大人気の朝ドラ『あまちゃん』、残念ながら終わってしまった。
朝日新聞は、夕刊一面トップでこれを報じた。
極めて異例の扱いだと思う。
「ブームの熱気は冷めそうにない」とはいうものの、
記事そのものは朝ドラの本質からはずれてしまっている。
関連商品の人気に触れているだけで、なかみがない。
評論家のコメントもパッとしない。
「80年代アイドルに夢中になった40、50代が狂喜乱舞」、
これも印象論でしかない。
書いた記者もこの派手派手しい扱いには、
きっと苦笑いをしているだろう。
台風18号の襲来からまもなく2週間。
京都、大津方面は豪雨禍で、今なお京阪電車は停まったままで、
この区間は代替(だいたい)輸送が行われている。
京阪の周知文書を見ると、一部はJRで振替輸送、
山科・浜大津間は代行バス運行となっている。
確かに関西では「代替」という言葉は定着していないようだ。
お馴染みなのは「代替え(だいがえ)」。
阪神・淡路大震災の折には、この代替えを使っていた。
「神戸では“代替え”が一般的」とことわりもしていた。
現地主義を重視した的確な判断と言っていいだろう。
“代”という字は面白い字だと思う。「よ」「しろ」とも読む。
国歌「君が代」の“代”が最も象徴的な使い方だろう。
「君が代は、千代に八千代にさざれ石の・・」
「千代に八千代に」、結婚式の挨拶で使われる常套句で
いついつまでも・・という寿ぎを強調している。
ところが「身代(しんだい)」はどうか。
明鏡国語辞典は用例として「身代を築く」をあげているが、
どちらかと言えば「身代を食いつぶす」という言い回しを
耳にすることのほうが多いように思う。
事件を追っかけていた私などは
つい「身代金」という言葉が浮かび、
無理強いの営利誘拐を想起する。
劇場犯罪のはしりとなった「グリコ森永事件」の
“現金10億金塊100キロ”の要求には驚かされた。
『飲み代』という言葉。
NHK/毎日などマスコミの用語辞典を見ると
いずれも読みは「のみしろ」で「のみだい」ではない。
日本新聞協会から出ている『放送で気になる言葉』に興味深い指摘がある。
「のみしろ」「のみだい」いずれも認めるべきと主張しており、
「のみしろ」は時代劇などせりふで出てくる古い表現で、
現代では「のみだい」のほうが一般的に使われていると指摘、
さらに辞書にないからと言って誤りとは言い切れないと主張している。
私は一時大阪の都島区に住んでいた。
いつも地下鉄で通っていた。
ちょっとアルコールが入って乗り越すとそこは『野江内代』、
「のえ・うちしろ」と読むのかなと思っていたが、
これは「のえ・うちんだい」が正解。
神戸新聞のベタ記事。
「半沢直樹」の原作者・池井戸潤さんが、
ドラマに対する感想を述べている。
TBSを通じて発表したというので
字句がそれほど変わっていることはないだろう。
「圧倒的な熱量を放つ、素晴らしいドラマ」、
まさに言い得て妙、こんなに短いフレーズで、
今回のドラマの本質を的確に言い表している。
とにかく、スカッと勢いのあるドラマだった。
最終回の平均視聴率は関西45.5%、関東42.2%
大ブレイクおめでとう。
岡山県の山あいにある吉備中央町、
県が中心になって手がけた吉備中央高原。
威風堂々バブリーな建物が聳え立つ。
黒川紀章の作品、形状から見ると野外ステージという感じ。
とれほど使われているのだろうか?
HPなどで見ると、整備計画は事実上凍結のようで、
このまま先細りになってしまうのでは・・。心配。
現役時代に3年間勤務したことのある湖都・大津。
私はよく琵琶湖岸と旧東海道を歩いた。
何度巡っても退屈はしない。
特に明け方の湖岸、近江富士の方角にあがる日の出。
店の明かりがつき始める頃、薄暮の旧街道筋。
この界隈には当時の香りが漂わせる町家が多く残っている。
和蝋燭や水飴、和菓子など挙げればきりがない。
このうちの一軒、もと呉服屋だったという料理屋「魚忠」を訪ねた。
吹き抜けの土間に、小川治兵衛の庭、
国の有形文化財にも登録されている。
ここは料理屋なので、少し奮発すれば誰でも利用することができる。
ご覧のような花かごのお弁当をいただいた。
琵琶湖の葦を使った現代的な生花が
この日、この町家をより引き立てていた。
山科駅前のラクトにある珈琲店「キョーワズコーヒー」
明るい雰囲気が良い。
今の時期は炭焼きのブルマンの豆を使ったカフェラテ、
備長炭の焙煎ということで、嫌味しらずのやさしい味。
伝票の裏に気の利いたコピーが刷り込まれていた。
「耳を澄ますと香りが聴こえる
コーヒーって浪漫なんですね
瞳を閉じると美味しさが広がる
コーヒーって夢なんですね」。
このあたりは勤め人の町なのか
昼前だというのに客はまばらだった。
百人一首、蝉丸の歌。
「これやこの 行くも帰るも別れつつ
しるもしらぬも 逢坂の関」
この逢坂の関にあるのが、画家・橋本関雪の別邸月心寺。
ここには名水走井もある。
裏山の斜面を生かした庭は必見、
和かな陽が射し込む、緑葉の庭だった。
秋の紅葉の季節は素晴らしいに違いない。
西大寺はいま萩の花が咲き始めている。
この寺には、多くの歌が紹介されているが、
この中に俳人・橋本多佳子の句碑がある。
山門を入った右側で、この季節白い萩が目印となっている。
「いなびかり 北よりすれば 北を見る」 多佳子
橋本多佳子は広く知られた俳人ではないが、
この春作品の魅力を紹介した著作が世に出た。
著者は、俳人協会会員で、「七曜」同人の倉橋みどりさん。
出版記念の講演会にも出させてもらった。
彼女が、「多佳子の句の中で最も好きな一句」として挙げたのがこの句だ。
「北と言う不吉な方角の空に、突然いなびかりが走る。
おびえるのでもなく、叫び声をあげるのでもなく、
ただまっすぐにいなびかりがした方を見つめ返す強さ。
それは自分の宿命を宿命として受け入れるしなやかな強さである。
その強さがあるからこそ、自分のいのち、
そして、ほかの命への慈しみが生まれる。
このすべての命への慈しみが、
多佳子俳句を貫く普遍的な魅力であると思う」
倉橋さんはこの句をこう読み解いている。