後ろは乃木邸表玄関
これは「水師営のナツメの木の孫」です。これも「坂の上の雲」の二百三高地激戦で思い起
こしました。参謀本部の児玉源太郎(高橋英樹)の檄で高地が陥落したあとの話です。この木
も日露戦争も、旅順要塞も御存知ないお若い方のために「水師営の歌」を披露します。
1.旅順開城(りょじゅんかいじょう)約成りて(やくなりて)
敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の 所はいずこ水師営
2.庭に一本(ひともと)ナツメの木 弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍
以下 延々と続きますが、あとは省略。後に小学校国語読本に「水師営の会見」として載り
ました。この会見は、明治38年1月5日でしたが110年前の1905年のことです。その
歴史的一瞬を見た「ナツメの木」の孫が、ここにあるとは思いませんでした。人それぞれの思
いがあると存じますが、私は感慨一入でした。やっぱり古い人間ですかね。
これは「水師営のナツメの木の孫」です。これも「坂の上の雲」の二百三高地激戦で思い起
こしました。参謀本部の児玉源太郎(高橋英樹)の檄で高地が陥落したあとの話です。この木
も日露戦争も、旅順要塞も御存知ないお若い方のために「水師営の歌」を披露します。
1.旅順開城(りょじゅんかいじょう)約成りて(やくなりて)
敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の 所はいずこ水師営
2.庭に一本(ひともと)ナツメの木 弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍
以下 延々と続きますが、あとは省略。後に小学校国語読本に「水師営の会見」として載り
ました。この会見は、明治38年1月5日でしたが110年前の1905年のことです。その
歴史的一瞬を見た「ナツメの木」の孫が、ここにあるとは思いませんでした。人それぞれの思
いがあると存じますが、私は感慨一入でした。やっぱり古い人間ですかね。