました。身に覚えがありますデス。

笑う犬・鈴本演芸場

2013-12-20 06:21:00 | 日記
        

      

 上野2丁目の寄席、鈴本演芸場の玄関で笑っているワンチャンです。「笑うな と言われて

も 笑いが止まらん」そうです。ここは落語の定席で、毎日面白い噺をやっているわけですか

ら笑いがあって当たり前でしょうか。  

 ここは江戸時代の安政4年(1857)に開設された軍談本牧亭が元祖。創業者は現席亭の

祖先で本牧屋仙之助です。明治になって名字を鈴木としましたが、本牧亭の本と鈴とで鈴本演

芸場としました。戦火で全焼しましたが、野天で噺を聞かせるなどして寄席を再興して今日に

至っています。  

     

 年末の落語ネタは「芝浜」が多いのにあやかって、私も夢をと・・・御徒町売り場で10枚

だけ買いました。大晦日が楽しみ トホホ 

駅伝の歴史碑(不忍池)

2013-12-19 06:30:24 | 日記
    

 カナリヤの碑の向かいに「駅伝の歴史ここに始まる」という碑があります。説明を読むと、

大正6年(1917)4月、京都三条大橋から東京上野不忍池までの東海道駅伝徒歩競争のこと

を記しています。京都から東京までを3日間で走破したそうですから驚きですね。  

 京都五条大橋なら牛若丸ですから飛ぶように走るかもですが、すごいの一語ですね。

歌を忘れたカナリヤ 歌碑

2013-12-18 06:46:19 | 日記
     

 不忍池弁天堂への参道の手前左手にひっそりと立っています。昭和35年(1960)に、

サトウ・ハチローさんら西条八十会によって建立されました。「うたをわすれたかなりやは

ざうげのふねにぎんのかい つきよのうみにうかべれば わすれたうたをおもいだす」と全部

平仮名で彫られているのは、作者の原稿そのままでしょうかね。

 歌を忘れたカナリヤは 後の山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ

 歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋めましょか いえいえそれはなりませぬ

 歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょか いえいえそれはなりませぬ

 歌を忘れたカナリヤは 象牙の舟に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

 子供の心を知る西条は、傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、このカナリヤ

を作詞したといわれます。歌を忘れたカナリヤは、自分の居場所を見つけることができれば

再び美しい声で歌い出す・・・深い嬉しい思いやりですね。